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きみとならきっと、生きたいと思う  作者: 長野智
選んだ未来

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未来へのエゴイズム(2)


「糸井くん」

 恵の口からとっさに出た呼びかけは、恵自身にしか聞こえていない。

「何、どういうこと」

「あなたまた何を言い出すのよ」

 晴香と養護教諭が前のめりに声を出すが、祥介の落ち着いた様子に気が触れたわけではないとすぐに気付く。

 祥介はいたって真面目な顔をしていた。そこにある真剣な色には、少し呆れていた養護教諭の気も締まる。


「……これは、絶対にここだけの話にしておいてほしい。信じなくてもいいし、馬鹿馬鹿しかったら帰ってもいいよ。ただ、僕は正常だし、頭がおかしくなったわけでもないから、それだけは最初に言っておく」


 祥介は、やけに固く前置きをした。聞いていた二人は一度顔を見合わせると、固唾を飲んで続きを待つ。

「僕はずっと、過干渉な母親が大嫌いだった。何をするにもレールを敷いて、それは全部僕のためだからって言い張る。だけど全部僕のためなんかじゃない。監視と同じだ。自分が作った環境で生かして、飼い殺す。そんなのペットと変わらない。だから、大嫌いだった」

 祥介は苦しそうに吐き出した。そんな祥介の後ろで、恵はふと祥介の母親の様子を思い出す。確かにあれは相手のためだと自身の行動を正当化して、必死に子どもを縛り付けていたようにも見えた。

「僕が心臓を患っているから余計だろうね。何でもしてあげないとっていうところから歪んだんだと思う。……だから僕は、ずっと死にたいと思ってた」

「だけど糸井くん、今までそんな話、」

「したことないですよ。できるとも思わなかったので」

 養護教諭の言葉をピシャリと遮り、祥介は続ける。

「その時に、塾で間宮さんと出会った。中学一年の時だったよ。同じ学校の人で同じ塾なのは間宮さんしかいなくて、たまに隣に座ったりしてた」

「……そこでめぐと仲良くなったってこと?」

「ううん。間宮さんは僕の存在には気付いてない。学校にもそんなに行ってなかったし、同じクラスになったこともなかったしね」

 祥介の存在は、晴香の記憶にも名前しか残されていなかった。それは晴香が人のことを覚えるのが早いからであって、恵のように他人との距離を遠く置いている者からすれば当てはまらないのだろう。実際は"祥介の顔も名前も知らない"という同級生がほとんどである。

「そこで偶然見えたんだ。一年生の時に、隣に座ってたら……間宮さんの手首に、青黒いアザがあった」

「それで」

「うん。それから虐待を受けてるのかなって予想をつけた。だけどほら、僕も親に悩まされてるからさ、変な仲間意識っていうのかな。不謹慎なのかもしれないけど、親近感湧いちゃって」

 通常であれば、中学生といえばそれなりに悩みはあれど親にはしっかりと守られ、楽しく友人と遊んでいる年頃のはずである。

 祥介の周りもそうだった。誰を見ても楽しそうに過ごしていたし、時には好きな子の話で盛り上がっていたりもする。喧嘩をしてもすぐに笑い合う。駆け回り、たまに転んで、それでもなんとか立ち上がり後ろを振り返ることなんかない。学校にあまり通えていなかった祥介にとっては、そんな同級生たちが本当に羨ましかった。

 もちろん、恵にとってもそうである。

「……僕だけが一方的に間宮さんを見てた。どうやって話しかけようかとか、どうにか仲良くなれないかなとか、そんなことばっかり考えてたよ。だけどそれも、ある日間宮さんが自殺をしちゃったから、全部無駄になっちゃったけど」

「……自殺?」

 そんなことあったっけ、と、晴香と養護教諭の顔にはっきりと書いていた。

 これは、恵と祥介にしか分からないことだ。


「ここからが、ここだけの話にしておいてほしい、話」


 二人は、真剣な顔をして頷いた。

「僕が塾のビルの屋上に行った時、間宮さんが目の前でそこから飛び降りた。手を伸ばしたけど届かなくて、その時にはもう間宮さんのことを勝手に友達だと思ってたから、すごく悲しかったよ。いや、『悲しかった』なんて軽いものじゃない。絶望だった。……だって、自分と似てると思っていた間宮さんが死んだなら、残された僕はどうすればいい。生きられるわけがない。同じだった間宮さんが生きていたから僕も生きていられたんだ。生きようと思った。だけど間宮さんは死んだ。目の前で消えた。この世界を見限った。……だから耐えられなくなって、僕も後追いで飛び降りたんだ」

