第7話 駆動制限(ドライブ・リミッター)
「おい、待て!」
クロードは追いかけようとしたが、残りの兵士たちが魔弾の装填された自動小銃を構え、その前に立ちはだかった。兵士たちはクロードたちをぐるりと取り囲むと、所持している銃の銃口をつきつけ、鋭く叫んだ。
「動くな! 動けば本気で撃つぞ‼」
(くそ……!)
クロードは苛立った。アリスも隣で戸惑ったような表情を浮かべている。
ムシュフシュ遺跡の内部に何があるのかまでは、クロードもアリスも知らされていない。だが、有用な機能はほぼ全て停止状態にあるはずだ。内部の施設の基幹部分は、その殆どが《レヴィアタン》によって回収されているか、無力化させられている。一般人が入り込んだところで、価値のあるものが残っているとも思えない。
バルトロメオがどうしてこの遺跡にこだわるのか。クロードにとっては理解に苦しむ行為だ。
(まあ、だからと言って放っておくわけにもいかねーか……)
クロードは内心で独り言ちた。《レヴィアタン》の活動は、人命保護が最優先だ。そもそも《レヴィアタン》という組織自体が、戦後の復興を目的として結成されているのだから、そういった理念を掲げるのも当然だと言える。行方不明者の続出している遺跡に突入した者達は、一般的に考えて危険と判断するのが妥当であろうし、一刻も早く連れ戻してその安全を確保してやらなければならない。
オースティン家の御一行はそれを望まないだろうし、クロードもできるならあんな連中と関わりたくないが、仕事なのだから仕方がない。
それに、どのみちクロードたちも遺跡に入って内部の様子を確認しなければならなかった。
やれやれ――クロードは溜め息をつく。
となると、どうやらクロードを包囲するオースティン家の私兵たちと戦い、それを突破せねばならないようだ。そうなると、それ相応の準備が必要となる。
クロードはいちど目を閉じると、魔術を展開した。次の瞬間、アリスの目の前に、魔法陣のような魔術文字の羅列が浮かぶ。アリスはぎょっとして身を竦ませた。
「な……何これ?」
「そこに書かれた内容に同意するなら、掌をかざして同意すると言え。あと、自分の名前も忘れんなよ」
クロードはバルトロメオの部下たちを睨みつけたままそう言った。ところが、アリスはクロードと魔法陣を交互に見比べ、困った顔をする。
「何これ……契約書?」
「見りゃわかるだろ。」
しかし、アリスは青くなって、ふるふると顔を横に振り始めた。
「だ……ダメだよ! 借金の保証人だけにはなるなって、うちのお父さんが……」
「そーいう契約書じゃねえよ、いいからちゃんと読め! っつーか、何で俺が借金して、しかもその保証人にお前を選ばなきゃならねえんだ⁉」
「え、違うの?」
アリスはぱちぱちと目を瞬かせる。クロードはがっくりと脱力した。
「あのな……俺ら屍兵は使役する死霊魔術師の許可が無ければ、人間と交戦することはできないんだよ! 常識だろ‼」
正規の屍兵に設けられた『安全装置』―――その中の一つがそれだ。屍兵は、死霊魔術師の同意が無ければ、人間との戦闘は許されない。万一それを侵した場合、《レヴィアタン》の審査にかけられ、判断如何によっては屍兵が廃棄処分にされることもある。クロードの展開した魔法陣は、その許可を取る為のものだった。
そして、屍兵に課された安全装置はそれだけではない。屍兵は死霊魔術師を決して傷つける事ができないのだ。
確かに補給油の存在も安全装置の一つだ。しかし、最も強い制御力を持つのは、駆動制限と呼ばれるものだった。これは人でいう本能のようなもので、熱された鍋を触ると反射で手を引っ込めるように、屍兵は決して自分の死霊魔術師を殺すことはできない。殺意を抱いたとしても、手を出すことができないのだ。例え脳が指令を出しても、体が動ない。それは何に於いても勝る、絶対優先事項だった。
そう――だからアリスがもし、どんなに理不尽で見当違いでおバカな命令をクロードに下したとしても、クロードはアリスをド突くこともできない。一切、暴力を振るうことが出来ないのだ。できるとしたら、せいぜい悪口雑言を垂れるくらいのものなのであった。
これらの事項は、普通の死霊魔術師であれば、何よりもまず最初に教えられる初歩中の初歩であり、基本情報の筈だった。しかしアリスは「へ~」、と目を丸くする。
「そうなんだ? ……全然知らなかった!」
クロードはがっくりと頭を抱える。
「お前ホント、今まで何やってたんだ……!」
「だってわたし、実戦初めてなんだもん」
「は……? おい、聞いてねーぞ‼」
流石に聞き捨てならないと、アリスの方をがばっと振り向く。ところがアリスは例の満面の笑顔で、「説明してなかったっけ?」と、そう答えた。
説明されてない。クロードが聞いたのは、《レヴィアタン》内には自分以外に、このポンコツ爆撃機と組むアホはいない、という事だけだ。
(何で、こんな事になったんだ……!)
