#49 秘めた恋の結末 ②
② ふたりの恋が花開く
両親へ仕送りせずともよくなったロザリーヌは、休日にメイド仲間のアンネと街へ出かけた。いろいろと店を見て回り、ノアへのお礼はなにがいいかと悩んだ結果、甘い物が苦手な彼へ、手作りのお菓子を作ることにした。自分の稼いだお金で購入した材料を大事そうに抱えて屋敷へ帰ると、甘さ控えのフルーツゼリーを作った。
しかしいざ、ノアの部屋の前まで来てみると…。普段から高級食品ばかりを口にしている彼の口に合うだろうかと、急に不安になってしまったのだ。ノックできずに立ち尽くしていると、ドアが開き、中からノアが顔を出した。
「ロザリーヌ?なんでさっきから部屋の前で固まってるんだよ??」
「先程から私がここにいることを、ご存知だったのですか!?」
「僕は、魔力探知が得意だからね。屋敷内のどこに誰がいるかくらいなら、わかるよ。それで。もしかして、それは僕に??」
ノアにゼリーを見つかってしまい、ロザリーヌはひどく動揺した。
「…はい。ハンドクリームのお礼の品を探し回ったのですが、坊っちゃんにお喜びいただけるものがわからなくて…。迷っているときにフルーツ店を見つけて、ゼリーなら甘い物が苦手な坊っちゃんでも食べられるのではないかと思い、作ってみました…。」
ロザリーヌは、ゼリーをあげようと思ったことを後悔した。なぜなら。手が荒れている自分のためにハンドクリームをくれたノアに対して、ロザリーヌは、彼の必要なものではなく自分のあげたいものを用意してしまったことに気づいたから。
「僕のために、ロザリーヌが作ってくれたのか!?ありがとう!」
ノアは声を弾ませ、笑みを浮かべた。思いがけない反応に、ロザリーヌは戸惑った。こんなふうに喜んでもらえるとは、思ってもみなかったのだ。
「あっ。手が塞がっていたから、ノックができなかったのか?ロザリーヌは、意外と抜けてるんだな。」
トレイを持ち、両手が塞がっているロザリーヌを見て、ノアは笑う。その笑顔に、ロザリーヌの強張っていた体から力が抜けていった。
ゼリーを食べたノアは、これからもお菓子を作って欲しいと頼んだ。ノアにお菓子を作ることをまわりにどう思われるかを考え、ロザリーヌは迷ったのだが…。甘えるような目でじーっと見つめられ、必死におねだりする姿に、その頼みを断れなかった。
ノアへお菓子を作ることになったロザリーヌは、それを使用人へも振る舞うことで、ノアのために作ったものであることを隠していた。本心では自分だけに作ってもらいノアだったが、ロザリーヌが主との距離感を他の使用人と同じになるよう心がけているのを知っていたため、欲張ることはしなかった。それにそんなロザリーヌが、意思を曲げてまで自分の頼みを聞いてくれていること自体が、彼女の中で自分は特別なんだと感じられたから。
━━そしてある夜。公爵邸で事件が起きた。
ロザリーヌはメイド服から私服に着替えると、屋敷を飛び出した。この時間帯でも、明るく賑わっている、"夜の街"へ向かって。
「すみません。お薬をいただけませんか!?」
「あら、お嬢さん。うちは薬屋じゃないわよ?」
息を切らし高級娼館へ入って来たロザリーヌを、玄関ホールにいる客たちがジロジロと見ている。訳わりだと察したオーナーのバーバラは、ロザリーヌを応接室へ案内した。
「話は聞くからさ。とりあえず、お茶でも飲んで落ち着いてちょうだい。」
出されたお茶を飲んで呼吸を整えると、ロザリーヌは伝わるように説明し直した。
「こちらのお店が薬屋ではないことは、承知しているのですが…。お店で使用している、行為後でも避妊できるお薬を購入させてもらえませんか?高級娼館で使用しているお薬なら、効果も高くて体への影響も少ないと以前聞いたことがあったので…。」
