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水切り

作者: 山谷麻也

 第Ⅰ章 憎悪

 私たちの世代は、第一次ベビーブームのピークを、やや過ぎたころに生まれた。高度経済成長の波は、田舎にはまだ及んでいなかった。そこは自然に恵まれ、昔ながらの生活が営まれていた。

 中学校は、渓谷を深く入ったところにあった。狭い校庭に、幼稚園と小学校が同居していた。周囲の山々の斜面に、集落が拓かれていた。片道一時間以上かけて通学する者も、めずらしくなかった。

 私の村も例外ではなかった。集落は街道から一時間近く離れていた。その村は三足(さんぞく)村と呼ばれた。街道が抜けていなかった時代、人々は山越えをして、行き来していた。三足村に行くのに、草鞋を三足履きつぶした、と言い伝えられている。


 村に同級生が八人いた。気の合った者どうしが二、三人のグループになり、道草しながら下校した。

 学年が進むにつれて行動範囲も広がった。中学時代はよく道路を降りて河原で遊んだ。ここは往還からは見えない、隔絶された世界だった。

 いつの頃からか、親友の和田は私を待たせて、駄菓子屋で買い物をした。それを持って、二人は秘密の遊び場に行くようになった。

 めったに食べられないものにありつけるので、何の疑問もなく、私は和田に従っていた。ある日、和田の兄から言われた。

「弟が家のカネを持ち出して、買い食いしているようやけど、山谷、お前、何か知らんか?」

 私は、首を横に振るしかなかった。


 下流にダムが建設され、川はふだん満々と水を(たた)えていた。

 河原の前には、鏡のような川面が広がっていた。水切りをすると、どこまでも石は水面を滑って行った。

「今日な、病院に来いって言われとったけんど、行かんかったんや」

 と言って、和田は腰を落とし、小石を投げた。いつもながらの、見事な軌跡が描かれた。

 和田の母親は、遠く離れた町の病院に入院していた。

「中間テストもあったしな。オラ、今回はほんまに勉強したんや」

 意外な言葉だった。勉強に一生懸命になっている和田の姿は、およそ想像できなかった。

 その夜、和田の母は息を引き取った。


 後日、中間テストの答案が返された。ある科目で、教員は問題の解説をし、講評を述べた後で言った。

「一番できたのは山谷君で、九五点でした。それから、参考までに。和田君は九〇点でしたが、これはまあ。カンニングですから」

「ちょっと待ってください」

 私は自分を抑え切れなかった。

「和田君はカンニングなんかしていません。和田君は『今回ほんまに勉強した』って言うてました。なあ、そうやろ、和田」

 和田は黙って下を向いていた。


 和田と再会したのは二五歳の時だった。

 二人は大阪・キタの喫茶店で会った。水商売に入っていると聞いていたが、垢抜けしきれない和田の姿があった。

 思い出話になり、カンニング冤罪(えんざい)のことを話すと

「それは覚えてないなあ。中学時代で忘れられんのは、給食費泥棒にされたことや」

 和田は眉間に(しわ)を寄せた。

 給食費がなくなっていた、というのは初耳だった。

 和田の話によると――


 ある日、担任に相談室に連れて行かれた。

 担任はいきなり「クラスの給食費のことやけど、お前が盗ったんやろ」と険しい顔で問い詰めてきた。何のことか分からない。いくら「知りません」と言っても聞いてもらえない。

「あれは『取調室』やったで。家のカネは時々とってたけんど、給食費だけは絶対盗ってへん」

 と、和田。

 担任に散々なぐられた挙句、後日、父親も呼ばれた。

 当時、暴力行為は日常茶飯事だった。暴力をふるう教員ほど熱心、と(あが)める風潮さえあった。

「あのことは、就職の書類に書かれとったと思うんや。面接でワシだけ最後まで残され、いろんなことを、根掘り葉掘り聞かれたんや。まあ、受かることは受かったけんどな」

 中学を出て初めて就職した会社は、二年程で辞めた。その後は職を転々としたらしい。


 和田が勤める店の始業時間だというので、二人は喫茶店を出た。

「思い出したで。テストの話。あん時は、ありがとう」

 握手する手に力が入った。最後は言葉になっていなかった。


 和田と別れ、暗澹(あんたん)たる気持ちで、私は雑踏を歩いていた。

 父親が呼びつけられた……あの言葉が、深層に沈んでいた記憶を呼び覚ましたのか、妙に鮮明に蘇ってきた光景があった。


 中学時代。学校を終え、帰ろうとしていると、ある教員に呼び止められた。

 温厚な人柄で人気があった。一方で、曲がったことを嫌った。そんな性格を象徴するかのように、黒板に定規なしで、長い直線を真っすぐに引いた。私には、底知れぬ魅力を持つ教員に思われた。

