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学校という檻(1)


 ――目を開けると、見慣れた天井が見えた。

 顔のように見える木目。もうすっかり小さくなった学習机。それらを見て、今度はすぐに理解する。


 またダメだったのだ。


 恵は再び、少しだけ前の現実に戻ってきてしまったらしい。

(なんで……?)

 どうにもならないと分かったはすだ。勇気を出して話しかけた母から向けられた目には、慣れている恵も不安になるほどの憎悪が浮かんでいた。

(……何か、別のこと……?)

 もしかしたら、という可能性を考える。

 もしかしたらこれは、何か別のことを達成するとうまく死ねるということなのかもしれない。

「……何か……」

 呟くと同時、すぐにどたどたと階段を上ってくる音が聞こえた。覚えがある。恵はこの後、どうなるのかを知っている。

「あんた!」

 勢いよく扉が開いた。何度もそうされて蝶番はやはり壊れかけているし、扉がぶつかり続けているところも相変わらずへこんでいる。

「あんたのせいでまたあの人帰ってこないじゃないの! この!」

 恵の髪を掴んで、母が恵をベッドから引きずり下ろす。

 恵は繰り返すその時間が過ぎていくのを、心を殺して堪えていた。



 いったい何がいけなかったのか。どうして死ぬことができないのか。何を行えば今度こそ確実に終われるのか。そんなことを考えるが、答えは一向に見つからない。

 たとえば恵に夢や希望があったのならば話は変わっただろう。それが叶えばきっと死ねる。分かりやすい、よくある話だ。しかし恵には希望なんてものはない。夢もない。そもそもそんなものがあれば、こんな環境下でも生きていこうと強く思えていただろう。


 では、何をどうすればいいのか。

 結局そこに戻ってきて、答えが見つかることはない。


(……学校?)

 母が去った静まった部屋で一人、鼻にティッシュを詰め込みながら考える。

 家族のことではないとしたら、学校でのことなのかもしれない。

 恵には、友達と言える友達はいない。積極的に関わろうとはせず、話しかけられてもとりあえず話を合わせて、目立たないように、誰の機嫌も損ねないようにと当たり障りなく生きているからだ。


 悪口はよく聞いた。隣のクラスの誰が鬱陶しいとか、同じクラスのあの子が調子に乗っているとか、そんなことから、もちろん恵自身が言われていることまでである。そんな話ばかりを聞いていては恵も心を開けるわけもないのだが、それが彼女らなりのコミュニケーションの取り方なのだとしたら、恵も向き合うべきだったのかもしれない。


 一言、きっと悪い面ばかりじゃないよと言えていたら、彼女らは悪口をやめていた可能性もあるだろう。

 それをすれば死ねるのかと思えば、恵にとっては楽なものだった。両親と向き合うより簡単なことである。なにせ恵は学校に重点を置いていない。どちらかと言えばどうでも良いのだ。


「……そうだ、糸井くん」

 たまに学校に来ている、とは言っていたが、はたして明日は来るのだろうか。彼の所在は知らされても連絡先は教えられていないなと、恵はその時に初めて気がついた。

 明日もし学校に祥介が来なければ、教えられた病院に行ってみよう。そう考えてメモを探し、気付く。


 祥介と出会ったのは、二度目の死の前のことだ。すでに二度目の死を終えた今は祥介とは会っていない。そのため例のメモも手元にはなく、祥介も恵のことは「同じ塾の人」という認識止まりのはずである。

 とはいえ、これがどこからのやり直しなのかは分からない。一番初めに死んだ時、祥介は後ろに居たと言っていた。それがなかったことになっているのなら、祥介にとって恵はただの「塾が同じなだけの同級生」だろう。しかしもしもそれがなかったことになっていないのなら。あるいは、一番最初に繰り返しが起きた時に、同じように繰り返されていることに気付いていた祥介なら、すでに恵のことを知っている可能性がある。


 どうだろう。会いに行っても変ではないのか。

 そこまで考えて、つい嘲笑が漏れた。


 あれだけ「生きてほしい」と言ってくれた祥介を裏切って死んだ恵が、祥介に会いに行っていったい何が言えるというのだろう。


(……馬鹿らし。別に、約束したわけでもないし)

 恵が学校に意識を向けたのも、最後にはうまく死ぬためである。そんなことを報告したところで祥介には反対されるだろう。それならばわざわざ言う必要もない。

 引きとめられたいわけではない。ただ、彼の存在は恵にとって救いになったために、少し顔を見たいと思っただけなのだ。

(なら、仕方ない……)

