その数字、寿命じゃなかった
最初に気づいたのは、数字だった。
「……?」
電車の中。
目の前に立っているサラリーマン。
その頭の上に、
小さな数字が浮かんでいた。
「……なんだあれ」
瞬きをする。
消えない。
もう一度見る。
やっぱりある。
「58,214」
白い数字。
空中に浮かんでいる。
「……」
周りを見る。
別の人間。
その頭の上にも、
同じように数字がある。
「12,903」
さらに隣。
「203,441」
「……なんだこれ」
思わず呟く。
でも、
誰も反応しない。
見えていない。
この数字は、
自分にしか見えていない。
「……」
電車を降りる。
ホーム。
人が多い。
そして——
全員の頭の上に、
数字がある。
「……」
ばらばらだ。
大きいもの。
小さいもの。
桁が違う。
でも、
ある共通点に気づく。
「……年齢じゃないな」
子どもでも大きい数字がある。
老人でも小さい数字がある。
関係ない。
じゃあ何だ。
「……」
ふと、
ある考えが浮かぶ。
くだらない。
でも、
一番しっくりくる。
「……寿命?」
その瞬間、
心臓が一つ強く鳴る。
「……いや、まさかな」
ありえない。
でも、
もしそうだとしたら——
「……」
確かめるしかない。
そう思った。
その日の夕方。
ニュースを見ていた。
《本日午後、交差点で交通事故が発生——》
映像が流れる。
救急車。
倒れた自転車。
そして——
「……」
被害者。
頭の上に、
数字がある。
小さい。
極端に。
「12」
「……」
息が止まる。
次の瞬間、
その数字が、
「0」になる。
そして——
画面が切り替わる。
心肺停止。
搬送。
「……」
理解する。
これは偶然じゃない。
一致している。
完全に。
「……寿命だ」
呟く。
確信だった。
この数字は、
人の残り時間だ。
どれだけ生きられるか。
どれだけ残っているか。
それが、
見えている。
「……」
手が震える。
とんでもないものを、
手に入れてしまった。
「……」
鏡を見る。
自分。
頭の上。
「……?」
何もない。
「……」
もう一度見る。
角度を変える。
近づく。
離れる。
「……」
やっぱり、
何も見えない。
「……なんでだよ」
呟く。
他の人間にはある。
全員に。
なのに、
自分だけない。
「……」
その違和感を、
まだこのときの俺は、
深く考えていなかった。
ただ、
“特別なんだ”と思っていた。
愚かにも。
最初の数日は、ただ観察していた。
街を歩く。
人を見る。
頭の上の数字。
減っていく。
確実に、
時間とともに。
「……」
スマホで時間を確認する。
そして、
もう一度見る。
数字は減っている。
ゆっくりと。
一定のペースで。
「……秒、か」
呟く。
つまり、
あの数字は“残り時間”。
単位は秒。
そう考えれば、
全部辻褄が合う。
「……」
確信は、すぐに強くなった。
ニュース。
事故。
病気。
小さい数字の人間ほど、
すぐに“死ぬ”。
そして、
ゼロになった瞬間、
その人間は、
確実に命を落とす。
「……」
何度も見た。
偶然じゃない。
例外もない。
完全に一致している。
「……本物だな」
呟く。
怖い。
でも、
それ以上に——
“理解できている安心感”があった。
これは寿命だ。
ただそれだけの話だ。
「……」
そう思っていた。
あの日までは。
それは、帰り道だった。
いつものコンビニ。
夜。
店内に入る。
店員。
見慣れた顔。
若い男。
頭の上を見る。
「……?」
数字がある。
でも——
妙に小さい。
「342」
「……」
思わず立ち止まる。
342秒。
約6分。
「……嘘だろ」
その場にいる。
普通に働いている。
具合が悪そうでもない。
なのに、
残り6分。
「……」
目が離せない。
レジ。
客と会話している。
普通だ。
何も異常はない。
「……」
でも、
数字は減っていく。
300
280
250
「……」
喉が乾く。
声をかけるべきか。
でも、
何を言う。
「あと数分で死にます」?
