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意地。  作者: logiy
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プロローグ

 蒼太が彼女に初めて出会ったのは、もう8年前の夏のことだ。うだるような、湿気が肌にまとわりついて仕方がない、猛暑の日。

 当時小学4年生だった蒼太は図書館に行かなければならない用事があって、図書館へ続く鬼畜で長い坂道を、最近やっと補助輪無しで乗れるようになった自転車でへとへとになりながら上っていた。

 自転車はギアが付いているようなマウンテンバイクではないし、もちろん電動自転車でもない。10度はある斜面をおもちゃのような自転車で上るより、おとなしく歩いて向かった方が体力的にも時間的にも効率的だと思われた。

 蒼太の母親も、歩いて行きなさいと諭したのだが、何せようやく乗れるようになった自転車だ。自転車に乗ることができればどこまでも行ける気がしたし、乗れるようになったことが嬉しくてしょうがなかった蒼太は、どこにでも自転車で行くようになっていた。それは鬼畜坂が途中にある図書館への道も例外ではない。


 しかしとはいえ、さすがに小学4年生の体力も限界に近付いてきた。自転車で来たことを失敗だったかと薄々感づいてきたが、恨みは自分ではなく他人に向ける。

 そもそも課題研究だなんて、わざわざ小学生の夏休みにしなければならないことなのか。小学生は小学生らしく毎日遊んで涼しく過ごすのがセオリーだと思う。と、こんな具合に恨みの矛先は学校の先生に向けることに決定。それが一番楽だった。


 ようやく坂を上り切り、図書館がすぐ目の前に迫ったときには、蒼太は汗をびっしょりと搔いていた。ぱたぱたと手で扇いでみても熱気が首筋に当たるだけだった。

 これはすぐにでも図書館に入った方がいい。ぐっとペダルを踏む足に力を込める。

 それも数回漕ぐとすぐ図書館にたどり着いた。息を切らしながら自転車から降りて駐輪場に停め、ふらふらと建物内に入って行った。


 冷房がガンガンに効いている図書館は、汗をかいた肌に空気がひんやりと染み込んできて気持ちがいい。入ってすぐのところで深呼吸してから蒼太は”生物・科学”のエリアに向かった。


 課題研究のテーマは何だっけ。……そうそう、天気についてだ。まだ授業でも習っていないのに、どうして調べなくちゃいけないのだろう。

 でも確か数年後には習うはずだ。4つ上の姉が、天気の単元が苦手だと愚痴をこぼしていたからたぶんそう。難しいからと、予習のつもりなのだろうか。


 蒼太は実際の年齢より老けた溜め息をついて『天気と地球』というタイトルの本に手を伸ばした。―――が、意外と高い所にあって手が届きそうにない。何度かジャンプしてみたものの、指先が目的の本がある棚に触れるだけだった。

 仕方なく踏み台を探そうと、蒼太は辺りをきょろきょろ見回した。


 小学4年で140センチ無い蒼太は、背の順で並ぶと前から数えたほうが早い。女子のほうが早く成長期が来ることは知っていたけれど、それでも女子に見下ろされるのはなんとなくプライドが傷ついている。だから踏み台を探すことにも若干の抵抗があったのだが、そんなことを言っているといつまでたっても課題研究の宿題が終わらないような気がしたのでとりあえず妥協。


 と、ふと視界の端に映ったものが気になって蒼太は目で追った。その先にいたのは、同い年くらいの髪の長い女の子だった。日本人形みたいな髪型で、ノースリーブのワンピースを着ていた。

 女の子は推理小説なんかの主に文学の本のエリアで、棚に寄り掛かりながら分厚い本を開いて読んでいる。本は幼稚園児が読むような絵本が読める限界の蒼太には縁遠い、手に取る気すら起きないような本だった。


