#10 エスターの信条
「あぁ、暑い。喉、渇いちゃったわ。」
「ひとりで騒いでるからだろ。」
エスターは、冷めた紅茶を飲み干すと、また顔の前で両手を組んだ。会議ごっこは続行するみたいね。
「ところで。今さら聞くのもあれだけど。"仕方ない"の誤解は解けたのよね?」
「リアの態度を見たら一目瞭然だろ?誤解が解けたって。」
"仕方ない"の誤解は解けたけれど、真意を理解出来てない私は、目を泳がせてしまう。
「リア、本当に誤解は解けたの?ラザラスの話を、心の底から納得出来てるって言える??」
「心の底からは…。」
「リアっ!?」
すっかり誤解が解けたと思っていたラスは、私が納得していないと知って、目を見開いた。
「あんた、8年前なんて言ったのよ?そのときの状況、詳しく教えてくれる?」
「俺とリアが手を繋いでたら、例のあいつらが絡んできたんだ。ただのやっかみだよ。3人ともリアに好意を寄せていたからな。それで諦めさせようと思って、俺とリアの婚約は生まれたときから親に決められてるんだから、仕方ないだろって言ってやったんだ。」
「つまり、仕方ないっていうのは、彼らの不毛な好意のことだったのね。リアはね。その、『仕方ない』って言葉を、あんたがリアとの婚約を不本意だと思ってるって捉えたのよ。」
「俺が、リアとの婚約を不本意だなんて思うわけないだろ!?」
「付き合いが長いのに、あんたはリアのことわかってないのね。リアは、自分が思ったことをそのまま伝えるタイプだから、相手の言葉の裏を読むのが苦手じゃない?それでいて。ものすっご〜く、頑固なんだから。」
え…?私、そんなに頑固だと思われていたの??わがままなのは、自覚しているけれど。
「リアは8年もの間、ラザラスが言った、『仕方ない』って言葉にずっと囚われて、根に持っていたの。それで、あんたの一挙手一投足に、"どうせ仕方ないって思ってるくせに!!"ってふてくされてたのよ。」
確かに私…、ふてくされていたわ。ラスのすることなすことひとつひとつに、仕方なくしてるんだって不満を持っていたの。
「あんたが、リアのことしか目に入ってないってことは同年代の間では周知の事実だけどね。リア本人には、伝わってなかったのよ。」
「なんでなんだ??俺は、リアを大切にしてきたつもりだったのに。」
「たとえば。あんたが、リアに100回優しくしたとしても、たった1回の些細な解釈のズレがリアを深く傷つけて、頑なにしてしまうこともあるのよ。だってリアは、頑固な上に根に持つタイプだからね。」
「ごめんね、ラス。確かに、私。『仕方ない』って言われたこと、8年も根に持っていたわ。だけど…。ラスだって、お茶会でしゃべらなかったじゃない!?」
沈黙の茶会の話をしたら、エスターが顔を覆って笑い出した。
「あのね。ラザラスが、しゃべらなかったのは、リアの好きなタイプをうちの父みたいな、寡黙な人だと思っていたからなのよ。はじめてリアたちに会ったとき、うちの父を見て、リアが『かっこいい』って言ったのを、ラザラスは聞いていたの。」
エスターのご両親を見て、王様と女王様みたいだと見惚れたけれど…。
「ねぇ、ラス。伯爵様は、私のタイプじゃないわよ。エスターには悪いけれど、伯爵夫妻みたいな仮面夫婦にはなりたくないもの。」
「あなたたちの関係がこんなにこじれたのは、ふたりとも、思い込みが激しかったからよ。リアは、ラザラスが自分との結婚を仕方ないって考えていると思い込んで。ラザラスは、リアのタイプを寡黙な人だと思い込んでいたの。」
「ラスは本当に、伯爵様のまねをしていたの?」
「もう、聞かないでくれ…。」
ラスに問いかけると、頭を抱えてうつむいてしまった。
(私たち、8年もなにをしてたのかしら…?)
