#26 共鳴
エスターとの話し合いを終え、伯爵様は、パトリック君を連れて伯爵邸へ帰られた。
馬車に乗ったパトリック君は、不安そうにこちらを見ているわ。それに気づいたエスターは、伯爵様へアドバイスをしたの。伯爵家での生活にパトリック君が馴染めなかったり、誰にも懐かなかったりして扱いに困ったときには、侯爵家を訪ねるようにって。パトリック君は、私にはいくらか心を開いてくれているようだから。
「もうね。ものすごく驚いちゃったわよ。あの無口なお父様が饒舌だなんて、信じられないでしょう!?」
元の状態に戻された応接室で、伯爵様とのやり取りを振り返り、エスターが驚きの声を上げている。普段は寡黙な伯爵様が、今日は饒舌だったみたい。
「パトリックはね、2歳になるそうよ。お父様が家へ寄りつかなくなった頃に生まれたのね。それで。母親は産後、よく熱を出すようになったのですって。覚えてる?お父様が、急に王都へ行くのをやめたことがあったじゃない?あのときも母親が高熱を出して、危険な状態だったらしいわ。」
「それって、私がエスターの家に泊まっていたときのことね。伯爵様の言動に怒った夫人…いえ、シルヴィア様が扇子を投げつけ、それがエスターの頬に当たって切れたのよね。」
「そうそう。その前の前の日には、ラザラスが泣きついてきたのよね。リアには、エミリオって名前の想い人がいるようだって。それで次の日にはリアが、ラザラスに想い人がいるみたいだって家を訪ねて来たのよ。」
私とラスは気まずそうに視線を合わせた。改めて思い返すと、私たちってお互いに負けず劣らずの思い込みの激しさよね…。
「でね。そのときは持ち直したらしいけど。それからも繰り返し熱を出し、徐々に起き上がることもできなくなったそうよ。自分の死期を悟った母親は、お父様にパトリックを託したの。この国から出して欲しいってね。」
「この国から出すことが願いなら…。伯爵様は、パトリック君のお母様の願いを叶えるつもりはないのね。」
「母親の実家は、何年も前から借金まみれでね。最近、とうとう没落したの。パトリックの存在を知ったら、金儲けの道具にしてしまうような人たちらしいわ。だから、絶対に隠さないといけないの。母親は、国を出たら安全だと考えたようだけど。それは得策じゃない。」
「あぁ。あの容姿は、目立つからな。」
ラスの言葉に、私とエスターは頷く。ウィルバート様は首を傾げているけれど。
「お父様は、亡くなったことを伝えるため、母親の実家を訪ねたそうなの。でも両親は、娘の死を嘆くどころか、『遺品に金目のものはないのか』と言ってきたらしいわ。それでお父様は、パトリックを確実に守るため目の届く場所に置くと決めたのよ。」
パトリック君を伯爵邸へ連れてきた、あの日。伯爵様はパトリック君をお屋敷に残し、彼のお母様のご両親に会いに行っていたの。素性を明かさずにね。けれど娘が亡くなったと聞いても、悲しむ素振りは見られなかったそうよ。それどころか。遺品に金目のものはないのかとか、途切れていた分の仕送りを隠してるのではないかと、詰め寄って来たのですって。彼らの態度を目の当たりにした伯爵様は、この家族からパトリック君を守ると決意した。
その代償に、シルヴィア様とは離縁することになったけれど…。
「パトリックの母親は、わかっていたのよ。家族が、自分のことを金づるとしか思っていないことを。だから。せめてパトリックのことだけは、守ってあげたかったんでしょうね。自分と同じ目に遭わないように。」
パトリック君のお母様が自分の死期を悟り、残された我が子を案じる想いや、幸せを願う想いが、姿見に映った未来の私の想いと重なる…。
