#1 不仲な婚約者との関係は、結婚後も不仲のままらしい
結婚式を半年後に控えたある日。
私、フィリア・ロックハートは、窓の外を眺め、深いため息をついた。もうすぐ、婚約者のラザラス・エヴァンスが我が家へやって来るからだ。
今日は、ラスとのお茶会の日。お茶会を思い浮かべ、気分が沈んでしまう。だってどうせ、今回のお茶会でも会話はないだろうから…。
友人のエスターはおもしろがって、会話のない私たちのお茶会を『沈黙の茶会』と呼んでいる。親友だからって、失礼しちゃうわ。だけど、実際そうなのだから、言い返す言葉もないのだけれど。
もうすぐ結婚するのに、私とラスの関係は仲が深まるどころか不仲で、距離が開く一方だった。
「フィリアお嬢様。本日は、こちらのドレスはいかがでしょうか?」
人の気も知らないで、メイドが微笑みかけてくる。メイドの笑顔とドレスを見比べ、また、ため息をつきたい気分になった。そんな気合いの入ったドレスなんて、私は絶対に着ないんだから。交流のための、ただの定期的なお茶会に、気合いを入れ過ぎよ。張り切っているメイドには悪いけれど、私には『婚約者に少しでもきれいな姿を見せたい』なんて気持ちは、これっぽっちもないの。無難な装いでいいのよ。それに、こんな気合いの入ったドレスを着ていたら、ラスだって変に思うはずだわ。容姿を気にするのも、着飾ざるのも、私たちには意味はない。互いの容姿が好みだろうとなかろうと。仲がよかろうが不仲だろうが。ラスと私の結婚は決定事項なのだから。
「せっかく選んでくれたのに悪いんだけど、衣装は自分で決めさせて。」
「そうですよね。やっぱり、婚約者様に見せる衣装は、ご自身でお選びになりたいですよね。」
(もう!そんなんじゃないのに。)
ニヤニヤ笑っているメイドを放って、唇を尖らせながらドレスルームへ向かう。たくさんの衣装の中から、派手過ぎず地味過ぎない服を探していると、ふと鏡に映った自分と目が合った。
(あらっ??ここに、姿見なんて置いてあったかしら?)
そこには、見覚えのない全身鏡が置かれていた。昨日、ドレスルームに入ったときにはなかったはず…。一体、いつの間に運ばれたのかしら。不思議に思って、じーっと鏡を見つめていると━━━。
(…あれ??私、ベッドにいる?)
気づいたら、ベッドに横になっているようだった。しかも、なぜか全身が鉛のように重く、まぶたさえ持ち上げられない。まるで、見えない力でベッドに押し付けられているみたいで、起き上がることが出来ない。
なんとか目を開けると、見知った我が家の天上が見えた。ただ。確かに、我がロックハート侯爵邸の一室ではあるけれど、ここは私の部屋ではない。なぜ自室ではなく、この部屋で寝ているのだろう…?いえ、それよりも。この動かない体は、どうなってしまったの??
視線を天上から枕元へ移すと、小さな男の子が、私の手を握り締めていた。
あら、この子?ラスの子どもの頃にそっくりだわ。あぁ。もしかして私、子どもの頃の夢を見ているのかしら。あの頃は、まだ、ラスと仲がよかったのよね…。
「…っ!?かあさま!」
(かあさま??)
ラスに似た男の子は、私を『かあさま』と呼び、ほっとした表情を浮かべた。よく見たら、瞳の色がラスとは違っていて、淡い青色をしている。ラスのは、海みたいに深い青色だから。
「あぁ、よかった…。ぼく、こわかったんだ…。かあさまが、このまま、めをさまさなかったら、どうしようって…。」
「…エミリオ。」
私の口が勝手に動き、知らないはずの、この子の名前を呼んだ。『エミリオ』と、名前を口にした途端、愛おしくて、涙があふれ出した。
「エミリオ…。ごめんね…。」
「かあさまっ…。」
私は、自分の死期を悟る。もう、我が子を抱き締めてあげる力もない…。泣いている我が子の涙を、拭ってあげることも出来ない…。もっとたくさん、愛してると言ってあげたかった。もっといっぱい、楽しい思い出を残してあげたかった。こんな、ベッドに横になってばかりの姿じゃなくて。遊んであげることも、一緒に出かけることも出来なかった。ごめんね…。まだ幼いエミリオを残して逝く、母さまを許して…。
「大好きよ…。私の、かわいいエミリオ…。」
「かあさまっ!!ぼくもだいすきだよ!」
私とエミリオの他にも、すすり泣く声が聞こえる。見回す力がなくて、確認は出来ないけれど、部屋には、私とラスの両親たちや使用人も集まっているようだった。
だけど、ラスの声は聞こえない…。もう、1ヶ月近く会っていない気がする。きっと、他の女の人のところにでもいるのね…。
「あっ!とうさまのうまのこえだ!とうさまがかえってきた!」
そう言うと、エミリオは部屋を出て行ってしまった。
その背中を見つめ、『行かないで』と、心の中で叫んだ…。残された時間、少しでもエミリオと一緒にいたかったから。
エミリオはラスに抱き抱えられ、部屋へ戻って来た。私は、久しぶりに顔を合わせたラスに対して、自分でも驚く程冷めた態度をとった。
「…私が死んだか、確かめに帰ってきたの?」
「縁起でもないこと言うなよ!!」
ラスが悲しそうな表情をしているけど、私にはもう、ラスの気持ちを思いやってあげる余裕はなかった。
「ねぇ、ラス…。この先、再婚して、新しい家族ができても…。リオのこと…、ちゃんと愛してあげてね…。」
「やめろよ!そんな笑えない冗談。再婚なんてしない。俺の妻はリアだけだ。」
(嘘つき…。もう他にいい人がいるんじゃないの?)
