#6 アンダーソン伯爵家
視点=フィリア→ラザラス
メイドから、ご両親の様子を知らされたエスターは、おふたりのもとへ向かった。
それから間もなく、伯爵夫人の甲高い声が、私のいる部屋まで聞こえてきた。その声に、思わず身が縮こまる。私のまわりには、こんなヒステリックな声を上げる人はいないから…。伯爵様は、また出かけてしまったようで、馬車が走り去る音が聞こえた。
エスターのことが心配で、部屋の扉を少しだけ開けて、様子を覗う。他所様の家庭の事情に首を突っ込むのは、よくないとはわかっているけど…。物を投げつける音や壊れる音が響き渡り、その音ともに、夫人の罵声も聞こえてくる。伯爵様はすでに屋敷をあとにしているから、今、夫人の怒りを受け止めているのは、エスターなのよ。
そして…。『お嬢様っ!』という、使用人の叫び声が聞こえてきたの。嫌な予感がして、慌てて声のする方へ駆けつけた。部屋の前には、使用人たちが心配そうに部屋の中を見ていた。
部屋の中は、投げつけられた物が散乱していて、怒りで顔を歪ませている夫人が立っていた。メイドに寄り添われているエスターは、頬を抑えながら、座り込んでいて。その頬からは、血が流れていた…。
(ああ…。またなの?この家は、昔から変わらない。)
頬に傷ができてしまったエスターは、王都へ行くのをやめると言い出した。私は、そんな彼女を伯爵家から強引に連れ出すと、馬車へ乗せ、家へ向かった。
伯爵様は先程帰宅した際、今回の舞踏会への参加を見送るため、エスコートは出来ないことを夫人に伝えたそうなの。王家主催の舞踏会へおひとりで参加すれば、まわりから詮索され、あらぬ噂を立てられかねない。貴族社会とは、そういうところだから。夫人は、好奇の目に晒されるくらいならばと、領地へ留まることを選んだの。夫人のいる伯爵邸へエスターを置いていくなんて、私には出来なかった。
でも…。連れ出したものの、王都行きには、私もためらいがある。王都へ行けば、ラスや侯爵様に頬の傷を治してもらえるけれど、頬にガーゼを貼った姿を誰かに見られたら、それこそあらぬ噂を立てられてしまうわ。王都までの道中、誰にも見られないで移動するなんて無理だもの。
だから私たちは、王都へ行かない選択をした。アンダーソン家の者がひとりも舞踏会へ参加しなければ、王家からお咎めを受けるとしても、そのうち伯爵家を出るつもりでいるエスターには関係ないことだから。
そう、エスターには他の道がある。夫人にはない、逃げ道がね…。
じつは今回の件に関しては、多少、夫人に同情してるのよ。王都へ行く準備を終えたのに、出発直前になって、王宮で開かれる舞踏会へひとりで参加するよう言われたのだから、怒りたい気持ちはわかるわ。
わかるけれど…。どんなにイラ立つようなことがあっても、その怒りをまわりへ当たり散らすのは、やめて欲しい。何年もの間、そう思い続けてきた。
私が、エスターがいい相手と巡り逢って、早く伯爵家から出て欲しいと願う理由。馬車の中の沈黙が気まずくても、ラスと一緒に、伯爵邸を訪ねる理由。それは。エスターのご両親である、アンダーソン伯爵夫妻が、エスターを傷つけるからだった。身体的にも。精神的にもね。あの家にいたら、エスターはいつか大ケガをしてしまうんじゃないかって、心配なの。
だから私は、エスターが早くあの家から解放されることを心から願っている。
12年前。
うちの領地で、伯爵家の馬車が立ち往生していたとき。馬車から降りてきた伯爵様は、手を差し出し、夫人をエスコートした。その光景を目にした私は、伯爵夫妻のことを、絵本で読んだ、"王様と女王様みたい"と、見惚れてしまったの。おふたりは、私の目を奪うほど、お似合いに見えたのよ。だけどそれは、上辺だけのいつわりの姿だった。
エスターと知り合い、交流するようになっても、伯爵領を訪ねる機会はしばらくなかった。エスターが、『うちの領地にはなにもないから、来てもおもしろくないわよ。』と言って、乗り気じゃなかったから。だけど。何度もそう言われると、逆にものすごく気になってしまったのよね。どうしてもエスターの暮らす伯爵領へ行きたくて、何度も、何度もお願いしたわ。そしてやっと、エスターが、いいと言ってくれたのよ。
