お願いです、ミニバンから引っ越してください。
『いやーあのねぇ。悪いんだけどね、家まで来てくれないかねぇ?鈴木ちゃんも一緒にさぁ。』
午前11時を過ぎた頃に、来店予定の松田様から一報が入った。まあ、最近ではこの地域も高齢者が多くなり、遅れることはよくある。中には運転も怪しい老人が来ることもあるが…。
そもそも来店が出来ない場合もある。車両が故障して動かない場合だ。車というものは不思議なもので、買い替えるとなると駄々をこねる様に急に故障することもある。
今回も、おそらくそうなのだろう。
「かしこまりました!では、車両を運搬車に積載して伺います!」
特に理由を深く聞くこともなく、私は整備士の豊田さんと一緒に松田様の自宅へと向かったのが30分前。
到着するまで10分前後だったが、いざ納車予定の軽自動車『ワゴンテR』を下ろし、下取予定の20年落ちの高級ミニバン『エクスライザー』を積載しようにも全く動かすことが出来ず、現場には少しの苛立ちと焦りが立ち込めていた。
「なんで開かんのじゃワレェコラァオルァ…。」
黒いタオルを頭に巻いた豊田さんが、小さく舌打ちしながら車両の周囲を歩き回り、剃刀の様な目で睨みつけている。あのガン飛ばしを見る限り、元暴走族総長の噂は本当かもしれない。でもお客様が近くにいるからなのか、それとも嫁さんの誕生日をうっかり忘れて喧嘩したのもあってなのか、いつもより語尾に勢いがない。先月末に『パワハラ&モラハラ防止講習』を受けていたのも効いている様だ。
それはともかく、このミニバン。何故かドアが開かないのだ。裏からスポット溶接したのかと思うぐらいにビクともしない。ドアロックは解除しているし、ドアが凍っているわけでもない。車両も無事故で修復歴は無し。試しに他のドアも引いてみたがビクともしない。
「やっぱりアレかねぇ。」
キルティングベストのポケットに両手を突っ込んだ松田さんが、白い息を吐きながらミニバンのドアハンドルと取っ組み合う豊田さんを見つめる。
「あの…、失礼ですが。“アレ”とは何でしょうか…?」
恐る恐る松田さんに問いかけると、「冗談抜きで言うけどね鈴木ちゃん。」と前置きした後に、白髪交じりのオールバックヘアーを撫でながら、少し躊躇うように口を開いた。
「あのね、僕の車に居るんだよね…。座敷わらしちゃんが。」
何を馬鹿な事を仰っていらっしゃるのですか、松田様。
この言葉を強引に喉の奥へと押し込んでいたが故に、言葉が出なかった。それを“驚愕”の反応と捉えた松田さんは、ちょっと慰めるような目で、「だからこそね、座敷わらしをミニバンから降りるように説得してくれないか。」と提案までしてきた。
「えっ、いっ、いっやぁー?ハハッ、松田様。そ、そもそもざっ、座敷わらしなんかいるわけ」
と、辛うじて言葉を引きずり出したところで、私の言葉に反応するように、クラクションが短く鳴った。最初は、知らないうちに他の車の通行の妨げになったのかと周りを見渡したが、枯れ草色に染まる田舎の冬景色が広がっているばかり。
では、どこから音が。
「ここだよ」と言わんばかりに、盛大なクラクションが近くから聞こえた。眼の前には黒色のミニバンと、驚いて尻餅をついた豊田さん。その車両と目があったと思うと、さらにクラクションが断続的に鳴り出した。
――居る、座敷わらしが。
「わ、わかったから!私は信じるから!」
まだ信じていない私に分からせたいのか、さらにクラクション連打を始めた所で、降参と言わんばかりに軍手で包んだ手のひらを突き出すと、ピタリと音が止んだ。わかってくれたみたいだ。こちらは全く状況を呑み込めてないけど。