天を仰ぎたい気分だった。
クロードは屍兵として生まれ変わってから、神の存在を信じるのはやめた。もう、自分は人間ではないし、そんなロマンチシズムが戦場では何の役にも立たない事もよく知っている。だから、どんな修羅場に立たされても、己の力だけで何とかしてきた。
しかしそのクロードも、今だけは神の存在を信じてしまいそうだった。
この世には確かに神はいる。疫病神という名の、怖ろしい神が。
――目の前にいる死霊魔術師がまさにそれだ。
おまけに、気づけばクロードとアリスを取り巻く環境も悪化の一途をたどっていた。二人のやり取りを聞いていた兵士たちが、いつの間にやら蒼白になり、小刻みに震えている。何事かと注視していると、そのうちの一人がきっとクロードを睨み、大声で怒鳴ったのだ。
「お、お前……屍兵だったのか‼」
そう言えば、俺、そんな事口走ったっけ。
何だかいろいろなものが面倒臭くなってきた。そうだ、これも全部、このポンコツのせいだ。クロードはそう思うことにした。
「……ほうら見ろ。メンド臭えことになったじゃねーか」
アリスもさすがにそれが責任転嫁だと気付いたのか、「ヒドい、クロくん!」と叫んだ。
「あう……それは私のせいじゃないのに……!」
アリスは涙目で抗議しながらも、クロードの求めた書類に手をかざす。そして目を閉じると、
「死霊魔術師・アリス=ココット、この契約に同意する」
と呟いた。魔法陣はそれに呼応し、一度強く発光すると、パキンと砕けて消えていく。
「よし……」
これで心置きなく、目の前のこいつらをボコる事ができる。クロードは小さく溜息を吐き出すと、次に眉間に力を込めた。そして、普段は怠けている眼球筋を最大限に働かせ、くわっと両目を見開く。オースティン家の私兵たちには、クロードの顔が悪鬼か羅刹の如く感じられたことだろう。現に、小さく「ヒッ!」と悲鳴を上げるものや、腰が引けている者までいる。
クロードは私兵たちに向かって更に足を動かしかけ、そういやついでに、とアリスを振り返った。
「お前、そこどいてろよ。こいつらマジで発砲してくるぞ」
「え? ……え⁉」
これから何が起ろうとしているのか、いまいち実感がないらしく、アリスは聖霊杖を握りしめてオロオロとしていた。
(まあ、いいや。こいつも、曲がりなりにも死霊魔術師なんだ。自分で何とかするだろ)
何事も経験だ。そう判断し、クロードは今度こそ兵士たちに向かって一歩を踏み出した。そして、散歩でもしているかのような調子で、ゆっくりと歩み寄っていく。
対するモスグリーンの鎧を纏った兵士たちは、一斉に顔を強張らせた。中には後ずさりを始める者もおり、クロードはそのまま包囲が瓦解してくれることを期待したが、さすがにそこまでは甘くなかった。
「撃て……撃て、撃てェぇー‼」
隊長らしき男が、口の端に泡を飛ばしながらそう叫ぶと、自らも魔弾自動小銃の引き金を引く。およそ十人の兵士たちは、一斉にクロードに向かってトリガーを引いた。
クロードは即座に高密度の魔術障壁を展開し、自らの身体に重ね合わせる。その為、兵士たちの放った魔弾銃の銃弾は、クロードの身体にほぼその全弾が命中したが、傷一つ負わせられないばかりか、その泰然とした歩みを止める事すらできず、銃弾は当たった端から全て跳ね返っていったのだった。クロードの身を包む高密度の魔術障壁が、銃弾を悉く弾いたのだ。
やがて、辺り一帯に跳弾が跳ね回る。そのうちの一発は跳ね返ってモスグリーンの鎧を着た兵士の腕に当たり、残りのうちの何発かはアリスの足元の地面を抉った。
「ひえええええぇぇぇぇぇぇ‼」
ようやく事態を呑み込んだアリスは、左右に軽快なステップを刻むと、慌てて傍に生えていた木立の陰に身を隠した。その間も、クロードは悠然と歩みを続け、兵士達との距離を着実に詰めていく。
