宮澤の価値観。
オレは中途半端が嫌いだ。
昔からそんな信念があった。
中途半端が嫌いだから、言われたからにはやり遂げたいし、やるからには完璧にこなしていきたい。
そんな信念のはずだった。
オレには才能がなかった。
だから結局言われたからって何でも出来るわけじゃないし、完璧にこなすことも出来なかった。
そこで辿り着いた答えは、中途半端にやるくらいならやらなければいい。
そんな“中途半端”な考え方だった。
そんな中途半端な人間がどういう人間像になるのか。
そこには不良にもなりきれず、優秀な人間にもなれないただのプライドの塊があるだけだった。
こんな事言っておきながら、オレはその腐った信念を全うしているつもりだった。
やるからには完璧にこなす事を目指すし、出来ないことがあれば努力した。
何が得意で何が不得意で、それをより精査する為により多くの人と関わり合ってきた。
より多くの人と関わる上で、多くの人間が適当に生きている事がわかって、それが気に入らなかった。
不思議なことに、世の中を見ているとオレの嫌った中途半端な人間が幸せそうに暮らしている。
次第にこの信念は、自分を誇示するモノから他人を否定する価値観へと変わっていった。
決まりを遵守して厳しくすればするほど、肩身は狭くなっていくばかりだった。
融通が効かないって言えばそれらしく聞こえるけど、オレに言わせればルールを破る免罪符でしかない。
そこでやっと気付いた。
オレと周りの差に。
皆は“力”を持っていた。
何事もそつなくこなす能力、振りかざせば皆が従う権力。
愛とか友情とか、そんなのも力に変わっていく。
でもオレの信念にはルールという盾しかなかったわけだ。
どれだけ努力したところで自分の身を守ることしか出来ない。
いや、違うな。
オレの信念は、自分を守る事すら出来なかったんだ。
例えば、友達が盛り上がった勢いでハメをはずした時、それを注意すればその和からは外される。
頑なに規律に従おうとすれば、周りから距離を置かれる。
オレはそうやって孤立していった。
それはそうだろうな。
何の力もない人間が口うるさかったら誰も近付きたがらない。
例えそれが正しい事であっても、行き過ぎた価値観は誰にも受け入れられない。
だからオレはただ力が欲しかった。
周りに怯えることなく、それだけの影響を及ぼせる程の力が欲しかった。
残念ながら、オレの価値観は他人から共感を得られるような立派なモノではなく、ただ自分が自分である為に求めた中途半端なワガママなんだ。