小松原さん、貴女の世界に私もいてもいいですか?
「和牛ハンバーガー……ですか?」
青空の下でログハウス風のおしゃれな店舗が眩しい。
「そ、テレビで見て一度来たかったのよね」
小松原さんってそういう番組とか見るんだ?
思わぬギャップに口を開けてると、
「ほら、入りましょ」と促される。
店内はカップルや女の子のグループで賑わっていた。
メニューはハンバーガーが中心でポテトやオニオンリングもある。
「あ、パフェもあるんだ……でも入るかな?」
メニューとにらめっこする小松原さんは、真剣だ。
でも、ちょっと可愛い。
「あの、それも頼んでシェアしましょうか?」
そう言うとパァッと顔を輝かせる。
「いいの? 結構食べられる派?」
「え、ええ……割と食べられる派ですかね」
そんな訳でレタスくらいの大きさのある和牛ハンバーガーにオニオンリングにパフェに、パンケーキまで頼んで、私達はシェアしながらランチを楽しんだ。
「うーん、やっぱりお肉と甘い物はガッツリ食べなきゃね」
勝手に食が細いと思い込んでいたので、この小松原さんの姿は新鮮だった。
可愛いと言ってしまってもいいかもしれない。
会社だと男の人が多いのであまり分からなかったけど、こんな風に女性客が多い中で見ると、小松原さんは決して華やかではないけれど、やっぱり魅力的だった。
指に付いたハンバーガーのソースを舐める仕草まで様になっている。
一人でいたらナンパされちゃうんじゃないかとか、結構本気で考えながら私はパンケーキを齧る。
(本当に、小松原さんはここに来たかったんだな……)
しかし、よりによって何でわざわざ私なんかを誘ったのか。
まだまだ油断はできない。
「あー、美味しかった!」
「ですね、あんまりこういう所来ないから良かったです」
私もこういう若い人向けの所はそんなに来ないんだけどね、と言いながら小松原さんは私の分まで払ってくれる。
「あ、これは昨日の口止め料だから気にしないでね」
どの分の口止め料なんだろう?
そう考えると、また昨日の事を思い出して頬が熱くなる。
「藤宮さん猫は大丈夫よね?」
「あ、はい?」
怪訝に思いながら答えたら、次に連れて行かれたのは駅前の猫カフェだった。
「私、猫カフェ初めてなの」
「私もです」
色々なスタイルがあるようだけど、この猫カフェは瀟洒なビルの一室でお茶とケーキをいただきながら猫達を眺めたり、じゃらして遊んだりするシステムだ。
「私、ここに一度入って見たくてね」
「はぁ」
そう言えば、この辺りは小松原さんが仕事でよく使う銀行が何件かあるはずだ。
「いつも銀行の行き帰りに見ててね、たまに窓際に猫ちゃんがいたりするとラッキーって感じなのよ」
小松原さん、このビルの下を通る時は真面目な顔をしながらそんな事を考えてるんだ。
何だか、もし同級生とかだったら絶対にいい友達になれたような気がする。
そう思うと、胸がギュッとなる。
楽しいけど、だけど----。
小松原さんは派手な猫じゃらしを持ってキャットタワーの猫の気を引こうと頑張っているけど、当の猫はめんどくさそうな顔で顔を顰めているだけだ。
「小松原さん、猫じゃらしは子猫の方が喜ぶんですよ」
「そうなの?」
ちょうどやってきたグレーの子猫の前で私が猫じゃらしを動かすと、子猫は興奮して二本足で立ち上がってじゃれつく。
「すごい! 私にも教えて!」
「難しくないですよ、動きをちょっと変えて、こうして這わせてみたり、跳んでるみたいにしたり……」
いつの間にか私はレクチャー係になっていた。
ちょっとだけ誇らしい。
「ホントだ! すごい夢中になってる!」
いや、小松原さんが一番夢中になってると思うんですけど。
今までに見た事のないような表情をしながら猫と遊ぶ小松原さんを、私は窓辺のソファで紅茶を飲みつつ眺める。
猫も可愛いけど、でも、私が見ていたいのは小松原さんだ。
「ほら、おいで!」
切れ長の目に、高すぎないけれど形の良い鼻筋は、どこか良家の奥様にも見えるし、でも猫をじゃらして楽しそうに笑う顔は無邪気な女の子のようにも見える。
(こんなに表情がくるくる変わるなんて知らなかったな……)
私は結局猫じゃなくて猫と遊ぶ小松原さんを見て二時間を過ごしてしまった。
(でも、この光景は一生目に焼き付けておきたいな、なんて……)
いつもキリッとした空気を纏っている小松原さんが嫌いかと言われたら好きだって言うし、甘い物や猫が好きな小松原さんだって好きだ。
「あー、満足した!」
キラキラした目でそう言いながらソファまで歩いて来た小松原さんは、ほんのり上気している。
こんな顔、私しか知らないんだ。
小松原さんが真面目なだけじゃないって分かったのは驚いたけど、でも嬉しい。
どんな小松原さんだって、小松原さんなんだから。
「いい歳してずいぶん子供っぽいと思ったでしょ?」
「そんな事ないですよ」
真面目なだけな貴女に惹かれたんじゃなくて、全部の表情を秘めて日々を生きる貴女を私は好きになったんだと思うんです。
そう言おうと思ったけど、口にしたら安っぽくなってしまうような気がしてできなかった。