「あのなあ、お母さんを呼んで来てほしいんやけどなあ」

 家に帰り、用件を告げると、母は不安そうな顔になった。私は母を伴い、放課後の学校に戻って行った。

 母と教員が校舎で話をしている間、私は校庭の花壇のそばで、時間を持て余していた。

「何だったん」

 校舎から出てきた母に聞くと

「先生がな、カネ貸してくれ、言うとるんや」


 私は歩みを止め、やがて(くびす)を返した。足早に和田を追ったが、和田の姿はなかった。

「もう、いいか……。『あの先生だけは絶対に許さん』と言ってたもんなあ。あれ以上、教員への憎しみをかき立てて、どうなるんだ」

 私は、教員の借金の記憶を、再びしまい込むことにした。

 蔵出しをする気になったのは、和田が五〇歳を目前に、肝臓の病で亡くなった、と知ったからだった。


 それは、同じ中学の同級生から聞いた。

「仕事で上京して来た。久しぶりに会える?」

 懐かしい声だった。田舎で建設業を営んでいる同級生からの電話だった。土産(みやげ)話をたくさん持って来た。その中に、和田の件があった。

 

 第Ⅱ章 悔恨

「この間、昔の同僚から、見舞いの電話をいただいたよ」

 村田望は妻・明子に話しかけた。

「P中学でも同じだった人だよ。どうも、P中学の卒業生がウェブ小説を書いたみたいなんだ。名前は山谷麻也といい、君も知ってる、あの山谷君ではないかと思う。その中に和田君のことが出て来るらしい」

 明子の顔色が変わった。

「和田君はもう亡くなっているらしいが、かと言って、このままにしておくことは良心が許さない。せめて、山谷君に真実を話して最期を迎えたい。君も同感だと思う」

 明子はうなずく。

「山谷君の連絡先を調べてほしいんだ」


 ある日、私は分厚い封書を受け取った。

 差出人は村田望・明子の連名だった。


 拝啓

 私は村田明子。旧姓・西田です。思い出していただけたでしょうか。

 そう。P中学で英語の教員をしていました。

 あのことは忘れるように努めて来ました。でも、何かにつけて思い出してしまうのです。和田君のことです。

 山谷君から「和田君はカンニングをしていない」と言われた時、私は少し自分を失っていました。

 私は山谷君たちの級友の、田岡さんの家に下宿していました。田岡さんのお父さんは、ご承知のとおり、あの地域の有力者でした。お父さんから

「うちの娘は成績がよくない。特に英語の成績はひどい。いい機会だから、ぜひ家庭教師をしてほしい」

 と頼まれていました。

 土曜の夕方、九〇分ほど教え、いくらかの月謝を受け取っていました。

 田岡さんの英語の点数はあがりませんでした。お父さんから、教え方について嫌味を聞かされ、私は苦しい立場にありました。

 あの中間試験は、そんな時にあったのです。やはり田岡さんの成績はクラスの下の方でした。

 山谷君が言ったように、仮に和田君があのテストでは勉強していたとしても、あんな高得点を取ることは、受け入れがたい事実でした。かたや、田岡さんはと言えば、家庭教師までして、あれだけ熱心に教えても、一向に成績があがらない。

 その焦りから、私は、和田君がカンニングしたことにして、〇点にしたのです。

 カンニングの現場を、見たわけではありません。しかし、あの頃の和田君は金遣いも荒く、先生方に目を付けられていました。多くの先生方が、おそらく私と同じ判断をしたと思います。

 でも、給食費の盗難事件があって、私の自信は揺らぎ始めました。


 ページが改まり、男性の筆跡になった。


 山谷君。村田望です。

 私たちは結婚して五〇年近くになります。私がP中学で四年目を迎えた時、明子が新卒の英語教員として赴任して来ました。

 いろいろ相談に乗りました。それがきっかけで、私と明子は好意を寄せあうようになりました。

 和田君のカンニングのことは、明子から聞いていました。

 私も

「和田なら、やりかねないな」

 と、言ったものです。

 そして、給食費の盗難事件が起きました。

 教室から戻るとすぐ、生徒どうしがけんかをしている、という話が舞い込みました。私は現場に駆け付けました。

 けんかの仲裁をして戻ると、置いたつもりのところに給食費の集金袋がない。首をひねっていると、五十嵐先生から、和田が来ていた、と聞かされました。激情型の私は職員室を、また飛び出して行ったのです。

