#42 ありがとう
フィリアとエスターはヴェルナー辺境伯領の森深くにある湖に来ている。
「わぁー。本当に、神秘的な湖ね。精霊や妖精が遊びに来そう!?」
「でしょう!?リアなら、そう言うと思ったわ。」
ふたりは並んで倒木に座り、湖を眺めた。
「でも。あとからラスに、本当は自分も一緒に行きたかったって騒がれそうだわ。」
「あいつは、確実に大騒ぎするでしょうね。だけど。今日は、ふたりきりがいいの。結婚前、最後の日なんだからね。」
「はぁ〜。結婚式は、明日なのよね。あのエスターが結婚するなんて、改めて考えると感慨深いわね。」
フィリアは、感嘆のため息をついた。
「ふふっ。自分でもびっくりしてるわよ。うちの両親を見て育って、愛も子どももいらないとずっとそう思ってきたんだもの。仕事の延長みたいな契約結婚を望んでいた私が、まさか愛のある結婚をするなんてね。」
「以前から、あなたが選んだ人なら、相手がどんな人でも祝福しようと決めていたの。でもね、正直に言うと、エスターの結婚相手がご老人じゃなくて、ものすごくほっとしてるのよ。」
「自分で子どもを産む気がなかったから、後継者のいる方の後妻の座ばかり狙っていたものね。そうなると。結果的に、候補は年配の方になっちゃうのよね。」
「その候補のひとりでもあった、辺境伯様のご子息と結ばれるなんてね。世の中なにが起きるかわからないわよね。」
「あぁ、辺境伯様ね…。想像していた人物像と全然違っていたのよね。王都へいらっしゃらなかったのは、ご自分を玉座につかせようとする派閥と距離を置くためだったの。王子殿下がお生まれになるまでは、王位継承第二位だったからね。大公ではなく辺境伯を名乗っているのも、いらぬ争いを生まないためなのよ。だから、もっとこう、まわりのことを考える方だと思っていたのに!!」
「だけど。争いは回避できているわよね?今となっては、辺境伯様が王弟殿下だと知る人自体少ないもの。」
「それはそうだけど…。自分の勝手な都合で、私とウィル様の結婚を急かしてきたんだからね?それに人使いも荒いのよ。リアにも氷づくりを手伝わせて、ごめんね。食感の違いなんて気にしないくせに、ふわふわの氷を食べたいって言うんだもの。義理の父だから、まだこらえてるのよ。夫としては、考えられないわね。」
フィリアはクスクスと笑うと、少し意地悪そうな顔をして、問いかけた。
「なら。実際に、結婚相手に選んだウィルバート様は?エスターは、彼のどんなところに惹かれたの??」
エスターは頬に手を当て、真剣に考えている素振りを見せる。
「そうねぇ。氷属性っていうのも大きいわよね。魔石や素材もくれるし。それに。大怪我をしてまで、私を助けてくれたじゃない?あれには、誰だって心を奪われちゃうと思うの。」
エスターは小さなため息をつくと、フィリアの肩にもたれかかった。
「正直言うとね。この想いをうまく言葉にできないの。これが、契約交渉だったら致命的よ!?私、ずっとね。男爵家のお祖父様とお祖母様の愛の在り方を理解しようとしないお母様のことを、非難していたの。たけど…。私も、理解はできても、共感はできないって気づいたの。だって。ウィル様が、私以外の女性に触れるなんてたえられないもの。」
フィリアは、自身の肩にもたれかかっているエスターの頭に、コツンと頭を合わせた。
「エスター…。それだけ、ウィルバート様を想ってるって証拠じゃない。あなたにも、嫉妬するほど好きな相手ができたってことね。それにね。私だって同じよ。ラスが、他の女性と結婚するのを想像しただけで、ものすごく悲しくなって、泣きそうになったもの。」
すると突然。フィリアは頭を起こすと、エスターに向き合った。
「そうよ!あの夜。部屋に入って来たのが、お茶を運んでくれたエスターだと思って、ラスへの想いを本人にしゃべっちゃったのよ。」
「あら、ダメじゃない。部屋に入って来たのが誰か、ちゃんと確認しなきゃ。」
「だって…。お茶を持って来たって言ったのは、エスターの声だったから…。それなのに。まさか部屋に入って来たのが、王都にいるはずのラスだとは思わないじゃない!?」
