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毒親


 

 もう二度と目覚めませんように。そう願っていたからか、次に目を開けた時、見えたのは恵の部屋ではなかった。

 真っ白な世界だ。それはどこまでも続いているようにも思えるし、実は目の前に白い壁があるだけのようにも思える。影がないために遠近感が掴めない。奇妙な感覚に陥りながらも、そんな不思議な空間に来てようやく、恵は死んだ実感を持てた。


「……案外死後って普通……」


 もっと恐ろしいものだと思っていた。生きていたほうが良かったと後悔するほどのものだと、勝手に思い込んでいた。蓋を開ければこんなものだ。恵はつまらなさそうにあたりを見渡す。

 先ほどまで刺されて動けなかったこともあり、普段より身軽に思える。どこまでも駆け抜けてしまえそうだ。今なら空も飛べるだろう。しかし高低も遠近も分からないために、どれも試せそうにはない。

「……どこに行けばいいんだろう」

 何も分からなかったが、ひとまず一歩踏み出してみる。足の裏に固い感触が伝わる。地面はあるようだ。恵はひたすら、目的地もなく足を進めていた。

 やはり影はない。それはこの空間の特性なのか、恵が死んだからなのか。どちらにしても「死んだ」という事実に変わりはないために、どちらでも良いかと恵はすぐに思考を放棄した。



「あ、糸井くん」

 ほんの少し歩いた頃だった。

 白の空間がぼんやりと裂けて、そこに祥介の姿が見えた。床頭台もあり、その独特な雰囲気からも病院であることがすぐに分かる。

 近くに立つ恵の姿は見えていないのか、ベッドをリクライニングで持ち上げてゆったりと横になっている祥介は、恵を見ることもなく窓の外に目を向けていた。

 そういえば以前、祥介は"中央総合病院"という名前を出したかもしれない。ともすればここに祥介が居ることにも違和感はなく、恵はすぐに受け入れる。

「しょうちゃんも明日から中学生になるのねえ」

 状況を理解するより早く、視界の隅から現れたまだ若そうな女が、ベッド近くの椅子に腰掛けた。

(……明日から中学生……?)

 女が冗談を言っているようには思えない。恵達は今中学二年だから、二年前ということである。今度は死んでも繰り返さなかったと思ったのだが、なぜかかなり前まで戻ってきてしまったようだ。

「大丈夫よしょうちゃん。お母さんがぜーんぶ整えてあるから。お勉強もしっかり出来るように、塾に行く手続きも済ませたからね。学校にもちゃんとしょうちゃんを見ててくださいねって念を押してお願いもしてるし、給食だって細かいところまで気をつけてもらえるようにリストも出しておいたの。大丈夫よしょうちゃん。学校生活を楽しめるように、お母さんがちゃんと守ってあげるからね」

 祥介の母が嬉しげにそんなことを吐き出しても、祥介はそちらを見ることもなく素っ気なく返事をしただけだった。


 それは、見たことのない祥介の一面だった。祥介には柔らかい印象がある。恵の前ではいつも笑っていたし、優しく接してくれていた。今のように素っ気なくされたことはなく、だからこそ冷たい顔が出来るということも想像がつかなかった。

 いったい何が祥介をそうさせているのか。恵はただ、目の前の光景を観察することしかできない。

「お母さんがなんでもしてあげる。だから困ったことがあったらすぐに言うのよ。学校にも何でも言ってあげるからね。大丈夫、お母さん強いんだから。大好きなしょうちゃんのためなら何だってできるわ」

「……母さん、僕もう眠いから」

 低い声で言うと、祥介はリクライニングでゆっくりとベッドを倒して、そっぽを向いたまま布団に潜り込んだ。

 祥介の母は一瞬、不安げに眉を揺らす。しかしすぐに気遣う言葉をかけて、静かに病室を出て行った。


「はぁ……何が僕のためだよ」


 恵が病室を出る間際、背後からそんな言葉が聞こえてきた。


 祥介の体が弱いということは恵も知っている。保健室登校という話も聞いていたし、入院をしているということも、以前に所在地を記された紙を渡された時になんとなく察した。恵の目の前で実際に発作のようなことが起こりかけていたのだから、祥介の状態を理解するにはそれだけで充分だろう。同じ塾に居たとも聞いたが、会った記憶がないためにそれは正直定かではない。