「昨日からこんな感じでね。だからね、そのね。このワゴンテRの良いところをね…。」
松田さんはゴルフ焼けした頬をかきながら、困り果てた顔でこちらを見つめる。要するに『車内に立てこもった座敷わらしに新車の説得をして乗り換えを検討して頂く』ということ。
ちょっと何言ってるか分からない。
考えるのを放棄したくなるのをこらえて、私は松田さんの提案に了承すると、ミニバンに立てこもる座敷わらしに向かい合い、挨拶と自己紹介の後に営業を始めた。
「ま、まず、何がご不満なのかを挙げていくので、パッシングでお答え頂けますか?」
とりあえず、納車予定の車両の不満点を座敷わらしから聞き出そうと考えた。私の提案を飲んでくれたのか、座敷わらしはミニバンのヘッドライトを点滅させた。座敷わらしでもパッシングは分かるんだ。「スゲーな!ホントに居んのかよ!」と、豊田さんが驚いてまた尻餅をついた。それを合図にして、私は質問を投げかける。
「そ、走行性能とか?」
ちょっと専門的すぎる質問だと後悔したが、息をつく暇もなく経年劣化で黄ばんだハロゲンライトが点灯する。あら、意外と分かるんだ。座敷わらしってスゲーな。
「シートの座り心地とか…?」
質問を出すと今度は喰い気味で点灯。しかも激しい点滅で、かなり不満のようだ。
「デザインとか…もっ!?」
もう質問を伝える前にパッシングしている。まさかとは思うけど――。
「も、もしかして全部ですか…うわっ!」
私が質問を問い始める前から、鬼のようなパッシング。ニュースで見た煽り運転の車のような怒涛のパッシングに、私も松田さんも、そして豊田さんも圧倒されてしまい、怖気付いてしまった。威圧的なエクステリアデザインと相まって、エンジンがかかっていたら私達の所へと突っ込んで来るような気迫すら感じる。
「おぉぉ…、コイツめっちゃ怒ってんぞっ!」
「す、鈴木ちゃん!なんとかしてくれんかのぉ!?」
昭和生まれのオジサマ二人が身を縮こませて、平成生まれの小柄な私の影に隠れながら怯えている。子供かよ。
「あ、あのですね!エクスライザーもいいですけども、ワゴンテRの魅力も…、うわっちょっ!」
とにかくやるしかないと無理矢理納得し、セールスを始める私。しかし、それを遮るようにパッシングとクラクションのファンファーレが響き渡る。こうなったら止まらない。無駄に音の良いヨーロピアンサウンドと、年季の入ったアンバー色のヘッドランプに視覚と聴覚を支配された私は、思わず目と耳を塞いでしまった。
「なにしてんのー!うっさいんだけどぉー!」
嗚呼、とうとう近所から苦情が来てしまったか。覚悟を決めて顔を営業モードに切り替えた私は、おそるおそる辺りを見渡した。
「コラッ、ザッキー。人様の迷惑になるでしょー?静かにしてねー。」
派手なピンク色のスカジャンを羽織った中学生くらいの女の子が、車の陰から気怠そうな顔で現れた。それに答えるように、座敷わらしも静かになったのか、車が黙った。どうやら“ザッキー”とは座敷わらしの事らしい。
「ありゃ、久遠!来てたのか?」
「爺ちゃーん。新車見に来たよー。」
松田さんの声に手を振って満面の笑みで返事をする女の子。聞くところによると松田さんのお孫さんらしい。「玄関へ回り込むのが面倒だから」と、いつも家の裏手の田んぼを突っ切って勝手口から訪ねてくるのだそう。だから車の陰から出てきたのか。
バギーワイドのデニムパンツに付いたコセンダングサの種を払い、黒髪のパッツンな姫様カットをなびかせた久遠ちゃんは、「何があったの?」と私に事の経緯を聞いてきたので、簡単に説明をした。
「なーるほどねー。それなら私の出番かなー?」
はて、それは如何なことか。