「そうそう。あのとき、私ね。あいつに、お茶を横取りされた上、部屋から締め出されたのよ。信じられないでしょ!?」
ふたりは目を合わせると、そのときのラザラスの行動を思い浮かべて笑った。
「あいつ、あの直前に姿見で未来を見たのでしょう??」
「…っ!?」
フィリアは驚きのあまり目を見開き、呆然とエスターを見つめた。
「ふふっ。今日は、リアが凍っちゃったわね。」
しばしの間、湖の静寂がふたりを包み込んだ。エスターは穏やかな笑みを浮かべると、フィリアの手をそっと取った。
「あなたたちの8年にも及ぶすれ違いが、たったの一晩で解消されたのは、未来を知ったからなのよね?」
「…ウィルバート様に聞いたの?」
「ウィル様は、私に問い詰められて、仕方なく口を割ったのよ。」
「そう…。エスターに問い詰められたら、ウィル様も逃げられないわね。」
「ええ、そうよ。私の追求からは、逃れられないんだからね。」
漂っていた緊迫感が和らぐと、エスターは思い出話をはじめた。
「リアも、たいがい思い込みが激しいわよね。未来のラザラスが家に帰って来ない理由を、あいつには他に想い人がいて、その相手のところに行っているからだなんて言っていたもの。しかも。その相手が、私なんじゃないかって疑っていたこともあったわよね!?」
「…疑って、ごめんね。ほら、エスターも言っていたじゃない。あの頃の私は、マリッジブルーだって。」
「マリッジブルーのせいだけじゃないでしょ。その思い込みは、昔からよね?『仕方ない』って言葉なんかに囚われちゃって。あいつが、リアとの婚約を仕方ないなんて思ってるはずないのに。」
フィリアのとった言動は、姿見で未来を見たことや、マリッジブルーによる影響だけではない。自分は役に立たない、ラザラスに想われるはずがないと思い込む原因となったのは、フィリアの自己肯定感が昔から低いせいだった。フィリアが自己否定の塊だという話をラザラスから聞いて以降、エスターの頭からそのことが離れなかった。
「今回の感染症の件でわかったでしょう?あいつがどれだけ、リアのそばから離れたくないと思っているか。医者としては失格だけど、たくさんの人の命よりも、あなたひとりの命の方が大事なのよ。今は、エミリオの命もね。」
「…うん。ラスの想いは、もう疑ってない。想いを比べたら、天秤が釣り合ったから。…それなのに。未来の私は、ラスを信じられなくて…。私を助ける方法を探し回ってくれていたラスに、離婚届を渡しちゃったの…。」
今度は、エスターの方がフリーズしてしまい、大きく開いた口が塞がらなくなっていた。
「ねぇ、エスター。お願いだから笑ってよ…。いつもみたいに、笑い飛ばして。」
「笑えないわよ…。あいつが、憐れ過ぎて。だけど。その未来のリアは、今のあなたじゃないでしょ?」
「そうね。今の私は、あの未来の私とは違う。それは、わかってるけど…。あまりにもラスに申し訳なくて、何度も何度も必死に謝ったわ。」
「あぁ!!確かに。一時ことあるごとに、ラザラスに抱きついて謝っていた時期があったわね。」
エスターは、繋いでいた手を強く握り締め、うつむくフィリアの顔を覗き込んだ。
「リアもラザラスも、姿見で見た未来が訪れないよう、必死に回避したのよね。その甲斐あって。現在のあなたたちは、姿見に映った未来とはまったく違う、"今"を生きているでしょう??」
フィリアは顔を上げて、ゆっくりと頷いた。
「私が、ウィル様に惹かれた理由のひとつはね。リアとラザラスが、ウィル様の人柄を認めているからよ。それに。ウィル様も、私の信頼しているふたりのことを信頼してくれているからね。だって。ふたりの言う、"姿見に映った未来"なんて話を信じて、人知れず、行動に移してくれた人だもの。」
「本当に、未来を見たなんて話をよく信じてくれたわよね。だからこそ私とラスは、ウィルバート様ならエスターを幸せにしてくれるって確信しているのよ。」
「私も自分の直感と、あなたたちの人を見る目を信頼しているわ。だからね…。私が全幅の信頼を寄せているリアが、まさか、あなた自身を信じることができないなんて思わなかったの。気づかなくて、ごめんね。」