それなのに…。別の問題が出てきて、伯爵領へ行くのは、先延ばしになってしまった。問題というのは、私の咳。うちの領地と、伯爵領では気候が違う。主治医である、ラスのお父様に、冷気と乾燥、寒暖差は咳を誘発させるから、エスターの家へ行くのは、伯爵領が暖かくなるまで待つようにって言われたの。あの頃は、咳が出やすいだけじゃなく、一度出ると止まらなくなっていたから、侯爵様が止めるのは、医師として当然のことだった。
でも…。私は、言われていることを飲み込めてはいたけれど、飲み込むことは出来なかった。自分の状態を理解はしていても、納得出来るかは、別問題だったの。
エスターの家へ行く楽しみを取り上げられた、このときの私はね、ものすご〜く、ふてくされたのよ。両親は、機嫌を損ねた私をなだめるのに必死だったわ。行くなと言ってるわけじゃない、時期が来たら行けるからって。
(そんなこと、わかってるもん。わかってるけど…。)
楽しみにしていた分、先延ばしになってしまって、がっかりする気持ちが大きかったの。
そんな私の機嫌を直してくれたのは、ラスだった。唇をとがらせ、むくれている私に、ラスは謝ったの。自分の治癒の力が強ければ、すぐにでもエスターの家へ行けたのに、ごめんって…。謝られてから、後悔に襲われた。ラスは、なにも悪くないのに謝らせてしまったから。
そして、ラスは。気候を気にせず、エスターの家へ遊びに行くために、咳の出にくい丈夫な体をつくろうって言ったの。まずは、薬をきちんと飲むこと。それから、体を動かすこと。自分も付き合うから、運動して体を鍛えようって。ラスは、しばらくの間、家に泊まり、毎日一緒に散歩をしてくれた。
『リアはさ。真っ白な雪の世界が見たいんでしょ?この辺に降る雪より、もっともっと積もるって、エスターが言ってたもんな。俺も、あたり一面、リアのホワイトブロンドみたいな雪を見てみたいな。』
私の髪を触りながら、ラスは笑って言った。
ラスは、知っていたの。私が、本当に行きたいのは、冬の伯爵領だということを…。
その年の冬が過ぎ、さらに季節が変わり、すっかり暖かくなった頃。私は、ラスと一緒に伯爵領を訪れることが出来た。
そしてそこで、伯爵家の異様さを目の当たりにしたの…。
伯爵邸で見た伯爵夫妻は、会話がなく、すれ違っても目も合わせていなかった。食事も別々の部屋で摂っていたから、『ご両親は、喧嘩しちゃったの?』って聞いたの。エスターは、両親は社交の場では仲のいい夫婦を演じているけれど、家の中ではほとんど会話をしない、こっちが本来の姿なんだと言っていた。
私が見惚れた、"王様と女王様"はいつわりの姿だったの。
さらに伯爵邸には、壁がへこんでいる場所がところどころに見られた。
『うちのお母様、力が強いのよね。直しても、直しても、修理が追いつかないの。』
笑いながら説明するエスターの手首には、痣があった。気になった私は、壁のへこみに視線を向けて、もう一度、エスターの手首を見ようとしたら、ラスに肩を掴まれたの。振り向くと、ラスが首を横に振っていたけど、見て見ぬふりなんて出来なかったわ。たいしたことないから大丈夫だと治療を拒むエスターを笑顔で説得し、ラスにお願いして痣を治してもらった。
そのあとエスターが、『リアの笑顔が怖い。』なんて、失礼なことを言っていたわね。
それからも、私たちは、お互いの領地を行き来した。
エスターが、うちの領地や、ラスの領地で過ごしているときは安心することが出来た。だけど離れている間は、エスターのことが心配で仕方なかった。伯爵家の内情を知ってしまったから。
ラスのようにケガを治すことは出来ない私は、自分に出来ることを考えたわ。そして、もっと丈夫になろうと決意したの。どんな気候だろうと関係なく、いつでも伯爵領へ…。エスターのもとへ、駆けつけられるように。
馬車での沈黙が気まずくても、ラスと一緒に伯爵邸へ行くのは、エスターがケガをしていたら、治してもらうためだった。
「エスター、ごめんね。ラスがいれば、治してもらえたのに…。」
馬車に揺られながら、ガーゼで覆われたエスターの頬を見ていたら、改めて自分の無力さにやるせない気持ちになる。
「私の力なんて、なんの役にも立たない…。」
「リア。また、このやり取り?」
「…そうね。私たちの力なんて、ちっぽけだったわね。」