「答えたくなきゃ、答えなくても構わないけど。お嬢さんが使うのかい??」
ロザリーヌは、首を横に振った。
「そう…。お嬢さんは、誰かのためにここまで走って来たんだね。確かに、出回ってる薬の中には副作用が強いものや、二度と妊娠できなくなるものもあるから。」
ロザリーヌは、頷いた。
「はい。これが、うちの店で使ってる緊急避妊薬だよ。」
「ありがとうございます!!おいくらですか!?」
「うーん…。この薬は非売品だから、いくらって聞かれてもねぇ。」
錬金術で精製されたこの薬に値段をつけるとしたら、ロザリーヌには手の届かないほど高額になるのだが、バーバラはあえてそれを口には出さなかった。
「うん。今回は特別に、あげるわ。そのかわり、内緒にしてちょうだいよ?ただで薬がもらえるなんて噂が広まったら、うちも困るからね。」
「でも…。こんな貴重なお薬をタダでもらうなんて、できません。」
「じゃあさ!大通りにね、私のおすすめのステラって食堂があるんだけど、そこの常連になってくれない?それから。大人になったら、その裏通りにあるアスターって酒場にも行ってみてよ。」
「本当に、それだけでいいのですか??」
「お嬢さん、真面目って言われないかい?」
「…よく言われます。」
「ぷはははっ。だと思った!!本当にいいから。ほら、早く帰って飲ませてあげな。」
何度も感謝の言葉と頭を下げ、なかなか帰ろうとしないロザリーヌは、焦れったくなったバーバラに背中を押されて、店をあとにした。
ロザリーヌを見送ったバーバラは、『あ〜あ。またお嬢様から、慈善事業じゃないってお小言を言われちゃうわね。』と、笑いながらため息をついて店の中へ入って行った。
公爵邸へ戻ったロザリーヌは、アンネに薬を飲ませて、泣き続ける彼女に夜が明けるまで寄り添った。
朝日が昇ると、ロザリーヌは、泣き疲れて眠るアンネを起こさぬよう、そっと部屋を出た。今日は、アンネの分の仕事も頑張ろうと、廊下を歩いていると、ノアと鉢合わせた。ノアは、昨晩ロザリーヌが屋敷を抜け出したことに気づき、心配していたのだ。
何があったのか聞いたところ、ロザリーヌが泣き出したため、ノアは彼女を自室へと連れて行った。泣いて上手く話せないロザリーヌの声に、ノアの胸はひどく締めつけられるのだった。そして。彼女から聞かされた話は、兄のクリスが無理やりメイドと体の関係を持ったというものだった。
「…ごめん。ロザリーヌ…。」
「坊っちゃんが、謝ることではありません…。」
兄の行いを謝るノアに、ロザリーヌはそう言った。
「違うんだ…。先日、兄と僕は、閨指南を受けたんだ。僕は話だけ聞いて、実践は受けていないけど…。話を聞いてから、ロザリーヌに触れたくてたまらないんだよ。最低だろ??僕も、兄と変わらない…。」
「坊っちゃんは、クリス様とは違います。私は、坊っちゃんに無理やり触れられたことはありませんから。」
「だけど、僕は…。そのメイドには悪いけど、被害に遭ったのが、ロザリーヌじゃなくてホッとしてるんだ。もし君だったのなら、僕は、兄を絶対に許さない!!」
ロザリーヌが傷つけられた姿を想像したノアは、魔力暴走を起こしかけていた。魔力の乱れにより風が起こり、部屋の中のものが巻き上げられ、ロザリーヌは無我夢中でノアに抱きついた。
「坊っちゃん、落ち着いてください!!」
何度も名前を呼ばれ、我に返ったノアは、カタカタと震えるロザリーヌの体を抱き締めた。
「ごめんっ!ごめんな。ロザリーヌ。」
「坊っちゃん…。私は、いろんなお屋敷で、アンネのような目に遭ったメイドを何人も見てきたんです。メイドたちには拒否することも、他に行くあてもなくて…。」
「まさか…。ロザリーヌも…??」
ロザリーヌはノアから離れ、首を横に振り否定した。それを見て、ノアは心の底から安堵した。
