間違い探し2
この騒ぎを収めるべく、俺は学校を抜け出し静けさと喧騒の入り混じる町中を翔ける。
時折民家から顔を覗かせる住人たちが、不穏な目つきで俺を見るが構うことはない。
そこかしこにいる警察官に見つからなければ直接的な危害は加わらない。
さて、そうは言ってもあまり時間をかけるのもよくない。
軽快な足取りで迷いなく突き進む。
こういう時にこそ俺の能力は役に立つ。
パトカーの向かう方向や住人たちの話し声、視線に意識を向けながら犯人を追う。
はぁ……はぁ……はぁ……。
息切れが激しいな。
こんな事なら自転車通学生から適当に自転車を見繕ってくればよかった。
身体に鞭打ってやがて辿り着いたのは住宅街の一角にある工事現場。
予定されているのは物流センターという事もあり敷地は広い。
ただ学生が多く暮らす住宅街という事もあり、市民からの反対を受けて建設は中止となっている。
さて、普段人の出入りも全くないこの場に、俺の探している相手がいるだろう。
普段なら慎重に行くが、ここに来るまでに多くの人目に着いた。
通報されているであろう今、慎重に行くよりかは真正面から出向いて出来る限り説得するのが懸命だろう。
近場の民家に立て掛けられた脚立を拝借し、工事現場を囲う大きな壁をよじ登る。
中に降りると、まるでわかっていたかのように、彼がそこに立ち尽くしていた。
「よぉ杉山くん。わざわざこんなところまで御足労なことで。」
余裕を見せたセリフに噛み合わないまるで余裕のない表情。
そのまま張っていた糸が切れたように、放置された木材の上に座り込んだ。
「宮澤……お前……。」
宮澤は天を仰ぎ安らかに装うが、その血濡れた腕が震えるのを抑える事が出来ない。
「オレさぁ。人間社会ってのは他人がいて初めて成り立つもんだって思ってんのよ。だから独裁だろうがなんだろうが規律ってのはオレたち人間にとってあって然るべきと思ってたんだよ。」
力なく笑う宮澤。
俺は言葉を発さずにただ彼の思いを受け止める。
「……矛盾してんだよな。オレが法律に逆らってんだからさ。」
確かに、宮澤のやっている事は何がどうあろうと許されていいものではない。
他人の命を奪うこと、その罪は他の何かしらでも償う事は出来ない。
「三上に言われちったよ。自惚れんなってさ。確かに他人の為に生きる自分ってのに自惚れてたのかもな。オレも結局自分勝手だったって事だ。」
宮澤は、規律を守り抜いて生きていた。
だが、規律を守ったからと言って必ずしもその行いが正しく報われるとは限らない。
真面目なだけでは得は出来ない。
突き放すような事を言うが、不幸な人間とはそれ相応の生き方をしているだけに過ぎない……。
「さてと!お話出来んのはこれくらいみたいだし、最後にひと仕事と行きまっかね〜。」
そう言いながら、重たそうにその腰を上げる。
ガチャンッ!ガチャンッ!ガッシャン!!