ラスへエミリオを託した私と、伯爵様へパトリック君を託したお母様。
エミリオを想い手紙を残した私と、形見としてネックレスを残したお母様。
きっと。私がエミリオへ抱いた罪悪感を、パトリック君のお母様も抱いていたに違いないわ。
それから、たくさんの心残りも…。名前を呼ぶことも。成長を見守ることも。手を繋ぐことも。抱き締めることも。涙を拭うことも。ハグも。おやすみのキスも。愛してると言ってあげることもできないって…。
"もっと一緒にいたかった…。"
パトリック君のお母様の悲痛な声が聞こえてくるの。お会いしたことはないから、声なんて知らないのに…。おかしいわよね。
「パトリックの話になると、伯爵は饒舌になるってことか?」
私の魔力の乱れに気づいたラスが、話をそらしてくれた。
「それが違うのよ。これまで起こした魔力暴走についても、詳しく説明するよう言われたの。それも。私のことだけじゃなく、リアのやらかしたことも聞かれたわ。」
「…えっ?伯爵様が、私のしたことをお尋ねになったの??それでエスターは、なんて言ったの?」
「事実をありのまま伝えたわよ。リアが力の加減を間違えて、うちの湖をあふれさせたってね。」
「もう!エスターっ!?」
そんな馬鹿正直に答えることないじゃない!?
「大丈夫よ。ちゃ〜んと経緯を話しておいたから。」
私が、湖を水であふれさせた経緯。
あれは、10年以上も前のこと。アンダーソン伯爵領では珍しく、雪が少なかった年があったの。その夏、各地で水不足が問題になっていた。私は行ける範囲で、池や、川、井戸へ水を生成して回ったの。そして。干からびかけたあの湖を目にしたとき、ショックで我を忘れた私は、魔力が切れるまで水を生成し続けた。
「あの深刻な水不足を救ったのは、間違いなくリアの水の力よ。ただ。力の加減を間違えちゃって、湖岸から水があふれかえったのよね。湖畔に設置していたテーブルやデッキチェアー、パラソルが流れていったわ。水不足が一転して、氾濫するなんてね。」
「加減を間違えたわけじゃなく、魔力が暴走しちゃったから、力の加減ができなかったの!!」
笑っているエスターへ、私は恐る恐る尋ねた。
「ねぇ。伯爵様は、怒ってらした??」
「怒ってないわ。むしろ。虚弱体質なリアの体を心配をしていたわ。湖をあふれさせるほどの力を使って、大丈夫だったのかって。」
「私の心配??あの、伯爵様が!?」
それは、意外なことだった。これまで伯爵様は、エスターに対して、無関心だったから。だけど、娘の友人である私が虚弱体質だということを知っていて、心配までしてくれただなんて。もしかしたら…。無関心ではなかったのかしら。
「そう!あのお父様が、よ。私もリアも、魔力を放出すると体が軽くなるって説明したら安心していたわ。まぁ…。魔力を溜め込み過ぎるのも、魔力を暴走させるのも、どちらも体によくないんだけどね。」
「ふたりとも、なぜか魔力を適度に放出するのができないんだよな。ほどほどにって、何度言ったことか…。」
「ごめんね、ラス。湖のときは、大好きな景色の変わり果てた光景が、あまりにもショックだったの。熊やカバ、蜂の大群に遭遇したときは、ただただ混乱して、魔力暴走を起こしちゃったの。」
「だけどほら。魔力を放出したら、体が軽くなるって知れたからよかったわよね。定期的に魔力を放出すれば、体調を崩すこともなくなったし。」
「体調がよくなったのは、エスターだけだったじゃない。私の場合、魔力過多が改善されても、咳が出やすい体質は変わらなかったんだから!!」
私ほどではなかったけれど、昔はエスターも体調を崩しやすかった。その原因が、魔力過多によるものだとわかってからは、適度に魔力を放出することで元気になったの。エスター"は"ね。