「私は…、ともに湯船に浸かったり、抱き枕にされただけですみました。でも…。それだけですんだのは、両親が旦那様へ頼んでいたからだったんです。いずれ嫁ぎ先へ高く売るつもりだから、純潔だけは散らさないようにと…。」
「それだけって…。それも不快だったろ?君の両親は、娘をなんだと思ってるんだよ…。」
「坊っちゃん。他のメイドたちと比べたら、私のされたことなんて、"それだけ"なのですよ。旦那様も、うちの両親が貴族だから、約束を守ってくれましたけど。まさか私が、その両親の実の娘だなんて、思いもよらないでしょうね…。」
ノアは、俯くロザリーヌに近づいた。
「ロザリーヌ、触れてもいい?」
「いけません。だって…、体を触られたから…。私の体は穢れているんです…。こんな体、純潔だなんて言えません。」
「僕だって穢れているよ。毎晩のように、君の肌に触れる想像をしてるんだから。僕が、こんなにも君に触れたい理由、わからない??」
ロザリーヌは、顔を真っ赤にした。
「僕は、ロザリーヌが好きなんだ。だから君に触れたい。髪をなでたい。顔を包み込みたい。抱き締めたい。唇を重ねたいし、体にも…。ごめん、やっぱり最低だな…。」
「最低なんかじゃないです。私だって、本当は坊っちゃんに触れて欲しいと思ってます。ハンドクリームもまた塗ってもらいたい。それから…。許されるなら、私も坊っちゃんに触れたいです。」
「うん。僕も、ロザリーヌに触れてもらいたいし、ハンドクリームなら、いつでも塗ってあげるよ。」
素直な気持ちを口にしたノアにつられ、ロザリーヌも思いの丈を口にした。
「ねぇ、ロザリーヌ。触れてもいい?」
ロザリーヌが頷くのを確認すると、ノアは微笑みながら彼女の顔を両手で包み込んだ。恥ずかしがって目をそらそうとするロザリーヌの瞳を覗き込み、ゆっくりと顔を近づけ、額と額を合わせる。
「唇を重ねてもいい?」
ロザリーヌは、羞恥心に襲われながらも小さく頷いた。彼女の顔を包み込んでいるノアの両手には彼女の熱が伝わり、ロザリーヌもまた、彼の瞳に熱がこもっているのに気づいた。その瞳がそっと閉じられ、ふたりの唇が重なり合う。
一旦、唇を離し、乱れた呼吸を整えると、ノアは不満を口にした。
「なぁ?僕は、好きだって言ったけど、ロザリーヌは、好きだと言ってくれないのか??まさか、好きなのは僕だけなのか!?」
「私も、す…。お慕い申し上げてます!」
「なんだか、堅苦しいけど…。今は、その言葉で我慢するよ。」
それからまた、唇を重ね合った。
「あっ!?仕事場へ行かないと!!」
唇を離した途端、ロザリーヌが発した言葉にノアはがっくりと肩を落とした。
「本当、クソ真面目過ぎる…。」
「ですが…。今日は、アンネの分も頑張るって決めたんです。アンネには、仕事のことを気にぜず休んでもらいたいから…。」
「うん。僕は、ロザリーヌのそういうところも大好きだよ。」
「もう、坊っちゃんったら!あんまり、からかわないでください!!」
ロザリーヌが両手で顔を覆いながら部屋を出て行くのを見届けると、ノアはこれからの対応に思考を巡らせた。実際に被害に遭ったのはアンネだが、ロザリーヌも心を痛めていた。ノアは平静を装っていたが、ロザリーヌの涙を見て、彼女を傷つけた相手に対して怒りが込み上げていたのだ。その相手が実の兄であっても、うやむやにするつもりはなかった。
考えがまとまったノアは、母親の元を訪ねた。この件は、女性である母が対応すべきだと考えたから。
クリスの犯した過ちを聞き、公爵夫人は頭を痛めていたが、ノアは構わず話を続けた。今回、被害に遭ったメイドを含め、他にも被害者がいないか確認するため、全てのメイドと面談を行い、今後どうしたいか希望を聞き、その支援をするよう求めた。
