第4話 《レヴィアタン》の爆撃機
「……これって、要するにあれだろ。俺がお前の事をチビ、チビって言った報復だろ?」
数分後。クロードは眠そうな目を更に細め、アリスに向かってぼやいていた。
「やだなあ、クロくんってば。わたし、そんな陰湿な性格じゃないよ~」
対するアリスは、クロードの言を明るく笑って否定する。その笑顔には一点の曇りもなく、彼女の言葉に嘘が無い事を裏付けていた。クロードはそうか、と溜め息をつく。
「……違うのか。じゃあ、あっちだな。魔術師連合の本部がお前に、今回の任務にかこつけて密かに俺を処分するよう命令したんだろ。そうだろ? ――なあ、本当のことを言ってくれよ」
すがるような目で頼み込むと、アリスは次に眉毛をハの字にし、心配するような表情でクロードの顔を覗き込んできた。
「クロくん……それって被害妄想だよ。疲れてるんじゃないの? ……大丈夫?」
「だったら……だったら何で、俺はお前に殺されかかってんだ‼」
とうとう我慢の限界にきて、クロードは叫んだ。
アリスとクロードの二人は、先ほどの廃村にいた。ナベルの森の中にあった、今はもうだれも住んでいない村の中だ。しかし、すっかり荒れ果てていた村の建物は、今やもう影も形も無い。それどころか、かつて村があった筈のその場所は、直径五百メートルほどの半円形に抉り取られていた。まるで魔術砲撃でも受けたかのように徹底的に破壊しつくされ、焼け焦げた地面からは煙が多数伸びている。
三体の屍兵も影も形もない。みな、村と共に、悉く焼き尽くされてしまったのだ。――先ほどの、アリスの火炎魔術によって。
クロードもまた、危機一髪だった。防御系の魔法障壁を張る余裕すら無く、咄嗟にその場を飛び退け、なんとか火炎魔法の直撃を免れた。身体強化の魔術をかけていなかったら、危なかっただろう。そうでなかったら逃げ切れず、確実に巻き込まれて炭になっていた。
何事もなく無事だったのは術者のアリスだけである。
アリスは申し訳なさそうに縮こまりながら説明する。
「あ……あのね、言ってなかったかもだけど、わたし聖霊魔術、ちょっと失敗しやすいって言うか。……って、違うの! 決して下手ってわけじゃないんだよ! ただ……ちょこっと爆発しやすいんだ。ちょこっと、ね」
そして、てへへっと笑った。笑って誤魔化す気か、この野郎――クロードはイラッとする。
「ちょこっとっていう騒ぎか、これが! ここが廃村だから良かったものの、人が住んでる村だったらどうなってる⁉ 俺もお前も、魔術師連合に大勢の人間を死に至らしめた重罪人認定されて、即日断頭台行きだぞ‼」
クロードが怒鳴ると、今度は、アリスは泣き顔になった。
「うう……分かってるよ! でも、しょうがないんだもん! どんなに頑張っても、爆発するんだもん‼ そのせいで、《レヴィアタン》でも組んでくれる人がいなくて、任務も全然できなくて……わたしだけ、ずっと放置されてたんだもん‼」
屍兵であるクロードは《マルドゥ―ク=システム》を体内に内蔵している為、脳と《マルドゥ―ク=システム》が直結している。その為、呪文詠唱無しに、直接魔術を発動させることができる。
魔術の構成から発動までは零コンマほどしかかからず、ほぼ瞬時と言っていい。
しかし、生身の人間であるアリスは聖霊杖の内部に搭載した《マルドゥ―ク=システム》に、外部からの呪文詠唱で『コマンド入力』する事が必要となる。
聖霊を感知する能力、魔術を構成する能力、魔術に必要な聖霊を必要なだけ選択する能力――魔術を発動させるには様々な要素が必要となって来るが、アリスはそのいずれかの能力に欠陥があるのだろう。
アリスの説明は既にぐずぐずと泣き言になりつつあった。
「し、知ってるんだ。みんな……みんなわたしのこと、影で『《レヴィアタン》の爆撃機』って呼んでるって……!」
クロードは頭を抱えた。こいつ、そんなあだ名をつけられていたのか。知っていたら、絶対に組んだりしなかったのに。
(まあ、屍兵である俺に、拒否権なんざ無いわけだが)
その時、ふと、思い出した事があった。この任務を受けた時の事だ。
《レヴィアタン》の本部はラムナ連邦王国という場所にある。ラムナ連邦王国は、アルルカンド大陸の中でガレリアの次に大きい国だ。
