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カシスソーダにソルティドック

 経理課長の小松原さんの所へ行くのは、経費を認めてもらいたい営業ばかりではない。


 毎日ではないけれど、来客もけっこうある。

 新しい複合機のパンフレットを持った営業マンだったり、 社用車のリースの見積もりを抱えた担当者なんかも、だいたい毎月小松原さんを訪ねてやって来るのだ。


だから、そういうお客さんは、私なんかでも顔は見覚えがあるものなんだけど----今日は違った。


(ちょっと……何なのよあの女……ッ?)


 今にも雨が降り出しそうな木曜日の夕方、私は伝票を打ち込みながら、 今年に入って一番のイラついた意識を来客スペースに向けていた。


「……ですのでぇ、前回電話でお話しさせていただいたようにぃ、この最新モデルですとコスト的にもずいぶんとお安くなる訳でぇ……」


 イライラの原因は、やたらと甘ったるい声を出すセールスレディだ。

 五分で終わりますとか言いながら、もう二十分くらい居座っている。


「このエスプレッソマシーンを導入する事でぇ、オフィスでのコミュニケ―ションがぁ…… 飛躍的にぃ、アーバンでアットホームな感じにですねぇ」


 築四十年を過ぎてるボロっちいウチの事務所が、たかだかエスプレッソマシーン一つ置いた所でアーバンでアットホームになるとはとても思えないし、多分彼女自身もそう思ってるだろう。


 それでも私とそう歳の変わらない(と思う)彼女は熱弁を振るい続けている。

 もう分かったから、その情熱は他の会社に向けて欲しい。


 ってか、帰れ。


 彼女の向かいに座る小松原さんは、何も言わずに差し出されたIPADを眺めているだけだ。

 表情はよく分からない。


「ええとですねぇ……例えば他社様の導入事例としましては……あ、これですねぇ……」


 受付で坂崎と名乗っていたそのセールスレディは、光の速さで小松原さんの横に移動し、くっつかんばかりに身を寄せてIPADを操作し始めた。


「あの、ちょっとお茶出してきます……!」


 たまたま手が空いていた風を装って席を立ち、私は給湯室で素早くお茶を二つ用意した。

 

「どうぞ」

「あっ、ありがとうございますぅ!」


 アーバンだのアットホームだのなんて、クソくらえだ。


 昭和のオーラ全開な梅の花模様の湯呑を気持ち乱暴に置きつつ、私はそっとその坂崎とかいうセールスレディを頭の天辺から爪先まで観察した。


 ミニ丈のスカートに、女の私でもすぐに目が行ってしまいそうなバスト----うーん、全部気に喰わない。


「メンテナンスの方もぉ、わたくしが毎週伺ってさせていただきますのでぇ、お手を煩わせる事は一切ないんですよぉ」


 あ、このコロン、小松原さんのに少し似てるかも。

 しかも、多分さっき付けたばかりだ。


 もはや最新モデルを見せたいのか、自分を見せたいのか分からないレベルだ。


(ま、小松原さんにはこんな事したってムダだろうけどね)


 小松原さんはというと、髪をかき上げ、IPADに視線を落としたままだ。

 何を考えてるんだろう----?


「ぬわーにがアーバンでアットホームな感じだよ!? ばっかじゃないの……ッ!?」


 駅前の個室居酒屋。

 その日の夜、私は賑やかな店内の奥でテーブルに突っ伏していた。


「でもさ、お姉ちゃんが職場恋愛とか、ウケる」

「あのねぇ……全然ウケないし、それにまだ恋愛とかじゃないから……」


 私はカシスソーダの入ったグラスを呷る。


「憧れって言うか、まぁ……そういう感じなんだけどさ」


 好き、とはまだいえなくて、私はもごもごと誤魔化してしまった。

 臆病にもほどがあるとは思うけど、きっとこれは自分に自信がないからなんだろうな。


「だけど最近はずっと気にはなってて……多分向こうは私の事なんか眼中にはないと思うけど」


 一緒に呑んでいるのは、妹の美夏だ。


 美夏は大学生だが、実家を出て一人暮らしをしているので、会うのは年に数回。

 しかもそのほとんどは当日にいきなり連絡が来て、こうして外で二人きりという感じだ。


「まぁ、そのテシガワラさんが、そのアーバンななんとかの女の人みたいなのがタイプだとして」

「小松原さんね」


 私は溜息を吐きながらラーメンサラダをつつく。

 ゴマドレッシングのやつは、お腹が一杯でもついつい頼んでしまう。


「ライバルが出現した事で、そのカワラザキさんの好みを研究できるチャンスだと思えばいいじゃん?」

「いや、そこまでポジティブには……って、小松原さんだから」


 そもそも、小松原さんの話などするつもりは毛頭なかったのだ。


 いつもみたいに美夏のとりとめもない話(バイト先の店長がどうしたとか、就活が辛いとかいう内容なので、ほぼ九割は私がふんふん聞いてるだけだったりする)で終わるのかと思っていた所に、突然の「今好きな人とかいるの?」攻撃が来て、私が分かりやすく動揺してしまったのが悪かった。