しかし。母が、まずは兄から話を聞こうとしたため、ノアの怒りはさらに増してしまったのだ。
「兄を優先させるのはいつものことですが、今回の問題は、母親の視点からでは解決できませんよ。あなたは、この公爵家の使用人を取り仕切る立場にある、公爵夫人でもあるのですから。メイドたちの仕事は、この屋敷の家事であって、兄の性欲処理ではないのです。必要ならば、その手の業種の者を雇えばいいでしょう?まさかとは思いますが、お母様は今回の件を、どこの家でもよくあることだと言って、目をつぶるおつもりではありませんよね??忠誠心を踏みにじられたメイドのことを、所詮は使用人だからと蔑ろにするのですか?誰に寄り添うべきか、お間違いないようお願いします。」
ノアが出て行ったあと、夫人は部屋でひとり考え込んでいた。ふたりの息子のうち、一方は使用人を蔑ろにしてしまい、もう一方は使用人へ敬意を払っている。同じように育てたはずが、こんなにも違うなんて。
夫人は、はじめてノアに意見されたことを思い返し、ノアの急激な変化に戸惑いつつも、公爵夫人としての務めを果たすべく席を立った。
あの夜のあと、アンネは公爵邸を去った。
はじめは気丈に努め、これからも公爵邸で働くつもりでいたアンネだったが…。クリスを視界に捉えたり、彼の部屋へ近づくと体が震え、身動きがとれなくなってしまうのだった。この屋敷で働くことはもうできないと悟ったアンネは、公爵夫人から働き先を紹介してもらい、公爵邸をあとにした。ロザリーヌは、心も身体も傷ついているアンネを引き止めることはできなかった。
そして。ロザリーヌが事件を口外しなくとも、クリスの寝室を掃除したメイドの話や、公爵夫人から聴き取りが行われた直後にアンネが公爵邸を去ったことから、使用人たちの間でクリスの所業が知れ渡っていた。
また。ノアが、公爵夫人へメイドの扱いに配慮するよう意見したことも、公爵夫人付きのメイドから広まっていった。ノアにしてみれば、ロザリーヌを悲しませる原因をつくった者への怒りから、そのような行動をとったにすぎないのだが…。人望を失ったクリスに対して、ノアの方は、意図せず人望を集める結果になったのだ。きっかけはどうあれ、ノアの人望は厚くなり、彼こそが次期公爵に相応しいと思う者たちが増えていった。
そのことが、クリスに焦りを植えつけたのだが、ノアはそれに気づいていなかった。
アンネが公爵邸を去ってから数ヶ月が経った。
公爵夫人の計らいで、クリスの担当には年配のメイドが当てられている。一方、ノアの担当には、ロザリーヌが抜てきされた。メイドたちは、ノアの人柄に好感を持ってはいるのだが、もはや雲の上のような存在となり、敬愛するあまり近づきがたくなってしまったのだ。そんなわけで、ロザリーヌは押しつけられる形でノア付きのメイドになったのだった。この嬉しい誤算に、ロザリーヌと過ごす機会が増えたとノアは大喜び。それは、ロザリーヌも同じ気持ちで、彼と過ごす時間はかけがえのないひとときなのだ。それでも。ロザリーヌの真面目さはブレることはなかった。
「なぁ。ロザリンは、僕ともっと一緒にいたいと思わないのか??」
ノアは、自分がお茶を飲み終えた途端、仕事に戻ろうとするロザリーヌへ問いかけた。
「一緒にいたいからこそ、適切な時間を守っているのです。坊っちゃんのお部屋にあまり長居をすると、要らぬ疑いをかけられるかもしれませんからね。そうなれば、坊っちゃんの担当を代えられるか、最悪、このお屋敷を去ることになりかねません。」
「ズルいな。『僕と一緒にいたいからこそ』なんて言われたら、引き止められないじゃないか。」
そう言いながらもノアは、ロザリーヌを抱き寄せ、唇を重ねた。