本部の施設は小高い丘の上にある古城をそのまま再利用しており、眼下には大きな湖を望むことができる。静かで美しい場所だ。クロードがそこの責任者の一人――ギムリ=ゼファーランドに呼ばれたのは一週間ほど前の事だった。
ギムリはその昔、傭兵として一時期イディア軍に雇われていた。クロードにとってはかつての戦友であり、そして現在の上司である。イディア軍在籍当時は同い年であったが、ギムリは生身の人間であるため、屍兵であるクロードが二十歳前後で外見上の変化が止まっているのに対し、ギムリは立派なひげを蓄えた中年となりつつある。
知り合いの中には、二十年経っても容姿の変化しないクロードに抵抗を覚えるらしい者も多く、その殆どが自然と疎遠になっていった。しかしギムリはあまりそういった事に頓着が無いのか、昔と同じように接してくる。
一週間前もいつもの様に気さくに声を掛けられた。
――よう、クロード。調子はどうだ?……そうか、そいつは重畳だ。いや、な。折り入って頼みがあるんだが、聴いてくれるか。
実は、今度うちに入って来た若えのがいるんだが、そいつの面倒を見てやって欲しいんだ。何て言うか、その……いい子なんだよ。本当に……本当に、本っ当―に! いい子なんだ!
やたらと歯に挟まったような物言いをするギムリを妙には思ったが、特に断る理由もなかったので彼の頼みを承諾した。すると、ギムリは感動に打ち震えたような表情になり、何故か目の端に涙さえ湛え、まるで今生の別れでも告げるかのようにクロードを抱きしめたのだった。
――そうか、そうか。ありがとうな! 助かるよ‼ やはり頼れるのはお前だけだ。
クロード、お前は本当に良い奴だよ…………
(「お前は本当に良い奴だよ……」、じゃねェェェェェェ! ギムリの野郎‼)
クロードは今更ながらに、体よく組織の問題児を押し付けられた事に気づいた。何の気なしに任務を請け負った己の浅はかさを呪ったが、既にあとの祭りだった。
「――もういい、分かった。今は任務を終わらせる方が先だ」
溜め息交じりにそう呟くと、先程までの涙もどこへやら、アリスは途端にぱっと笑顔になった。
「そうだよね! こんなところで立ち止まっていられないよね、わたし達! 前を向いて生きよう‼ 大切なのは、過去じゃなくて未来だよ‼」
何だか全てを美しい話としてまとめようとしつつあるアリスに、クロードはざっくり突込んだ。
「お前、死霊魔術師向いてねえんじゃねえのか」
すると途端に、アリスはうぎゅっ、と石ころを呑み込んだような表情になった。
「そ……それは……」
大きなアッシュブルーの目が、きょろきょろと激しく泳いでいる。かなり気まずそうだが、クロードも火炎魔術による惨状を見せつけられている以上、言わずにはおれなかった。
「……っていうか、攻撃系の聖霊魔術が使えないなら、無理に使わなくてもいいだろ。回復に専念してくれりゃあよ」
クロードは常識的な提案をしたつもりだった。聖霊魔術は術師の才能によるところが大きく、どうしても向き不向きがある。今のスタイルがアリスに向いていないのであれば、他のスタイルに変更するのも一つの手だ。ところがアリスは、非常に言い難そうに、口をもごもごとさせたのだった。
「回復は……その、できなくもないんだけど。でも、ちょっと……。やめた方がいいんじゃないかなあ………」
「……。ひょっとして、回復も爆発するのか。」
どうも嫌な予感がして、そう尋ねたのだが、どうやら図星だったらしい。アリスは灰青色の目を丸くした。
「すごぉい、クロくん! どうしてわかったの⁉」
「だったらお前、何が出来んだよ‼」
呆れ果てて怒鳴ると、アリスは小さくなって、腰の水筒に手をやった。
「ほ……補給……?」
クロードはマジかよ、と呻いた。
補給油――《ダムキナ》と呼ばれるそれは、屍兵にとっては車にとっての油に相当するものだった。《マルドゥ―ク=システム》は高度な魔術演算装置だ。起動させるには、それなりの『燃料』が必要となる。その燃料が補給油だ。