 和田君を生徒相談室に引っ張って行きました。問い詰めても「知らない」と言い張ります。小突き回しました。何発も顔をなぐりました。それでも和田君は白状しません。

 父親も呼びました。

「手癖が悪いと、就職先でもロクなことがないぞ。そのうち、警察のやっかいになるぞ」

 と、しつこく説教しました。

 それにしても、後日、机の引き出しから、あの集金袋が出てきた時は、言葉を失いました。明子にも話しましたが、明子も「おかしな出来事ですね」と言います。

 給食費の盗難事件を知っているのは、私と和田親子、そして明子だけです。

 私は押し切ることにしました。和田親子が犠牲になってくれれば済むことです。今更、時計は巻き戻せない。

「完全な善人はいない。悪人と善人の差は、指の何本を悪に染めているかの違いに過ぎない。誰も指の一本や二本は、汚してしまっているものなんだ」

 私はそんな身勝手な理屈で自分を納得させながら、明子との世界に逃避していたのです。

 翌年、私は希望して都会の中学に転勤しました。明子はその次の年に、私の勤め先の近くに転勤しました。やがて、私たちは結婚式をあげて、所帯を持ちました。

 山谷君は小説の中で、教員がお母さんに、借金の依頼をするシーンを書いています。それも事実かも知れません。たとえ何らかの関係があったとしても、私が犯した罪は、いささかも軽くなりません。ましてや、和田君は、私のことを恨み続けて、死んでいったのです。

 私は病の床にあります。せめて、思い出に残るP中学の界隈(かいわい)懺悔(ざんげ)の旅に出たいが、体力が残っていません。この地で、明子とともに、和田君に謝罪し、ご冥福を祈らせてください。

合掌

                               敬具


 第Ⅲ章 裏切り 

「県西部の山奥の中学校時代のことを小説に書いてる人がいるの。昭和の中頃のこと。お父さんが赴任してたころと同じね」

 洋子は、ベッド上の父・史彦の口に、食事を運びながら言った。

「山谷麻也っていう人。ペンネームよね」

 史彦は聞くともなしに聞いていたが、気になることがあった。

「山谷、か。彼は麻也という名ではなかったな。その小説、どこで読んだの」

「ネットに小説を発表してるの。最近は便利よねえ」

 洋子は食器を持って、出て行った。

 史彦は最近、食事をするだけで疲れるようになった。しばらく目を閉じていたが、やがて、机に移動し、パソコンを起ち上げた。

(やはり、そうだったのか。私のことを書いていたんだ)

 そう考えた時、突然のめまいに襲われた。

 気が付くと、史彦はベッドに寝かされていた。

「どうしたの。パソコンなんか見て。起きたらダメだって、先生に言われてるでしょ」

 前にもベッドの横で倒れていたことが、何度かあった。もう死期が近いことを、史彦も実感していた。


 私はパソコンを前に、いつものようにメールをチェックした。

 仕事関係のほかに、明らかに個人メールと思われるものがあった。開いてみた。


 初めまして。谷口洋子と申します。旧姓は五十嵐です。P中学で教員をしていた五十嵐史彦の娘です。

 父はがんで最近亡くなりました。母も五年前に亡くなり、実家には誰も住んでいません。

 今日は、父の遺品の整理を済ませに来ました。パソコンを片付けようとして、「父の死を知らせなければいけない方がいては」と、メールを開けてみました。そこでショッキングな事実を知ったのです。

 父が山谷様に宛てたメールの下書きを添付します。


 山谷君。やはりP中学の山谷君だったのですね。私は五十嵐です。

 小説を拝読しました。私は君のお母さんから、お金を借りました。あの時、細かい事情はいっさい話していません。また、話せるようなことではなかったのです。

 私は実家に妻と娘の洋子を残し、単身赴任していました。私の下宿先は、P中学からバスで二〇分ほどのところにありました。

 下宿は、早くご主人を亡くされた女性が営んでいました。以前は女の方が借りていたそうですが、空き室になっていました。同僚の紹介もあり、「既婚者だし、学校の先生だから」ということで、私が借りることを承諾してくれました。

 私は二階に部屋を借りていました。一階は小さな食堂でした。二階への出入りは裏の階段からしていました。私たちが顔を合わせるのは、朝夕の食事時だけでした。

 ある日、食堂で一杯やっていました。ひとりで酒を飲むことは時々ありました。その夜に限って、女御主人が、お酒の相手をしたい、と言い出したのです。

 相当、酔った女御主人を介抱していて、私は間違いを犯してしまいました。それから、私たちは急速に親密になりました。そして、告げられたのが妊娠の兆候です。相手は産むことを希望しました。しかし、狭い田舎ですから、私は仕事も家庭も失うことになります。もう三か月に近く、時間的な猶予はありませんでした。