「坊っちゃん…。いつものお茶の時間より、3分も過ぎています。」
「ロザリン…。いや…。君のそんなところも好きだけどさ。」
「…私も。どんな私も受け止めてくれる坊っちゃんのことが…、好きです…。」
限られた時間の中でも想いを確かめ合い、ふたりの秘めた恋はまわりに悟られることなく、大きく育っていったのだった。
近々、一家で領地へ赴くノアは、しばらく会えなくなる前に、ロザリーヌをデートへ誘った。
「ロザリン。今度の休みにデートしよう!」
━━そして、ロザリーヌの休みの日が訪れた。
ロザリーヌは、何度も鏡で自分の容姿をチェックし、逸る気持ちを誰にも悟られぬように注意して外出した。
待ち合わせ場所は、街中にある公園の噴水の前。
ロザリーヌは、噴水の前でノアを待っている間も、高鳴る心臓を落ち着かせようと、何度も胸を押さえては深呼吸を繰り返していた。
「ふっ。ロザリン、何回深呼吸してるんだよ?」
声をかけられ振り返ると。そこには、筆頭公爵家の象徴である赤い髪をウィッグで隠し、平民の装いをしたノアの姿があった。
「坊っちゃん!?いつから、そこにいらしたのですか?」
「ロザリン。デートなのに、その呼び方はないだろう?今日一日、僕のことは、"ノア"と呼ぶように。これは命令だから、真面目なロザリンは主の指示に従うしかないよな??」
「もう。このようなことに権力を使うのは、ノ…ノアくらいでしょうね。」
名前を呼ばれ上機嫌になったノアは、ロザリーヌの手を引いて、店を巡った。
以前ノアが、ロザリーヌへプレゼントしたハンドクリームが売っている雑貨店。香水専門店。フルーツキャンディ店。先月、爆発があったため移転した魔道具店。お昼には、勧められた食堂 《ステラ》でランチをした。ランチのあとは露店をまわり、互いの選んだ食べ物や飲み物を交換して一口ずつ口にしたり、そろいのネックレスを購入したりした。
ふたりがはじめてのデートを満喫しているところへ、水を差すように突然激しい雨が降り出した。
びしょ濡れになりながら雨をしのげる場所を探したふたりは、貴族が泊まる高級ホテル《ニュイテトワレ》ではなく、おしゃれな外観の小さな宿屋を選んだ。部屋に入ると、ロザリーヌは、冷えた体を温めるためノアの入浴の世話や、濡れた服を乾かそうと準備をはじめた。
「坊っちゃん、風邪を引いては大変ですので、濡れた服を脱いで、湯船に浸かってください。」
「はぁ〜、ロザリン。今日一日、名前で呼ぶよう言ったじゃないか!?」
部屋に入った途端、いつもの主従関係に戻ったロザリーヌへノアは不満をぶつける。
「それに、風邪を引いたら大変なのはロザリンも同じだろ??」
ノアは、ロザリーヌの手を引いて浴室へ向かった。
ロザリーヌが、以前勤めていた屋敷の主に強要され、湯浴みをともにした行為を汚らわしいと思っていることを知っていたが、それでもノアは問いかけた。
「ロザリンが、本当に嫌だと言うのなら、無理強いはしない。だけど…。もし構わないのであれば…、一緒に入ろう??」
ロザリーヌが顔を真っ赤にして頷くのを見て、ノアは喜ぶとともに安堵した。
ロザリーヌは困惑してはいたが、それは恥ずかしさからであって、嫌悪感は抱いていなかった。
入浴や共寝を強要された話や、暴力を振るわれた話、まともな食事をさせてもらえなかった話など、あちこちの屋敷でロザリーヌが受けた扱いを聞いたノアが、心に寄り添い、慰め、傷を癒やしてくれたから。
「ロザリン。もしかして僕、嫌なこと思い出させてしまったかな…?」
ロザリーヌを後ろから包み込むように抱き締め、彼女の肩に顎を乗せ、背中にぴったりと密着して湯船に浸かっていたノアは、彼女が微動だにしないため心配になり声をかけた。
