#29 どうしようもないってことはわかってるけど、イヤなものはイヤなの!?
王都からヴェルナー辺境伯領までの道中、馬に何度かポーションを飲ませながら進み、予定よりはやく辺境伯邸に到着した。ウィル様も一緒とはいえ、お母様と同じ馬車で何日も過ごしていたから正直気疲れしちゃったわ。
馬車を降りた私と母は、タウンハウスのときと同様に、ここ辺境伯邸でも、手土産を渡す前から歓迎されたの。ヴェルナー家にとってウィル様の婚約者問題は、思ったよりも深刻なものだったみたい。
辺境伯様も、私たちを喜んで迎え入れてくださり、夕食をご一緒することになった。上座に辺境伯様、右手側にウィル様、その対面側にお母様と私が座る。
辺境伯様ってね、体格もそうだし、話す声も笑う声も、とにかく大きいの。ウィル様が、豪快な方だと言っていた通りだわ。食事会は、にぎやかな雰囲気の中はじまったのだけれど、お母様ってば話しかけられても反応が悪いのよ。辺境伯様も辺境伯様で、うちの事情を説明してあるから、お母様のことはそっとしておいてくださるかと思ったのに。逆に、ぐいぐい話しかけ続けているの。返事がなくとも構わずね。ウィル様と辺境伯様は髪色が同じなだけで、他は全然似てない気がするわ。
「お口に合うかはわからんが、よかったら料理にかけてみてくれないか。我が領地の特産物を加工したスパイスなんだ。」
ここは、さすがのお母様も空気を読んで、差し出されたスパイスパウダーを料理にかけて食べたの。
「━━っっ!?ゲホ、ゲホ、ゲホっ…。なんなのよ、これ…。から…。ゲホゲホっ…。」
そのパウダーを口にしたお母様は、激しく咳込んでしまったの。そして勢いよく水を飲み干すと、水のおかわりを求めた。そんな母の様子を見て、辺境伯様は大きな口を開けて笑っていたわ。からかわれた上、笑われたお母様は、辛さと怒りで顔は真っ赤で、目はうるんでいる。母が暴れるのではないかと内心ハラハラしていたのだけれど、唇を震わせ、辛さと羞恥心にたえる姿に、私も吹き出しちゃったわ。
このとき、ウィル様が母の暴走を警戒し、いつでも対処できるよう身構えていたことや、常に私のそばを離れない理由に気づきもしないでね…。
そんな鈍感で、怖いもの知らずな私は、スパイスパウダーに手を伸ばしたのよ。だって、だって。どれほど、辛いのか気になるじゃない!?まぁ…。案の定、口にした途端、お母様と同じく咳き込んでしまったのだけれどね。
「あ"ぁー辛い!?って言うより、痛〜い!!」
ウィル様は私の隣の席へ移動すると、口の中を冷やすようにって氷を生成しくれた。逆隣の席の母は、2杯目の水を飲み干してもまだ口の中が痛くて、つらそうにしていたわ。
ダイニングルームには、辺境伯様の笑い声が響いていた。
私でこれほどなら、味覚過敏のリアが口にしたら大惨事ね。ラザラスにいたずらしようと思ったけど、うっかりリアの口に入ったら大変だから、この危険なパウダーは絶対お土産にしないわ。
ちなみに。五感が鋭いはずのウィル様は、この激辛パウダーを口にしても、平然としていたわ。このスパイスには、体をあたためる作用があるから、冬に重宝するのですって。ウィル様って。こんなに、辛いものを常に食べているから、舌がバカになったんじゃないかしら。
私は用意された客室のベッドに横になり、『うーうー』うなっている。
「ゔぅ〜。まだヒリヒリする…。」
もちろん、隣にはウィル様もいるわ。この屋敷でも当たり前のように私の客室へ入って来て、ふたり並んでベッドに横になっているの。
ええ。こうなるって、予想はしていたけどね。
「エスター嬢。大丈夫ですか??お義母様の方は、もう回復されたようですが。」
「だいじょうぶじゃないれす…。」
私は今、ウィル様が人差し指から生成してくれている氷を指ごと含んで、口の中を冷やしている。氷だけだと、すぐに溶けちゃって口全体を冷やせないから。彼の人差し指を咥えて、常にちょうどいい大きさを保ってもらっているの。こんな姿、誰かに見られたら恥ずかしい。でも口の中が痛過ぎて、恥ずかしいとか言ってる余裕もないの!とにかく痛いんだもの!!
