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蜃気楼

作者: 彩夏

前回アップしたものの直しです。

彼女が今まで生きてきた道に僕はいない。

彼女の過去を僕は知らない。今の彼女しか、僕の瞳に映ることはない。

だから僕は彼女の過去に誰が関わっていたのかがわからない。

今の彼女が僕を好きでいてくれているのは知ってはいるつもりだけれど、過去の彼女がどんな恋をして、どんな傷を残してきたか、僕は勿論知る由もない。


「あ、蒼次郎そうじろう?」


彼女の声も笑顔も、何一つ変わっていなかった。

それが逆に僕を苦しめた。


「ごめんね、蒼次郎。蒼次郎が望むなら、これで終わりにしよう」


変わらない彼女の声は、白いこの部屋を青く染めた。

一つだけ変わってしまったのは、彼女の世界。彼女の瞳に映す全てが消えてしまったことだ。病室と同じ色の布は彼女の視界すべてを遮って、僕と彼女の間に薄く、だが、しっかりと隔たりを作っている。


「終わりにするなんて、二度と言うな」


声の震えは僕の心情そのままを彼女に伝え、彼女の笑顔は薄れて消えた。

何かを伝えようと彼女は口を開いたが、それは言葉にはならず、彼女が座っているベットのシーツを強く握るだけだった。

彼女は泣く事がないと、まだ短い付き合いの中で僕は知っていた。彼女に涙は似合わないし、周りのだれ一人として彼女の涙を見たことがなかったからだ。

だから今、彼女が涙を流さないのは何も不自然な事じゃない。彼女は最初からそういう強い人間なのだ。


「うん、ごめん。ありがとう」


彼女は今度もまた、変わらない笑顔を見せた。



彼女はしばらく入院する事になった。もう光を見ることは叶わないと診断を受けた彼女に僕ができることは、ただただ隣で手を握って話しかけることだけだと、毎日僕は学校の帰りに彼女のもとに通い続けた。

僕が病室の前に立つと、彼女は僕の名前を呼んで「当たりでしょ」と冗談めかして笑った。それがこんな境遇に陥った彼女に僕が与えられるかすかな彩りの一つだったと思う。

今日も彼女のもとへ、僕は走った。彼女が少しでも笑っていられるように。


病室の前に立てば、彼女は名前を呼んでくれる。でも今日、僕が聞いた彼女の声は僕の名前を呼んではくれなかった。僕の望んだ彩りも与えることも、与えられることもなかった。


はるか


扉を開こうと伸ばした手は止まる。いままで聞いたこともない彼女の声は僕に向けられてはいなかった。


「久しぶりだな、本当に久しぶり」


低く重みのある男の声。妙に艶があり、鼓膜に優しく響く声だった。


「だれに聞いたの、私の事」


「誰だっていいだろ、それより、どうして俺だってわかったんだよ」


僕は壁にもたれて聞いていた。僕の知らない彼女が扉の向こう側にいるのだと思うと、いたたまれなかった。


「遥の手、最初は違う誰かだと思った。だけど、遥の伸ばしてきた手はよく覚えてた」


「俺の手?」


「そう、遥の不器用そうな細い手。忘れるわけがないでしょ、3年たってもしっかり覚えてる」


「そうか。3年か、もうそんなにたったのか。元気だったか?」


過去の話だと、僕は何も口が出せない。知らないからとかじゃなくて、純粋に、彼女が何かを抱えていることはわかっていたし、それを知ることが怖かったのも事実だった。

自分たちの近況を話していた声がふいに止み、静けさと、隣の病室から聴こえる心電図の音だけが、時を流れた。


「俺が悪かったんだ」


不意に聴こえた男の声、震えた涙混じりの声だった。


「俺がお前を傷つけた、…知らなかったんだ、人を愛する事が、わからなかったんだ。俺は自分が人を愛してやと気付いた、愛する事の苦しさ、なにも知らなかった、ごめん、謝りたかったんだ、ずっと」


見なくてもわかった、男は声を押し殺し、それでも嗚咽を抑えきれずに言葉を一つ一つ、溢れるように彼女に伝えていた。


「どうして」


彼女の高い声は儚く消えた。

そして、刹那。


「どうして、私、絶対に見てやるつもりだった。遥がどんなふうに私に謝るのか。何があっても絶対に遥の泣き顔を見てやるつもりだった。どうして見えないの、どうして今さら来たの」


それは脈打つ心臓を貫かれるような、あまりにも唐突で激しい痛みと似ていた。

彼女は泣いているんだ、自分以外の男の前で、自分以外の男のために。


「バカみたい、どうして、なんのために私は遥の事なんかずっと待ってたのよ。後悔したあなたの顔を、ずっと待ってたのに」


「ごめん、俺、お前に愛されて、幸せだった。ごめん、こんなこと、俺が言うことじゃないけど、これだけは絶対に伝えておきたかったんだ」


「私も、人生でたった一度、遥を愛する事が出来て」


僕は静かにその場を離れ、屋上へ向かった。青い空を今日ほど恨んだ日はないだろう。今日くらい曇り空にしてほしかった、青い空は今の僕の心と混じり合えないから。


彼女は蜃気楼だったんだ。

彼女の心の一番深いところにいたのは僕じゃなくてあの男。僕が掴んだ彼女は幻で、ずっとずっと、本当は遠いところにいたと、気づいてしまった僕は今、どんな顔をすればいい?


彼女の言葉。


「幸せだった、うん今も、これからもずっと」


女々しく僕は膝を抱えて、気づけば何度もそればかり唱えていた。


僕も自分の過去へと帰ろうか。

過去の傷をもう一度見つめなおしてみようか。

過去は必ず未来につながるのだから、きっと今度はまた、異なる未来が待っているはずだ。

二つは常に、延長線上で繋がっているのだから。


END

けっこう自信作です。

言葉の言い回しなど、ミスは多いかと思いますが、温かくも厳しく、感想を頂けたら幸いです。

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