私たちは目を合わせ、吹き出した。
「ねぇ、リア。私、のどが渇いたわ。お水をくれない?」
「いいわよ。水なら、好きなだけ出してあげられるわ。」
私は、水を生成すると、エスターの両手へ注いだ。
「あら。このお水、おいしいわね。どこの水源のお水かしら?」
「もう、エスターったら。」
「リア、ない物ねだりをしたらきりがないわよ。ある物で、出来ることを考えましょ??あなた、そういうの得意じゃない。…このケガのことなら、大丈夫だから。そんなに気にしないで。」
エスターに指摘され、ドキっとしてしまう。私の考えていることが、見透かされているようだから。
「ちょっとね…。昔のことを思い出しちゃったのよ。ラスは昔から、優しい子だったわ。それに引き替え私は、ものすごくわがままな子だったなぁって…。」
「リアって、わがままな子どもだったかしら?」
「咳が出るから、冬の間はエスターの家に行っちゃダメって言われたとき。私ね、ものすごくふてくされて、まわりの人たちを困らせたのよ。」
「そうだったわね。あの頃は、ホントによく咳が出ていたものね。」
「あのとき、ラスがね。咳の出にくい丈夫な体になるように、頑張ろうって言ったの。毎日、散歩に付き合うからって、励ましてくれて…。本当にね、毎日一緒に歩いてくれたの。私…。ラスにしてもらってばかりで、なにも返せてない…。」
「リア…。」
エスターは席を移動し、隣に座ると、私の肩を抱き寄せた。
「ねぇ。リアは、ラザラスにお返しがしたいの?それが、婚約解消なの??」
「だって…。ラスにしてあげられることが、それしか思いつかないんだもの。私、ラスのことを信じられないくせに、都合のいいときだけ頼ってきたのよ。今だって、ラスがいれば、エスターの傷を治せるのにって思ってる。わがままどころか、傲慢よね。こんな私が婚約者だなんて、ラスが可哀想だわ…。」
「リアは、自信がなさ過ぎよ。あなたにはね、水魔法の他に、すごい力があるのよ。その力のことを、ラザラスも気づいていたわ。だけど、今は教えてあげない。」
水魔法以外の力?そんな力、本当にあるのかしら…。信じられない…。
「私も、ラザラスも、あなたに救われたのよ。今、教えても、リアは信じないでしょうけどね。」
エスターに考えを読まれ、肩がぴくっと反応してしまう。
「ねぇ、リア。ラザラスと、きちんと話をしてちょうだい。ふたりのことなのに、ひとりで答えを出そうとしないで。あいつの気持ちを、ちゃんと本人の口から聞いてみて。それから、あなたの本当の気持ちも伝えるの。これからどうするかは、気持ちをぶつけ合ったあとに、ふたりで考えて答えを出すのよ。」
「…うん。わかった。ラスが、どうしたいのか聞いてみるわ。」
「どんな答えを出しても、私はリアの味方だからね。でも、ひとつだけ言わせて。ラザラスが、リアを嫌ってるなんてことは、絶対にないんだからっ!」
不思議。エスターが力強く言うから、本当にそんな気がしてきたわ。でもそうね、確かに嫌われてはいないと思う。私とラスは、きょうだいみたいなものだからね。生まれたときから一緒にいるから、私たちの関係は、家族なのよ。そう考えると、ラスの態度にも納得がいく。私をきょうだいだと思っているから、心配してくれるし、わがままも聞いてくれるのよ。沈黙を気にしないのも、家族だからなんだわ。
ラスにとって、近過ぎた存在の私は、恋愛対象にはならないのね…。
家に着くと、先にタウンハウスへ向かったお父様宛に手紙を書いた。
エスターがケガをしたから、王都へは行けそうにない。そのことを、ラスにも伝えて欲しいと━━━━。
今回も、リアと王都へ行く際の特等席をエスターに譲ってやった。本当は俺だって、リアと一緒の馬車で王都へ来たかったんだ。それでもこれまでは、結婚したらリアを独り占めできると、余裕ぶっていたけど…。数日前の茶会で、リアが、俺との結婚を迷っていることを知った。しかももしかしたら、リアには、好きな奴がいるのかもしれない…。そいつを想って、泣いていたから…。
王都に着いてから、兄さんの診療所の手伝いをしながらリアの到着を待っていた俺は、リアの父親の侯爵様からリアの伝言を聞いた。エスターがケガをして、王都へ来られなくなったらしい。あいつは、これまでも何度もケガをしていたから想像がつく。