「さて、最後はお買い物がしたいんだけど……まだ付き合ってくれる?」
空はそろそろ夕暮れの色に染まり始めている。
時間ってこんなに早く過ぎるんだって思ったのは、学生の時以来かもしれない。
「とは言っても、イオンモールなんだけど」
「え、あそこのですか!?」
前に雨に降られて小松原さんのこの車に乗せてもらった時、家同士が案外近いという話をした。
その時に出て来たイオンモールの事だろう。
「ちょうど今のコロンが切れそうでね、買に行かなきゃと思ってたの」
言われてみれば確かに奥の方に小さな専門店があった。
私は入った事がないけど。
(相変わらず人が多いな……)
週末のモールは独特の何かしら期待に満ちたざわめきみたいのがある。
だから、私は何となく苦手だった。
でも、小松原さんとこうして歩いていると、なんでもないのに心が温かくなる。
「前に貰ったお茶、美味しかったからここで買ってるのよ」
紅茶専門店の前を通る時にそう教えてくれる。
「あ、あのお茶ですか……」
家まで送ってもらったお礼に渡したお茶を、小松原さんは気に入ってくれたようだ。
それだけですごく幸せな気分になる。
(そっか、私の好きが、小松原さんの好きになるのが、とても嬉しいんだ……)
「……ここよ」
モールの外れにあるコロンの専門店の前で小松原さんは足を止める。
華やかな香りがそこだけ別世界みたいだ。
何人かの女の子達が、ああでもないこうでもないとはしゃぎながら瓶を選んでいる。
「今回は今までのと違うのを選ぼうかと思って、一緒に選んで欲しいの」
「私がですか!?」
小松原さんはニコリとした。
「あと、これも口止め料なんだけど、貴女も一つ好きなの選んで」
「そんな……今日は御馳走になってばかりで……」
いいのよ、と言って小松原さんは唇に指を当てた。
その仕草は、すごく似合っていた。
「私、貴女に貰ってばかりだったから……せめて何かあげたいの」
「小松原さん……」
(そういえば小松原さんの所によく来ていたエスプレッソマシーンの営業レディのコロン、小松原さんのに似た香りだったっけ……)
だったら、ここはあえて反対のイメージがいいんだけど。
私の我儘で選んでもいいんだろうか?
「小松原さん、ちょっとクール系のコロンだから、今度は少し甘い香りのとかいいんじゃないですか?」
言ってから気付く。
(あ、メンソール系の煙草吸ってたら誤魔化せないかも)
「ごめんなさい、煙草の匂いが分かっちゃったら意味ないですもんね」
「……煙草はもう止めたわ」
あっさりと言い、小松原さんはフローラル系のコーナーへ行く。
「これ、貴女に合いそうよ」
ピンクのガラス瓶に入ったコロンは、朝の庭園のような香りがした。
甘い香り、さわやかな香り、きりっとした香り----。
色んな香りが混ざり合っていて、でも魅力的で----。
私と言うよりは、小松原さんみたいなコロンだ。
今日一日の小松原さんの表情がいくつもいくつも浮かんで来て、香りに包まれているだけで胸がキュンとする。
「……いいですね」
「私はもう少し大人しい方がいいかな」
そう言って棚に向かった小松原さんに、私は思い切って声をかける。
「小松原さん、私とお揃いにしてください!」
「お揃い?」
ずうずうしいとか子供っぽいとか、そんな考えはもう私を止められなかった。
「今日一日一緒にいて、分かったんです……私、やっぱり小松原さんの事……!」
お店だから、それ以上は言えないけれど。
だけど、今言わないと一生後悔すると直感的に分かっていたから私は消え入りそうな声で続けた。
「……だから、香りだけでいいんです……お揃いを、私に下さい……」
「……私でいいの?」
こくこくと私は頷いた。
「じゃあ、お揃いにしましょうか」
「……!」
小松原さんがゆっくりとレジまで歩いて行く。
同じ香水瓶の入った箱を二つ持って。
その後の事は、なんだかフワフワして、車に乗ったのも気付かないくらいだった。
「はい、これは貴女の分」
綺麗なミント色の紙袋から箱を一つ出して、私にくれる。
ピンクと金色で彩られた夢みたいに綺麗な小箱を、私は壊れ物でも受け取るように手にした。
「これでもうあそこから断裁機がなくなっても大丈夫……私が見えなくても寂しくないでしょ?」
「……ッ!」
そうか、小松原さんは----気付いていたんだ。
私の視線に。
「私も寂しくなくなるわ」
小松原さんは運転席から身を乗り出して、私の唇に口付けた。
「藤宮さん、私も貴女が好きよ」
「……小松原さん!?」
ショッピングモールの仄暗い地下駐車場で、私は告白の返事を思いがけない形で受け取る。
「で、今日一日どうだった? 子供っぽくて幻滅した?」
「そんなっ! 私……小松原さんの色んな顔が見れて嬉しかったです! だから、もっともっと……全部知りたいです……!」
小松原さんは悪戯っぽく微笑む。
「全部? 本当に?」
「はい、全部……教えてください」
勢いで言ってしまってから心臓がバクバクしてる。
それって、つまりそういう事だよね?
