1
夜梨は本が好きだ。たとえそれが5分であったとしても、暇さえあればすぐに本を取り出して読んでいる程の読書家だ。昼休みの今であってもそれは変わらず、口に菓子パンを銜えたまま本を広げている。その状態であっても友達と机をくっつけて談笑しているのだから驚きだ。忙しないし行儀も悪いが、しかし器用な奴だとも思う。あんな離れ業、蒼太には一生かかっても出来そうにない。
感心と呆れが混じった目でそれをなんとなく追っていると、突然目の前に手のひらがちらついた。
「おーい蒼太、生きてるかー」
「……生きてるよ」
驚いて手の主を振り返ったのだが、その顔を見て蒼太は少しむくれた。
「そんな露骨に嫌そうな顔しなさんなぁ」
そう言って苦笑したのは高校で知り合った高田晃。入学して初めて蒼太に声をかけてきた晃は、成り行きでこんな風に昼休みを一緒に過ごす友人である。
しかし蒼太はこいつのことが嫌いだった。
「蒼太って本当に夜梨ちゃんのこと好きだよな。告白してしまえばいいのに」
「してしまえないからこんな感じになっちゃってるんだけど」
「よし、親切な俺が夜梨ちゃんに想いを代弁してしんぜよう」
と、こんな風に、なにかにつけては蒼太に告白させようとするお節介焼きな所が嫌いだった。
確かに蒼太の身近にいて、夜梨への想いはあからさまに身体から溢れさせているのにその次のステップ、”告白”というアクションを起こす気配すらないのだから、見ている方としてはじれったくて仕方がないのだとは思うのだが。告白する気のない蒼太にとってはただの余計なお世話以外の何物でもなかった。
「僕はお前のそういうところが大嫌いだ」
冷たく一瞥をくれてやると、晃は「ちぇ」と舌打ちして椅子の背もたれに体重を預けた。
「それにしても蒼太と夜梨ちゃんって仲いいよなあ。いつも一緒にいるから、俺は最初、もう付き合ってるのかと思ってたぜ?」
「いつも一緒、って程でもないだろ。現に今だって離れてるし」
言いながら、卵焼きに手をつける。今日の卵焼きは口に入れた瞬間ものすごく塩辛かった。いつもはたっぷり砂糖が入っているはずなのだが、どうやら塩と砂糖を入れ間違えたらしい。なんてベタな、と蒼太は咀嚼しながら自分の母親を思い浮かべた。その間、晃が蒼太のから揚げに手を伸ばしてくるので、それを叩いて阻止することも忘れない。
「今だけは、だろ。10分休みと放課後はいつも一緒じゃないか。あと授業中も席隣だしな」
「席が隣っていうのは一緒にいるうちに入るのかよ」
からかい半分で切り返すと、晃に真顔で「入るね」と断言されてしまった。屁理屈だ。
「じゃあ晃は平島といつも一緒ってことになるんだな」
蒼太は仕返しとばかりに、晃の席の隣にいるクラスで一番不細工な女子を指差して言う。
「うげえ、それはないわ」
「その言い方は失礼だなあ」
仕返しにその女子を使ったことを棚に上げたわけではないが、晃の反応が思ったよりも大きくて蒼太は苦笑いする。このやり取り、女子に聞こえてなければいいが。
◆◆
春の暖かい日差しが心地いい。こんな日には窓際でぼーっとするのがとてもいい。しかし授業中の今は、その心地よさが敵以外の何者でもなかった。時折眠気で船を漕ぎつつ、授業を受ける。
眠気が襲ってくる午後の授業を乗り切って、蒼太はぐぐっと背伸びをする。背骨がバキバキと不気味な音を立てた。もう放課後。麗らかな日差しはもう敵ではない。ゆったりと過ごす手助けをしてくれる。
「おい蒼太、ほっぺに制服の跡がついてるぞ」
鞄を背負って近づいてきた晃が右の頬をさして笑った。顔をしかめつつ頬に手を当ててみれば、確かにでこぼこの感触がある。
「おかしいな、今日は眠気に耐えたと思ったんだけど」
「そりゃ変だな。俺には爆睡してるようにしか見えなかったぜ?」
「あれ?」
確かに授業を受けていたはずなんだけど、と蒼太は首を傾げた。まさか夢の中で授業を受けていたわけでもあるまい。単に気を失っていただけかもしれない。