落ち込む私とラスとは対象的に、エスターはお腹を抱えて笑っている。唇をとがらせ、ジトっとした目で見ていると、『誤解が解けたのだからいいでしょう?』と言って、私たちのこじれた8年を笑い飛ばした。
それから。私とラスを見てきて感じていた、もどかしさを話しはじめた。
『仕方ない』と言われた話を私から聞いたエスターは、明らかに誤解だと思ったみたい。ラスが、私のことをぞんざいに扱うはずがないと確信していたから。それなのに。私とラスの関係はすれ違い、こじれていった。その様子を近くで見ていたエスターはなんとかしたいという思いを抑えて、出来るだけ口出しするのを我慢していた。それは私とラスが、自分たちの力で乗り越えなければいけないことだからと、8年も見守ってくれていたの。
私が笑顔を取り繕うようになったことに気づいても、ラスがなにも言ってこなかったのは、その冷たい笑顔に、私に近づく悪い虫??が減ったから。それがラスが言っていた、自分にとって都合がよかったことだった。そんなラスに、エスターは、誤解を早めに解いた方がいいと言ってきたそうなの。だけど。三人でいるときは、私が普通に笑っていたから、ラスは深刻に捉えなかった。
エスターは、『婚約者という立場にあぐらをかいていたのよ!』とあきれているわ。
そして、時が経つにつれ。口では、伯爵夫妻のような関係にはなりたくないと言っているのに、私とラスの関係がどんどん自分の両親に似ていくことに、エスターは不安を覚えた。自分の両親が悪影響を与えていると罪悪感を抱くほどに。
思い返せば。エスターから、私とラスは伯爵夫妻とは違って、お互いを大切に想ってる。そう何度も言われてきたのに、私はそれを頑なに否定してきたの。
私とラスの仲がこんなにもこじれたのは、私たちが、エスターのアドバイスを素直に聞かなかったせいだわ。
「ごめんね。エスターの話を、素直に聞けなくて…。」
「俺も、悪かった…。」
「いいのよ。最後には、こうなるとわかっていたから。」
私たちが謝ると、エスターは、また笑った。
話が一区切りついたところで、私は疑問を口にした。
「ねぇ。じつは私、さっきから気になってることが、あるのだけれど。ラスが、私を想っているのは周知の事実とか。私に近づく悪い虫とか。」
「言葉の通りよ。ラザラスが、リアを溺愛していることなんて同年代の誰もが知ってるもの。それでも、リアに想いを寄せる令息も何人かいてね。私とこいつは、例の彼らのことを、『悪い虫』って呼んでいたのよ。」
みんなの目には、私がラスに溺愛されているように見えていたの?…私、溺愛されていたの??
それと、令息たちからの好意にも心当たりがないわ…。
「リアは、あんな奴らのことなんか気にすることないんだ。顔を合わせても、微笑まなくていいからな!?」
「リアのことになると、嫉妬深くて、心が狭くて、余裕がないのが本当のラザラスの姿なのよ。ねぇ、リア?これでもまだ、ラザラスには他に好きな人がいるって思える??」
問いかけられ、ラスへ視線を向ける。青い瞳から、"想っているのはリアだけだ"と、強い気持ちが伝わってきた。
「いいえ、思わないわ。」
エスターに向き直ると、私ははっきり答えた。
「リア、確認させて。あなた、ラザラスと結婚するの?」
「待ってくれ、リア。」
私が答えるのを止めたラスは、私の肩を掴むと、まっすぐに見つめてきた。
「俺の勝手都合で誤解を解かず、ずっとリアを傷つけてきて、ごめんな。これからは、お互いに言いたいことはちゃんと言い合おう。」
「うん…。私も、意地張ってごめんね。」
「俺が想うのは、これまでも、これからもリアだけだって誓う。だから。リア、俺と結婚してくれるか?」
「…うん。こんな、わがままで頑固な私だけど、よろしくね。いつも、隣にいて助けくれるラスには、感謝してるの。ありがとう。これからは、私もラスを支えるからね。」
抱き締め合う私たちを見て、自分の存在を忘れないでとエスターが咳払いをする。
「なら、いいのね。私、ふたりの結婚式の準備をこのまま進めるわよ?」
ラスと目を合わせ、ふたりでエスターへ頭を下げる。
「よろしくね。エスター。」
「よろしくな。エスター。」
「ええ、任せて。絶対に、いい式にしてみせるわね。」
そう言って笑うエスターの顔を見たら、また泣きそうになった…。
「リアが、婚約を解消すると言い出したときは驚いちゃったけど、ラザラスの要望に応えて進めてきた準備がムダにならずにすんで、ホントよかったわ。」
「ラスの要望?じゃー、ラスはどんな式場か知ってるの??ずるい!私も知りたい!!」