「その咳だって、今はだいぶよくなってるだろ?これから先も、注意は必要だけどな。」
「今は、理解してるわ。魔力過多による体調不調が改善されても、咳が出やすい体質は、また別の問題だってこと。それを当時の私は納得できなくて、まわりに八つ当たりしていたのよね。それなのに。ラスとエスターは、こんな私のために茶葉の栽培や、養蜂をはじめてくれたでしょ??私の咳がよくなるようにって。」
未来の私は、ふたりがどれだけ私のために行動してくれていたかを最期まで知らなくて、体の弱い自分なんて役立たずだと卑屈になっていたの。
「確かに。あのときのリアのふてくされようは、すごかったわね。私だけ元気になっちゃったから、『エスターばっかりずるい!!』って唇をとがらせてたわ。」
「う…。本当に、ごめんね。私、自分のことしか考えてなくて…。」
「でもね。こいつは、ふてくされてるリアを見るのは久しぶりだって言って、喜んでいたわよ。あと、リアの機嫌を直すのは自分の役目だとも言っていたわね。」
「…ラスの感性は、独特なのよね。」
それからエスターは、伯爵様から、友人を大切にするよう言われたそうなの。だけど、友人を大切にしなきゃいけないのは私の方だと思ったわ。エスターは、こんな自己中心的な私と親友でいてくれているのだから。
パトリック君が伯爵家に慣れた頃を目処に、伯爵様とエスターは、パトリック君を伯爵家で育てることを国王陛下へご報告するため、王都へ行くそうよ。それまでは、エスターの情報力を使って、パトリック君の存在を徹底的に隠すよう頼まれたのですって。
娘に無関心だと思っていた伯爵様は、エスターの情報力をちゃんと把握していた。
伯爵様との会話の内容を私たちへ話し終えると。エスターは、父親である伯爵様と長い会話をする日が来るなんて思ってもみなかったと、改めて驚いているの。
そこへ。エスターの話が終わるのを、今か今かと待っていたウィルバート様が口を開いた。
「エスター嬢。天秤に指を置いてもらってもいいでしょうか?」
ウィルバート様は、私たちが"あげた"天秤をエスターの前へ置いた。本人には、借りているだけだと言われてしまうけれど。
彼の片手には、エスターからもらったばかりのカップが握られている。それは私とラスが、エスターから結婚祝いにもらったカップとおそろいのもの。ウィルバート様はお茶をしているとき、私とラス、エスターのカップが色違いだと気づいて、うらやましそうにしていたの。そこでエスターが、彼の分のカップを手配し、それが今日届いたのよ。ウィルバート様のカップのふちの色は、グレイッシュブルー。ウィルバート様はね、このカップをもらってどれくらい嬉しいかを、天秤を使って証明したいのですって。
じつはこのふたりは、数日前にもいろいろとはかっていたのよ。そのときは、エスターの方へ大きく傾いていたわ。シルヴィア様の投げた絵画から守ってもらったことと、転移石になりえる魔石つきのネックレスをもらっていたから。それで、今回は…。
「傾きが小さくなりましたね。だから言ったじゃないですか。僕にとっては、ただのカップじゃないと。」
「ほんとに、ただのカップですよ??値が張るものでもないですし…。」
「ものの価値は、値段で決まるわけではないですよね?先日、エスター嬢がこの天秤で比べた、うさぎのぬいぐるみとマンドレイクは、釣り合っていましたからね。」
そうなの。私があげたうさぎのぬいぐるみと、マンドレイクを比べたらつり合っていたのよ。今の彼女にとって、うさぎのぬいぐるみと同等の価値がマンドレイクにもあるみたいなの。
「付加価値がどうとかって得意気に話していたぬいぐるみと、草が同じ価値なんてな。」