宮澤が腰を上げた直後、背後から凄まじい物音。
振り向けば通報を受け駆けつけたであろう警察官が数人。
なるほど、時間切れという訳だ。
「ほんじゃ、先行ってるわ。」
日常的な何気ない挨拶のように軽く手を挙げながら俺の脇を通り抜ける。
「君たち!ここで何をしている!」
宮澤が立ち去る方向に待ち構えているのは警察官数人。
しかし。
彼らの怒号は一瞬にして静寂へ変わる。
まるで手品か演劇か。
宮澤は道端に転がる石を蹴るかの如く、警察官複数人をバタバタと薙ぎ倒して走り去って行った。
俺は溢れ出る感情を無理矢理抑え込み、宮澤の後を追った。
◇
時はほんの少し遡る。
これは和希が校舎を飛び出して行った直後の事。
「ヒック……ヒック……なんで、どうして……いつも私だけを置いてっちゃうの……。」
和希を引き止めることは叶わず、取り残されてしまった中原が静かに泣いている。
おれは声を掛けられずに、ただただ長い時間、中原の傍に立ち尽くしていた。
こんな時、和希だったらなんて声を掛けんだろうなー。
馬鹿で口下手なおれじゃ上手く声も掛けられないで日が暮れちまうよなー。
「はぁ……。」
切羽詰まった状況で、こうも呑気な考えが過ぎってしまう自分に呆れる。
「置いてかれんのが怖いって気持ちはすんげーわかるんだけどさー。なんていうかほら、おれも頭悪いからさー、今まさに和希に置いてかれてるっていうかなんというか……。」
纏まりがないおれのセリフに、中原は静かに嗚咽を堪えている。
おれですら着いていけないこの状況に、タイムリープ者でもない中原がついて来れないのはごくごく当たり前の事だ。
「私……私はね……。杉山くんたちが私の知らない何かと戦ってるのは何となくわかってた。最初はお遊びだって思ってたけど、騒ぎが大きくなるに連れて私が想像してる様な生ぬるい世界じゃないんだなって何となくわかってきた。」
涙を拭い、震える声を必死に抑えながら中原が話し出す。
「だから私も仲間に入りたいだなんて安易な事は言わない。人の命が簡単に奪われてしまうような世界に足を踏み入れたいだなんて思わない。
私は私の事が大事なの。」
「でもね、それと同じくらい。杉山くんや須藤くんの事も大切な人だと思ってるから!だから……!」
バリーン!!ガシャガシャガシャ!!
力強く言い放った中原。
だけど、それを掻き消す程の喧騒がおれたちに届く。
「何の音だー!?」
校舎の外にいるおれたちにすら聞こえるほど、凄まじい音とそれに続く生徒たちの悲鳴。
「……!!行ってみよう!」
すぐに気持ちを切り替えたのか、中原が走り出す。
おれもそれに続き、二人で校舎の中へと入る。
騒ぎの方へと向かい走っていると、なんだなんだと教室から生徒たちが廊下に出始める。
騒ぎを聞いて不安がってる生徒や、怖いもの見たさでウキウキ顔の生徒、騒ぎに吊られてパニックになる生徒で廊下はごった返していた。
「くっそー!これじゃ進めねー!」
こんなおれの叫びも、この喧騒の中では意味をなさない。
誰が何を言っているのか、誰と喋っているのかすらもわからないほど混乱した状況だ。
そんな時、不意におれの肩を誰かが叩く。
即座に振り返ると、そこには息を切らし顔色がとてつもなく悪い宮澤が立っていた。
「お、おい宮澤ー!?お前今にも死にそうな顔してるぞー!?」
そして、宮澤のもう一つの異変。
それに気付いた中原が、恐る恐る声を掛ける。
「み、宮澤くん……?その手……どうしたの……?」
宮澤の手……というか腕は、見るからにボロボロでどす黒く汚れている。
これは、血?
宮澤の様相に呆気に取られていると、宮澤がおれたちの前まで歩みを進めて一言だけ聞いてきた。
「なぁ、お前ら杉山からオレの事聞いてねぇの?」
オレの事?何の話だ?
「どういう意味だー?和希となんかあったのかー?」
訳の分からない質問にそれだけ返すと、宮澤は力なく笑う。
「ふふ、律儀なこった。」
それだけを言い残すと、宮澤は再び歩みを進める。
まるで飴玉に群がる蟻の如く密集している生徒たちの中に消えていく。
と、次の瞬間。
ドゴンドゴンと鈍い音と共に複数人の生徒たちが“天井”に叩き付けられる。
天井には叩き付けられた生徒たちの生々しい血痕と、凄まじい勢いで叩き付けられた事がわかるほどの凹みや亀裂が出来ている。
唖然とする生徒たち。
「お前たち何やってる!!早く教室に戻れ!!」
このタイミングでようやっと登場したのが、我らが担任であるサカティーだ。
おれの真後ろに現れていきなり叫ぶもんだからまたまた驚いちまったよー。
ただ、生徒もサカティーも、おれと中原も今の状況をよく理解出来ていない。
と、一人の生徒がこちらに向かって歩いてくる。
宮澤だ。
「お前は……お前はどうでもいいか。」
息を切らしながらブツブツと呟く宮澤。
そんな宮澤を見て、サカティーも不審に思ったのか宮澤を問いただす。
「おい、お前その腕はどうした!?怪我してるのか!?」
焦ったように駆け寄ろうとするサカティー。
しかし、それを食い止めるようにまたまた別の人物が現れる。
「いやいや、やっぱり一年生はダメな生徒が多いですねぇ。抜け出した杉山、須藤、中原に続いてこんな騒ぎになってるとはね。被害に遭うのも普段の行いが悪いのではないですか?」
思わずカチーンっと来ちまったなー!
