#3 聞いてくれよ、エスター
エスターは、お茶を淹れてくれたメイドを、部屋の隅に待機させると、優雅にティーカップを持った。ベルガモットの爽やかな香りを感じてから、お茶を口に含むと、すっきりとした味を楽しみ、コクリと飲み込んだ。それから、目を細め、目の前でうなだれているラザラスへ、冷ややかな視線を向けた。
「まったく。お茶がまずくなるじゃない。一体、何があったのよ。先触れもなく、突然訪ねて来たと思ったら、うなだれちゃって。それに、なんだか。まるで、この世の終わりみたいな顔をしているわよ。もしかして。とうとう、リアに愛想を尽かされちゃったの?」
「わぁぁー!?やめろ!そんなこと、言葉にするなよ。」
軽い冗談のつもりで、言ったことだったが、ラザラスが頭を抱え、大袈裟な反応をみせたため、エスターは驚いた。
「あら、やだっ!?まさか本当に、愛想尽かされちゃったわけ??ラザラス、あんた、リアに何したのよ!?」
「それがわかんないんだよ!!今日も、いつもと変わらない茶会だった、…はずなんだ。」
「そう。今日は、沈黙の茶会の日だったのね。」
「あぁ…。はじめは、いつもと同じで、お互いに茶を飲むだけだった。けど。今日は、珍しくリアが口を開いたんだ。このまま、結婚してもいいのかって。俺たちの結婚は、俺たちの意思じゃなく、親に決められたものだから。それで…。話してるうちに、言い合いになってしまったんだ。」
「ふたりが、言い合いをするなんて、はじめてなんじゃない??私、あんたたちが喧嘩するところなんて、想像つかないわ。」
「喧嘩…。あれは、喧嘩だったのか??リアが勝手に、俺には、他に想い人がいるんだろうって決めつけて。俺とリアは友達だから、その恋を応援するって言い出したんだ。それから、エスターの両親のような夫婦にはなりたくないって…。」
エスターは、ため息をつくと、頭を抱えた。
「確かに、あんたたちもすれ違っているけれど、うちの両親とは全然違うわ。だって、あんたたちには、お互いに思いやる気持ちがあるじゃない。えぇーと、そうねぇ…。例えるなら、会話がなくても通じ合う、熟年夫婦みたいな感じよ。それか、倦怠期の恋人ってところかしらね。」
「結婚もまだなのに、熟年夫婦ってことないだろ…。俺たちは、もうすぐ、夫婦になるんだ。結婚してからは、リアと毎日一緒にいられると思ってたのに。式まで、あと数ヶ月ってところで、どうしてこんなことに…。」
「結婚が近づくと不安になるって、よく聞くわよね。リアも、マリッジブルーなのかしら?」
フィリアが結婚をためらう理由が、結婚を不安に思っているから、だけではないことを知っているラザラスは、口には出したくない言葉を、身を切るような思いで口にする。
「くそっ。本当は、こんなこと、口が裂けても言葉になんてしたくないっていうのに…。あのな。どうやら、他に想い人がいるのは…。リアの方なんだよ…。」
「リアに想い人!?嘘でしょ?私は、何にも聞いてないわよ!」
「俺だって、嘘だと思いたい。けど、リアが…。そいつの名前を呼んで、号泣したんだ。」
「号泣ですって?社交界で、"氷の令嬢"の二つ名を持つ、あのリアが??」
エスターは、フィリアの言動を思い返し、想い人が誰なのか推理を巡らせる。しかし、まったく心当たりがなく、ショックを受ける。親友のフィリアのことなら、何でも知っていると思っていたから。
「実際のところ、その二つ名は、リアには全然似合わないからな。エスターも知ってるだろ?リアの本当の姿が、"氷の令嬢"とは、ほど遠いってこと。」
「そうね。本当は、感受性豊かで、思ったことが全部、顔に出てしまう子だからね。」
8年前。ラザラスが言った『仕方ない』という言葉に、自分とラザラスの気持ちが同じではないと知ったフィリアは、傷つき、心は凍りついた。それ以降、意識的に表情と感情も凍らせたのだった。そうしていないと、ラザラスへの想いが、顔に出てしまうから。必死に感情を押し殺し、想いが表情に出ないよう徹底し、ラザラスへの想いを隠していた。次第に笑顔や言動が冷たくなっていったフィリアは、気づけば、氷の令嬢と呼ばれるようになっていた。
ただエスターは、フィリアのその言動を良しとしなかった。ふたりでいるとき、自分の前では、素のフィリアでいることを(強引に)約束させたのだった。その結果、フィリアにおかしな習性がついてしまったのだが…。
「ラザラスは、あえて、リアの二つ名を否定しなかったのでしょう?リアが、人前で笑わない方が都合がよかったのよね。氷の令嬢と呼ばれるようになったら、リアに寄って来る悪い虫が減ったものね。ただし。あんたに笑いかけることも、なくなったけれど。」
「だって。どいつもこいつも、リアの笑顔に、ころっと心を奪われやがるから。リアには、俺という婚約者がいるのを知ってて、いまだに、リアの気を引こうとする奴もいるんだからな。まぁ、みんな、リアの氷の鉄壁に、返り討ちに遭ってるけどな。ざまぁみやがれ。」
