虎の意を借りる虎
「さてと、こんなもんか。」
朝早くに一年生側の男子トイレで、オレと正樹は落ち合っていた。
この時間は校舎内にいる生徒も少ない。
「ねぇ、もう、そろそろやめても、いいんじゃない、かな?」
震えた声で訴えかけてくる。
オレとしてはもう少し見ておきたいところだが、本人が言うなら仕方ないか。
「正樹もわかってるだろ?話が通じない相手には力で訴えかけるしかない。それにこれはお前の専売特許だろ。」
「そんな事ないよ!」
本人は否定したがるが、実際のところはわからない。
「ゴールデンウィーク前の髪の毛もやったの正樹だよな?公になってないから知らんけど、実際はどんな感じだったの?」
「だから、僕じゃないって!」
この引っ込み思案で気弱そうな正樹が本気になって怒っている。
余程“自分の性”にされるのが気に食わないらしい。
「あ〜、悪い悪い。つい言葉を間違えたわ。
んで、どうだったの?」
「よく分かんないよ……北村さんにまた良いように言われたと思ったら、急に髪の毛を吐き出したんだ。」
今オレと話している少年……正樹は異質な霊能力をお持ちである。
正樹曰く、ここ最近起きている髪の毛事件とやらは正樹……ではなく正樹に引っ付いている“女”が起こしているとの事。
正樹は未だ不服そうにこちらを見ているが、オレにとって正直正樹の存在はどうでもいい。寧ろ“その女”だけ頂きたいんだが……。
「で、その北村って人が伊藤の彼女だったからアイツがキレてお前をボコったわけね。お気の毒に。」
「よく言うよね……君だってあの場に居たくせに。」
「そりゃ事情を知らなかったからな。でもお前もやられっぱなしじゃ腹の虫が治まらんだろ?」
「確かに気に食わないけど、力任せにやったら同じ穴の狢だよ。それに、君も伊藤くんが嫌いなら僕に頼らないで自分でやればいいじゃないか。」
「っはは、確かにな。んじゃ今度はオレがやるから、お前が一緒に見てるってのはどうよ?
勿論、参加したくなったら歓迎する。」
一瞬、眉を顰めた後に正樹はすぐに結論を出す。
「……わかった。でも、僕は見てるだけだ。」
「はいはい、それでいいよ。」
全くチョロい。
この調子で手懐けていけば“この女”もオレのモノの様に扱えてくる日もそう遠くはないはず。
そうなってくれば、オレもより大胆に行動が出来るわけだ。
ま、既に一人手にかけている時点で大胆な行動には出てる訳だが。
「それと、さ。さっきの北村さんの事、周りにはバレないようにしてほしいんだ。僕がやった事じゃないけど、こんな話信じてもらえないだろうし。」
「はいよ、わざわざ言いふらすような立場じゃないからな。安心してくれ。」
そう言うと、どこか安心しつつも相変わらずナヨナヨしい態度をする正樹。
コイツがこんな態度なのも癪に障るが、逆に言えばこの引っ込み思案具合で救われる部分もある。
「それでさ……これ、どうする?」
トイレの床に大量に落ちている吐瀉物と周りに広がる得体の知れない水(?)
これらは正樹が連れている“女”から出たもの。
どういった原理かは理解できないが、どうやら正樹の念じた事なら具現化出来るという代物らしい。その“女”はオレからすると触れる事も出来ず、視認出来ているような、出来ていないような、何とも言えない“感覚”がそこに居る。
「あ〜、これは俺が何やかんやしておくから、お前は先に教室に戻っとけ。」
「大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だ。ほらさっさと行け。」
不安げに聞いてくるが、大丈夫かどうかはやってみなきゃわからんな。
正樹は足早にトイレを出ていく。
オレは少し間を置いてから、思いっ切り個室のドアを蹴破る。
バコーンッ!という凄まじい音が校舎内に響き渡り、ドアはもはや原型を留めない勢いで崩れ落ちていく。我ながら圧巻の威力だ。
と、こんなものに見蕩れている暇はない。トイレの小窓を軽やかに潜り抜けて中庭に出る。
忍者の如く、草木に隠れながらもひょいひょいと中庭から人気がないであろう特別教室棟の渡り廊下へと侵入し、再び近くの窓から素早く校舎の外へ出た。
そこからは人の気配をより一層気にしながら回り込んで校舎内へと戻る。
昇降口から校舎内へと戻ると、先程の音で集まったであろう教員と、生徒もチラホラ確認できる。
「あれ?トイレ行きたかったんだけど何かあったの?」
誰にとも言わずトイレ前に集まった人集りに対して声を掛ける。
すると、教員の一人から返事があった。
「ちょっとこのトイレは使えないから、職員室前のトイレか外のトイレを使って。」
トイレを覗き込むと、吐瀉物を処理している教員と、破壊されたドアを片している教員が確認できた。
集まった生徒はほんの数人で、この一瞬で何があったのかと気にしている様子。
『え、なに?』
『ゲロ?やばくない?』
『また誰か喧嘩したの?』
『ドアとかやばいし絶対いじめか喧嘩でしょ』
そんな囁きがチラホラと聞こえてきた辺りで入口に立つ教員から
「お前ら、やる事ないなら教室に戻りなさい。それと、変な疑いを掛けられたくないなら無闇矢鱈と噂を流さないように。」
そう釘をさして解散させた。
ま、隠せはしないが上手く誤魔化せたって所だろう。
これで学校側の対策レベルもわかる。我ながら名案だ。
それにしても、この一瞬でドッと疲れたな。
オレは重い足を悟られないような足取りで職員室前のトイレへ向かった。