一人じゃない
恵が殺されたという現実に追いついたために、とうとう死んでしまうのだろうか。
恵は多少身構えた。しかしどうやら違ったようで、視界を覆っていた白が晴れた時、恵は教室の真ん中に立っていた。
教壇に立つ担任教諭は、一年生の時の恩師である。今度はどういう現象なのか、恵はなんと一年の頃に戻ったようだった。
「はい、じゃあ美化委員は星沢さんにお願いします」
担任からの言葉に、出席番号順で恵の前に座っていた晴香は「えー」と気怠げな声を出した。声だけではない。その表情も心底面倒くさそうだ。
教室も少しばかり嫌にざわつく。意味深な視線を晴香に送り、晴香に聞こえないようにと小さな声で会話を始めた。
「星沢さんが美化委員とかやばくない?」
「絶対無理だって」
「ずーっとサボってそー」
「仕事押し付けられたらどうしよ」
「美化の仕事押しつけられるとかマジ無理」
周囲は嫌な笑みを浮かべ、そんな言葉をつらつらと吐き出す。
自分のことではないというのに、聞いているだけで嫌な気持ちにさせられた。恵でさえそう思うのだから本人はもっと思っているのだろう。聞こえないふりをしているが、晴香だって胸中穏やかではないはずである。
そこで、恵はふと思い出す。
晴香は入学した頃から地毛が茶髪ということで変に目立っていた。雰囲気が派手なこともあるのだろう。さらに媚びることもないために「態度が大きい」と言われていたし、先輩にも目をつけられていた記憶がある。
入学してすぐは、晴香はクラスメイトから敬遠されていた。
(あれ、じゃあなんで今はあんなに……)
今の晴香はすっかり人気者だ。誰からも声をかけられるし、憧れの対象にさえなっている。どうして恵に構うのかが分からないほどには、同じクラスだけでなく、同級生や先輩、後輩からも求められているイメージである。
だけどそれはいったいいつからだったのかと、なんとなく思い出そうとしていた恵の頭に、突然晴香の言葉が響く。
『陰口ばっかうっざ』
晴香の心の声だった。やはりこの時、晴香も不愉快だったらしい。
――晴香は頭は悪く不真面目ではあれど、素直で正直で決して悪い人間ではない。同調することもないから空気が読めないと最初は思われていたようだが、それも結局「公平性がある」と先輩からも信頼を得るようになった。
何も知らないうちから悪く言われてしまうのは、晴香のその「雰囲気」と「見た目」のせいである。
後からそれが「むしろカリスマっぽいよね」と人気になるのだから本当に馬鹿らしい話だ。
「あー。面倒くさ」
「星沢さん」
後ろの席に座っていた恵が、晴香の背を数度つついた。
これが二人の初めての会話である。近くで見ていた恵は思わず、自分が何を言うのかと緊張感を抱いてしまった。
「は? 何?」
「美化委員、かわってくれない?」
「……別にサボったりしないけど?」
「そんなこと思ってないよ。他の委員会をさせられる可能性潰すためにかわってほしいの。美化委員が一番楽そうだし」
「……はあ?」
恵の言葉にぽかんとした晴香は、それでもすぐに了承を返した。
『何この子。変なやつ……』
恵としては面倒な委員会から逃げるための最善の戦略だったのだが、晴香にはあまり理解ができなかったようだ。
恵は晴香の明け透けな心の声に苦笑を漏らす。しかし「変なやつ」と思われていたと知っても恵が嫌な気持ちにならないのは、晴香がそもそも嫌味のない人間であるとすでに知っているからだ。
晴香は直情的で、感情がすぐ言葉や表情に出る。恵はそれが、実は少し苦手だった。
「ねえ、苗字難しいからさあ、めぐって呼んでいい?」
そんなことを言われたのは、その日の給食の時間である。
「難しいって……間宮だよ」
「むずいじゃん。宮ってつくと、なんかむずい」
「まあ別にいいけど」
「じゃあめぐと晴香ね」
素直な人間は良い感情も表に出すが、同時に悪い感情も出る。晴香が恵に笑いかければ笑いかけるほど、それを失った時にも気付いてしまうということなのだ。