「返り討ちに遭ってるのは、あんたもでしょう?しかも結局、リアに悪い虫がつくのを防げなかったくせに!!自分の瞳の色のドレスや装飾品をリアに身に着けさせて、自分のだってアピールしてきたのも、番犬みたいに、リアに近づく令息たちを牽制してきたのも、ムダだったじゃない。リアに愛想を尽かされて、ざまぁないのは、あんたの方よ!?このダメ犬!!」
「おまえの言葉は、凶器かよ…。」
フィリアに結婚をやめようと言われ、途方に暮れていたラザラスは、エスターの口撃により満身創痍となった。テーブルに突っ伏し、今にも泣き出しそうな、情けないラザラスの姿に、エスターは大きなため息をついた。
「あぁ、もう!情けない。あんた、リアのことちゃんと見ていたの?どうせ、リアが笑わなくなった理由も、いまだにわかってないんでしょ??」
「なんだよ。エスターは、リアが笑わなくなった理由を知ってるのかよ!?」
「知ってても、教えないわよ。確かに私が、間に入ってあげたら、こじれた関係は解消するかもしれない。でもそれは、あんたたちのためにならないのよ。ふたりで話し合って、解決することだから。あんたたちに必要なのはね、会話なのよ。」
「おまえは、友達にも厳しいな…。普段は猫被ってるけど、"氷の令嬢"って呼び名はリアより、エスターの方がぴったりだよ。」
「そうね。私は、冷徹だからね。でもこんな、素の私を知ってるのは、ラザラスとリアだけよ。」
「ところでさ…。エスターは、『エミリオ』って奴を知らないか?リアが、泣きながら呼んでた名前なんだ。」
エスターは、記憶をたどってみたが、『エミリオ』という名前に覚えはなかった。
「エミリオ…??知らないわね。おかしいわ、私の情報網に引っかからないなんて。リアは、一体いつどこで出会ったのかしら…。」
「情報通のエスターが知らないなら、誰に聞いても知らないだろうな…。」
「間違いなく、私が調べた、この国の貴族と、金持ちの商人の中にはいないわね。」
「おまえ…。結婚相手の候補の範囲を、商人にまで広げたのか…?」
「私は、相手が、貴族でも商人でも構わないわ。とにかく、自分でよく調べて、見て、自分の意思で理想の相手を見つけるの。リアも、言っていたのでしょ??決められた結婚で、うちの両親みたいにはなりたくないって。私だって、あんなふうにはなりたくないもの…。」
「…伯爵は、最近も帰って来てないのか??」
エスターは、頷くと、諦めたような笑みを浮かべた。そして、すぐに、話題を変えた。
「それにしても、私のリアを泣かせるなんて。『エミリオ』のこと、許さないわ。」
「俺の、リアな。俺の!!俺も、エミリオって奴を見つけたら、ぶん殴ってやる!俺のリアを泣かせやがって!!」
「エミリオのことは、私に任せて。絶対、見つけ出して、私のリアに謝ってもらうわ。」
「頼んだからな、エスター。なるべくはやく…。出来れば来週、王都で会うときまでには見つけてくれないか。一刻も早く、俺のリアの目を覚ましてやるんだ。」
「来週までって…、だいぶ焦ってるわね。ねぇ、ちゃんと理解してる??そもそも。もっと、きちんとリアと向き合っていたら、こんな状況にはならなかったかもしれないんだからね。リアがよそ見をしたのは、あんたが招いた結果。自業自得なのよ。『俺のリア』って何度もしつこく言ってるけれど、あんたに、『俺のリア』なんて言う資格ないなんだからね!!」
ラザラスは、痛いところを突かれ、胸を押さえた。エスターのひとこと、ひとことが心に刺さったラザラスは、苦しそうに声を絞り出した。
「無理言って…。悪かった…。」
「もう……。しょうがないわね。出来るだけ早く見つけるから、待ってなさい。私だって、あんたたちには、幸せになってもらいたいと思ってるのよ。」
「わかった…。」
「リアにも、話を聞いてみるわね。今回も、王都まで一緒に行く予定だから。」
肩を落としたラザラスが、馬に乗って伯爵邸をあとにするのをエスターは見送った。
それから、間もなく。
ロックハート家の使いの者が、フィリアからの手紙を届けるため、伯爵邸を訪れた。
「あら。明日、リアが家へ来るのね。私の方から訪ねようと思っていたけれど、手間が省けたわ。タイミングからいって、ラザラスと、例のエミリオの話でしょうね。さぁ。リアには明日、洗いざらい話してもらうわよ。私の追及からは、逃れられないんだからね。」
手紙を読んだエスターは、不敵に笑った。
フィリアに隠しごとをされ、おもしろくないのもあるが、それ以上に、寂しかったのだ。何でも言い合える親友のフィリアに、秘密をつくられたことが。
エスターは、エミリオを探し出す方法と、明日、どのようにフィリアの口を割らせるか考えを巡らせた。




