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 それから三年の月日が経過した。修子内親王も無事に生まれて数え年四歳になっていた。この童子の装束の新調を中宮は生昌に命じた。生昌にとって大役ではあったが、鞅掌であったため懊悩の種となった。俄拵えにならぬよう下準備の段階で齷齪していた。

「この衵のうはおそひは、なにの色にかつかうまつらすべき」

 この衵のうえに着るものの色は何色に致すべきでしょうか。

 殿上で聞いていた女房等はまた皆笑い騒いだ。清少納言もこれを聞いていて呆れた顔を見せた。衵とは汗衫の下に重ねて着るもので、つまり生昌が『うはおそひ』と表現したのは汗衫のことであり女房等はこれを笑ったのである。汗衫は童女の礼装に用いる表衣のことで両腕をあけて仕立て、丈は長く、裾を曳くように着装する。清少納言は内心『下種のことばには、かならず文字あまりたり』と見下していたのであるが、教養のないものの言葉には多くの無駄な言葉が潜んでいて悪いというその凡例としては十分過ぎるほどに軽蔑の対象となった。竹帛を好むことを誇りとしていた生昌は現実に疎しく知識のほどは廓寥として点睛を欠いた。こういうことを繰り返して清少納言は攻めた。八千代に続く脈絡を後生大事に拡幅する格物致知の彼女にとって生半可な知識は蕪辞として受けとるべきものだったのである。清少納言は何の躊躇いもなく嫌な顔をした。生昌は見て言葉を加えた。

「姫宮の御前のものは、例の様にては憎げにさぶらはむ。ちうせい折敷にちうせい高坏などこそ、よくはべらめ」

 姫君に食器などの類は普通の大きさでは恰好がつかないでございましょう。小さい食膳、小さい椀などがよいと思います。

 生昌の言葉を聞いた女房等はまた籠るような掠れた笑い声を立てた。四方で『ちいせう』と馬鹿にする声がする。追従して『うはおそひ』と含羞を嘲笑う声がした。生昌が使った二つの言葉は今の岡山、旧備中青河郡司の方言で本来は『ちひさし』と『うわっぱり』の意であった。『襲う』には古語的な意味合いで『重ねる・覆う』の含意もあった。備中の方言は拗音を多用するため言葉が潰れるので、都人には酷く滑稽に聞こえた。生昌は痛くもない腹を探られる不快感を感じた。清少納言は普段阿諛して自分に取入ろうとする生昌が焦慮しているのを『うはおそひ』という言葉を用い不敬をもって接した。

「さてこそは、うはおそひ着たらむ童も、まゐりよからめ」

 それでこそ、『うはおそひ』を着る童子もお膳をお運びしやすいことでしょう。

 周囲は刹那軽躁を発した。中宮はその喧騒を八束待ち文目のため恬然と各般に向かって言葉を放った。

「なほ、例の人のやうに、これなかくないひ嗤ひそ。いと謹厚なるものを」

 まあ、みなさん。普通の人間のようにこの人をそんなに笑わないであげなさい。とても謹厚で真面目な男なのだから。

 中宮の寛恕は、一半は生昌の不首尾に対する仁恵ともう一半はたとえ面従腹背の小奸物であっても従わなければならないという笞杖を打たれる理由からだった。というのも、中宮の父関白道隆が薨じ、兄伊周・弟隆家が失脚して以後、世間の人々が総じて道長の気息を窺い中宮に奉公を憚っている今生昌は一つの追従すべき権力だったからである。

 その姿を見て清少納言は甚く感嘆した。この人に令名が付き九鼎大呂を築き得るのもこういった天爵のためだと、本気で思った。鮮紅の空が庭の八つ橋に映りまだ五つ四つになる童べが腊葉を作っていた。これもまた酷く暑い夏の日の話である。


 平成二十九年 六月


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