 当時、教員の給料は安く、家に仕送りし、下宿代を払うと、手元にはわずかしか残りませんでした。

 人工中絶には、三万円くらいかかりました。町の金融業者や知り合いから借りても、間に合わない。安月給の教員の臨時支出としては、大きすぎました。

 そこで、思いついたのが、君のお母さんから借りることでした。一万いくらか用立てていただきましたが、それでもまだ足りません。

 そんな時、誰もいない職員室で、村田先生の机の上に、給食費の袋がおいてあるのが、目に留まりました。私は何食わぬ顔で近づき、持っていた教科書の間に、さっと、(はさ)み込みました。

 やがて、村田先生が帰って来て、机の周りをキョロキョロ見回しています。あの時、黙っていれば、まだよかったのですが

「先生。和田が何か用事があったのか、さっき来てましたよ」

 と言ってしまったのです。

 村田先生は血相を変えて、職員室から飛び出して行きました。

 それから起こったことは、和田君が君の小説の中で述べているとおりだ、と思います。なんとも取り返しのつかないことを、したものです。

 君の学年が卒業した後、私はさらに僻地(へきち)の学校に転勤しました。確か、高校二年の秋だったか、君は私の下宿を訪ねてくれました。あのように慕われることは、本当に心苦しいことでした。早くP中学での出来事は忘れたかった。私は、君が考えていたような教員ではなかったのです。その後も、実は、女房と娘の洋子を裏切り続けて来たのです。

 ただ、一言だけ弁明させてください。私は給料が出るとすぐ、給食費の集金袋にお金を入れ、村田先生の机に戻しておきました。


 五十嵐先生のメールは、ここで中断していた。

 私は谷口洋子のメールに戻った。


 父は続きを書きたかったのだと思います。でも、父の気力はもう尽きていました。いつものように実家に行くと、父は床に倒れ、こと切れていたのです。

 山谷様へのメールを送信後、削除するつもりだったのか。それとも、死後、書きかけのメールを私が発見し、今日このような事態に至ることを予見していたのか。おそらく後者でしょう。人生の最後に、母と私にも謝罪したかったのだと思います。

 ますますのご活躍をお祈りいたします。末筆ながら、父のこと、深くお詫び申し上げます。


 第Ⅳ章 再会

 私は生まれ故郷の三足村に、向かっていた。

 P小学校も中学校もすでに廃校になり、学校の周辺に人影はほとんどなかった。私の生家も和田の生家も、今は廃屋。周囲はうっそうとした木立に囲まれ、近づきようがない。当時、二一軒あった民家は、わずか三軒だけになっていた。


 三足村の様子を見届け、私はレンタカーをUターンさせた。途中でクルマを止め、灌木(かんぼく)をかき分けて、河原へと降りてみた。もう何年、人が通っていないのだろうか。

 河原に座って、ぼんやり川面を眺めていると、学生服のあどけない少年が歩いて来た。

 和田だった。

「麻也。よう来たなあ」

「久しぶり。なつかしいなあ。ここ、よう来るのか」

「うん。家に帰ってきた時にはな。家にはもう誰もおらんし、ここに来て遊んどる」

 私は小石を投げた。水面を四、五回ジャンプして水中に沈んでいった。

 川に、あの頃の生気がなくなっていた。


 春は、一斉に芽吹いた若葉の匂いを、川風が運んで来た。新鮮な空気を、胸いっぱい吸い込んだ。

 夏は、川がいちばん賑わう季節。子供たちは照りつける太陽をものともせずに、遊んだ。 

 秋は、周囲の山々が紅葉すると、川も真っ赤になった。つるべ落としの日が、家路を急がせた。

 冬は、山々が雪に覆われた。往還から眺める川は、凍てついていた。向こう岸まで、歩いて行けそうな気がした。

 子どもたちはいつも、川とともにあった。


「それに、今と違い、昔はきれいな水がいっぱいあった。魚もたくさんいた。川底にいる魚まで見えたもんなあ」

 私の言葉に、和田は首を傾げた。

「麻也。何いうとるの、お前。川底まで見えとるやない。あんなにいっぱい魚がおるのが見えんの。おかしいヤツ」

 和田は腰を落とし、サイドハンドから小石を投げた。

「和田。相変わらず、うまいなあ」

 うっとりと眺めていたが、ふと我に返る。振り向くと、和田の姿はなかった。

                              (完)




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