「あんただって、リアからはじめてもらった草を大事にしてるくせに!!」
「俺のは、草は草でも四つ葉のクローバーだからな。気味の悪い草と一緒にするなよ。」
「気味の悪いってなによ!?リアからもらったものなら、どんなものだって愛着が湧くんだから!!」
このふたり、またはじまったわ。今は、私があげたクローバーとマンドレイクをお互いに、草、草って言い合っているの。
「フィリアさんがプレゼントすると、草でさえも価値がつくのですね。おそらく受け取ってもらえなかった僕の指輪より、価値があるんでしょうね…。」
「……!!」
エスターは、開いた口を両手で覆って隠している。草よりも価値のない指輪だと、自虐を口にするウィルバート様へ返す言葉もなく、いたたまれない様子だわ。
最近ウィルバート様は、エスターに対してちょこちょこ口撃を繰り出しているのよ。きっと、プロポーズをなかったことにされないためだわ。それとどうやら、エスターの反応をおもしろがっているようなの。本人はからかわれているなんて、これっぽっちも思ってないみたいだけれど。エスターはまだ、ウィルバート様のことを紳士だと思っているから。確かに、紳士的な方ではあるわよ?だけど少しずつ、素を見せてくれるようになっている。自虐的なことを言ってみたり。おそろいのカップを子どもみたいに欲しがったり。エスターを見つめるとき、口元が緩んでいたりね。
それに。実を言うと、私もね。エスターが翻弄されている姿を見るのが楽しくて仕方ないのよ。恋愛や結婚に対して冷めていた彼女の、こんな表情を見られる日が来るのを待ち望んでいたから。
数日後。
エスターはヴェルナー家の馬車に乗り、ウィルバート様とシルヴィア様とともに辺境伯領へ出発した。まずは王都にある、ヴェルナー家のタウンハウスへ向かうそうよ。
はじめは、これほど早く出発する予定ではなかったのだけれど…。
訪問が早まったことで、私とエスターが交わした、"出産するまでそばにいて"という約束は、"出産までには帰って来て"というものに結び直した。
本当は、エスターを送り出すことに迷いはあるのよ。未来が変わったと安心していいかわからないし、彼女と離れてしまったら、いざというとき助けられないから。
だけど今の私には、他人の心配をする余裕なんてなかったの。なぜなら、パトリック君のお母様の話を聞いて以降、ずっと夢見が悪いから。姿見で未来を見たあと、毎晩のようにエミリオの夢をみては泣いていた、あのときと同じ状況に陥っていた。
幼い我が子を残して逝った、パトリック君のお母様の想いに共鳴して、苦しさや悲しさで不安に駆られてしまうの。それがストレスとなって、お腹が張るのよ。
ラスからは、治癒の力を注いでもその場しのぎにしかならないと言われ、根本的な問題を解決するためパトリック君を家へ招待してはどうかと提案されたわ。パトリック君の笑顔が見られれば、この不安が解消されるかもしれないから。
ただ…。現在、我が家にはシルヴィア様が滞在しているため、パトリックを招待することはできないのよ。シルヴィア様にとって、パトリック君は自分の居場所を奪ったような存在だもの。ふたりを、会わせるわけにはいかないわ。
そんな私とラスのやり取りを耳にしたウィルバート様が、いろいろと言い訳を並べて、エスターとシルヴィア様のヴェルナー家への訪問を前倒ししてくださったの。シルヴィア様を我が家から連れ出すためにね。それから。エスターを守り、無事に連れ帰って来ると約束してくれたわ。
こうして。傍から見たら、ウィルバート様に急かされるかたちで、辺境伯領行きが決まったの。