「クソ! 何で……何で、当たらないんだ‼」
兵士の一人は血の気の失った顔でそう叫んだ。正確には、魔術障壁が当たった銃弾を悉く跳ね返しているのだが、彼らにとってはそんなことなどどうでもいいのだろう。兵士の顔色を見ると、恐怖のあまり冷静な判断ができなくなっているのかもしれない。クロードはまずその男に近づくと、銃を抱える腕を片手で掴み、そのまま捻り上げた。
「ぎゃあっ!」
兵士は短い悲鳴を上げると、そのままその場に尻餅をつく。そして、完全に戦意を喪失し、腰砕けになってしまった。ただ、何か恐ろしい化け物でも見るかのような目で、愕然とクロードを見上げている。
(まずは、一人)
それを皮切りに、クロードは次々とオースティン家の私兵たちを無力化させていった。ある者の銃を叩き落し、ある者にはふくらはぎに蹴りを入れた。どの兵士も既に恐怖に憑りつかれてしまっているのか、あっという間に制圧されて、執拗な抵抗は一切して来なかった。
作戦が見事に成功し、クロードは内心でやれやれと息をつく。《マルドゥーク=システム》でさらに高度な聖霊魔術を使い、瞬く間に兵士たちを片づける事も可能だが、やりすぎると何が起こったか相手がうまく認識できず、再び眼を覚ました時に抵抗してくる可能性もある。こうやってじわじわと追い詰めていった方が心も折れやすいという事を、クロードは経験で良く知っていた。
終始、無表情なのもわざとだ。その方が、より与える恐怖が増す。もっとも、いちいち大袈裟な表情で強そうな演技をするのが面倒臭いというのが一番の理由だが。
すぐに立っている兵士は残り一人となってしまった。彼は他の兵士よりも若い。鎧の上からも、体がガクガクと震えているのが分かる。
「う……うう……うわああああああああああっ!」
兵士は突如そう叫ぶと、銃を連射モードに切り替え、トリガーを引いた。轟音が響き、銃口が激しく火を噴く。兵士は目の焦点があっておらず、完全に錯乱状態にあるようだった。
(面倒な事、すんなよな)
クロードは胸中でそう呟くと、次の瞬間、聖霊魔術を発動させる。間髪置かず、ピシ、という甲高い音がして、兵士の銃に亀裂が入った。一抱えもある自動小銃は、そのままパックリと真っ二つに割れ、被筒から先の部分が、どさりと地に落ちる。
それきり、その場は静かになった。
「あ……あ……うあ………」
最後に残った兵士は、完全に茫然自失で、その場にへたり込んだ。
「終わったな」
クロードはいつもの眠たげな目に戻り、視線をオースティン家の兵士たちに向ける。
僅か一分足らずの出来事だった。十人ほどの兵士たちはみな茫然とし、その場に座り込んでいる。あまりの衝撃に青くなっている者、負傷して呻いている者。ただ、命に関わるほどの大怪我をした者は皆無だった。
おまけに、うまい具合にみな戦意を喪失している。彼らも野良の屍兵とは幾度か戦闘を行ったことがあるようだが、クロードのような正規の屍兵との交戦は、初めてなのかもしれない。
「クロくん……終わった……?」
アリスが木立の影から恐るおそる顔を出した。どうやら、アリスは何らオースティン家の兵士たちに応戦することなく、最後まで木立の陰に隠れていたものらしい。クロードは溜め息をつく。
「さっきからそう言ってんだろ。それより、バルトロメオを追うぞ」
すると、アリスは聖霊杖を抱え、嬉しそうにクロードの元へ走り寄って来た。
「クロくん、本当にすごいねえ。ギムリさんが言ってたよ。あいつは役に立つ奴だって」
「そりゃ、どーも」