「ラスに聞いたのね。…そうね。私は、自分を信じてないどころか、自分のことが嫌いだったの。だって。体は弱いし、水魔法も使い道がなかったから、なんて役立たずなんだろうって…。」
エスターは、フィリアをぎゅっと強く抱き締めた。
「リアは、人の長所を見つけるのが得意じゃない。どうしてそれを、自分には当てはめられないのよ!?あなたには、私なんかより長所がいくつもあるのに。聞いて!あなたは、役立たずなんかじゃない!私にとって、リアの言葉は魔法みたいなのよ。」
「私の言葉が、魔法…?」
「私に平民の血が流れていても、変わらず友達だって言ってくれたでしょ??私はね、リアのあの言葉に救われたのよ。あなたが、私の心を救ってくれたの。それは。ラザラスの治癒魔法にも治せないことなんだからね。」
平民の血が混ざっていることが知られれば、貴族社会で生きていくのは難しいと幼いながらに理解していたエスターにとって、フィリアの言葉は大きな救いとなった。
「リアのおかげで、私は胸を張って生きようと思うことができたのよ。ありがとう、リア。ありのままの私を受け入れてくれて。私に、素敵な言葉の魔法をかけてくれて。私の命を、救ってくれて…。それから。私と、友達になってくれて!」
「…エスターっ。」
フィリアは、エスターを抱き締め返した。
「あなたの命を救ったのは、ウィルバート様じゃない。私は、結局なにもできなかったもの…。それに。私の方こそ、エスターにたくさんのことをしてもらったわ。咳に効く、茶葉に、蜂蜜に、飴でしょ。湖畔の別荘、花畑、チャペルに、結婚式も。それから…。あなたがいたから、私はラスと疎遠にならずにすんだのよ。私たちの仲を繋ぎとめてくれて、見守ってくれて、ありがとう。あのとき。取り繕った私の笑顔を怒ってくれて、ありがとう。これからも、ずっとずっと思ってることをなんでも言い合える親友でいてね…。」
「こちらこそ。これからも、ずっとずっと…、おばあちゃんになっても仲良しでいましょうね。ふふっ。ねぇ、リア。明日の結婚式、大丈夫??もうすでに、こんなに泣いちゃって。」
「なによ…。そう言うエスターだって、泣いてるじゃない!?」
ふたりは互いの泣き顔を見合って吹き出すと、深くて揺るぎない友情を確かめるように、再び抱擁を交わした。
そんなフィリアとエスターの様子を、少し離れた場所から、ラザラスとウィルバートが見守っていた。
「あぁ、安心しました。どうやらエスター嬢にとって、父は完全に対象外だったようです。」
「えっ、ウィルバート様…。いまだに、そんな心配していたんですか?」
「心配にもなりますよ。ハンスたちが開いた新年会で、結婚相手は父親の方じゃないって、おじとおばのみなさんに驚かれたんですからね。」
「あいつらって、主従の線引きをはっきりするわりに、意外と失礼なんですよ。気にしちゃ駄目ですからね?」
「そうは言ってもあの方たちは、エスター嬢のおじとおばですからね。ちゃんと、認めてもらいたいんです。」
「でも。エスターは、ウィルバート様の伯父である国王陛下に認めてもらいたいなんて思ってませんよね??」
ラザラスとウィルバートは、フィリアとエスターから、『結婚式の前日は、ふたりで出かけてくる。』と言われていたが、イーサンとネイサンに頼んで、ふたりが転移した魔力の残滓から行き先を割り出してもらったのだった。そして。行き先が魔物が出る、森の深くにある湖だと知ると、心配になりあとを追って来たのだ。
たとえ、行き先が安全な場所であったとしても、このふたりならあとを追ったはずだか…。それはまぁ、置いておいて。
「それにしても、あのふたり。いくら転移石を持っているからって、ふたりだけでこんな森の奥深くに来るなんて。危機感っていうものが、まるでないんだよな。」
「そうですね。魔物が出ないとは言い切れませんからね。我々の気も知らないで、おふたりは楽しそう…。」
ウィルバートは、ふたりが姿見に映った未来の話をするのを聞いて、言葉を詰まらせた。そしてラザラスへも、ふたりの会話の内容を教えた。
「そうか…。エスターは、姿見の未来のことを知っていたんですね。」