そう口をつきそうになったけれど、その言葉をぐっと飲み込んだ。
「冗談じゃないのよ…。」
ラスは、ふたりきりで話がしたいと言って、人払いをした。
「ラス…。1番上の、引き出しを、開けてみて…。」
自分に残された時間がわずかだと悟ってから、未来のエミリオに宛て、何通も手紙を書き溜めていた。
「…毎年、エミリオの誕生日に、この手紙を、あの子に、渡してくれる??」
「リア…。」
「…ラスにもね、プレゼントがあるの。封筒を、開けてみて。」
封筒の中身を確認したラスの顔が、悲痛に歪む。
「プレゼントって…。まさか、この離婚証明書のことじゃないよなっ!?」
私が頷くと、ラスは離婚証明書をビリビリと破ってしまった。
「…リア、気づいてるか?リアが自発的に何かをくれたの、これがはじめてだって。」
そんなことない…。誕生日には、毎年プレゼントを贈っていたもの。もう10年以上も、誕生日のプレゼント交換は続いている。声を出す力がない私は、ラスに目で訴えかける。
「リアは、俺より2ヶ月早く生まれたよな。だから、リアの方が先に誕生日がくる。俺へのプレゼントは、ただのお返しだったんだろ??俺が先に、リアへ誕生日プレゼントを贈るから。もし、俺の方が誕生日が早かったら、リアはプレゼントをくれたか?」
…ラスの言葉に、はっとする。私が、ラスへプレゼントを贈っていたのは、もらった分、そのお返しをしているだけだったかもしれない。はっきり言って、義務みたいなものだわ。思い返せば、ラスへのプレゼントは彼の好みも考えず、実用的な物ばかりで、誕生日の手紙も毎年同じ内容だった。いえ…。誕生日を祝うメッセージだけ書いたあれを、手紙とは呼べないわね。宛名を変えれば、誰にでも送れる内容だったもの…。
「ほらな…。リアの方から、俺に何かを贈りたいと思ったことなんて、なかっただろ??」
悲しそうなラスの顔を見て、私にも原因があるのだと思い知った。私たちの冷え切った関係は、ラスだけが悪いんじゃない。だけど…。気づくのが遅過ぎたわね。ラスとの関係をやり直す時間は、もう残っていないから…。
「…リオに、会い…たい。」
それを聞いたラスが、大声でエミリオを呼んだ。
「かあさま!?」
「リ…オ…。」
駆け寄って来たエミリオに向かって、声を絞り出して呼んだ。これが、私の最期の言葉になった。
私の名前を呼ぶ声や、泣き声が聞こえる。ラスとエミリオ、お父様、お母様。お義父様とお義母様。それから、使用人たち。みんなの声を聞きながら、私は静かにまぶたを閉じた━━━━。
我に返った私は、姿見の前に座り込み、ぼろぼろと涙を流し、過呼吸を起こしていた。
「はっ、はっ、はっ、はぁっ……。」
上手く息がでず、苦しくて、胸を押さえる。そして、静かにゆっくりと息を吐いた。それから、吸って吐くを繰り返し、呼吸を落ち着かせた。
「お嬢様?」
いつまで経ってもドレスルームから出てこない私に、メイドが声をかける。
「…今、出るわ。」
慌てて涙を拭い、適当に目についた衣装を手に取り、ドレスルームをあとにした。
メイドに身支度をしてもらっている間、先程の出来事について考えていた。
姿見に映った、あれは…。未来に起こる現実?それとも…。ただの夢だったのかしら?でも。夢にしては、あまりにも現実感があったわ…。あの、ベッドに押し付けられるような感覚。重くて、動かすことが出来ない体。たまらなく愛おしい、エミリオという名前のラスに似た男の子。握り締められた、エミリオの手の温もり。エミリオを残して逝く、無念さ。それから、ラスに対して抱いた不信感や失望。あれらはまるで、実際の出来事のようだった。未来を体験しただなんて、そんなわけないって、わかっているのに…。あれを見たのには、何か意味があったのではないかしら?その思いから、ただの夢、白昼夢だったと言い切れない自分がいる。だって、今もエミリオを想うと、涙があふれそうになるんだもの。
こんな心が落ち着かないまま、ラスに会わなければいけないなんて…。ただでさえ、気が重かったお茶会が、さらに憂鬱になってしまったわ。
私を着飾り、満足そうなメイドとともに廊下を歩いていて、ふと、ある部屋の前で足を止める。
そこは、我がロックハート侯爵家の婿養子となるラスと、私が、結婚後に寝室として使用する予定の部屋だ。そして…。先程みた夢で、私が息を引き取った部屋でもある。事切れる瞬間を思い出し、恐怖感が襲ってくる。
「フィリアお嬢様?参りましょう。ラザラス様がお待ちですよ。」
「えぇ。行きましょう…。」
メイドに声をかけられた私は、重い足取りで、ラスのもとへと向かった。




