第6話 バルトロメオと謎の女
「これが例の、ムシュフシュ遺跡とやらか……」
バルトロメオ=オースティンは二十名の私兵や部下と共に、ムシュフシュ遺跡の入り口で陣を構えた。数刻ほど前にこの遺跡の前に到着し、そしてたった今、遺跡の内部に斥候を放ったところだ。とりあえずは、その報告待ちだった。そばには私兵の集団も待機させてある。みな装備こそ古いが、バルトロメオの信頼する者ばかりだ。
(……しかしそれにしても、気味の悪い場所だな)
バルトロメオは愛馬・キャロラインの上で、ひっそりと眉根を寄せた。
巨大な円盤上をした古い遺跡には、三メートルほどもある巨大なアーチ形の入り口がある。扉は無く、真っ黒な膜の様なものが代わりに入り口を塞いでいた。部下に触れさせたところ、何も感触は無いし、身体にとって害になるような影響もない。おそらく魔術による何らかの効果なのだろうが、どうにも気味が悪い。
更に気味が悪いのは、このナベルの森だ。森を埋め尽くす大木は、森の奥に行けば行くほど幹が太くなり、枝も大振りになる。野良の屍兵が徘徊していることを差し引いても、人が軽々しく足を踏み入れるべきではない、厳かで静謐な世界だ。まるで、今すぐにここから出て行けと、森の聖霊に告げられているようで、バルトロメオは居心地悪く身動ぎをする。その感情が伝わったのか、愛馬のキャロラインもどこか不安そうだ。
「オースティン伯爵、そんなに緊張なさらなくても、よろしいのに」
馬から下りようとしないバルトロメオに、真っ黒のローブを羽織った女が近づいてそう微笑んだ。バルトロメオは、む、と言葉を濁す。
「分かっておる。だが、いつ屍兵に襲われるとも限らんだろう。それより……本当なのだろうな、ベアトリス? この古びた遺跡の奥に、ティアマトの遺産とやらが眠っているというのは」
ローブのフードが顔の大半を覆っているので、彼女の顔は分からない。髪の色も不明だ。だが、声の具合からすると二十五は超えていないだろう、とバルトロメオは判断していた。
すると、ベアトリスの瑞々しく赤い唇が優美な弧を描き、笑みを形作る。
「もちろんですとも。その遺産さえあれば、オースティン家はかつての権勢を取り戻すことも充分可能ですわ」
その何もかも見透かしたような物言いに、バルトロメオは思わず悪寒を感じずにはいられなかった。確かにムシュフシュ遺跡やナベルの森も、不気味には違いない。だが何より不気味なのは、間違いなくこのベアトリスという女だった。
(やはり、このような得体の知れない女の戯言などに、耳を貸すべきではなかったか……)
一抹の後悔と不安が、バルトロメオの胸に過る。だが今更、後戻りはできない。バルトロメオには――いや、オースティン家には後が無い。全てをムシュフシュ遺跡に賭けるしかないのだ。
バルトロメオはもうすぐ還暦を迎える。元々黒かった髪の毛は白いものが混じり、肌にも皺が多くなった。眼光にも、かつての鋭さは無い。このところ、死や老い、というものを急激に身近に感じるようになった。そんな時、頭を過るのがこのオースティン家の行く末だ。
オースティン家は、かつてはイディア南部一帯を治める大領主であった。しかし、二十年前の大戦によって多くの富を失ってしまった。ガレリアの侵攻によって、ただでさえ領土が荒らされていたところに、凶悪な屍兵が溢れたため、事態の悪化に拍車をかけたのだ。領民は次々と逃げ出し、かつて豊かだった麦畑は今や放棄地となって、すっかり荒れ果てている。
その結果、徴収できる税金もかつての五分の一ほどに落ち込んでしまった。おかげで栄華の極みを誇った大きな屋敷も老朽化の一途をたどり、ちまちまと修繕するのがやっとだった。
ただ、バルトロメオも手をこまねいていたわけではない。私兵団を結成し、野良の屍兵を見つけ次第、徹底的に排除していった。しかし、屍兵はどこからともなく、次々と湧いて出る。その為、領地内の人口減少を止められず、失ったものを何一つ取り戻すことができぬまま、今日に至ってしまった。
そのすっかり寂れてしまったオースティン家の屋敷に、この黒いローブを羽織った怪しい女が訪れたのは二週間前の事だ。
ベアトリスは自らをティアマトの子孫、と名乗った。