「座敷わらしってさー、私みたいな子供には見えるんだよねー。」
して、その心は。
「この私がね、ザッキーの通訳をしてやるのさー!へいへい、ザッキー!ちょっとダベろうよー!ドア開けてくれるー?」
ダウナーな雰囲気の子だと思っていたが、意外とアッパー系なお孫さんらしい。我々大人達の驚いた反応には目もくれず、早速エクスライザーに近づき“難なく”後部スライドドアを開けて乗り込んだ。それよりも座敷わらしって子供には見えるんだ。すごっ。
「えっ!?そんなに簡単に開くの!?ぐっ…、くそぉ…。」
驚愕して悔しがる豊田さん。無理もない。昔は鍵屋に勤めていて、どんな鍵でも力尽くでこじ開けるのが誇りだったと言ってたもんね。お客様がいるから遠慮していたけど、もし居なかったらボルトクリッパーやらバールやら重機でも持ち出してでもこじ開けようとする武闘派だものね。
「えーとね、何?うんうん、えっ。へーっ。」
久遠がリアシートの上で何かに耳を澄ませながら頷いている。しばらくすると、「えっ、全部?しゃーないなー。」とニコニコしながらミニバンから降りてきて咳払いをした。どうやら座敷わらしも思いの丈を久遠ちゃんに伝えた様だ。
「えーとね、『思い出の詰まったクルマから降りたくない。』だってさ。」
その言葉に、なんとなくだが胸が少しキュッと締まった。ザッキーの仰る通り、思い出の詰まった自動車を手放すのは心苦しい。
車が欲しいから頑張って稼いで、購入後もローンや諸費用に苦しみながらも何とかやりくりして、それを仕事を頑張る原動力にして、色々な場所を走り抜け、時には泣いたり怒ったり。寄り添う時間が多ければ多いほど、愛着というのは膨らんでいく。
しかし、自動車は走る機能こそ皆同じだが、それ以外はボディ形状やエンジン性能、タイヤの大きさや足回り等、様々な数値や様式で得意不得意が変わる。
故に、ライフスタイルや使用環境でどうしても所有者と合わなくなってくるものだ。成長や場所に合わせて服の大きさや種類を変えるように、自動車も変える必要が避けられない時もある。
買取予定のエクスライザーは、威圧的なデザインに高級セダンに匹敵するほどの走行性能や静寂性を持ち合わせつつ、7人乗りを実現した事で大人気となった高級ミニバンだ。しかしながら、大柄なボディサイズは小回りが利かず、当該車両は3.8リッターの高出力エンジンを搭載した最上級グレード『グランドマスター』であるために燃費も悪く、更にガソリンはハイオク指定で保険料も税金も高く…。簡潔に述べると、グレード名の通りに気を遣う車である。
10年前に最愛の妻を病気で亡くし、昨年に無事に定年を迎え、現在は趣味の川釣りと近所の買い物にしか車を使わない松田さんには、エクスライザーの維持費が生活の重荷になってしまっている。また、息子娘夫婦に心配をかけたくないからと、万が一に備えて先進安全装備の付いた最新の車に買い替えを検討していた。
そこで白羽の矢が立ったのが、昨年度に『ハイブリッド』として生まれ変わった軽自動車『ワゴンテR』だったのだ。普通乗用車から軽自動車への乗り換えなので、あまり強くは勧めなかったが、性能や特徴的なデザインに満足したのか、試乗の頃から松田さんがウキウキしていたのが強く印象に残っている。だが、そんな松田さんも今は肩を落としている。もはや別人だ。
「あとザッキーがね、『このエクスライザーは、義久さんが家族で旅行に行きたいから買ったクルマだ。必死に働いて、たまにパチンコも行ってお金を増やして買おうとしてた。そんな努力する姿に心を打たれて、色々と良い事が起きるように手伝ったんだぞ。それを今になって手放して、こんなチンチクリンなクルマに乗るなんて、ボケちゃったのかい義久さん!』って言ってるよ。」