クロードは投げやり気味に答える。アリス(こいつ)のお守りを押し付けられた経緯を考えると、それって微妙に褒め言葉じゃねえよな――と内心で思ったが、言葉には出さなかった。それをアリスに言っても仕方がない。一方のアリスはクロードを見上げ、尚もにこにこして言った。
「すごいね、屍兵って。わたし、殆ど何もしてないのに」
「ほとんど、じゃねーだろ。全く、だろ」
クロードの指摘にも、アリスはめげない。
「私も負けてられない……修行して、次に組む時は絶対役に立って見せるから!」
「次なんかねーよ」
クロードは半眼で即答していた。「え?」とアリスは不思議そうな表情をする。クロードが何を言っているのか分からない――そんな表情だ。クロードは眼を半開きにしたまま、続けた。
「いや……だから、俺とお前が組むことは二度とないって言ってんだよ」
「どうして? わたし達、結構いいコンビだと思うんだけどなあ……」
「そりゃ、何かの思い違いだろ。俺はお前の教育係をやるつもりは毛頭無い」
するとアリスは、あはは、と笑う。
「やだなあ、クロくん。教育係だなんて。普通に相棒になってくれればいいよ」
「それはもっと無えな」
アリスはがっくりと落ち込んだ。ようやく現実を思い知ったか。クロードは内心で独り言ちる。このままずるずると組んでいたら、アリスの担当にされてしまうかもしれない。こっちは死霊魔術師にさして期待などしていないが、ポンコツ爆撃機はさすがにごめんだ。
ところがアリスは、不意に何かを思いついたらしく、すぐにぱっと笑顔になってこちらを見上げて来るのだった。
「だったら……どうしたら、クロくんはわたしの事、認めてくれるの?」
――今度は、そう来やがったか。クロードは呆れてアリスの顔を見返した。
「あのな……何をどういう風に聞いてりゃ、そんな話になるんだ⁉」
「でも、わたしは初心者だもん。初回特典って事で、ね?」
アリスはウルウルと瞳を潤ませた。またあの子牛の目だ。BGMに、どこかからドナドナが聞こえてくる。その手に乗ってたまるか。
「駄目なモンはダメだ」
きっぱりとそう言って、クロードはムシュフシュ遺跡の入口へと歩きだす。変な奴に目をつけられちまったなと、心の中で閉口しながら。
しかしそれでも、アリスは諦めなかった。聖霊杖を担ぎ、ててて、と追いかけてくると、クロードの目の前に回り込んできた。そして腰に手を当て、睨むようにしてこちらを見上げる。
「と・に・か・く! 何でもいいから、言ってみてよ、ね?」
アリスの目は本気だ。適当にあしらっただけでは、とても引き下がりそうにない。仕方なくクロードは溜め息をつき、口を開いた。
「そうだな……お前が今回の任務で一度でも役に立てば、もう一回くらいは付き合ってやってもいい」
すると、アリスは「本当⁉」と目を輝かせた。
「わたし、頑張るね!」
「まあ、そんなことは万に一つも無いだろうがな」
クロードは冷淡な声でそう付け加える。今までの有様を鑑みても、アリスが何かの役に立つとは、到底思えない。ところが、アリスはふふん、と、自信たっぷりに胸を逸らしたのだった。一体どこからそんな自信が湧いて出るのか。謎を通り越して、もはや不気味でしかない。
「そんなの、終わってみなきゃ分かんないもんね。何たって成長期だし?」
分かった、分かった――クロードはアリスを目の前から適当に追い払うと、再び遺跡に向かって歩き始める。その成長期も、お前のつるっつるの胸板と、ちんちくりんの背丈には、微塵も貢献してねえようだけどな。そう思ったが口には出さなかった。言えば、どうせ面倒な事になるに決まっているからだ。
しかし、アリスのアンテナは敏感に何かを受信したらしく、ギラリと目を光らせた。
「……背が伸びないのは成長期とは何の関係ないからね!」
「それも、分かってる」
クロードは何食わぬ顔でそう答えた。
――なかなか、勘の鋭い奴だ。