シルヴィア様が我が家をあとにしたので、私はパトリック君をお茶へ誘う手紙を書くことにした。でも私が手紙を出すよりも先に、伯爵様から手紙が届いたの。それは、パトリック君を連れて家を訪ねるという先触れだったわ。
翌日。伯爵様がパトリック君と訪ねて来た。
パトリックは、伯爵家に馴染めていないみたい。困った伯爵様は、エスターの助言通り、私を頼ることにしたそうよ。
ふたりを応接室に通すと、パトリック君は、自ら私の隣を選んで座り、ぴったりとくっついてきたわ。私の逆隣には、ラスが寄り添ってくれている。
「伯爵様は、パトリック君をどのように育てるおつもりなのですか?」
私は不躾に問いかける。パトリック君の髪は今、髪色を変える魔道具を使い、茶色になっている。その髪をなでながら、もう一度伯爵様へ問う。
「この子の将来を、ちゃんと考えていますか?」
「この子は、平穏な人生を送れないかもしれないな。」
伯爵様の無責任な発言に声を荒らげてしまう。
「この子を伯爵家で育てると決めたは、伯爵様ではありませんか。エスターに丸投げするのは、やめてくださいね!?エスターには、エスターの人生があるのですから。パトリック君をどう育てるかは、連れて来た伯爵様が責任を持ってください。」
私が、伯爵様に対して怒りをあらわにしているから、ラスはエミリオを心配して私のお腹をさすっている。それを見たパトリック君がおもしろがって、ラスのまねをして私のお腹をなでたのよ。思わず、私もラスも笑っちゃったわ。そしたら、パトリック君もつられて笑い出したの。
「この子が、フィリア嬢に懐いているというのは本当なのだな。うちでは一切笑うことはなかったのだが…。」
先日は、言いたいことがまったく言えなかったから、今日こそは伯爵様へ意見しようと意気込んでいたのに…。パトリック君の笑顔にほだされちゃったわ。
「よし。よくやった、リッキー。」
ラスは、パトリック君のおかげで私の魔力の揺らぎが収まったと、彼を褒めている。それから…。
『これで、話し合いがブリザード化せずに済んだな。』
そう小さな声で言うと、私に代わり伯爵様へ向き合ったの。
「伯爵。もしかして、エスターならどんなことでも解決してくれると思っていますか?あいつは、たとえ解決策を思いついたとしても、ただでは力になってくれませんよ。」
「それは、金が必要ということか?」
「金では動かないでしょうね。今回の伯爵家の問題については、特に。協力を得たいのならば、あいつの心を動かさないと。あいつは、誠意や努力の姿勢も見せない者には力を貸しませんよ?"自分の人生には、自分が責任を持つ"が、モットーですから。なので、友人である俺たちに対しても極力口出ししてきません。」
「誠意や努力か…。いっそ、金の方がわかりやすくて簡単だったな。」
「確かにあいつは、金儲けが好きですけど。金は、すでに持ってますからね。」
「…あぁ、そうだな。我が伯爵領の主な収入源は、娘の事業によるものだからな。今や、それらは他領や王都にまで展開され、その数は、最早私が把握しきれないほどだ。一体、どれだけの事業を手がけているのか。その上、同時に情報という武器までも手に入れている。」
エスターは、伯爵様が自分に関心がないおかげで、自由にさせてもらえてると言っていた。でも。目の前の伯爵様の様子を見ていると、違和感を覚えるの。
「伯爵が、自らパトリックのことを説明しないのは、エスターが母親や伯爵家の使用人たちに説明していると思っているからですか?あいつは事情を知っていても、説明なんてしませんよ。先程も言ったように、自分の人生は自分が責任を負わなければという考え方なので。」
「ならば。うちの者たちは、この子について何も知らないということか…。」