「驚かせたいから当日まで秘密にするよう、ラザラスに言われているの。依頼主の要望は絶対だから、リアにも教えられないわ。お金を出すのは、エヴァンス侯爵家だからね。」
エスターが、親指と人差し指でまるをつくってウインクしている。
「おまえ…、伯爵令嬢とは思えない仕草だな。ほんとよく、社交の場でボロを出さずに、お淑やかな令嬢を演じられるよな。」
「お褒めいただきありがとう。」
「褒めてないけどな。そうだ。結婚式が終わって、余裕があったら、次の事業は子供服なんてどうだ?」
「子供服ね。それってどうせ、エミリオのためなんでしょ??ふたりとも気が早いわね。数日前に、婚約を解消するって言っていたのが嘘みたいだわ。」
「エミリオの服!?エスター、かわいいのつくってね!あっ、そうそう。エミリオはね、ラスに似てるのよ。」
「つくるのは私じゃなくて、職人だけどね。でも。ラザラスに似てるって聞いたら、なんだかやる気が半減しちやったわ。どうせなら、リアに似た子どもの服をつくりたいわね。」
「俺も、リアに似た子どもがいいなぁ。」
エミリオの服を考えて欲しいのに、ふたりとも、私に似た子どもの想像をしている。
「ところで。ふたりとも、自分たちの子どもを、エミリオって名前も決めて、ラザラスに似ているって想像しているようだけど、女の子だったらどうするのよ?」
「どうするもこうするもないだろ。ただ、名前をエミリオからエミリアにするだけだ。」
「でしょうね!!ラザラスなら、名前に"リア"ってつけると思ったわ。ね?リア、言った通りでしょ??」
ラスなら、子どもに"リア"のつく名前をつけそうだと、エスターは言っていた。その予想が、見事に的中したから、エスターも私も、おかしくて笑いが止まらなくなってしまった。
「なんだよ、ふたりして笑って。まぁ、いいけど。とりあえず。"一人目"のエミリオは、俺に似ていて、瞳の色は俺とリアの色が混ざった淡い青色だから。似合う服を頼むな。」
「わぁ、楽しみ。エスター、よろしくね。」
私たちの親バカぶりを見たエスターは、『まだお腹にもいないじゃない』とあきれながらも笑っていた。
でもね。笑顔の裏で、私の心は穏やかじゃなかった。ラスが自然に『一人目』と言うから、二人目を確信するその言葉に、二人目を想像したの。私…、二人目も産めるかしら…?産みたいな…。だって、エミリオにきょうだいをつくってあげたいもの。そう思ったら、涙を我慢できなくなって…。エスターに、泣いているのが知られないように、ラスにしがみついたの。
困ったときラスに頼る癖は直らないわね。ラスだって、強いわけじゃないのに。二人目をほのめかす発言からは、私の未来を変えるという決意が伝わってきた。エスターに、エミリオの服を頼んだのも同じことよ。姿見に映った未来では、エスターは、エミリオに会えなかったのだから…。
ラスは、あえて言葉にすることで、あの未来を拒んでいるんだわ。
エスターの傷をラスが治してくれたため、私たちは明日、王都へ向かうことにした。
事業の状況を自分の目で確認したいエスターは、傷が治った途端、王都へ行くと言い出したのよね。
メイドと一緒に準備に追われ、ラスから贈られたドレスも、物置から回収したわ。それから。これまで放置してきた、ラスからもらった誕生日プレゼントたちも箱から出した。
その夜。一緒にベッドに入ったエスターから、結婚式までは、ラスと一緒に寝るのはダメだと言い聞かせられた。
それからエスターは、私とラスのすれ違いに関してまだまだ話し足りなかったようで…。8年間溜め込んでいた思いを、堰を切ったように話し出した。
最初に、私とラスの関係がこじれていくのを止めなかったことを謝られた。おせっかいを焼いていれば、止められたかもしれないって。でもエスターが口出ししなかったのは、お互いに親に決められた結婚に不満を持ち、冷え切った関係の両親を見てきたからだってわかってる。私とラスには、誰かに促されたり、誘導されたりせず、自分たちが納得する結婚をして欲しかったのよね。
エスターの信条は、"自分の人生は自分で決める"だから。
次の話題は、ラスがものすごく嫉妬深いという話。ラスは昔から、私に近づいてくる異性に対して、牽制や威嚇をしていたらしいの。一方の私は、ラスの行動にも、異性の好意にも気づかない鈍感っぷり。
"みんな仲良し。みんなお友達。"
そんな、お花畑思考なところが、私のいいところなのだとエスターは言う。
(これって、褒められてるのかしら?)