だからね。私の母のことを、『お義母様』と呼ぶウィル様に、気がはやいですわと突っ込む余裕も、母の回復がはやい理由を説明する余裕もなかった。
早々に回復したお母様は、辺境伯様とお酒を飲んでいるわ。私はいまだに、こんな状態なのに。
「冷やし過ぎて、口が麻痺してきたのではないですか?唇が紫になってますよ。いったん、冷やすのをやめましょうか?」
指が口から離れないよう、必死にウィル様の手を掴み、『やめないで』と首を横に振る。そんな私の顔を覗き込んで、ウィル様は微笑んでいる。
痛みをまぎらわすために、このまま冷やしていて欲しいというのも本心だけど…。ウィル様が心配してくれるのが嬉しくて、優しくしてくれるのが心地よくて、甘やかしてくれるのがくすぐったくて、もう少しこのままでいたいの。
自分でも、人様の指を咥えてなにしてるんだろうって思ってるわよ。
「ちょっ…。エスター嬢…。」
ウィル様の戸惑う声で、はっと我に返る。私ってば、いつの間にか、彼の人差し指以外の指まで口に含んでいたのよ。痛みをまぎらわせるために、無我夢中でウィル様の指をしゃぶっていたみたい。それも。貪りつくようにね!?自分が今、なにをしていたか把握したら、口の中だけじゃなく、顔まで燃えるように熱を帯びたわ…。ウィル様は、恥ずかしがる私の手をとり、指を自身の口へ運んだ。氷をまとっていない私の指は、彼の体温を直に感じ、舌で指を舐め上げられると、体がゾクっと震えた。
「…うぃるさま??」
「どうぞ、思う存分舐めてください。僕も、好きに舐めるので。おあいこです。」
ウィル様は愛おしそうに目を細めると、私の指に口づけをし、宣言通りに舐めはじめた。舌を動かされると、体がピクピクと反応し、自然と私もウィル様の指を舐めたり、しゃぶったりした。
これまで娼館に商品を卸す関係で、娼婦から相手を興奮させる手管をいろいろと聞いた。閨指南を目的としたご夫人方とのお茶会でも、夫婦の営みについて耳にしてきた。だけど…。指を舐め合うだけで、こんなに理性が飛びそうになるなんて誰も言ってなかったわ!?
今まで、もっと淫らでいやらしい話を聞いても、なにも感じなかったのに…。話で聞くのと、実践は違うってことね。
お互いの指を咥え、目と目が合ったら、さっきまであった羞恥心なんて、どこかに消えていた。だって。彼の目を見たら、私と同じ気持ちでいるってわかるから。見つめ合っていた私たちは、どちらからともなく相手の口から指を抜き、唇を重ね合わせた。今度は、指の代わりに、互いの舌を求めるように絡めた━━。
『コンコン。』
ノックの音がして目を覚ますと、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。ドアの向こうから声をかけられ、寝ぼけながら返事をすると、朝の支度のためにメイドが部屋に入って来た。
眠い目をこすり、振り返ってウィル様へ声をかける。
「ウィル様…??朝ですわよ…。」
ウィル様も寝ぼけているみたいで、昨夜のように唇を重ねてきたの。メイドは気まずそうに下を向いた。
そして。
「また後ほど、伺います。失礼いたしました。」
いたたまれなくなったメイドは、慌てて部屋から出て行ったの。
きっと今見たことを、他の使用人に話すわよね?それで屋敷中に、私とウィル様が夜をともにしたって噂が広まるのよ。…これは。タウンハウスのときと、まったく同じ状況だわ。
「ウィル様、寝ぼけてます??…まさか。外堀を埋めようと、わざとしてるわけじゃないですわよね?」
私の問いかけに、ウィル様は黙って微笑んでいたわ。…笑ってごまかされた??