純粋であるが故に、ザッキーの発言をそのまま伝える孫の言葉に、松田さんは更に悲しそうな目をして俯いた。てかザッキー、めっちゃ喋るじゃん。
しかしながら、どうしたものか。聞く耳も持たず、立てこもって出てこないのなら…。「豊田さん。一旦、帰りますか。」と言いかけたところで、久遠ちゃんの黄色い声が聞こえてきた。
「え~!このクルマ可愛い~!」
大人たちが声の方へ思わず目を向けると、隣に駐車していた白いワゴンテRのフロントフェイスを食い入るように眺める久遠ちゃんの姿があった。
言い忘れていたが、この『ワゴンテR』には三つのフェイスデザインがグレード別で設定されている。睨みつけるようなヘッドライトで威圧的な『アイビー』、先進的で無機質なデザインの『ガーベラ』、そしてレトロで可愛い丸目ヘッドライトが目を引く『ひまわり』である。
そして松田さんが『孫が喜ぶかな』と購入されたのが、この一際可愛い『ひまわり』なのだ。孫の反応で笑顔を瞬時に取り戻した松田さんは、すかさず言葉を返す。
「可愛いでしょ?これね、『ひまわり』っていうんだよねぇ。」
「名前も可愛いんだ!こっちの変なミニバンよりイイね!」
“変なミニバン”という言葉が、久遠ちゃんの口から放たれた瞬間、事態が好転した。
ワゴンテRから甲高いクラクションが短く鳴ったのだ。何事かと驚いた私たちだったが、それは直ぐにわかった。ザッキーが軽自動車の方へと乗り移ったのだ。その証拠に、ミニバンの左後部のスライドドアが開けっ放しになっている。
「ザッキーも、このクルマ気に入ったの?」
久遠ちゃんの問いかけに「そうだよ!」とでも言わんばかりに、ワゴンテRの丸くて可愛いヘッドライトがせわしなく光る。これはどうやら――。
「これは、うまくいったんか?」
賑やかに会話する三人をよそに、豊田さんがポツリとつぶやいた。
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「いやー!ありがとありがと!豊田さんも寒い中なのに本当にね、ありがとうねー!」
「おねーさんたちありがとうー!じゃーねー!ほら、ザッキーも!」
二人の声と一台の軽快なクラクション音に軽く会釈をしつつ、思い出のミニバンを載せて走り出した積載車の助手席に身体を沈めた私は、小さく溜息をついた。間違いなく「人生で一番めんどくさい客」だったと、運転席でハンドルを転がす豊田さんに話すと、「まあ、子供みたいなもんだから仕方ないさ」と剃刀みたいな目を曲げて大笑いした。
「だって、説得しても怒り出して、松田さんのこと『ボケちゃったのかい!』って言ってたのに、久遠ちゃんの一声でワゴンテRに夢中になって…。手のひらクルクルじゃないですかー。」
太陽がすっかり真上に登り切った青空を眺めながらぼやくと、豊田さんは国道を流しながら「いや、それは違うな鈴木ちゃん。」と笑った。
「きっとな、ザッキーはクルマじゃなくて久遠ちゃんに夢中なんだよ。」
先ほどのやり取りを思い返しながら、思わず豊田さんの名推理に笑ってしまった。
「ふふっ…。座敷わらしも、恋してるんだなー。」
ラジオの天気予報によると、今日から『うららかな春の陽気』になっていくそうだ。
「最近のミニバンって広いな!まるで家みたいだ!」と思った瞬間に思いついたネタです。
シートもふかふかですし、車内も広々。そんな高級ミニバンに座敷わらしが長年居ついたらどうなるかなと思いながら書いてみました。楽しんでいただけたら幸いです。
最期まで読んでいただき、ありがとうございました。