恵は晴香が苦手だった。あまり構わないでほしいとさえ思っていた。
しかし恵の意思とは関係なく、晴香はそれから、恵によく構うようになってしまった。
恵自身ずっと疑問だったことである。委員会を代わったというだけで、どうしてここまで懐かれたのだろうか。
「あ、晴香! ちょっときてきて、可愛いリップ買ったの見て」
「えー、まじでー?」
入学式から少し経てば、晴香は話しかけられることも増えた。呼ばれるたびにフラフラとして、けれども最後には恵のところに戻ってくる。
まさに今もそうだった。本を読む恵の近くで携帯をいじっていた晴香は、呼ばれてふらりとそちらに向かった。ずっとそこに居れば良いものを、きっとまた恵のところに戻るのだろう。
「てかさ、なんで晴香、間宮さんと居るの? タイプ違くない?」
「あー、それ思う」
リップを見せられていた先で、そんな会話が始まった。
しかしそれは恵も思っていることだ。これといって特筆すべき点のない恵と、目立つ人気者の晴香。明らかに正反対で、晴香が恵と一緒に居ても楽しめるとは思えない。
問われた晴香はいつものように笑っていた。晴れやかな笑顔だ。晴香の素直であるという性質を考えれば、それが悪気のないものだと分かる。
「なんでって……じゃあさ、むしろなんで二人は私に話しかけるようになったの?」
「それはだって、ねえ」
「うん。晴香って最初は正直怖かったけどさ、案外普通だったっていうか、声かけやすいって感じだったから?」
「そうそう。その茶髪とかめっちゃカッコいいし」
第一印象は結局あてにならないということだろう。晴香は損をするタイプではあるが、一言でも会話をすればイメージとは異なると分かる。彼女らもそうだったということで、別におかしな話ではない。
「でしょ。私茶髪だしさ、見た目怖いっしょ。なのに声かけやすいって分かったの、誰のおかげかってこと」
晴香が歯を見せて笑うと、そこでちょうど別のグループから声がかかった。何も言えない二人を置いて、晴香は声をかけられたグループへと向かう。
『めぐが居なかったら、声なんかかけなかったくせに』
ぼんやりと立つ恵の隣を通り過ぎる晴香から、そんな心が聞こえてきた。
――晴香は実は、自分のことがあまり好きではなかった。
その見た目から「不良」だと思われ、これまでも、何かがあれば全部が晴香のせいにされていた。誰かがいじめられていたら晴香が主犯であると決めつけられ、ゴミを投げてゴミ箱に捨てるという、ある意味子どもらしい行為をしても、教師からは人一倍怒られた。さらに晴香は素直すぎたこともあり、思ったことがすぐに口から出る。それもあって「毒舌」や「悪口をすぐに言う」などと言われて、周囲からはずっと敬遠されてきた。
晴香はずっと一人だった。正しくは、悪ぶった同級生なら側に居た。友達とも呼べない彼らは頻繁に晴香に構ったが、晴香が相手にすることはまずなかった。
救いだったのは、晴香が素直だったことである。変に荒んでなかったために、変に捻くれることもなかった。
「めぐー。ただいま」
「うん? うん」
「はは、ちょークール」
グループを順繰り巡って恵の元に戻ってきた晴香は、すぐに視線を本に戻した恵に苦言を呈することもない。むしろ恵が本を読んでいる姿を嬉しげに見つめて満足すると、晴香はすぐに携帯をいじり始めた。
『あー。すっごい楽』
晴香は、恵が晴香の存在に気を遣っていないということを正確に察している。だからこそ、過度に怖がられるわけでもなく、気を遣って話しかけようとするでもない恵の側が楽だと思えるのだ。
さらに、ずっと一人だった晴香が、恵のおかげで周囲と打ち解けて一人ではなくなった。晴香が何よりも深く恵に感謝しているところである。
一人が辛くないわけがない。理解をしてほしいと思わないわけもない。
恵の存在が架け橋となり、周囲との壁はなくなった。晴香にとって恵は、初めて自分を受け入れてくれた唯一の友人なのだ。




