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あの時(1)


 沙織が恵と晴香に関わり始めたのは、一年の夏のことである。

 恵は夏でも合服を着ていた。晴香はそれを見ても珍しく空気を読んで何も言わなかったのだが、最初に指摘したのは沙織だった。


「もう移行期間終わったよ?」


 誰もが恵の格好を気にしていたし、その疑問を沙織が代表して問いかけただけだった。当然沙織に悪意はない。何気ない日常会話の一つである。

 けれども恵にとってはただの"日常会話"にはならなかった。恵はピタリと動きを止めると、表情を強張らせて目を泳がせる。明らかに狼狽しているが、なんとか落ち着こうとしているようだ。

 まずいことを聞いてしまったと、沙織も晴香もすぐに気がついた。

「あ、いや。まあいろいろあるもんね、日光アレルギーとかね」

「……そう、だね」

 沙織が気を遣ってフォローを入れる。それにも恵はうまく返すことができず、苦笑を浮かべただけだった。


 その時、恵は誰の目にも明らかに大きな一線を引いた。ただでさえよそよそしかった恵がこれまで以上に遠ざかる。明確なその線引きに、晴香は原因である沙織を強く敵視していた。傍観していた恵が気付いたくらいだ。沙織本人にも分かっただろう。

 たった一度会話を失敗しただけで、ずっと話したいと思っていた晴香に敵視された。沙織はそれがショックだったのか、すぐにその場を離れていく。

 場が少しおかしかったことに気付かなかったのは恵だけで、恵はただ本に視線を落としたまま、頑張って物語に没頭しているフリをしていた。


(そっか……ここから)

 いったいどうして沙織が恵を嫌うのか、そのくせどうして構うのかが分からなかったのだが、これでようやくはっきりとした。

 この時以降、沙織は恵に近づくだけで晴香から睨まれるようになった。沙織には面白くない話だろう。沙織はただ恵とも晴香とも仲良くなりたかっただけなのに、突然悪者にされたのだ。

 しっかりと思い返してみれば、晴香は沙織に対してどこか棘のある態度をとっていたかもしれない。晴香にも沙織にも興味がなかった恵は、ゆっくりと溝が深まっていることに気付かなかった。


 それからも晴香の態度は変わらない。恵が一方的に壁を作っているだけで、晴香はやっぱり恵によく構っていた。


『なんだろ……どうしたら仲良くなれるかな……』


 分厚い壁を感じている晴香の頭の中にはそればかりが浮かび、けれど踏み込めないもどかしい毎日を過ごす。

 話しかけても恵は素っ気ない。目が合うことも少ない。晴香はどうしたら恵が笑ってくれるのかと、いろいろなことを試しているようだった。


 恵にはそれが意外だった。晴香が恵に構うのは、恵が何も言い返さず余計なことも喋らないために気楽だからだと、それが理由で側にいるのだと思っていたからである。

「変なの。晴香、友達多いのに……」

 無意識にそんな言葉が出てしまったほどには、恵には本当におかしな事実だった。

 友達の多い晴香が面倒くさそうな恵を相手にする必要はない。なにせ自分に壁を作っているような人間である。何かメリットがあるなら別だが、そうでもないならこだわる必要もないだろう。

 生前は、そんな晴香の存在が恵には邪魔に思えていた。晴香が側に居るから恵が沙織に絡まれる。晴香さえ居なければそうならないのにと、晴香の気持ちを疑い、踏みにじるようなことを思っていた。


「ねえ、間宮さんて八方美人じゃない? なんか薄っぺらいっていうか」

「えーそうかな。あんまり話したことないんだけど」

「だってこの間さー」

 恵が八方美人であると、そう言い出したのはどうやら沙織だったらしい。恵はその場面を目撃しても驚くことはなかった。心のどこかでは気付いていたのだろう。沙織からあれだけ毛嫌いされていたのだから、当然と言えば当然である。


 沙織が噂を流すたび、晴香が沙織を睨み付ける。すると沙織はさらに意固地になり恵を悪く言い始める。悪く言えば悪く見えてくるもので、最初は頑張って探していた恵に対する悪口も、そのうち沙織の頭には自然と思い浮かぶようになっていた。


 やがて沙織も「悪口しか言わないよね」とやや避けられ始めるのだが、この頃にはまだ気付いていない。

 そうして一年が終わる頃には、恵と晴香と沙織の間で、負の循環が確立されていた。


 当事者ではない立場で客観的に見ていると、沙織は特に晴香にこだわっているわけではないのだと分かる。

 本当は、晴香と仲良くなることはどうでもよかったのだ。沙織はただ二人と仲良くしたかっただけで、それでも二人が仲間に入れてくれないからいつも寂しい思いをしていたのだろう。それが次第に歪んでしまい、気がつけば恵を嫌うようになってしまった。