「いえ…。私の過去をお知りになっても、ノアがこうして触れてくださることを嬉しく思っています。ただ…。先程から、ノアの息や声が耳元に触れるので、くすぐったくてたまらないのです!!」
「なんだ。だから、微動だにしなかったのか。」
「もう!今のはわざと耳元で話しましたよね!?」
ロザリーヌは、両手で耳を塞ぎ頭を振った。浴室には、そんな彼女を見て笑う、ノアの笑い声が響いている。
「よかった…。ロザリンにとっては僕も、これまで仕えた奴らと変わらないって幻滅されたかと思った。」
「幻滅なんてしません!!ノアは、私の貧相な体でさえ優しく触れてくれるじゃないですか。あの旦那様は、私の体が貧相なので、すぐに興味をなくしたのです。寝室へ呼ばれなくなったことで特別手当が得られなくなると、『給金が減った!』と両親が乗り込んで来て…。それで経緯を知ると、『お前の体が貧相なのが悪い!』と責められてしまい…。」
ノアが震えているのを背中に感じ、ロザリーヌは振り返り、心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
「…ノア??」
ロザリーヌの心配をよそに、ノアは肩を震わせ笑っていたのだ。
「どうして、笑っているのですか?」
「いや、だってさ。ロザリンが、『貧相な体』って何度も言うから。言っておくけど、僕は君の体を『貧相』だなんて思ってないから。だけど。そいつが、貧相な体だと思ってくれたから、ロザリンはその屋敷からすぐに解放されたんだな。」
「ひどい!!『貧相』って言い過ぎです!!」
「ごめん、ごめん。ロザリンは、貧相じゃなくて小ぶりなんだよな。身長も、胸も。」
「ノアっ!!」
ロザリーヌは体の向きを変え、ノアの方を向くと、彼に浴槽の湯をバシャバシャとかけた。
「あははっ。ロザリンが体の肉づきを気にしてるなんて、知らなかったよ。」
「もう!笑ってごまかさないでください。」
ノアは、顔中ずぶ濡れにされても笑っていた。ロザリーヌは、何をしても笑って受け止めてくれるノアに、すっかり心を開いていた。
「私が働いてきた屋敷には、ノアみたいに使用人へ配慮してくる貴族の方はいませんでした。中には、使用人はもちろん、ご自分の血を引く婚外子を使用人扱いし、さらに暴力を振るうお方もいましたから。」
「僕は使用人へ配慮しているわけじゃなく、ロザリンを思って行動しているだけだよ。」
普段のロザリーヌなら、『特別扱いはいけない』と口にするところだが、今日は素直に、ノアが自分のために行動してくれていることを喜んだ。そして自ら、ノアの唇に自身の唇を重ねると、彼の首に腕を回し、ぎゅうっとしがみついた。それに応えるように、ノアもロザリーヌの背中に腕を回し、抱き締めた。
「嬉しいよ。はじめてだよな。ロザリンの方からキスしてくれたの。」
ノアはそう言うと、腕の力を強めた。強く抱き締められながらノアの鼓動を感じていたロザリーヌは、意を決して彼と向き合うと、彼の太ももの上に跨った。
「この前。ゴシップ誌に、体を使って男性を誘惑していた令嬢たちの話が載っていたのですが…。ノアも、そんな女性のことを、はしたないと思いますか??」
「その令嬢たちに対しては嫌悪を抱くけど…。なぁ?もしかして。僕は今、ロザリンに誘惑されているのかな??僕は、君にならなにをされてもいいよ。だけど…。無理はしないで欲しい。」
「ノアは、お兄様みたいにはならないようにと、私に触れる際、遠慮してますよね。ノアとクリス様は、全然違いますからね。クリス様は、アンネに対して誠実ではありませんでしたから…。」
「実際のところ、兄さんがアンネへどんな感情を抱いていたかはわからないけど…。それでも兄さんのしたことは、たとえ彼女へ好意を寄せていたのだとしても、許されることではない。」
「そうですね…。」