 彼のことは「良い人が居てくれた」と、胸の内に綺麗にしまい込んでおくのが正しいのだろう。

 辛いことはない。死ぬとはそういうことである。いずれは忘れられる。それが少し、早いスパンで行われるだけのことだ。

 もう何度も諦めてきた。きっと今回もうまくいくだろう。

 明日の学校でどういう過ごし方をするか、恵はひとまずそれを考えるかと、できることをメモに書き出すことにした。




 恵が学校でよく一緒に居るのは、小学校は違うが一年の時から同じクラスの女子生徒二人である。


 陽気で成績が良いとは言えない、派手な茶髪をした星沢ほしざわ晴香はるかと、晴香にいつもひっついている、常に陰った笑みを浮かべている笠井かさい沙織さおりだ。晴香は特別誰かとつるんでいるわけではなく、いろいろなグループを転々としながらも、なぜか最後には恵のところにやってくる不思議な子である。そして沙織は晴香のひっつき虫であるために、晴香が恵のところに向かうのが気にくわないらしい。

 晴香の一番の友達は自分であると思いたいのか、恵の悪口を言う友人とは沙織のことだ。誰彼構わず、誰のことも悪く言っているから、クラスからは少し浮いている印象がある。


 軽薄な態度の晴香と、恵を嫌う沙織。その二人を相手に、深い関係を築けるわけもない。かといって他に誰か、と思っても仲良くしてきた同級生もおらず、これは当たり障りなく暮らしてきた恵が悪いのだろう。

 では、どうすればいいのか。


 それの答えは翌日になっても分からず、恵はいつものようにひっそりと家を出て学校に向かった。一緒に登校をしていたような友人は居ない。親密な友人がいないのだから当然だ。晴香のことを軽薄と思っていた恵ではあったが、もしかしたら恵が一番軽薄なのかもしれない。


 変わらない通学路を歩みながら、恵はあたりを見渡す。

 二度死んでも、世界は変わらない。まるで恵が死ぬことなど関係はないのだと、そう突きつけられている心地である。

 道路に落ちる木漏れ日も、ブロック塀の上で微睡む野良猫も、出勤時間がかぶっているOLの存在さえ、何一つとして変わらない。

(変なの……)

 恵は確かに死んだはずなのにこうして生きているということが、何より受け入れられなかった。

 学校の門をくぐっても、そこに立っていた生徒指導の教諭は何も言わない。いつものように挨拶をすれば爽やかに「おはよう」と笑って、それだけである。


 恵は死んでいない。もしくは、ここが死後の世界であるというだけなのか。

 その可能性もあるなと思いながら、むしろそう思っていた方が気が楽なことに気がついた。すでに死んでいるのであれば失敗を恐れる必要はない。学校の屋上から注目を集めて飛び降りてやることだって出来る気さえしてくる。

 もういっそそうしてやろうかと。そんなふうに歪んだことを考えたのは、恵が教室に入ってからだった。


「おっはよー、めぐ」

 恵がやってきたことを目ざとく見つけた晴香が、いつものように恵の元へとやってくる。どこのグループにも基本的に属さないはずの晴香がどうして恵の元へとやってくるのか、ということも、死ぬ前に聞いてみてもいいかもしれない。

「おはよう、晴香」

「今日さー、五時間目体育ってめっちゃだるくない? 帰る前に体育とかやりたくないっつーの」

 言いながら、晴香は恵の前の席に腰掛ける。晴香の金魚の糞である沙織が、そのタイミングで二人の元へとやってきた。

「おはよ、間宮さん。今日も朝から浮かない顔じゃん」

「そうかな」

 恵はいつもどおりのつもりだ。しかし沙織がこう言うのは、単純に恵のことが気にくわないからだと恵は知っている。そのためいちいち反論せずに流すのだが、沙織からすればその態度も許せないらしい。とはいえ、毎回噛み付けるほど恵も元気があるわけではない。

「ねえ晴香、今日の数学晴香当たるんじゃなかった? どうせ宿題やってないでしょ」

「はー? やってないけどそんな言い方しなくてよくね? つかこれからめぐに見せてもらうから別にいいし」

「え、いや私はただやってないなら私が見せてあげようって、」

「めぐ、見せて」

 またこの流れだ。そう思いながら、恵は気まずい目を一瞬だけ沙織に向ける。


 沙織はまさに、金魚の糞である。それだけなために、晴香と特別仲が良いというわけでもない。だからこそ晴香は沙織を邪険にするわけではないが、過度に親しくしているわけでもないのだ。