そんなこと、
言えるわけがない。
「……」
見ていることしかできない。
ただ、
減っていく数字を。
120
90
60
「……」
息が浅くなる。
店員は、
何も知らないまま、
普通に動いている。
笑っている。
客と話している。
そして——
「0」
「……」
その瞬間。
何も起きなかった。
「……?」
瞬きをする。
店員は、
普通に立っている。
動いている。
何も変わらない。
「……は?」
心臓が強く打つ。
おかしい。
今までなら、
ゼロになった瞬間、
必ず“死んでいた”。
なのに、
何も起きていない。
「……」
もう一度見る。
数字。
ない。
消えている。
でも——
人は、いる。
「……」
違和感。
強烈な。
何かが、
ズレている。
「……」
レジに並ぶ。
順番が来る。
店員がこちらを見る。
「いらっしゃいませ」
普通の声。
普通の動作。
何も変わらない。
「……」
商品を出す。
会計をする。
受け取る。
その一連の流れ。
何も異常はない。
「……」
外に出る。
夜の空気。
少し冷たい。
「……」
振り返る。
コンビニ。
中に店員がいる。
見える。
普通に。
「……」
ポケットのスマホが震える。
通知。
SNS。
開く。
タイムライン。
流れる投稿。
「……?」
止まる。
ある投稿。
《今日、コンビニの店員いなくて困った》
「……は?」
読み間違いかと思う。
でも、
続きがある。
《レジ無人だったんだけど、どうなってんの?》
「……」
別の投稿。
《あの店、今日休み?誰もいないんだけど》
「……」
喉が締まる。
振り返る。
コンビニ。
中を見る。
「……」
店員は、
いる。
さっきと同じように。
動いている。
「……」
でも、
投稿は増えていく。
《店員いない》
《無人》
《誰もいない》
「……」
スマホを握る手が震える。
理解したくない。
でも、
分かってしまう。
「……」
さっき、
ゼロになった。
あの瞬間に、
何かが、
“終わった”。
でも、
死んではいない。
動いている。
話している。
存在しているように見える。
でも——
誰にも認識されていない。
「……」
背筋が凍る。
じゃあ、
あれは何だ。
今見えているあれは。
「……」
もう一度、
コンビニの中を見る。
店員が、
こちらを向く。
目が合う。
「……」
でも、
何も反応しない。
視線が通り過ぎる。
そこに“何もない”みたいに。
「……」
理解する。
あれは、
“存在していない人間”だ。
動いている。
でも、
認識されない。
記録もされない。
最初から、
いなかったことになっている。
「……」
足が震える。
これは、
寿命じゃない。
死じゃない。
もっと、
根本的なものだ。
「……」
ゆっくりと、
自分の頭の上に手をやる。
何もない。
数字は見えない。
「……」
もし、
この“ゼロ”が意味するのが、
死じゃないなら。
存在の消失なら。
「……」
自分は、
どうなっている?