今更ながらロザリーヌは、自分はアンネの心に寄り添えていたのだろうかと、引っかかっていた。クリスの本心もわからないが、アンネの胸の内も知ることができなかったから。
ただ、アンネは最後まで、クリスへ対して恨み言を口にしてはいなかったのだ。ただの一言も…。
「ノアは、使用人の私たちへも誠実に接してくれて、寄り添ってくださいます。私は、そんなあなたの優しいところに惹かれたのです。それから。私の思いを汲み、人前では特別扱いしないでいてくれること。どんな私でも受け止めてくれる、15歳とは思えないくらい深くて広い心。この、おそろいのネックレスも。こんなにも、私を大切に想ってくれるノアの気持ちが嬉しくて…。私、どうにかなってしまいそうです…。」
「ロザリンは、バカだなぁ。僕の気持ちが嬉しいって言うけど、このネックレスは君が僕のものだって証なんだからな??まぁ、逆のことも言えるんだけど。」
ふたりは、互いのネックレスをくっつけた。
「はい。私は、ノアのものです。だから、あなたとひとつになりたいの…。」
そう言って微笑むと、彼女はゆっくりと腰をおろしはじめた。ロザリーヌの顔が苦痛に歪んだのを見て、ノアはやめるよう声をかけたが、彼女は止まらなかった。
腰をおろしたロザリーヌは、ノアの首にしがみついたまま動かなくなった。ノアは、自身に跨るロザリーヌへ恐る恐る声をかけた。
「…ロザリン、平気か??」
「…うぅ、いたい。でも…。ノアとひとつになれて、嬉しい。知らなかった…。幸せな痛みもあるのですね。」
朝晩の気温が下がり、日の出の時刻も遅くなりはじめるこの時期。寄り添って眠っていたふたりは、朝日が昇る前に目を覚ました。
「おはようございます。坊っちゃん。」
「ロザリン。呼び方が戻ってるじゃないか!?」
「昨日一日の約束でしたからね。」
「昨夜は、あんなに名前を連呼していたのにな。はじめてふたりで迎える朝なのに、余韻に浸らせてくれないのか!?」
寝起きから文句を言うノアへ、ロザリーヌは朝の挨拶をやり直す。
「おはようございます。ノア様。」
「様…。まぁいいか。おはよう、ロザリン。体は大丈夫か??」
「ふふふ…。大丈夫じゃないです。体が言うことをきかなくて、もう笑うしかありません。」
「ごめんな、ロザリン。」
申し訳なさから、ノアは甲斐甲斐しくロザリーヌの世話を焼いた。服を着替えさせ、髪を整えてやり、靴を履かせてやると、いつもと反対だと言ってロザリーヌが笑った。
ノアはロザリーヌを横抱きにすると、宿屋をあとにした。そして。ロザリーヌを抱えたまま自身の風魔法で空中を歩き、人目につかないよう屋根から屋根へと飛び渡り、最短ルートで公爵邸を目指した。空中歩行中、絶叫する余裕もないロザリーヌは、ぎゅっと目を閉じて、ノアに思い切りしがみついていた。
ノアが途中で立ち止まると、ロザリーヌは屋根を飛び渡るなんて危ないと叱った。ノアは笑いながら謝り、ふたりは屋根の上で朝日が昇るのを眺めた。
それから数時間後。
公爵邸の玄関前には、領地へ赴くノアを見送ろうと、使用人たちが並んでいた。
領地にいる、体調のすぐれない前公爵を見舞うため、公爵夫妻とクリス、ノアの妹のライラは、すでに前日出発していた。ノアは、ロザリーヌと過ごす時間をつくろうと、自分だけ出発を遅らせたのだ。昨日のデート中も、自身の祖父の見舞いだというのに、『領地の滞在日数を減らしたい』、『ロザリンも連れて行きたい』などと言っていたのだった。
馬車に乗り込んだノアは、使用人たちとともに並んでいるロザリーヌへ視線を送ると手を振った。
ロザリーヌもまた、ノアを乗せ、ヴェッティン公爵領へと走り出した馬車へ向かって手を振った。
━━これが。
ふたりが互いの顔を見合わせた、最後の場面となった…。