 恵からすれば、そんな事情はどうでも良い。しかしこうして巻き込まれることも少なくないために、正直晴香にも近づいてほしくないとは思っていた。


 仕方がないかと数学の宿題プリントを出したところで、担任教諭が教室にやってくる。それに安堵しながらプリントを晴香に渡すと、晴香がやけにに真剣な顔をして恵を見つめていた。

「……めぐさあ」

 その続きは、担任教諭の「席について」の一言で遮られた。

 心残りは学校にはない。恵自身にはすでに分かっている。しかし家のことで何かを行ってみても結局繰り返されたために、もう学校で何かをするしかないのだと思うしかない。



 昨日、作成したメモに書き出したことは、書いては消してを繰り返していれば二つのみが残された。


 一つは、晴香や沙織と、そのほかクラスメイトとも深い関わりを持つことだ。これに関しては恵は実は可能性が低いとは思っているが、もしかしたらと考えられるのであればゼロではないかもしれない。ここで味方をつけておけば、未来は変わっていたかもしれないのだ。ともすれば、安易に「この説はない」と切り捨てることもできない。


 もう一つは、担任教諭に自身の家庭の事情を相談することである。こちらは結構可能性も大きいと思っていて、未来が変わるということを念頭に考えれば、正解な気もしてくる。ここで担任教諭が正しく動けば、これまでとは違った結果が訪れるのかもしれないのだ。そうすれば恵は今度こそ、確実に死ぬことができるだろう。


 可能性が高い二つ目から実行しようかと、恵は今日覚悟を決めてきた。担任教諭とは必要最低限でしか話したこともなければ特別仲が良いわけでもないが、担任教諭であるのだから話を聞くくらいはしてくれるのだろう。


 うまく二人きりになるには、どう呼び出すのが最適なのか。そればかりを考えていた恵には、三時間目の内容まで頭に入ってこなかった。途中、ここから試験に出る、という言葉を聞いた気もするが、卒業前に死ぬ予定である恵には関係がない。

 勝負は昼休みか放課後になるだろう。考えられる時間は減っていく中で、恵は冷静にきっかけを探っていた。

 そんな恵の考えていることを知らない晴香は、休憩時間ごとに女子生徒のグループをフラフラと行き来しながらも、最後にはやはり恵のところにやってくる。その度に沙織も恵のところに来ては嫌味な言葉を落としていくために、恵の心は変な角度からも疲弊していた。


 そもそもどうして、晴香は恵のところにやってくるのか。どれだけ頑張って思い出してみても、やはり特別な思い出はない。ただ一つ確かなことは、恵が晴香と初めて話したのは一年の最初の頃のことで、晴香がみょうに恵に話しかけてくるようになったのはその時からということだけである。

 なんてことはない。一年の最初の委員会決めの際、晴香が抜擢された美化委員会という役割に対して「面倒くさい」と言っていたために、一番楽そうな美化委員を狙っていた恵が役割を引き受けたというだけのことである。


 一年の最初、出席番号順で座っていたその当時には、星沢晴香と間宮恵は前後の席だった。だから声をかけやすかった恵はつい「替わろうか?」とひっそりと提案してしまったのだ。それの何が晴香の興味を引いたのか。少なくともそれから恵は晴香に構われ、関わりを持ち続けている。

 補足ではあるが、結局晴香はその後、何の委員会も担うことはなかった。つまるところ「他の何か面倒くさい委員会をやらされる可能性があるなら、楽そうな美化委員を最初から引き受けよう」と保険をかけた恵の行動は、まったく無駄に終わったというわけである。


 その無駄な行動さえしていなければと、恵は今でも思う。女の嫉妬は友情でも生じることがある。沙織もまさにそれだろう。もしくは、晴香がクラスでも一目置かれている派手な女子生徒なために、取り入りたいという気持ちが強いのか。

 何にせよ、恵にとっては晴香の事情も沙織の事情も、どんな理由であれ同じようなものだ。回り回って実害があるのだから、晴香も沙織も同じほどには厄介なものである。


 そんな晴香や沙織の動向に気を取られて疲弊していた恵は、それからもうまく思考が転ばなかった。四時間目の授業が終わってもまだ、どうやって担任教諭を呼び出すかを決められない。どう声をかけても不自然になる予感がしてしまい、これだ、と思えるものが何一つとして浮かばないのだ。