「伯爵様は、ご自分のことをパトリック君になんと呼ばせるおつもりですか?お父様?それとも、ご主人様?伯爵様がなにも説明しないので、伯爵家のみんなは、この子にどう接すればいいか困っているのでは…?」
「パトリックを伯爵家の子として育てるのか、使用人として育てるのか。伯爵がはっきり示さなければ、使用人たちは、パトリックの扱い方がわからず戸惑うばかりですよ。」
「エスターは、伯爵家を出るつもりでいますから、代わりにパトリック君にあとを継がせるのですか?」
「我が家で育てるとは言ったが、家は娘に継がせるつもりでいた。」
伯爵様は家のことを、いずれはエスターに任せるつもりでいるのね。でも、彼女にその気はないのよ。
「残念ですが、伯爵。あいつは、家を継ぐ気なんてありませんよ。伯爵家を出て、自由に生きるつもりでいますからね。」
「先日、家を出ると言っていたのは本気だったのか…。これまでも、自由にさせてきたつもりだが…。」
「…いやまぁ。確かに、今も自由に生きてますけど。」
「伯爵様のは、自由ではなく、放置や無関心です。そしてエスターもまた、ご両親になんの期待もしていません。だから、伯爵家から与えられるのではなく、家も財産も自分で手に入れると言っていました。それは、結婚相手もです。」
「私とて、結婚相手は娘に決めさせてやろうと思っていた。あの娘の選んだ者なら間違いはないだろうと。しかし。その候補者たちが私と同年代か、それよりも上だとは…。なぜだ?よもや、年上が好みというわけではあるまい。」
「エスターはご両親の姿を見てきて、自分には普通の結婚も、子育てもムリだと言って諦めているのです。彼女は、根の部分では自分がご両親に似ていると思っていたようですから。」
ご両親に似ていると言われて嫌そうにするのは、エスター自身もそう感じているから。自分が、誰に対しても心を開かないご両親に似ていると…。
「私と夫人のせいで、あの娘の結婚観を歪ませてしまったのだな…。だとしたら。ヴェルナー辺境伯令息の求婚も、断わるだろうか。」
「いいえ。諦めるのには、まだはやいですわ。エスターが断ったとしても、ウィルバート様にはめげずに頑張るよう、背中を押しましたから。」
エスターの幸せは、彼女が決めること。それは、もちろんわかっているわよ。だけど。子どもを育てる自信がないっていうのは、エスターの思い込みだもの。確かに、小さいときの育児は大変だろうけど。その、小さい時期はあっという間に過ぎるのよ。そしたらあとは、エスターの得意とする育成だと思えばいいのよ。これまで、優秀な人材を見つけ、才能を開花させてきた彼女なら絶対に子どもを育てられるわ。
これは決して、"子ども同士もお友達になれたら素敵"という、打算的な気持ちで思ってるんじゃないわよ!?それはもちろん、うちのエミリオと、エスターの子どもが仲良しになったら嬉しいに決まっているけれど…。
「伯爵は、相手がウィルバート様ならいいのですか?これまで、エスターに届いた求婚状をことごとく無視してきましたよね。」
「それは、娘にはじめて求婚状を見せたとき、断りの手紙を書くのを面倒くさがったからだ。そこで、うちに求婚状を送らないよう周知したのだが。それでも届いたものは、無視することにしたのだ。送るなと言ってるのに、送ってくる方が悪い。」
「今。『伯爵はやっぱりエスターの親なんだな』って思いました。前に、あいつも同じようなことを言ってたんです。やっぱり似てますね。相手にどう思われようが、自分を曲げないところ。」
「そんなことはない。さすがに、王家は無視できなかったからな。」
…王家??王家からも求婚状が届いていたの!?