「……え。でも、糸井は今ここに……」

「そう。僕はここに居る」

「どういう、ことなの?」

 晴香と養護教諭の顔が、不可解な話によって変に歪む。今聞いている事象と目の前に広がっている現実との食い違いが、どうにも理解できないようだ。

「目を覚ますと、二日前に戻ってた。それは、間宮さんも」

「……時間が戻った……?」

 晴香の問いに、祥介は頷いて肯定を示す。

「詳しい原因ははっきりしてない。だけど目が覚めてすぐ、僕はまたあのビルの屋上に行ったんだ。もしも間宮さんも同じように目を覚ましていたなら、生きていることに気付いてすぐに死のうとするでしょ? だから今度こそ引き留めに行った。そうしたら思ったとおり間宮さんが飛び降りようとしていて……二回目は止められたよ。そこで初めて間宮さんと話したんだ。仲良くなったっていうなら、そこからだよ」

 それは第三者にとって、にわかには信じ難い話だった。


 恵は当事者であり、死ぬ覚悟さえあった人間だからこそ何が起きても「また死ねばいい」と重く考えることはなかった。死を経験することで何かが麻痺していたのかもしれない。恵も祥介も、二人とも深く考えず「死んだのに生きている」ということを自然と受け入れていたが、きっと晴香や養護教諭のような反応が正しいのだろう。


「だけど間宮さんは、頑張った末にまた自殺した。……お母さんに頑張って話しかけたらしいんだ。今考えると、娘を平気で殺せるような親と和解なんて出来ないよね。絶望してまた自殺をするのも今なら納得できる」

「……そ、それで……えっと、めぐは、一回生き返って、もう一回死んで……でも、私たちがめぐの自殺を知らないってことは、もしかしてまた……?」

「そう。また生き返る」

 ただし、と、祥介は間を置かず強く言葉を続けた。

「その前に僕は、間宮さんのお母さんを殺した」

「……あ」

 気付いたのは養護教諭だった。少し前に祥介が言っていたことを思い出したのだ。

 恵の母と自身の母を殺した、という祥介の言葉に、最初は気が触れているのだと思っていた。しかしこういった事情があったのならば、信じられないことではあるが、理解はできる。

 祥介は確かに、恵の母と自身の母を殺していたのだろう。


「すぐに僕の母親も呼び出して殺した。あいつら親に、僕たち子どもの気持ちを思い知らせたかったんだ」


 決して落ち込んだ様子ではない。しかしどこかぼんやりとした声で言うと、仄暗い色を瞳に宿し、祥介はきつく眉をひそめた。


「……そ、それから?」

 晴香が問いかける。あまりにも物騒な話に不安になったのか、その声は幾分か細い。

「あいつらを殺して、僕も死んだ。そうしたらまた戻ってたよ。僕も、間宮さんも」

 そこで一度、祥介は姿勢を正すための間を置いた。その様子を見ていた晴香と養護教諭は何かを言い出すこともなく、ただひたすらに次の言葉を待っている。


「……おかしいと思わない?」


 やけに確信を持った声音で、祥介が唐突に投げかけた。

「おかしい?」

「うん。間宮さんが生き返るのは、僕が死んでからなんだ。それならきっかけは間宮さんが死ぬことじゃなくて、僕が死ぬってところにある」

「だ、だからって糸井くんが死ぬなんて、そんなことは考えちゃだめよ」

「僕はもう二回死んでますよ、先生が知らないだけで」

 そう言われては養護教諭には何も言い返せない。確かに彼女の知らないところで、祥介と恵は生と死を繰り返していたのだ。

「死ぬ前にね、願うんだ。次は絶対に大丈夫。生き返ったらこれをしよう。今度こそ間宮さんを助けるって、強く願う。……でも、そうしてるから戻るのかは分からない。僕にも、何が起きているのかはいまいちはっきり分かってないんだ」

