結婚してください
「私と結婚してください」
「……いや、既に籍もはいっているんだが…」
新婚ホヤホヤ一週間目の今日、突然妻が俺にプロポーズしてきた。
婚姻届もふたりで提出し、結婚式に新婚旅行も盛大に執り行い、これから始まる生活に想いを馳せていたというのに一体彼女はどうしたというのだろうか。
昨今、若年性アルツハイマーというものがあるというので、よもやそれが発症したのかと不安に駆られたが、次に発せられた彼女の言葉によってその不安は全て吹き飛んだ。
「実は私……前世の記憶を思い出したの。」
別の不安が広がっただけだが。
──妻曰く、前世では俺と彼女は恋人同士であったが身分差という壁にぶつかり引き離された。
今生では結ばれないと悟ると、来世こそ一緒になろうと約束して心中したという。
その際、再び巡り逢えた時は自分から求婚すると約束したのだそうだ。その約束を昨日思いだしたので、実行したのだとの事だった。因みに性別は今と逆だったそうだ。
「んなアホな……。」
妻の話を最後まで聞いた俺が絞り出して発した言葉はその一言だけだった。
「そ、そうだよね。こんな話突然されたって信じられる訳……」
「俺の前世が女だとか何かの冗談だろ……?」
「え、そこっ!?」
「当たり前だろ。俺だぞ?」
前世で女だった人間がどうまかり間違えて190㎝の長身で、そこそこガタイも良くてしょっちゅうヤのつく自由業の方に間違えられる俺になるんだ。
対して心咲は150㎝の小柄で小動物のような庇護欲を掻き立てられる可愛らしい女性なのに前世が男とか……。
輪廻転生の輪がどっか狂ってたんじゃないのかと疑いたくなるわ。
「信じて、くれるの……?」
「自分の愛した女の言葉を信じなくてどうするんだ。」
「っ……虎ちゃん!」
不安げにこちらを見上げる心咲に、天使の微笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。安心し、感動したのだろう心咲は涙ぐみながら飛び込むように抱きついてきた。俺はそんな妻を優しく抱き止めそっと頭や背中を撫でてやる。
余談だが天使の微笑みは俺に対して心咲のみが言う言葉であり、数少ない友人からは魔王の破顔と言われる位恐ろしいらしい。
「じゃあ、じゃあじゃあっ私の求婚受けてくれるのねっ!」
「いや断る。」
「…………………………え?」
俺の一言で可愛らしい顔を更に笑顔で可愛らしく飾り立てていた心咲はぴしりと固まった。サァッと分かりやすく血の気が引く心咲すら可愛く思えるのだから俺も大概重症だな。
「……どう、して?信じてくれたんじゃなかったの?」
「ん?ちゃんと信じてるぞ。いや、信じてるからこそだな。」
「え?」
「いくら前世の俺だからといって、心咲の口から知らん女にプロポーズをする事が気に食わん。」
「で、でもそれは」
「そして一番気に食わんのは心咲の前世とはいえ知らない男が取り付けた約束を心咲が律儀に守ろうとしている事だっ!!」
そうだ。前世だかなんだか知らんが周囲に引き裂かれたからといって結ばれる事を諦め、勝手に来世に希望を持って勝手に死んだクセに今更その願いを現世の俺達に求められても困る。
もし今俺にも前世の記憶が戻ったとしても、今生を生きる俺達の人生を過去の人間が邪魔するな。でしゃばらず引っ込んでろと声を張り上げて伝えるだろう。
というか何故俺が知らん男のプロポーズを受けなきゃいけない。
心咲にも全く同じ事を伝えると、俺の腕の中でなんとも言えない、納得しがたい表情を浮かべている。それもそうだろう。実際問題心咲の中には前世と現世の記憶が入り交じっているのだからどちらつかずで複雑な心境なんだろう。
……何か心咲の中に知らない男がいると思うと腸煮えくり返ってきたな。
抱俺はき締めている心咲を横抱きに抱え直すと、おもむろに立ち上がりリビングから隣の部屋へと移動する。
「と、虎ちゃん……?」
「そんなにプロポーズがしたいなら前世野郎じゃなくて心咲自身が俺にしてくれよ。……ただし、ベッドの上でな。」
「ひぅっ……!」
ニヤァと浮かべた笑みは、流石の心咲にも魔王の破顔に見えただろう。それ位悪どい顔をしているのが自分ですら理解出来るしな。
ブルブル震える心咲をあえて無視し、ベッドにそっと下ろしてやるとそのまま俺は心咲に覆い被さった。まぁその後は……分かるだろう?
最初は約束が、とか色々と言っていたが朝まで思う存分可愛がってやればもう前世の事を考える余裕はなくなったらしく、最後は甘い声で俺の名前ばかり呼んでいた。
その際プロポーズもやり直してもらった。勿論心咲自身の感情と言葉でだ。真っ赤なくずけた顔を隠しながら言う心咲がもう可愛くて予想外に張り切ってしまったのは必然と言えよう。啼き(なき)疲れて俺の腕で眠る妻を抱き締めて額に口づけを贈る。
後日、本当に俺の前世の記憶が戻ったり心咲の前世の意識が表に出てきたりと色々な事が起きるが、それらは全て些細な事だ。
その度に俺は前世を押し返し、俺達の言葉で伝えあうのだから。
「結婚してください」と……。
捕捉のようなもの。
鈴本虎若25歳。
ヤのつく自由業と間違われがちだが実は丸暴(※)対策本部の刑事だったりする。
新婚ホヤホヤで妻の心咲を溺愛している。妻の前世どころか自分の前世にまで嫉妬する程心が狭い。
鈴本心咲27歳。実は姉さん女房。
新婚一週間目、前世の記憶を思い出し、前世の恋人兼現世の旦那様に求婚するがそれが嫉妬の元になり朝まで啼かされる事に。
心咲がプロポーズではなく求婚と言っているのは前世の記憶が影響しているせいです。
(※マル暴とは暴力団の「暴」を丸で囲ったことから》暴力団のこと。また、暴力団対策を担当する警察内の組織や刑事のこと。警察関係での隠語。デジタル大辞泉コトバンクより引用)