「それを世間じゃ寝てたって言うんだよ」
「そんなことよりさ、今日ゲーセン行かないか?」
最近近くのゲームセンターにアーケードゲームが新しく入荷したらしい。ゲームオタクな晃ならきっと誘いに乗るだろうと思っていた蒼太だったが、それはあっさりと断られてしまった。
「ごめん、今日用事あるんだわ。ゲーセンはまた今度な」
「あ、そうか」
断られるとは予想していなかった蒼太は一瞬拍子抜けして晃を見る。と、何故か晃はこれまで見たことも無いくらい嬉しそうに顔をにやけさせていた。気持ち悪い、と半歩後ずさりながら放課後の予定をどうしようか考えていると、突然晃が窓に向かって駆け出した。窓を開けてそのまま落ちるんじゃないかという勢いで身を乗り出したのを見て、飛び降り自殺でもするのかと蒼太はひやりとする。
「待て!ここ2階だから、もっと上の階からのほうが確実…っ」
蒼太の呼びかけ(呼び”止める”つもりはない)は完全に無視して、晃は窓の外に向かって手を振った。
「わっかばちゃーん!!」
「……はい?わかばちゃん、若葉ちゃん?」
若葉とは芽を出して間もない葉、特に初夏の木々のみずみずしい葉のことを言うけれど、晃に植物を”ちゃん”付けするほど愛でる趣味は無かったはずだから、おそらくこの場合は人の名前なのだろう、と蒼太は混乱する。
窓の外を見ると2年生だろうか、テニスラケットを抱えたショートカットの女子がこちらを見上げて照れたふうに手を振っていた。なかなかに可愛い子だ。控え目な感じも良い。蒼太は少しだけ顔を引きつらせた。
「誰?」
「彼女」
即答だった。これでもかというくらい満面の笑みで。これが世間でいうところのドヤ顔なのだろうと蒼太は推測する。
「彼女」
「そう、彼女。恋人、ガールフレンド、K・O・I・B・I・T・O」「そうですか、そうなんですかよくわかりましたので一発殴らせろ」
胸倉につかみかかると、晃は「待て待て、」と蒼太を制止しようとする。相変わらずその顔はにやけっぱなしで妙にイラつかせてくる。まずはその溶けかけの顔から、と思い拳を構えたところで後頭部を固いもので叩かれた。拳を解いて首だけ振り向くと、ハードカバーの本を右手に構えた呆れ顔の夜梨が立っていた。
「みっともない」
「何が」
本の丁度角がヒットしたらしく一点がやけに痛い頭をさすりながら訊くと、夜梨は唇を尖らせた。
「嫉妬とか、みっともないわ」
「だって晃が彼女を自慢してくるんだよ、可愛い彼女を。それは彼女いない側からしたら嫉妬せざるを得ないだろ」
我ながら子供みたいな言い訳だ。ふてくされて斜め下の床を見ながら首を掻く。そうしていると横で晃がにまにまと笑うので、半眼で睨むと肩を竦められただけだった。
「蒼太には私がいるでしょ」
思わず首を掻く手が止まった。蒼太は夜梨を見る。確かに夜梨の声だった。さっきの言葉はその夜梨の口から出たのだ。
それはどういう意味…、とこちらが訊く前に夜梨は言う。
「蒼太が独りぼっちで彼女がいなくて、晃君にかまってもらえなくても、私がいるじゃない。だから――」
だから、精々私という友達を大切にしなさい。
偉そうに、まるでどこかの女王のように言う。彼女の顔は、何か裏がありそうだと思わせる、しかしにこやかな表情をしていた。蒼太は"友達"という言葉に肩を落とす。てっきり告白されると思っていたのだが、全くの的外れだったようだ。
「はいはい、夜梨は大事な友達ですからね、っと…」
「じゃあその大事な友達のお願いくらい、二つ返事で聞いてくれるわよね?」
「……」
嫌な予感がして若干顔を引き攣らせていると、夜梨はにやにやと笑いながら蒼太の手を取る。
「さて、行きましょうか」
その細い腕のどこにそんな力があるのだろう。がっちりと腕を拘束された蒼太に、為す術は無かった。