「……じゃあ、私の近くに住んで欲しくて、貴女の住んでるアパートを社宅に指定したって言っても、怒らない?」
あ、と私は声を上げそうになる。
私がこの会社を選んだのは、入社と同時に社宅に入れるというのが大きかった。
社宅と言っても、それぞれが条件に合うアパートを選び社宅として入居する方式で、感覚としては家賃補助をしてもらってまぁまぁ便利な場所に住めるという感じだったんだけど。
駅に近かったり、会社に近かったりというそれなりに便利な社宅候補のパンフが数枚送られて来た中で、入社前の私が選んだのは、確かに一つだけちょっと違っていた。
目を惹かれたのは、部屋の間取りとかじゃなくて、綺麗な桜並木の写真だった。
悩んだ末に私はその近くのアパートを第一希望にして返送したのだ。
いや、ショッピングモールが近いっていうのも魅力的だったから、正確にはそれだけで選んだ訳ではないんだけれども。
「……そ、それって……いわゆる職権乱用? 的な事ですよね?」
そう聞いたら、「そうね」とあっさり返された。
「貴女みたいな可愛い子があのモールで私と同じ時間に違う所で買い物したり、満開の桜並木の川べりを歩いてたり、そういうの想像したら……ふふ、バカみたいかもしれないけど……何だかワクワクしたの」
少し恥ずかしそうに言って、小松原さんは「ごめんね、驚いたでしょ?」と謝った。
「ちょっとした賭けみたいな気持ちだったんだけど、まぁ、引くわよね普通……」
「謝らなくていいですってば、だって、素敵だなって思ってあのアパートを選んだのは私ですし、それを言うなら私だって……毎日仕事中に小松原さんの事、こっそり見てたりして……」
私と小松原さんは顔を見合わせた。
「えへへ……なんか……急に恥ずかしくなっちゃいました……でも、嬉しいです……」
気が付けば、いつの間にか涙が滲んでいる。
バレないように顔を反らしたのに、ほっそりした温かい指が零れかけた涙を拭ってくれた。
「小松原さんは、凄く遠くにいる人だと思ってたから……」
「そんな事ないでしょ。今だってこうして隣にいるじゃないの」
優しい声にまた泣きそうになって、私は「はい」と答えるのがやっとだった。
お互いがお互いに手の届かない存在だと思って。
それでも好きで。
互いの気持ちを知るまで遠回りして、悩んで----。
(そっか、そうだったんだ……私達は初めから……)
コロンの入った小箱を私はそっと抱き締める。
私が小松原さんを見る前から、小松原さんは私を見ていたんだ。
だけどそんな素振りは一切見せないで、私の方から告白させて----。
「小松原さんって、もしかして結構ワルイコトしてます?」
「かもね……でも、大人はみんなズルくてワルイものなのよ」
あっさりと、でも嬉しそうに経理課長は微笑んだ。
「あ、でもそういう事は貴女にしかしてないからね? ワルイ大人だけど、一応経理課長としては品行方正を心がけてるから」
「そうですよね」
でも、小松原さんだったら私は、もっとワルイコトされたっていい。
ううん、色んなワルイコトをいっぱい教えて欲しい。
そして、春が来たら二人でお花見をしたい。
だから----。
「あっ、あの……今度、お花見復活させませんか!? その……二人だけで……私、お弁当作ります!」
あとは、私が小松原さんの世界に足を踏み入れる番だ。
そして、ちょっとずつ恋愛偏差値を上げていくんだ。
私の恋は多分、そういう風にして不器用に進んでいく。
なんて事、美夏に言ったら「これだからお姉ちゃんは」と呆れられそうだけど。
だけど私は、今最高にちゃんと恋をしてるんだよ、妹よ。
「それじゃ、これからウチ来る? 簡単なものなら作れるから一緒に呑みましょうか」
「……はい!」
モールの駐車場を出ると、もう夕闇だった。
いつもなら一人で歩く夕闇の中を、私は今日大好きな人の家に向かっている。
それだけで嬉しくて、私はハンドルを握る小松原さんの袖をキュッと摘んで、囁いた。
「小松原さん……今夜、私酔っ払っちゃいますよ?」
「いいじゃない、明日は日曜日なんだから……いっぱい楽しいコトしちゃいましょうね」
そう言って笑みを浮かべる小松原さんは、やっぱり大人で、私はこの女には絶対に勝てないんだなという悔しいような嬉しいような気持ちで、ふにゃっと笑ったのだった----。