「求婚を断われば不敬に問われるだろうが、それを覚悟の上で国王陛下へ謁見したのだ。ところが陛下は、断られることはわかっていたと笑っておられた。第一王子、第二王子、どちらの王子もエスターを妃に望んでおられて、陛下も義理の娘にしたかったため、駄目元で求婚状を送ってきたのだそうだ。」
「陛下は、エスターの店の商品をご贔屓にしているそうですからね。本人のことも、気に入っているのでしょう。王子殿下方のお気持ちはわかりかねますけど…。」
「今、思い返してみれば、あの求婚状。ふたりの王子の内、どちらでも構わないから好きな方と婚約しないか、などとふざけた内容だった。断られるとわかっていた陛下は、エスターの結婚相手の条件を知っていたのかもしれないな…。もう数年前の話になるが、それ以降は音沙汰無がないから候補から外れたのだろう。」
だけど。王子様たちには、いまだに婚約者がいらっしゃらないのよね…。
「けどそれって、まずいのではないですか?もし、エスターがウィルバート様の求婚を受け入れた場合、王家からひんしゅくを買ってしまうのではありませんか?」
「まぁ。相手がヴェルナー家の者ならば、問題ないだろう。…あぁ、そうか。ふたりは、エスターから辺境伯について聞いていないのか。友人だからといって、なんでも情報を共有するわけではないのだな。では、我が伯爵家については聞いているだろうか?」
私とラスは、顔を見合わせた。
「ある程度は…。」
ラスが答えると、伯爵様は大きく息を吐いた。
「そうか…。家の事情を知った上で、娘と友人でいてくれるのだな。そういえば。この子に対しても、偏見がないようだ。だから、この子もこうして懐いているのだろうな。」
ほっとした表情の伯爵様は、肩の力が抜けたように見える。
「ですが伯爵。世の中、偏見を持つ者の方が多いではありませんか。特に婚外子は、『私生児』と呼ばれ、蔑まれる対象ですから。」
「…そんなことは言われずとも、よくわかっている。」
伯爵様がまた、張り詰めた表情に戻った。
私は、思わずパトリック君の手を強めに握ったわ。この子が、人々から蔑まれるのを想像するだけで、いたたまれないもの。
「それとこの先も、魔道具を手放せませんね。赤髪は、魔力量が多いことを象徴していますから。知られたら、パトリックを利用しようと企む者も出てくるでしょうね。」
「そのことも、わかっている。だからエスターと話し合い、こうして魔道具で髪色を変えることにしたのだ。エスターが送って寄越した魔道具は、形見のネックレスのチェーンに通せるようになっている。動力には、この子の魔力を使う仕組みらしい。」
「それなら魔力暴走を防ぐことができますね。」
「ああ。こんな魔道具をすぐに用意するなんて、余程術師たちの腕がいいのだろうな。まったく、どこで探して来るんだか。」
伯爵様も情報通なようだけれど、身内のことなのに意外と知らないのね。
これは、イーサンさんとネイサンさんがつくった魔道具なの。私とエスターも、魔力暴走を防ぐために定期的に魔石に魔力を吸収させている。それを、常に吸収するよう改良されたのが、パトリック君がつけている魔道具なのよ。それでも感情の昂ぶりが抑えられないときには、魔力暴走を起こしてしまうのだけれど。
「あっ!?忘れてた。あいつから、イーサンとネーサンの様子を見てくれって頼まれてたんだ。放っとくと、ぶっ倒れるまで魔石や魔道具をいじってるからって。」
エスターが、イーサンさんとネーサンさんと最後に連絡をとったのは、パトリック君が使っている魔道具を取り寄せたとき。やだ…。あれから何日過ぎたかしら…?確か。ふたりは今、エスターから転移石の作成を頼まれているのよね。大丈夫かしら…?あのふたりは夢中になると、寝食を忘れて没頭しちゃうのよ。
伯爵様とパトリック君に、いつでも歓迎するので、また来て欲しいと伝え、二人の乗る馬車を見送った。
そして。ラスは、すぐさま馬に跨がり、慌ただしくイーサンさんとネーサンさんのもとへ向かったわ。見送る私へ大きな声で、『すぐ戻るから安静にしてるんだぞ』って念を押してね。
それから。パトリック君は毎週、家へ遊びに来るようになったの。毎回伯爵様が付き添うわけではないけれど、誰と一緒に来てもにこにこしていたわ。そんな彼の笑顔を見ていると、心が安らぐのよ。
それと。すぐ戻ると言って出かけたラスはね、ものすごくふてくされて戻って来たのよ。
これは…。エスターが帰って来たら、また言い合いになってしまうわね。
第1章 フィリア✕ラザラス 最終話