「タウンハウスへ伺ったときには、まだお返事をしていなかったので、外堀を埋めようとしたのはわかりますけど。お返事をした今も、外堀を埋めようとなさるのはなぜですの?」
「そうですね。『嫌じゃない』という返事ならいただきましたね。」
…言われてみればそうだわ。最初に、結婚して欲しいと言われたときは、突然のことに驚いて指輪のケースを閉じちゃったのよね。それで。タウンハウスでは、結婚するのは嫌かと聞かれたから、嫌じゃないって返事をしたの。
「返事のこと、気にしていたのなら言ってくださらないと。私、恋愛方面に関しては疎いのですからね?」
「いえ。はじめは、『嫌じゃない』って返事でも嬉しかったのですが。だんだん、欲が出てきてしまって…。」
私は、しゅんとしているウィル様の顔を両手で包み込むと、彼の目をまっすぐ見つめた。
「嫌じゃないから、結婚してもいいと妥協したわけではありません。ウィル様がいいんです。」
ウィル様は喜びに満ちた顔で、力いっぱい私を抱き締めた。それからまた、夢中で唇を重ね合ったの。時間が経つのも忘れてね。
しばらくして、メイドが戻って来たのだけれど。私は慌てて、ドアを開けないでと大きな声を出した。だって。今の私たちの格好は先程よりも乱れていて、あらわな姿をしているから、人に見せられる状態じゃなかったんだもの…。
「あぁ…。ここでもまた、一夜をともにしたって噂になるのね。」
「でも。一線は越えてませんからね。」
ウィル様は胸を張って、誇らしげだったわ。
ヴェルナー領に来て、3週間が過ぎた。
ウィル様は約束通り、私を魔物狩りへ連れて行ってくれたわ。
はじめは、森の入り口で狩っていたのだけれど、狩り過ぎちゃったみたいで、気づいたら魔物が見当たらなくなったの。それで。魔物を探しているうちに、どんどん森の奥へ入って行って、今では森の奥深くで狩りをしているわ。
この辺りには、中級から上級の魔物が生息していて、野生の動物とは比べものにならないほど強いのよ。でも私には、恐怖心も危機感もなかった。だってウィル様が、瞬殺するんだもの。魔物と対峙した瞬間、その魔物は氷漬けになっちゃうの。私の風の力なんて出る幕がないんだから。
私がしていることといえば、素材として使い道のない魔物の体から魔石を取り出したり、魔物の氷漬けを風で浮かせてアイテムボックスへ収納したり、珍しい薬草や花を採取することよ。
そうやって魔物を追い求め、たどり着いたのは大森林の中にある湖だった。
「リアが見たら、感動して悲鳴を上げるわね。」
うちの領地の湖とは、また違った趣きのある湖なの。たとえるなら。うちの湖が、きれいで美しい湖で、この大森林の湖は、神秘的で幻想的な湖だわ。
「壮大で大自然そのものですわね。湖の中から、神秘的ななにかが出てきそうです。」
「神秘的ななにか?ですか??」
「ええ。たとえば…。女神様とか?それから、精霊や妖精とか。リアならこの湖を見て、そんなこと言いそうだわ。」
「離れていても、フィリアさんのことばかりですね。では。エスター嬢なら、どんな神秘的なものを想像しますか?」
「うーん??そうですわね。私なら…。あ!フェンリルかしら!?ウィル様は氷の狼ですもの。」
「あぁ、なるほど。でも、氷狼に遭遇したことはありませんね。加護を持つ銀狼でさえ、見かけませんから。」
そんな他愛もない会話をしながら、私たちは森の中を歩いた。見上げても、てっぺんの見えない大樹。立派な幹周りの巨樹。離れていても水しぶきが届く、大きな滝。それから。池や堀に浮かぶロータス。
「ヴェルナー領では、力を入れてロータスを育てているのでしょうか?至るところで見かけますわね。」