「我が一族には言い伝えがあります。ムシュフシュをはじめとした遺跡には、我が女神・ティアマトの遺産が眠っているのです。その存在は、イディア軍はおろか、魔術師連合ですら知りません。何故ならその遺産を目覚めさせることができるのはティアマトの血を受け継いだ我らが一族だけだからです。わたくしは何とかしてその遺産を取り戻したいのです」
そしてベアトリスはバルトロメオに、どうか遺跡に連れて行って欲しいと訴えたのだ。
それに対して、バルトロメオは問いを返した。
何故、縁もゆかりもないオースティン家を頼ったのか、と。もし、本当にベアトリスがティアマトの子孫であるなら、取るべき手段は他にいくらでもあるだろう。例えばイディア軍であれば喜んで遺跡探索に協力するだろうし、現在の遺跡の管理者である魔術師連合に情報を持ち込んでもいい。
すると、ベアトリスは事も無げにこう説明した。
イディア軍は強欲であり、魔術師連合は強権的で融通が利かない事で知られている。そういった組織はベアトリスにとって、あまりにも信用が置けない。何故なら、目覚めさせた遺跡の所有権を、横取りされるかもしれないからだ。だから、遺跡まで同行している者を探しているのだ、と。
「……聞くところによると、ムシュフシュ遺跡のある辺りは、本来、このオースティン家の領地だったそうですね。けれど二十年前のガレリア侵攻時、イディア軍にムシュフシュ遺跡を徴収され、その後、その管理権は魔術師連合に移ったとか。つまり、遺跡とその中に眠る遺産は、もともとオースティン家のものだったのです。オースティン伯爵は、それを取り戻したくはありませんか?」
ベアトリスは誘惑するかのように、そう付け加えた。しかし、バルトロメオはそれでも尚、彼女の話を胡散臭いと、内心で疑っていた。
「……なるほど? ティアマトの遺産というのは大層な代物のようだな。だが何故そんなうまい話を儂に持ちかける? 遺産を手に入れたければ一人で遺跡に向かえばいいではないか」
すると、ベアトリスは悠然と微笑んだ。
「ムシュフシュ遺跡はナベルの森の奥にありますわ。あの森が今、いかに危険な状態にあるか、領主であるあなた様はよく御存じの筈。わたくし一人では到底辿り着けませんもの。それに……わたくし一人では遺跡に行っても意味が無いのです」
最後の件がどうも気になり、バルトロメオは何度もそれはどういう意味かとベアトリスに尋ねた。しかし女の唇は艶美に笑むだけで、その理由を口にしようとはしない。
バルトロメオは考えた。世界情勢を鑑みても、オースティン家がかつての様な繁栄を手にすることは難しいだろう。それこそ、何らかの特別な手段を用いない限りは。
ベアトリスの話は胡散臭いことこの上ないが、ティアマトの遺産の話が本当であれば、少なくとも付き合うだけの価値はある。世界各国の軍部が、かつてティアマトの遺跡を巡って激しく対立していたことは、バルトロメオもよく知っているからだ。ティアマトの遺産が何であるかは知らないが、それだけの価値がティアマトの遺跡にはあるのだろう。
ただし、懸念もある。ティアマトの遺産が、バルトロメオには扱いきれない代物である可能性があるという事だ。バルトロメオは魔術には疎い。ムシュフシュ遺跡が魔術でしか支配できない施設なら、完全に宝の持ち腐れだ。
だが、それならそれで、遺産の所有権を高値で売り払えばいいだけの事だと、バルトロメオはすぐに思い直した。イディア軍あたりなら、喜んでその話に飛びつくだろう。いずれにせよ、オースティン家には、多額の金が転がり込んでくる。
バルトロメオは思惑を巡らせた挙句、一つの答えに辿り着いた。
取りあえずベアトリスを遺跡の奥まで連れて行ってみて、その話が本当かどうか確かめてみよう。本当ならベアトリスを殺して遺産を奪えばいいし、嘘なら虚偽を口にしたとして、やはり殺してその場を立ち去ればいい。素顔すら明かさぬ、得体の知れない通りすがりの女など、森の奥で殺したとて誰が咎めようか。
(……そうだ、落ち着け。主導権はあくまでこの儂にあるのだ。非力なこの女は、利用するだけ利用して、後は捨ててしまえば良い。何にせよ、ティアマトの遺産は、この儂のものだ……!)