 ここはもういっそ素直に「相談したいことがあります」と言うのが無難で正解な気がしてくる。しかしどうだろう。プライベートな話をしたこともない恵が唐突に相談がある、なんて言っては、それこそ不自然なのではないか。


「めぐさあ、今日ずっとなんか考えこんでんね」

 給食が終わり、自由な時間になって早速、いつものように晴香がやってきた。フラフラとグループを行き来することなくまっすぐ恵の元にやってきたのは、恵の様子を気にしてのことだろう。

 やってきて早々、晴香の目が恵を探る。

「そうかな。別に……」

「別にって……めぐ、いっつもそうやって、」

「晴香―、着替えようよ。五時間目体育だよ。ほら間宮さんも」

 晴香の言葉を遮るようにやってきた沙織の手には、体操着が引っ提げられていた。

 体育ということは着替えがある。思い出した恵はすぐに体操着を準備すると、教室を離れるべく立ち上がった。

「待ってよ。どこ行くの?」

 ニヤリと嫌な顔で笑った沙織が、恵を引き止める。

「間宮さんいっつも着替えの時どっか行くよね。何? 一緒に着替えたくないとか? もしかして私嫌われてる?」

「そうじゃないよ」

「本当かなあ。あ、それともさあ、夏場にも長袖の制服着てるのが何か関係あったりしてー」

 恵の心臓が、途端にどくりと音を立てた。


 身体中にある殴られたアザを隠すために、恵は半袖になることができない。だから夏場も、教諭には「日光に弱いから」と嘘をついて、長袖の制服を着ることを許可してもらっている。

 周囲からはきっと変に思われているのだろうとは思っていた。しかし他人とは冷たく無関心であるために「何かあるんだろう」という認識程度で軽く受け流してくれていると、恵はひそかにそう確信して、平気な顔をして堂々と過ごしていた。

 そしてそれはあながち間違いということもない。恵を嫌う沙織がそれにとやかく口を出す可能性は確かにあったが、沙織以外の周囲はさほどそれに興味もないのだから、ここは平気な顔をして言い返し、沙織を調子に乗らせない、ということが正しい対応である。


 しかし、そんなことは分かっていても、うまくはいかないのが現実だ。

 恵はとっさに言葉が出なかった。それどころか気まずげな雰囲気を漂わせ、沙織を調子に乗せてしまう。


「沙織さ、めぐに変に絡むのやめてくんない。つか制服とかどうでもいいことじゃん」

「変に絡んでなんかない。晴香だって間宮さんのことかばいすぎなんじゃないの。逆に怪しいよ? 何か隠すための長袖なのかなーとか勘ぐっちゃうし」

「はあ? 誰も気にしてないこと気にしてる時点で変だって言ってんの」

「……晴香、もういいから」

 クラス中の目が、険悪な雰囲気の晴香と沙織に集まっている。しかも話題は恵のことだ。居心地が悪いために仲裁に入ったのだが、沙織はそれも気に入らなかったらしく、恵をキッと睨みつけている。

「……別に、恥ずかしいだけだよ。制服だって変な意味はなくて、肌が弱いから長袖着てる」

「嘘つき。だってたまにアザ見えてるよ? そういうのってなんて言うの? 虐待? 親から殴られてるんでしょ?」

 シンと、教室が静まり返る。注目を集めていた中でそんな話を出せばそうなるだろう。沙織だけが勝ち誇ったように笑って「否定しないってことはそうなんだ?」と言っているが、恵にはその言葉も届かない。


 それがどんな感情なのか、恵には分からなかった。一気に顔に熱が集中して、心臓が早鐘を打つ。さらには気分も悪く、吐き気さえ感じられるようだ。


 逃げ出したい衝動に駆られた。

 しかしどこにと、次には行き先を考える。


 恵には頼れる人も、逃げ場所もない。最初から何もかもを諦めて一人で生きていたツケが回ってきているようだった。


「あのさあ!」

 椅子を倒す勢いで、座っていた晴香が立ち上がった。それと同時に、静かだった教室にガラガラと扉が開く音が響き、クラスの視線はすべてがそちらに向けられる。


「間宮さん」


 聞き覚えのある声だった。


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