提言 「でもしか」の場所を確保せよ
で、「絶望的な事実ばっかり突きつけるな」という声も出て来そうだ。でね「壁抜けチート」という部分をちゃんと読んだかい? 海外に活路を見出す以外のルートに共通している事は「でもしか」なんだよ。
「でもしか」って意味分かる? 就活時に「~でも」なるかとか「~しか」なれない職業の事を言う。特に当時(1950年代~1970年代前半)まだまだ希少だった大卒というがんばったご褒美に対し「教職」と「公務員」という職業を用意してたんだ。その代わり民間企業の給与約3分1で当時キャリア公務員以外に行くと笑われた職業だったんだけどね。でもそれでよかった。だから当時のご家庭は「何がなんでも大卒」にさせたかったんだ。「保険」があったからだ。だから今でも大学に行くと教職課程が用意されているだろ?なんのために教職課程が用意されていたのか思い出してほしい。
近代以前……いや第二次世界大戦前まで日本人は「宗教型でもしか」という職業を用意してたんだ。それが特にお寺で出来損ないはお寺に行ってお坊さんになったんだ。つまりね「宗教」ってものが古今東西どこにでもあることに意味はあったんだ。でも近代社会は宗教機能というものを否定し始める。それが全ての悲劇の発端だ。
戦後世界中で高度経済成長というものが起きた。科学が全てを解決してくれると人類は勘違いして宗教は過去ものとされた。宗教組織が持っている機能を役所に移した。ゆえに「でもしか教員」や「でもしか公務員」と言う存在が誕生したし「公社」というものも誕生した。フランスに至っては「ルノー公社」と言って自動車企業を公社化して行き場の無い労働者の受け皿をフランス政府が用意した。しかし高度成長期の終焉つまりオイルショックと同時にこれらの機能も停止し民間委託……要は新自由主義によって居場所を失った。経済は成長したか? 答えは「ノー」で一部の富裕層以外……特に中間層が落ちぶれた。この時日本は新自由主義も進行したがそれ以上に労働ダンピングで乗り切って近代工業社会を維持した。そして日本はバブルという空前の繁栄を見せたがバブル崩壊とともに「でもしか」職業は崩壊し特に私立文系大卒の居場所を社会的に失っていった。以後は新自由主義経済によって経済はズタズタにされて弱者は「社会に不要な存在は不要」とされて日本や韓国と言った国では特に「ヒキコモリ」が深刻になった。
もう、こんな悲劇を繰り返すのは止めないか。世の中なんで伝統宗教というものがあったのかを思い出してほしい。伝統宗教は単に墓守のためにあるのでも重要文化財を守るためにあるのでもなくテーマパークのためでもない。伝統宗教というのは弱者を守る労働者の受け皿のためにあるもんなんだよ。
なのでね「でもしか職場」を民間企業でもある「お寺・神社・教会」に雇用の受け皿として残してくれないか。「でもしか職業」を笑うな。仮に自分が優秀でも自分の息子や娘が「でもしか」にならないという保証はどこにもないんだ。そして「お寺・神社・教会」を「聖」世界って言うんだよ。俗世の論理を聖的空間に持ち込んではいけない。いい加減に目を覚ましてほしい。そして伝統宗教こそが民族と民俗要は「文化」を守っていったんだ。そして民族と民俗こそ「国」の文化つまり民族の魂そのものを維持するんだよ。世の中に不要な存在という者は存在しないしそのために「浄財」というものは存在する。20世紀は資本主義も共産主義も宗教という存在を否定したがためにこういった問題を深刻化させた。共産主義は20世紀末に滅んだがまだ新自由主義は21世紀の中盤に入っても全盛だ。いい加減に目を覚ましてほしい。
この提言欄をどう思うのかはあなたの自由である。強制は一切しない。また布教目的で書いたものでもない。宗教以外で「でもしか」職業を社会に用意してくれるのならそれでもかまわない。そんなものがあるのなら、ね。
なお、「でもしか」は激務な仕事の事を指さない。そういうのは覚悟という。