 きっと晴香や養護教諭が当事者でも同じだろう。経験した恵にだって分かっていない。


 素直に述べるならば、本当に不思議な感覚である。

 死んだと思ったら目を覚ます。死後の世界というわけでも夢というわけでもなく、それはほんの少し戻った「現実」で、死んだはずの恵が生きているという事実だけが突きつけられる。


 不思議だった。恵は確実に死んだはずなのだ。記憶もある。死んだという事実もなんとなく分かっている。けれどなぜか生きている。それならばとまた死んでみても、相変わらず生き返る。

 不思議という言葉では尽くせない。奇妙な感覚とも言うのかもしれない。

 きっと祥介も恵と同じ感覚なのだろう。だからこそ、祥介にもどうしてこの現象が起きているのかがはっきりと分かっていない。


「……また僕が死ねば、間宮さんが戻るかもしれない」


 祥介の話が、最初に伝えられた結論に行き着いた。

 それは教師が認めるにはあまりにも不穏な話だった。容認できるわけもない。当然、養護教諭はすぐに「だめよ」と言葉を挟む。

「これまでの話は本当に信じ難いけれど、糸井くんのことだから嘘はないと思って一旦信じるわ。その上で、糸井くんが死んで間宮さんを救い出すことには賛同できない」

「どうしてですか」

「確証がないからよ。それで絶対に生き返るかは分からないじゃない」

「それならそれで、僕はあっちの世界で間宮さんと暮らすだけです」

「残された人間の気持ちも考えなさい。……あなたには未来もあるの。手術をするっていうのも決めたばっかりじゃない」

「そんなの間宮さんが居たからだろ!」

 糸井祥介という男は、晴香の知る限りでは声を荒げるような少年ではない。時折通学してくるのを見かけてはいたが、その時にも気弱そうだとか大人しそうだとか、祥介に対して周囲が思っているものとまったく同じ印象を抱いていた。

 常に俯いていた祥介が、今は睨むように養護教諭を見つめている。それが晴香には意外だった。

「……死んだっていいだろ。僕の命なんだ。間宮さんが死を選んだように、僕だって選んでもいいじゃないか。ましてや今回は間宮さんが救えるかもしれないのに」

「……だけど糸井。めぐはもう嫌だって思ってるかもしれないよ」

 晴香が、冷静に声を落とす。

「どういうこと?」

「だって私、ずっとめぐの側にいたんだ。でも少しも頼ってくれなかった。……糸井だってそうだったんでしょ。境遇の似た糸井にさえ頼らないんなら、もしも生き返ってもめぐは結局また自殺する」

 晴香の指摘に、祥介は何も言い返せなかった。

 祥介が恵に頼ってもらえたことなんかない。相談されたこともない。恵は何も話さなかった。祥介には何も伝えず、祥介に黙って自殺を選んだこともあった。

 恵と祥介の関係は常に傾いている。祥介ばかりが追いかけて、祥介ばかりが恵のことを考えている。それをしっかりと理解しているからこそ、祥介には否定の言葉も浮かばなかった。


(……また助かったら、どうするのかな……)

 悔しそうな祥介の後ろで、恵はふっと顔をうつむける。

 また恵は死ぬのだろうか。だけど恵はもう「死」が恐ろしいものであると、はっきりと理解してしまった。

 人は二度死ぬ、とはよく言ったものである。恵もまさにそれを考えて恐ろしさを覚えた。

 一度目の死はまだいい。肉体が失せるだけである。しかし二度目はどうだろう。二度目の死は、一度目の比ではない。

 忘れられるとは、この世の一切のものから「消失」するのと同じことである。

 声を忘れる。思い出が薄れる。そうして顔すらも思い出せなくなり、存在すら消えてしまう。

 誰に忘れられてもいい。しかし恵は、祥介や晴香に忘れられてしまうのは心が苦しいと、確かにそう感じたのだ。

 恵はもう死を選べない。きっと違う選択をする。けれどすべては後の祭りだ。恵が周囲を信じなかった罰なのか、恵は今度は自殺ではなく母親に殺された。

 二度と戻れないというのに、祥介や晴香の気持ちを知ったから生きたいと思うとは、どれほど都合が良いのかと恵は思わず嘲笑を漏らした。

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