この嫌味ったらしい白髪のジジイはうちの教頭だ。
こんな状況でサカティーに嫌味を言う暇があんなら仕事しろー!
「お前は……いや、お前だな……。」
ここは一発ガツンとおれが言ってやれば……。
と、思ったのも束の間。
「くたばれ」
その声と共に弾丸の如く飛んできた宮澤が教頭を蹴り飛ばす。
吹き飛んだ教頭は数メートル先の小窓を突き破り外へと消えていった。
……悠長に解説はしているものの、この場にいる誰もがこの一瞬で起きた事に、目を追うことは愚か理解するのにもしばし時間を要した。
「お、おい、宮澤ー……?なに、やってんだー……?」
ギリギリで捻り出した言葉に、返答はない。
しかし、この場にいる人間は徐々に理解していく。
複数人の生徒が瞬く間に吹き飛んでいき、その後に現れた教頭は窓の外へと放り出された。
そしてその場に経つ、腕が血まみれの宮澤……。
「イ……イヤ……イヤァァァァァァ!!!」
誰かが発した最初の悲鳴に続いて、次々に生徒たちがパニックになって行く。
宮澤から遠ざかるように逃げていく生徒たち。
宮澤は、サカティーと睨み合いの状態になっているが、構えを取るサカティーに対し宮澤はまるでピクリともしない。
そんな沈黙を破ったのは、学年主任である松岡の登場だった。
「?お前たち、何の騒ぎだ?教室で大人しくしていろと言っただろ!!」
相変わらず凄まじい怒号だが、それを聞く者など誰一人としておらず。
俺たちの背後から現れた松岡は怒りを顕にしている。
先程吹き飛ばされ気を失い倒れている生徒の元へ宮澤が歩み寄る。
「……ふっ。死に損ないが。」
宮澤は、手近にあった大きなロッカーを軽々と持ち上げると倒れている生徒に向かい振りかざす。
そのロッカーというのも、大の大人が一人で持ち上がるはずもないであろう重量と大きさだろうに、その怪力にビビる他ない。
しかし。
そんな人間離れした存在を目の当たりにしても全くたじろぐ事なく立ち向かうのは筋骨隆々の松岡だ。
今し方来たばかりで状況もわからないだろうに、宮澤が今やろうとしている事は瞬時に理解していた。
「何やってんだクソガキがぁ!!!」
これまた凄まじい怒号を上げながら松岡が宮澤に向かい疾走する。
それを一瞥すると、宮澤は倒れた生徒にロッカーを振りかざすのを辞め、向かってくる松岡に振り下ろす。
振り下ろす瞬間。
小さくブチッと音が鳴る。
ガゴーン!!!!
振り下ろされたロッカーは大きな音を立てて床に倒れる。
その原型が変わっている事から、もし当たっていたらどうなるかなど想像に難くない。
松岡はと言うと、振り下ろされた直後にその軌道を変えて華麗に避けていた。
「やべ。」
宮澤が一言漏らす。
まるで飾り付けた腕かのように、力なく両腕をぶら下げる。
それ以上の思考を許さぬ速さで松岡は宮澤を捕らえた。
……はずだった。
何処からどうすり抜けたのか、宮澤は松岡の背後に立っている。
「おい学年主任。やる気がないなら帰ってくれたまえよ。」
そんな捨て台詞のようなものを置いてすぐさま走り出す。
その場にいる誰もが反応できない。
「杉山によろしくな。」
宮澤はその一言をおれに残し階段を登って行った。
すぐに後を追う松岡。
パニックになった生徒たちは逃げ、宮澤と松岡は上の階に行ってしまった。
取り残されたのは、おれと中原とサカティー。
そして異様に早い鼓動だけだった。