「だからさぁ、古来から恋愛と野球はどんな卑怯な手を使ってもいいって言われてる訳よ」


 美夏はラーメンサラダのスライストマトを素早く口に放り込む。

 あー、それ、取っておいたやつなんですけど。


「だから……そう、例えば……ほら、上杉謙信? みたく敵に塩を送ったりとか……敵に塩を塗ったりとか……とにかく塩を色々やらなきゃ……あ、すみませーん! ソルティドッグお願いします!」


 なんていうか、忙しいヤツである。

 人の話を聞かないし、五秒前に自分で言った事も忘れてる。


 でも、中学生の頃から男女問わず周りに人が絶えないというのも、なんとなく納得できてしまう。


 私とは正反対の、まぁ、そこそこ自慢の妹だ。

 もう少し姉の私を敬ってくれると嬉しいんだけど、そこはもう諦めている。


「お姉ちゃんはねぇ、恋愛偏差値が低すぎるのよ」

「低すぎるって……えッ……ど、どのくらいだと思うの……?」


 思わず身を乗り出してしまった私に、容赦なく答えが返って来る。


「そうだね……五点満点ならマイナス百点くらいかな?」


 なんだそれは。

 辛口映画レビューか。


「さすがにそれはちょっと……ッていうか、美夏が異様に恋愛慣れしてるだけな気が……」

「違う違う……昔からお姉ちゃんって、なんか一人でも生きて行けそうっぽいオーラ出てるじゃん? それがダメなんだよ……あ、ポテトグラタンと、それからつくね一皿追加! つくねはタレで!」


 私は一週間分の食費が秒速で消えていくのをただ眺めているばかりだ。

 

「あくまでも、それに比べたら私の恋愛偏差値が高いだけっていうか……お姉ちゃんがお母さんのお腹に置き忘れて出て来た分を私が引き取っただけみたいな……?」

「……よく言うわよ」


 毒気を抜かれるとはこういう感じなんだろうか。

 なんだかんだで気が付けば、私は美夏と顔を合わせて笑っていた。


「だからさ、お姉ちゃんはもうちょっと全体的に隙みたいなのを出してもいいって思うよ? 完璧な人って案外保護欲強かったりするからさ、目の前でいきなり転んでみるとか」

「いやそれはちょっと……」


 その後もなんやかんやとためにならないアドバイスを山ほど出してくれて、酔いのせいもあって、私はずっと笑っていたと思う。


「とりあえずさ、お姉ちゃん可愛いし、私よりは若くないけどまだ若いんだから絶対イケるって」

「ありがと……」


 答えは全然出てないけど、少しだけポジティブになれそうな気がする。

 半分はお酒のせいだとは分かっていても。


「なんか、ライバルとか、研究とか……恋愛って実は思ってたより楽しいものかもしれないね……」

「楽しいよ、恋愛って」


 グッと親指を立てる美夏。

 誰の真似だよ。


「美夏は今付き合ってる人いるの……?」

「いるよ」


 いいなぁ。

 そう心から思って、私は三杯目のカシスソーダを呷った。


「とりま、応援してるからね」


 相手の性別とか、年齢差とか、諦める口実ならいくつもある。

 でも、それでも好きなら、突っ走っちゃっていいのかもしれない。


 店を出たら雨はすっかり上がっていた。


「いいよね! オフィスラブ!」


 路上で叫ぶな酔っぱらい。


「私は味方だよお姉ちゃん!」

「分かった分かった、ありがとね」


 私は何だか胸のつかえが一つ取れたような思いで美夏を見送ったのだった。

 あと、諭吉も数名。


 しばらくは節約生活になりそうな、そんな夜----。

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― 新着の感想 ―
[良い点] "セールスレディ"って響き、なんか良いですね。 [気になる点] 小松原さんはセールスレディの説明を受けてる時、藤宮さんにもらった紅茶のことを思い出したり出さなかったりしたんでしょうか…。 …
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