「ええ。生まれたばかりのエミリオ君の瞳の色と、うさぎのぬいぐるみの目の色がまったく同じだったことに違和感を覚えた途端、それまでの点と点が一気に繋がったそうです。彼女の野生の勘を目の当たりにし、思わず感嘆の声を上げたら、叱られました。」
「やっぱり。あいつの野生の勘は侮れないな。」
「それから。フィリアさんは、ラザラス殿の想い人がエスター嬢なのではと疑ったり、あの未来で、離婚届を渡したりしてしまったことを申し訳なかったと言っていますね…。」
それを聞くと、ラザラスは膝から崩れ落ちてしまう。
「…リアが、その話を??」
「ラザラス殿のことを信じられなかった、未来の自分を責めているようです。離婚届については、エスター嬢もさすがに笑えないと言っていますね。」
「俺に対するリアの感情が愛じゃなくても、俺の愛情がリアに届いてないとは思ってなかったんです。俺の想いを声に出して伝えていれば、あんな未来は訪れなかったかもしれません…。いやっ!それにしたって。俺が、エスターを想ってるなんて、そんなの絶対にありえないだろ!?」
「ラザラス殿、静かに!!気づかれてしまいます。この位置は、エスター嬢に捉えられないギリギリの距離なんですから!!彼女は、警戒心を強く保つことで聴力を補っているんです。」
内緒であとを追って来たラザラスとウィルバートは、エスターの耳に音が捉えられない位置にいるのだ。
「あいつ。自分の力はちっぽけだって悲観するリアの気持ちに、自分の力もそうだって賛同していたけど。この距離の音が聞こえるくせに、どこがちっぽけな力なんだよ!?」
「エスター嬢の聴力は、おじやおばのみなさんよりは低いんですよ。それでも、聴力も風の力もちっぽけなんかではありませんけどね。」
「リアの力だって、ちっぽけなんかじゃありません。なのに。リアは本気で、自分を役立たずだと思い込んでいたんです。そして。俺は、そんな自己否定の塊になってるリアに気づいてやることができませんでした…。」
「確かに。言葉にしないとわからないこともありますよね。彼女が、僕との結婚で一番の障害になると考えていたのは、自身に流れる平民の血でしたから。父に、自分には平民の血が流れているけど、それでも結婚を認めてくれるのかと尋ねていましたしね。父からは、大恩あるばあやの孫なら大歓迎だと言われ、拍子抜けしていたんです。普段は、自分の血を気にする素振りなんてまったく見せないのに…。」
「あいつは、いっそ平民と結婚して、しがらみのない市井に下るとまで言っていましたからね。あいつが貴族でも平民でも、リアの態度が変わることはないので。」
「エスター嬢の自己受容がフィリアさんのおかげであるように、フィリアさんもまたエスター嬢のおかげで自己受容できるようになるでしょう。今日の語り合いで、おふたりの友情はより一層固く結ばれたようですしね。」
「リアの自己否定の塊を、あいつが壊してくれましたからね。」
フィリアとエスターを優しい気持ちで見守るラザラスとウィルバートの表情は、とても穏やかだった。
そのとき。ラザラスの頭に疑問が浮かんだ。
「ふと、思ったんですが…。ウィルバート様は、結婚式前日の思い出が、これでいいのですか??」
「あはは。これがいいんです。エスター嬢を陰ながら見守ることは、僕の本望ですから。」
「そうでしたね。ウィルバート様は、陰ながらずっと、あいつを見守ってくれていたんですよね。ですが。これからは見守るだけじゃなくて、あいつが暴走しそうなときは、ちゃんと止めてくださいね!?」
ウィルバートは返事をせず、少し困ったように微笑むだけだった。
「ウィルバート様!?笑ってごまかさないでください。ほんとに、頼みますからね!」
「静かにっ!!」
あとをつけてきたことがエスターに知られたら、あきれられてしまうと焦ったウィルバートは、静かにさせようと、とっさにラザラスの口を氷漬けにして黙らせた。
口を凍らされたラザラスは、我に返り平謝りするウィルバートへ、ジトっとした目を向けている。そして。ウィルバートには、エスターの暴走を止めるのは無理そうだと悟った。
止めるどころか、むしろ、一緒に暴走しているふたりの姿が浮かぶのだった。