バルトロメオは、馬上でそうほくそ笑む。一方、バルトロメオの魂胆など露知らず、ベアトリスは美しい声で囁いた。
「うふふ……あなただけが頼りですわ、バルトロメオ様」
「ああ、全てこの儂に任せておけ」
バルトロメオはそう答えると、いななく馬を宥めながら、邪な光の宿る目を細めたのだった。
「何だか、思ったよりもいっぱいいるね……」
アリスが隣に身を潜めるクロードに向かって囁いた。さすがに見つかるのはまずいと分かっているのか、ようやく聞き取れるほどの小声だ。
クロードとアリスは遺跡のそばまで到達していた。すぐ目の前には、黒い膜で覆われた入り口らしき門も見えるが、その前に二十人ほどの集団が居座って行く手を阻んでいる。その為、森の茂みの影に身を隠し、様子を窺っているところだった。
「随分と身なりがいいな」
クロードも呟く。豪華な鞍の設えられた馬に乗っている男が一人、他はみな歩兵だ。黒いローブを纏っている、見るからに女の体格をしているのは魔術師だろうか。兵士らしき者達は枯れた緑色の鎧を身に着け、その胸には青い紋章が刻まれていた。二本の剣が交差し、その両脇にはこれまた二匹の獅子が背を向けあって立っている。
あの家紋は確か。
「オースティン家の御一行だな。領主様が遺跡なんぞに何の用だ……?」
それを聞いてアリスも意外そうな顔をする。
「あの人、領主様なの? こんなとこでお散歩かなあ」
「兵士を二十人もひきつれてお散歩か。そりゃまた優雅な事だな」
「どうするの、クロくん? もうちょっとこのまま様子を見てみようか」
クロードはしばし考え込む。彼らが遺跡の入り口に陣を張っていることが気になった。おそらくオースティン家の御一行は、たまたまこの辺を通りがかった、ただの通りすがりというわけではない。おそらく、何か遺跡に用があるのだ。
「いや……遺跡の中に入られたら厄介だ。今のうちに追い払っちまおう」
クロードはそう答えると立ち上がり、わざと鷹揚な足取りで鎧の一団に近づいていった。相手にこちらの存在を察知させるためだ。
「あ、待ってよ。クロくん!」
アリスも慌てて、パタパタと後をついて来る。別にアリスの存在は必要ないし、むしろ足手まといになる事を懸念したが、これも経験を積ませるためと思い直して、クロードは彼女の好きなようにさせることにした。
ともかく、クロードたちが森から姿を現すと、それにすぐさま兵士の一人が気づいた。
「おい……止まれ!」
そして鋭い声を上げ、脇に下げていた自動小銃の銃口をクロードに向ける。
「バ……バルトロメオ様、不審者です‼」
それに気づいた残りも兵士達もそう叫び、慌てたように銃を一斉に構えた。
あまり刺激してもまずいと判断し、クロードはすぐにその場で立ち止った。急に歩みを止めたクロードの背中に、アリスがむぎゅ、と頭をぶつける。クロードはそれに構わず、領主らしき馬上の男を見つめて言った。
「お前ら、ここで何してる?」
馬上の男――オースティン家の領主は、眼光鋭くクロードたちを見下ろすと、警戒感を前面に出した口調で応じた。
「わが名はバルトロメオ=オースティンだ。我がオースティン家の第十三代当主である! 貴様らこそ、何者だ。ナベルの森を徘徊しているという屍兵ではないようだが……?」
「俺たちは魔術師連合の者だ」
クロードがそう答えると同時に、アリスから胸元から龍の紋章を取り出し、領主に見えるようにかざした。領主はそれを、目を細めて確認する。それを待ってから、クロードはあくまで淡々とした口調で続けた。
「この遺跡は知っての通り、現在の管轄下にある。早々に立ち去れ」
しかしバルトロメオはフンと鼻を鳴らす。
「《レヴィアタン》……? それがどうした。この土地は我らオースティン家のものだ。我らは何百年も前からこの土地を守ってきたのだ! この遺跡が我が領地内にあるというなら、その所有権も本来は我がオースティン家にあるべきだろう」