「数年前まで、ロータスの可食部は主食に近かったんです。以前は魔物が蔓延っていたため、作物を育てる余裕なんてなくて。その点で、うちの領のロータスは勝手に増殖してくれるので、優秀な作物なんですよ。」
「確かに。ものすごい増殖力ですわよね。うちの湖の浅瀬は、ロータスで埋め尽くされていますもの。そういえば。ラザラスが、花の部分にも使い道があると言っていましたわ。」
「これまでは、この地の者にとって、食べることのできない花の部分に用はなかったんです。地下茎が育てばそれでよかったので。ですが今では、領民にも花を愛でる余裕ができました。」
「それはいいことですわね。私なんて最近、穫っても穫ってもロータスが増殖するので、もったいないと思いながらも、花の部分は処分する気でいたんですよ。」
「あのう、それなんですが…。」
ウィル様が首をひねっている。そういえば。ハンスのところでロータスの話をしたときにも、腑に落ちない顔をしていたわね。
「うちの領のロータスは、確かに人の手がなくても育ち、増殖力も強いですけど。穫っても穫っても、というほどではありませんよ??エスター嬢は、うちのロータスに異常な増殖力があると思っているようですが、なにかしらの力が働いているのは、アンダーソン領の湖の方なのではないですか?」
言われてみれば…。ヴェルナー領のロータスは、うちのロータスより小振りだわ。それに。池や堀も、ロータスで埋め尽くされてはいない。うちの湖ではロータスが、ぎゅうぎゅうとおしくらまんじゅうをしているのよね。
「ウィル様、ごめんなさい。帰ったら、きちんと調べてみますわ。」
「じつは。ひとつ、心当たりがありますよ。」
ウィル様は、意味ありげに笑みを浮かべた。
ウィル様は、魔物狩り以外の約束も守ってくれたわ。屋敷の保管庫で、魔石や素材を見せてくれたの。
「ウィル様…。これらの魔石は本来、保管庫ではなく宝物庫で厳重に管理するべきものばかりですわよ!?」
「それが。宝物庫には、魔物を弱体化させた功績として、国王陛下より賜った品々で埋め尽くされているので入り切らないのです。」
「恩賜の品々でいっぱいならば、仕方ないですわね…。それでも。保管の仕方は、もう少しきちんとした方がよろしいですわよ。このような木箱に、無造作にお入れになるなんて。収穫したじゃがいもでもあるまいし。」
「あははっ。じゃがいものようですか。」
保管庫には、木箱が重ねられ、いくつもの山ができている。その木箱ひとつひとつには、魔石がぎゅうぎゅうに入っていたの。素材もまた、棚や床に適当に置かれているのよ。
「もう!信じられませんわ。この保管庫の状態を、イーサンとネーサンが見たら、この宝の山に発狂して、この宝のずさんな管理に絶叫しそうだわ。」
「それなら。いつか、ふたりを呼んでここの管理をお願いしたいですね。」
「あのふたりなら、喜んで引き受けますわよ。なんなら、ここに住みついてしまいそうですわ。」
このときは、軽い気持ちで言ったのだけれど。この何気ない会話は、近い将来、実現することになるのよね。
こんな具合に、私はヴェルナー領での休暇を満喫している。
そしてお母様もまた、ここでの滞在を謳歌しているのだった。驚いたことに、辺境伯様と酒飲み友達になったみたいでね、ふたりでお酒を飲み比べるのが毎晩の楽しみなのだそうよ。だけど。お母様とお酒を飲んで、ほんとに楽しいのかしら?だって。あの人との会話なんて、弾まなそうだもの。
でもね。その疑問自体が、そもそも間違いだったのよ。辺境伯様とお母様は、お酒を楽しく飲んでなんていなかったのだから。ふたりにとっての"飲み比べ"は、味の違いを嗜むものなんかじゃなくて、飲み比べの勝負だったの!!どちらがより多くお酒を飲めるかを、毎晩のように競っているらしいわ。一杯の酒を酌み交わしていたのではなく、いっぱいの酒を飲み比べてたってわけなのよ!?