だけど…。リアは、その報告の手紙を父親にだけ送り、俺にはくれなかった。ただでさえ不安だった俺は、どんどん悪い想像が膨らんでいった。まさか。エスターのケガは、口実なんじゃ…。エスターに協力してもらって、リアは今、エミリオって奴と一緒にいるんじゃないのか!?エスターは、俺じゃなく、リアの味方をするだろうから。
いてもたってもいられず、俺は馬に飛び乗ると、ロックハート領へ向かった。馬と自分に、強化魔法を使い身体能力を向上させ、回復魔法をかけながら、休むことなく無我夢中で走り続けた。
見慣れた景色が視界に入ってきたときには、あたりはすっかり暗くなっていた。リアの家まで最短距離で行けるよう、道や橋をあちこち整備しておいて、よかった。整備を提案した、当時の自分を褒めてやりたい。
橋を渡り。薬草畑を抜けて。町に入れば、リアの家は、もうすぐそこだ。
ロックハート侯爵邸に着くと、門番が白い息を吐きながら、「おかえりなさいませ。」と門を開けてくれた。無理をさせてしまった馬を労いながら、馬屋へ向かうと、厩番が腰を押さえながら、痛々しい姿で歩いているのが目に入る。腰をやってしまったと言うので、治癒してやると、大袈裟なほど感謝された。さすが、使用人といえど、ロックハート侯爵家の一員。感情表現が豊かだな。
馬を預け、急いでリアのもとへと向かう。
けど、無我夢中でここまで来たのはいいが、急に真相を知るのが怖くなった…。
侯爵邸へ入り、重い足取りで階段を上る。2階の廊下をトボトボ歩いていたら、エスターとばったり会った。
「っ!!ラザラス!?」
俺は、エスターの頬に治療の痕があるのを見て、最低だけど、ほっとしたんだ。リアは、嘘をついていなかったって。
「顔に、こんなの貼って王都へ行ったら、そりゃー、いい話のネタにされるだろうな。」
頬に貼ってあるガーゼを剥がし、傷を治す。
「ざっくり切れてるな。なにがあったんだよ。」
「母がね…。まぁ、いつものやつよ。風を起こして、ほとんどの物は避けたのに。最後に、ちょっと気を抜いちゃったの。まさか、お気に入りの扇子を投げつけてくるとは思わなくてね。で、装飾部分が頬に当たって、"これ"よ。」
「扇子も凶器になるんだな。」
リアは、ずっとエスターの心配をしている。本人はなんでもないように、淡々と話しているけど、心の内はわからないから。本当は、心も体も傷ついているんじゃないかって。
「そうだわ。リアと話をしてみたんだけど。ただの、マリッジブルーじゃないかもしれないの。」
「リアはやっぱり、エミリオって奴のことを??」
「エミリオのことは、リアに直接聞いてみなさいよ。それより、そこの物置に姿見が置いてあるんだけど。リアはその鏡を見てから、ちゃんと眠れてないのよ。」
「鏡がなんだっていうんだよ??」
唐突に鏡の話をされた俺は、話が見えなくて戸惑う。
「その姿見はね。先日のお茶会の日に、突然、リアのドレスルームに置かれていたらしいの。しかもね。この屋敷にいる人たち全員に聞いてみたけど、姿見を運んだ人がわからないのよ。」
その話を聞いて、背筋がゾクゾクした。
「なんだよそれ。ホラーかよ。」
「リアが見たら、鏡に不思議なものが映ったみたいなの。だけどね。私が見ても、私が映ってるだけの、ただの普通の鏡だったわ。」
「おまえ、すごいな…。よくそんな、いわく付きの鏡なんて見れたな。」
「まぁ、死ぬわけじゃないし??でもね。私には、なにも見えなかったと知ったら、リアが、自分はおかしいのかもしれないって、気にしちゃって…。姿見を見てから、食事も、睡眠も、とれてない状態なのよ。だから、よく眠れるお茶を淹れてもらうと思って。今からちょっと、厨房へ行って来るわね。」
エスターが厨房へ向かってから、俺は、物置に入ってみた。茶会で、リアの様子がおかしかったのは、その姿見を見たせいかもしれないからな。鏡を見たエスターが、平気そうにしているから、呪いの類ではないと思うが…。
物置の中をぐるっと見回すと、ある物が目に留まり、息をのんだ。
(リア…。どうしてなんだ?)
ショックで足元がふらつき、体を支えようと壁の方に手を伸ばしたら、白い布に触れた。
その布が、ひらりと床に落ちると。
目の前には、情けない顔をした俺がいた━━。