 恵が祥介のことで知っているのはたったそれだけである。

 祥介は自分のことを話さない。何を聞いてもいつも濁すから、恵には今の状況が少しばかり有り難かった。


「うちの祥介の様子がおかしいんです。今日の昼食はきちんとリストにないものを出していただけたんでしょうか」


 恵が追いかけた先のナースステーションで、祥介の母が挑むように看護師と向き合っていた。

 先ほど祥介と話していた表情とは正反対だ。強い怒りすら感じられた。

「はい。アレルギーなどにはこちらも充分に気をつけておりますので、」

「でも祥介がいつもと違っていたんです。おかしなものを食べたとしか思えません。今日の昼食のレシピを見せていただきたいのですが」

「すぐに持ってまいります」

「早くしてください」

 イライラとしたようにあからさまにため息を吐き出して、祥介の母はその場に残っている別の看護師に目を向ける。

「ここを選んだのは先生の腕ももちろんですが、病院食を院内で作っていると書いていたからなんですよ。なのにそれもいい加減にされたら困ります。こちらがわざわざリストまで提出しているのに……」

「もう少々お待ちいただければ詳細をお持ちいたしますので……」

「どうしてこんなに待たされるんですか? もしかして今、裏で内容を改ざんをしているとか?」

 待つというほど待ってもいない。まだほんの二分くらいのものである。しかし祥介の母はそれさえも耐えられないのか、さらに苛立った様子で腕を組み、態度にまで出し始めた。

 昼食の詳細を取りに行っていた看護師が慌てた様子で戻ってくる。するとその看護師に第一声、祥介の母は怒鳴り上げる。

「これ、今の間に改ざんしましたよね!? うちの祥介に本当は何を食べさせたんですか!?」

 その声は、ナースステーションに響くほどだった。

「これは信用問題ですよ。アレルギーで人は死ぬって分かっていますよね。なのにどうしてリストを渡してもきちんと対応してくださらないんですかね!」

「いえ、内容を確認していただければご理解いただけるかと思うのですが、私たちはアレルギーには特に、」

「だからこれは改ざんしたんでしょって言ってるんですよ!」

 あらかじめ呼んでいたのか、一人の老年の医師がナースステーションに現れた。責任者なのだろう。興奮している祥介の母の前に堂々と立ち、落ち着いた様子で対応している。まだ何かを言っていた祥介の母は、それでも「詳しいお話はこちらで」と強く押し切られて、大人しく医師についてナースステーションを離れた。


「……あー、もう本当毒親」

「ね、話が通じない」

 医師について行こうとした恵を、看護師たちの会話が引き留めた。

「祥介くん可哀想ですよね。まだ子どもなのに、まるで管理されるみたいに接されて」

「祥介くんが元気ないのは自分のせいだって分かんないのかなー」

「分かんないでしょ。自分はいつだって『祥介のためにしてあげてる』んだから」

 看護師たちがカラカラと嘲笑う。小馬鹿にしたようなその言葉たちに、恵だけはどうにも笑えそうになかった。


 恵とは正反対だ。毒親なのは同じだが、恵のところとはベクトルがまったく逆である。


 きっと祥介は愛されすぎた。体が弱かったからかもしれない。過度なほどに親に見守られて、それが行き過ぎてしまったのだろう。祥介の母も次第に本来の目的を見失い、正しいことが何かも分からなくなっている。

(……でも糸井くんはお母さんのことなんて一言も……)

 どうだろう。祥介は本当に何も言わなかったのだろうか。

 自分の思考に、恵は一番に疑問を抱く。

 ヒントはいくつか落ちていた。祥介の表情や言動。今思い出しても引っかかる場面は多くある。それに気付いていたくせに、恵は自分のことに必死になりすぎて祥介のことを顧みることもしなかった。

 もし何かを聞いていたなら、何かが変わっていただろうか。

(……ううん。きっと誤魔化されてた)

 祥介はいつだって恵には何も言わなかった。何を聞いても濁すばかりで、彼は恵のことばかりを考えてくれていた。

 どうしてあんなにも恵のことを考えてくれたのだろうか。この夢のような、記憶のような場所をたどっていれば、それもいずれ分かるのだろうか。

 そんなことに気付いた途端、まるで肯定されるかのように場面が変わった。


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