ガキの屁理屈か――とクロードは内心で突っこんだが、表には出さなかった。
「二十年前の大戦のあと、魔術関係の軍事施設は《レヴィアタン》が管理すると国際協定で決まったはずだ。……だがまあ、そんな事は、今はどうでもいい。この遺跡の周辺では行方不明者が何人も出ている。立ち去った方が、お前ら自身の為だぞ」
初耳なのだろう、行方不明者の話を聞き、兵士の間には少なからず動揺が走ったようだった。こちらに銃口を向けてはいるものの、互いに不安そうに顔を見合わせている。
だが馬上のバルトロメオは狼狽する様な素振は全く見せず、逆にクロードたちを睨みつけた。
「行方不明者……? 馬鹿馬鹿しい! この森の周辺は屍兵の巣窟だ。ろくな装備も身につけず、うかうかと森に足を踏み入れた愚か者たちが、奴らの餌食になったのであろう。そのような脅しに屈する我らではないぞ‼」
バルトロメオの言葉に、部下が「そ、そうだ!」と加勢する。どう見ても平気なのはバルトロメオ一人だけで、部下たちは震えあがっているように見えたが、それを指摘したところでバルトロメオの意思は変わらないだろう。
どうやらオースティン家の一団の目的は、このムシュフシュ遺跡にあると見て間違いないようだ。遺跡そのものに興味があるのか、それとも内部に何か用があるのか、それは分からない。ただ、簡単な事では戻るつもりが無いようだ。クロードは仕方なく、話題の矛先を変える。
「それなら、何の要件でこの遺跡に来たのか、せめてその目的を聞かせてもらおうか」
しかし、バルトロメオは再びフンと鼻を鳴らして、それを嘲笑った。
「まだ分からんのか。我々が自分の領土で何をしようが、勝手だろう! 貴様らこそ、早々にここを立ち去れ。でなければ、本当に撃つぞ!」
兵士たちが自動小銃のトリガーに添えた指に力を込める。
「クロくん、どうしよう……?」
クロードの隣に立つアリスが、不安げな表情でこちらを見上げた。
クロードとしても、無駄な衝突は避けたいところだった。兵士たちの装備している自動小銃は旧式の魔弾使用銃で、それ自体はさして脅威ではないが、領主側にも魔術師らしき人物がいるのが気になる。
黒いフードを目深に被っているので顔は分からないが、体格からすると間違いなく女だろう。だが性別は関係ない。聖霊魔術を使うならば、男でも女でも十分強敵となり得るからだ。
屍兵にとって、魔術師の存在は自動小銃よりよほど脅威だ。それがもし死霊魔術師なら、尚更だった。
クロードと領主の一団は、無言で真っ向から睨み合った。
その時、真っ黒の膜が張ったムシュフシュ遺跡の入り口から、突然人が姿を現した。クロードは何事かと身構える。それと同時に、その場の人間の視線が遺跡の入り口に集中した。
姿を現したのは、領主の部下たちと同じ枯れた緑色の鎧を身に纏った兵士だった。バルトロメオが遺跡の中に放った斥候が戻ってきたのだ。
遺跡から姿を現した兵士は、多くの人間の視線を一身に浴びてたじろいだが、バルトロメオの姿を見つけると慌てて敬礼のポーズをとった。
「バルトロメオ様、報告します! 遺跡の内部は空洞であり、罠の類や屍兵の姿は見当たりません!」
それを聞いたバルトロメオは、俊敏な動作で馬から飛び降りると、鞍に下げていた剣を手に取る。そして、傍らに立つ黒いフードの女の肩を、乱暴に掴んだ。
「よし……これから儂は遺跡の内部に入る! ベアトリスはわしに同行するのだ。良いな?」
「……はい、領主様」
「アンドレアは儂について来い。残りの者はここで奴らの相手をしてやれ」
そういうと一行は動き出した。バルトロメオとローブを纏った女、そして兵士の半数が続々と遺跡に入っていく。