しかも。お酒を大量に消費しちゃったのに、なぜか執事や侍女長から感謝されてるのよね。これまで。酒豪の辺境伯様と張り合える相手がいなかったからって。辺境伯爵様は、酒をともにする相手にも、ご自分と同じ量のお酒を強要するのだそうよ。一晩二晩なら付き合えても、毎晩はムリだと、辺境伯邸のみんなは根を上げてしまったの。それで。辺境伯様は張り合いのない、つまらない夜を過ごされてきたのですって。
そしてある朝。空になった酒瓶の数々を目にした私は、開いた口が塞がらなかったわ。話には聞いていたけど、一晩でこれだけの量をふたりだけで飲み干したの!?ってね。辺境伯邸のみんなが、お酒に弱いわけじゃないのよ。辺境伯様とお母様が、強過ぎるんだわ。異常なまでにね!!これじゃあ、誰も一緒にお酒を飲みたがらないでしょうね。
それから…。お母様が積極的に、辺境伯様とお酒の飲み比べをしている理由は、スパイスパウダーを食べさせられたことを根に持っているからだったの。スパイスパウダーの仕返しとして、お酒で打ち負かしたいのですって。
これまでつくり上げてきた伯爵夫人の姿はどこにいったのかしらね。
そして。
前にウィル様の話に出てきた、仲人をしたがる夫人とお会いしたの。夫人は、ヴェルナー家は魔力量が多い家系だということや、辺境伯様もウィル様も食に無頓着なこと、私が歓迎されているわけを話してくれたわ。…聞いてもいないのに、ペラペラとね。その話の中には、私が気になっていて、でも、知りたくなかったことも含まれていたの。
まず。ウィル様が、ヴェルナー領内で結婚相手を見つけられなかったのは、結婚適齢期の女性には全員、婚約者がいたからだった。そんな状況になったのはたまたまではなく、やっぱり理由があったのよ。
原因は、ウィル様の持つ父親譲りの魔力の強さ。強い魔力は、体を重ねた相手へ大きな負担を強いてしまう。魔力酔いを起こしたり、相手の魔力が低ければ低いほど、命の危険が伴うことだってある。いくら次期辺境伯のウィル様のことを尊敬し、支えたいと思っていても、それはあくまで領民として。妻として支える自信は、みんななかったみたい。今のヴェルナー領には、ウィル様の魔力を受け止められる令嬢はいないそうだから。
負担をかける側、受け止める側、どちらか一方だけが犠牲になる関係なんてお互いにとってもよくない。そこでウィル様に、婚約者をヴェルナー領の外で見つけてもらおうという話になったのですって。
理由が理由だけに、ウィル様へは本当の理由を伏せて…。
私の魔力量を測定した夫人は、歓喜の声を上げていたわ。私に、ウィル様の魔力を受け止める力があることが証明されたから。これが、ヴェルナー領のみんなから私が歓迎されている理由よ。
安堵した夫人は、これまでどれほど大変だったかを語りはじめたの。
10年前。魔物が大量に増え、ヴェルナー家の騎士団が数年かけて討伐し、そこから日常生活を取り戻すまでに何年もかかったこと。戦いの度に騎士たちの魔力が昂ぶり、それを鎮める役目の娼婦たちが魔力を受け止め切れなくなり、たくさんの者が苦痛に耐えた。そしてその話を聞いた若い令嬢たちが、ウィル様を含めた魔力量の多い騎士たちとの婚約を回避しようと、夫人に仲人を頼みはじめたの。しかもタイミングが悪いことに、そんなときにウィル様の母親である、辺境伯夫人が亡くなったそうよ。辺境伯夫人が亡くなったのは、辺境伯様の強過ぎる魔力を受け止めきれなかったからではないかという憶測が広まったため、ウィル様の婚約者候補に名が上がるのを回避する動きに拍車がかかり、結婚適齢期の令嬢は、我先にと彼以外の令息と婚約を結んでいった。
そうやって、ただでさえ見つからなかったウィル様の婚約者選びはさらに難しくなってしまった。
それと。辺境伯様が後妻を迎えないのも、辺境伯夫人のことがあり、ウィル様以上に敬遠されているからだそうよ。