「……」
答えは、
まだ出ていない。
でも、
もう逃げられないところまで来ていた。
---
その日から、世界の見え方が変わった。
人を見る。
数字を見る。
そして——
ゼロになる瞬間を、待つ。
「……」
もう、“寿命”だとは思っていない。
あれは、
死のカウントダウンじゃない。
“消える時間”だ。
誰からも認識されなくなるまでの、
残り時間。
「……」
そう考えれば、
全部が繋がる。
あのコンビニの店員。
今も、そこにいる。
働いている。
でも、
誰もいないと言う。
誰も見ていない。
誰も覚えていない。
「……」
何度も通った。
何度も見た。
何度も確認した。
あの店員は、
確実に存在しているのに、存在していない。
「……」
そして、
もう一つの事実にも気づいていた。
ゼロになった人間は、
徐々に“現実からズレていく”。
最初は、
誰にも気づかれないだけ。
でも、時間が経つと——
物にも触れなくなる。
音も届かなくなる。
まるで、
世界から弾かれるみたいに。
「……」
それを見て、
確信する。
これは、
死よりも残酷な現象だ。
「……」
そして——
ある日。
決定的なことが起きた。
会社。
朝。
いつもの席。
パソコンを開く。
「……」
違和感。
画面。
ログイン情報。
名前。
「……?」
自分の名前が、
表示されていない。
「……は?」
何度も確認する。
でも、
ない。
アカウント自体が、
存在していない。
「……」
立ち上がる。
周りを見る。
同僚たち。
いる。
普通に仕事をしている。
「……おい」
声をかける。
反応がない。
「……」
もう一度。
「おい!」
少し強く。
でも、
誰も振り向かない。
「……」
心臓が嫌な音を立てる。
近づく。
肩に触れる。
「……」
感触はある。
でも、
相手は、
何も感じていない。
振り向かない。
「……」
息が詰まる。
視界が歪む。
「……」
トイレに向かう。
鏡の前。
自分を見る。
「……」
いる。
自分はいる。
見える。
でも——
どこか、
現実感が薄い。
「……」
スマホを取り出す。
カメラ。
起動。
自分を映す。
「……」
一瞬だけ、
映る。
でも、
すぐにノイズが走る。
画面が歪む。
そして——
消える。
「……」
何度やっても同じ。
映らない。
記録できない。
「……」
理解する。
もう、
始まっている。
自分も。
「……」
頭の上に手をやる。
何もない。
最初から。
数字が見えなかった理由。
「……」
笑いが漏れる。
乾いた、
どうしようもない笑い。
「……最初からかよ」
呟く。
自分には、
残り時間が表示されていない。
それは特別なんかじゃない。
逆だ。
すでに“カウントする対象じゃない”からだ。
「……」
つまり、
自分は——
とっくにゼロを過ぎている。
「……」
思い出す。
ここ最近の違和感。
会話のズレ。
反応の遅れ。
誰かが、
自分の言葉を聞き返さないこと。
最初から、
聞こえていなかったのかもしれない。
「……」
外に出る。
街。
人がいる。
でも、
誰も自分を見ていない。
「……」
一人の女性に近づく。
目の前に立つ。
視界を塞ぐ。
でも、
女性はそのまま歩く。
ぶつかることもなく、
すり抜ける。
「……」
何も言えない。
何もできない。
ただ、
そこにいるだけ。
存在していないものとして。
「……」
そのとき、
ふと気づく。
周りの人間。
頭の上の数字。
減っていく。
ゼロに近づく。
「……」
その中に、
いくつか、
“ゼロのまま動いている人間”がいる。
「……」
同じだ。
あの店員と。
そして、
自分と。
「……」
彼らは、
誰にも見られていない。
でも、
ここにいる。
ただ、
世界から切り離されているだけ。
「……」
その瞬間、
はっきりと理解する。
この世界は、
“見られているものだけが存在する”。
それ以外は、
存在していても、
存在していない。
「……」
ゆっくりと空を見上げる。
青い。
変わらない。
でも、
その下で、
確実に、
何かが削れている。
気づかれないまま。
消えていく。
「……」
スマホを見る。
画面。
自分のSNS。
投稿履歴。
「……」
消えている。
一つずつ。
過去の記録が。
写真。
文章。
全部。
最初から、
なかったみたいに。
「……」
指が止まる。
これが最後だと、
なぜか分かる。
「……」
新規投稿。
文字を打つ。
『その数字、寿命じゃなかった』
少しだけ考える。
でも、
続きは出てこない。
もう、
伝える相手がいないから。
「……」
投稿ボタンを押す。
反応はない。
誰も見ていない。
でも、
それでもいいと思った。
「……」
画面が、
少しずつ暗くなる。
いや、
自分の視界が、
薄れていく。
「……」
最後に、
もう一度だけ、
人を見る。
数字。
減っていく。
ゼロに向かって。
「……」
それが、
この世界のルールだ。
誰も気づかない、
当たり前のように存在するルール。
そして——
それを、
観測した瞬間から、
自分もまた、
そのルールに組み込まれる。
「……」
次に、
目を開けたとき。
そこに“自分”がいるのかは、
もう、
分からない。