 沙織はむしろ、恵にこだわっていたのかもしれない。


 二年に進級しても、恵たちの関係は変わらなかった。負の循環は健在で、沙織は尚も、隙あらば恵に嫌味を言いに寄っている。


 しかし、そんな日々の終わりは、ある日突然訪れた。


 恵が死んだ日だ。

 一度目は間もなく恵の目が覚めて「繰り返された」ためにクラスの反応は無いも同然だったが、二度目は違う。恵が死んでから繰り返されるまでに時間があり、恵のクラスにも「恵が自殺した」という話が回っていた。

 恵は、面白おかしく恵の自殺を語るクラスメイトたちをまるで他人事のように見つめていた。心が動くことはない。興味もなさそうである。

 数多くの噂が飛び交う中、一番多かったのはやはり「いつも合服を着てることが関係している」ということだった。


 恵はそこで初めて、意外にクラスメイトから注目されていたのだと理解する。年中長袖を着ていれば当たり前だ。しかし他人とは無関心なものだと思っていたために、なんらかの感情を抱かれていたという事実は恵にとっては不思議なことだった。


 噂を聞いてから、晴香はずっと机に伏せていた。誰が声をかけても反応を見せず、寝たふりを続けている。こんな状況なら沙織が喜ぶのでは、と恵がそちらに視線を移すと、沙織もなぜか浮かない顔をしていた。


「沙織、聞いた? 間宮さんの自殺! 良かったじゃん」


 一人の女子生徒が、内容とは裏腹な明るい声でそう言って、沙織の肩をポンと叩く。

「ねー、あたしら絶対沙織は喜んでると思ってたんだよね」

「……え。喜ぶってなんで。別に嬉しくはないよ?」

 さすがに沙織も「自殺」と聞いて穏やかではないらしい。自身がキツくあたっていたからというのもあるのだろう。心の片隅では「もしかしたら自分のせいで」と思うのもまた仕方がないことである。

「だって沙織、間宮さんのこと嫌いだったじゃん? あんなにいじめてたのに」

「そうそう。いっつも無駄に絡んでいってさ、死んで欲しかったんじゃないの?」

 ガン! と突然、大きな音が教室に響く。

 寝たふりをしていたはずの晴香が起きていた。そして晴香の机は倒れており、晴香は足を前に出した状態で動きを止めている。誰が見ても、何が起きたのかは明らかだった。


 張り詰めた緊張感が教室を一気に支配する。クラス中の注目を集める中、晴香はゆっくりと沙織たちを振り返る。


「ちょ、やだ晴香。冗談だって、冗談」

「そうだよ、それにあたしらは別に間宮さんのことどうとも思ってないっていうか……だいたい全部沙織だし?」

「はあ? ちょっと私は別に、」

「何言ってんの今更。みんな思ってるよ。沙織は間宮さんが嫌いで、死んでほしくていじめてたんでしょ?」

「……いい加減にしなよ、あんたら」

 晴香の声が震えていた。それにはクラスメイトたちも怯えたように肩を揺らして、立ち上がった晴香を見て押し黙る。

 しかし晴香は何も言わない。ただ強く沙織たちを睨みつけ、何かを言いかけて息を吸い込んでは口を閉じる。


 なぜか、とは聞かなくても分かる。

 晴香の唇は震え、言葉にならない呼吸もまた明らかに揺れていた。


「……ご、ごめん」

 そんな晴香に謝ったのは、いったい誰だったのか。傍観している立場の恵でさえその確認を出来ないほど、晴香の様子から目が離せなかった。

 晴香はいつも笑っている。恵にはそのイメージしかない。沙織が来た時には多少不服そうにはなるものの、そんな中でも恵を見る時にはいつも笑みを浮かべていたから、恵の頭の中には笑っている晴香の顔しか残っていなかった。

「……なんで、私に謝るの」

 晴香がようやく吐き出した言葉は、かすれてあまり届かない。

「めぐに謝ってよ」

「……でもあたしらは間宮さんをいじめてたわけじゃないし……ねえ?」

「いじめてたのは沙織なんだから、沙織は手ぇ合わせにいきなよね」

「なんで?」

 沙織が何かを言いかけたのを遮るように、晴香が強く問いかける。

「なんで沙織だけ? あんたたちも笑ってたのに。めぐが自殺したって、そんなに楽しい話題? 良かったねって、平気で誰かに言えるくらい、軽いこと?」

 悔しそうに涙を流しながら、それでもその真っ赤な目で強く睨みつけていた。

「感覚おかしいでしょ」

 恵を友人として慕ってくれていた晴香だからこそ、激怒するでもなく、ただ静かに諭したのだろう。


 恵の胸が痛む。もうこんな光景は見ていたくなからと、ギュッと固く目を閉じた。

 晴香を信用せず、ましてや「どこかに行ってほしい」とさえ思っていたのだ。その罪悪感から目を背けたかったというのもある。

 恵はただ、心で何度も晴香に謝っていた。


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