夫人の話を聞いてから、私は胸がもやもやして仕方なかった。漠然と抱いていたウィル様への疑念が、夫人の話を聞いて確かなものになってしまったから。ウィル様には、女性経験があるということ…。気にしたところで、なんの意味もないのは、わかっているのよ。だって。過去は変えられないのだから。むしろ、相手が娼婦だったことを安堵するべきだわ。向こうにしてみれば、それが仕事なんだし。…なんて。頭では、わかってるはずなのに。頑張って納得しようとしても、もやもやは消えるどころか増すばかりなの。
お母様のことを、お祖父様とお祖母様の愛の形を理解できない、憐れな人だと思っていたけど、私も同じだったみたい。そんな愛の形もあるんだと理解していても、自分に置き換えてみたら、共感なんてできなかったのよ。
過去に嫉妬してるなんてバカみたいだけど…。認めるしかないわ。私は嫉妬深くて、独占欲も強い、強欲な女だってことを。ウィル様はこの先、私以外の女性に好意を持って触れないと約束してくれた。それでも、"この先"だけじゃ満たされないの。私と出逢う前の話だろうと、相手が娼婦だろうと、イヤなものはイヤなのよ!!こんな理不尽なことを言ったら、ウィル様を困らせてしまうわよね。過去は変えられないとわかってるのに、彼の過去まで独占したいの。
はぁ…。私が恋愛に振り回されるだなんて、信じられないわ。
もやもやの原因のウィル様は、今晩も当たり前のように私のベッドに横になる。その余裕のある顔が、癪に障るのよ。私は、あなたのことでウジウジ悩んでいるのに。どうしようもなく、彼の余裕も理性もなくしてしまいたい。快楽に溺れ、顔を歪ませるところが見たくてたまらない。
ウィル様は、そんな私の八つ当たりを受け止めてくれる。
「ウィル様。今夜も、一線は越えないつもりですか??」
「式を挙げるまでは…、我慢します…。」
この3週間で、ウィル様の弱いところを把握し、今もそこを攻めている。けれど彼は、今夜も一線を越えようとしない。まわりからは、一線を越えていると思われているのだから、今更、結婚式まで我慢する必要もないと思うのだけど。
…ラザラスとリアには、婚前性交はダメだと言っておきながら、私って勝手よね。
「まぁ。ウィル様は、気が長いのですね…。」
「そんなことは、ありません…。明日にでも、式を挙げたいくらいですから。」
「では。なるべくはやく、式を挙げましょうね。さすがに、明日はムリですけど。私の結婚式はリアに任せると約束したので。」
余裕のなくなったウィル様は、黙って何度も頷いた。そんな彼の表情を見ていると、もっともっと私のことだけしか考えられないようにしたくて、彼の弱いところへ舌を這わせる。そうやって彼の全身を好き勝手に触れていて、彼の体が特殊なことに気づいたの。ウィル様の触覚は鋭敏ため、少し触れただけでも過敏に反応する。耳や首筋に息を吹きかけ、舌を這わせると快楽に身悶えているの。
だけど…。首筋に歯形をつけようと、がぶっとしたら、私の歯が折れそうになったのよ!?そう、ハンスの事務所のテーブルをへこませていた力、銀狼の加護が発動したの!銀狼の加護は、常に攻撃からウィル様の体を守っている。私が噛みついたのも、攻撃だと捉えられたのね。
これが、私の探究心に火をつけたのよ。なにをすれば加護が発動するのか、どこまでなら攻撃と捉えられないか、ウィル様の体を使っていろいろと試してみたの。はじめは、私が怪我をしないか心配していたけど、ウィル様は私の好きにさせてくれたわ。
…それでね。彼の体を調べていて、思い出したのよ。ウィル様があの日、私をかばって大怪我したことを━━。
ウィル様の治療をしたラザラスは、骨にひびが入っていたと言っていた。銀狼の加護が発動しても、それほどの怪我をしたのよ?
それなら。額縁が、私に当たっていたとしたら…。