私とラスの関係がこじれているのに気づき、ラスを押し退け、私の婚約者の座を狙おうとした令息もいたみたい。たいていの令息は、私の冷たい態度に玉砕し諦めたけれど、中にはめげない人もいて、そんな令息を、ラスとエスターで追い払っていたのですって。
「追い払ったって、どうやって??」
「うふふ。もちろん、話し合いでよ?」
エスターの笑顔を見て、ただの話し合いじゃないことを察したわ。
「でも、気持ちはわかるわ。長男じゃない令息にとっては、うちの婿になれば侯爵の爵位を継げるもの。あの頃の私は、ラスのことで八つ当たりしてひどい態度をとっていたのに、それでも侯爵位が欲しい人もいたのね。」
「爵位…。リアは、変わらないわね。」
エスターは、言いかけた言葉を飲み込んだ。
「ちなみに令嬢たちには、あなたの豹変ぶりも、ラザラスの牽制のひとつだと思われていたのよ。あいつの指示で、悪い虫がつかないよう冷たい態度をとらされてるってね。みんな、リアのこと同情と羨望の目で見ていたわ。」
令嬢たちは、ラスの嫉妬深さにあきれてはいるものの、そんなにも想われている私が羨ましくもあるのだそうよ。エスターから、ラスは人気があると聞いていたけれど、私の思っていた人気とは意味合いが違ったみたい。人気の理由は、ラスの容姿や優しさではなく、婚約者に近づく令息を牽制し、婚約者にだけ優しい。そんな、婚約者への想いを隠そうとしないラスの態度が"一途"だと人気みたい。
…つまり。私を一途に想っているラスの姿が、いいと思われているってこと?
「まぁ。あいつの想いは、一途と執着が紙一重だけどね。」
エスターはそう言うと、また、あれこれと話し続けた。
8年ものわだかまりが、本当に解けたのか。ラスが私を溺愛していることを誰もが知っているのに、本当に気づいてなかったのか。8年前、私が王都で体調を崩したとき、ラスが兄のルーカス様に嫉妬したことは知ってるか。社交の場でみせる私の微笑みが、エスターのお母様が社交の場でみせる笑みとそっくりだけど、意識して似せているのか、とか。
それから。ラスが、治癒の力を強くするためにムリをして何度も倒れたことや。咳が出ないよう、私のまわりの空気の状態を一定に保つための結界を身につけたこと。ラスとエスターで、咳を止める方法を調べたこと。その得た知識で、茶葉や薬草を取り寄せて育て、咳止めのキャンディをつくったり。寒い場所にも行けるように、体温を保ったり、周囲を暖めたりする魔道具を考えたり。
「ふたりで、いろんなことしてくれていたのね。私のために、ありがとう。」
「違うわよ。全部、私とラザラスが自分のためにしたことなのよ。私たちはね、どこへ行くにも、リアと一緒がいいの。」
「ふふっ。それでも。やっぱり、ありがとう。ふたりのおかげで、いろんなところへ行けるようになったわ。」
「これからも、一緒にいろんなところへ行きましょうね。」
「ええ、絶対…。約束よ…。」
泣くのをこらえて、笑みを浮かべたけれど。エスターは、取り繕った笑顔を見抜くから。気づかれないように枕に顔を埋めた。
「ねぇ。これで、わかった?ラザラスがどれだけリアを想ってるか。あいつが浮気だなんて、絶対にありえないんだから。」
「うん。ラスの想いは、わかったわ。それから。ラスの想いと同じくらい、エスターが私を想ってくれてることもね。」
枕から顔をずらし、ちらっとエスターの顔を見ようとしたら。
「私のリアへの想いが伝わったのなら、もう、ラザラスのことはどうでもいいわ!」
急に、エスターが覆いかぶさってきて、私は悲鳴を上げる。
「きゃー!ちょっと、エスター!?」
「相変わらず、脇が弱いのね。」
「もう!昨夜、ラスにも同じことされたわ。」
それを聞いたエスターが、ものすごく嫌そうな顔をしていた。
これを言ったら怒られそうだから、口には出さないけれど。ラスとエスターって似てるのね。