 最初は化け物でも見るみたいにその子を見つめていたけれど、次第に、その子がページをめくる指先とか、字を追っていく眼なんかに目が移る。綺麗な仕草にちょっと見惚れたのだ。


「なに?」


 突然聞こえたその声に蒼太は「うわぁっ!」と驚いた。さっきまで向こうの棚にいたはずの女の子がすぐ目の前にいたからである。いつの間にかぼーっとしていたらしく、気付かなかった。


「しー…」


 女の子は眉をしかめて人差し指を唇に軽く当てた。それから口の端から端まで、何かをつまむようにしながら移動させて、


「お口チャック」


 静かにしろ、と言いたいらしい。そんな仕草、蒼太のクラスの女子はやりそうもない。女子なんてみんな男子より強くて怖いのだから、そんな仕草をする女子なんていないと思っていた。

 急に顔が熱くなるのを感じて、女の子から目をそらす。あまりにも彼女がまっすぐに見つめてくるものだから、妙な恥ずかしさが込み上げてきた。

 そらしたら、彼女が手に持つ分厚い本が目について蒼太は顔をしかめた。


「…この本、読んでみる?」

「え。いい、いらない」


 即答してしまったことに後悔する。もしかしたら彼女は気を悪くしてしまったかもしれないと思ったからだ。

 しかし彼女は一瞬きょとんとした後、くすくすと笑った。


「そう?残念、これおもしろいのに」


 残念、と言った割には楽しそうに笑う。

 蒼太はその時の笑顔を忘れられそうになかった。


◆◆


 小学生のとき、彼女に会ったのはその1度きり。再会したのはそれから6年後、高校生になった時だった。

 一目見ただけですぐに彼女だと分かった。

 クラスの窓際の席に座る、髪の長い人。入学式だというのに、来て早々に席で6年前と同じくらい分厚い本を黙々と読んでいるその人に、蒼太は6年前と同じように見入る。

 視線に気づいたらしい彼女は顔を上げて「何?」と首を傾げた。


 6年も前に一度会ったきりだ。きっと覚えていないだろう。もしかしたら人違いという可能性もあった。


「ごめん、なんでもない」


 目をそらして自分の席に移動しようとして、彼女に声をかけられた。


「この本、読んでみる?」

「え、いい、いらない」


 答えてから、はっとする。あの時と同じだ。あの時と同じように、彼女はくすくす笑う。

 覚えている。彼女は僕を覚えている。


「でしょうね。嫌そうな顔してたもの」


 名前も知らない彼女は、気持ち悪いくらい僕のことを覚えていた。一字一句違わない彼女の言葉がその証拠だ。


「あのときは名前、聞かなかったね。私、ヒライ ヨリ。字は、平たい井戸に夜の梨って書いて平井夜梨」

「僕…僕は草賀蒼太。名字が草に賀正の賀で、名前がくさかんむりの蒼に太い、で草賀蒼太」


 あの時しなかった自己紹介をして、夜梨はぱたんと本を閉じた。


「さて、お友達から始めましょう」


 告白を断るときの決まり文句のようなその言葉に、蒼太は首を傾げる。

 思ったよりも変な人なのかもしれなかった。……いや、変な人だということは6年前になんとなくわかっていたような気がした。


 それから現在までの2年間。蒼太と夜梨は宣言通り”お友達”だった。

 ロマンチックなシチュエーションも無く、スリリングなイベントも無く、持ちつ持たれつ、互いの距離を一定に保ったまま、本当に本当の意味で”お友達”だった。


 困ったことに。夜梨に恋心を抱いていた蒼太だったが、この2年間なんのアクションも起こすことは無かった。”草食男子”は蒼太の代名詞だと自分自身思っている。

誠に、困ったことに。無駄に古典に置き換えてみれば”あなわびし”がぴったりだ。


 ―――嗚呼、困った。


 結局のところ、その”草食系男子”なるものもそれに属するであろうこの僕も、ただの意気地無しなのである。



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