屍兵は補給油が無いと、魔術の行使が一切不可能になる。また、補給が長時間に渡って行われないと、そのまま全機能を停止し、最悪の場合には再起動も不可能となってしまう。それは即ち、屍兵にとっての死を意味した。
ただ、補給油はただの燃料というわけでもない。他にももう一つ、重要な役割があるのだ。それは屍兵に対する安全装置という役割だ。
屍兵の能力が死霊魔術師を上回る事は往々にして起る。丁度、今のクロードとアリスのように。屍兵が勝手に独自の判断で行動しないよう――更に言うなら、犬が飼い主を咬んだりしないよう、補給油が安全装置の役割を果たしていた。
実際に、補給油は死霊魔術師が管理しなければならない事になっているし、もし屍兵が強引に補給油を奪おうとしようものなら、水筒の安全弁が壊れ、中身が流れ出すようになっている。
一方、野良の屍兵の《マルドゥ―ク=システム》は補給油を必要としない構造となっている。彼らは補給油の制限を受けない代わりに、クロードたちのような高度な魔術を使役する事もできない。ただ、それでも厄介な存在であることに変わりはなかったが。
ともかく、クロードにも確かに補給油を補給する事自体は必要なのだが、それには魔術は何ら関係がない。補給油の補給は完全に手作業で、魔術を一切、行使しなくても良いからだ。言い換えれば、作業だけなら、そこら辺の村人にもできてしまう。ましてや、アリスのへっぽこ魔術など、出る幕もない。
聖霊魔術に何ら期待できない死霊魔術師など、そもそも死霊魔術師としての資格が十分にあるとは言えない。正真正銘のお荷物――そんな言葉がクロードの脳裏を掠めた。アリスはそんな空気を悟ってか、必死になって弁解した。
「い、今はこんなだけど、わたし頑張るから! なんたって成長期だし、まだぴっちぴちの十代だし! 荒削りだけど、光るものがあるって言うか? 伸び代はあると思うんだよね! 将来性に期待、だよ!」
「そーいう事自分で言うな。ってか、ぴっちぴちってオッサンか、お前は」
クロードの突っこみを無視して、アリスは頬を上気させる。
「……それでね、将来は《暁月の魔女》みたいになるのが目標なの!」
「《暁月の魔女》……?」
「うん!《マルドゥ―ク=システム》を発明した人だよ。すっごい、伝説の死霊魔術師なの‼」
知ってる。クロードはそう思った。知ってはいるが。
「……お前、あんなのに憧れてんのか」
するとアリスは人差し指をピッと立て、丸みを帯びた顎に押し当てた。
「確かに、《暁月の魔女》の事を嫌う人は多いよね。屍兵がいっぱい世界に溢れる元凶を作った張本人だって。でも、それは大戦のせいだし、全部《暁月の魔女》のせいにするのは違うんじゃないかなって思うよ」
それは違う、とクロードは心中で即座に否定した。
世界がこうなった元凶は間違いなくあの女にある。クロードはそれを隣でずっと見て来た。何せ、彼女はクロードの死霊魔術師であり、クロードは彼女の操る屍兵だったのだから。
全ては戦争を終わらせるためだと思っていた。クロードも仲間もそう思っていたし、勿論あの女もそう思っているものだと思っていた。しかし、事もあろうかあの魔女はこう言ったのだ。
――戦争、終わらせちゃうの、クロード? どうして?
だってこんなに楽しいのに。
大陸で最高の美貌と頭脳を持つと賞賛された、真紅の髪を持つ女は、何のためらいもなく無邪気にそう言ってのけたのだった。
(今考えても、根本的にいろいろとおかしい女だったな)
だが、何故か《暁月の魔女》には熱烈な信者も多い。これでもかと憎しみを買う一方で、一部では崇拝にも似た支持を得ているのだ。アリスがどれほど彼女の事を理解し、その考えに同調しているのかは知らないが、少なくとも一定の好意は寄せているようだった。
その《暁月の魔女》の行方も、この二十年は杳として知れない。《レヴィアタン》内では既に死んだとか、大陸にはいないのではないか、などと囁く者もいる。クロードにとって、全ては過去の話だったが、久しぶりにその名を耳にして、苦々しい感情が胸中に広がった。
急に黙りこくったクロードを心配してか、アリスが下から顔を覗き込んできた。
「クロくん、大丈夫? 怖い顔してるよ」
クロードは雑念を振り払うかのように大きく息を一つ吐くと、アリスに向かって言った。
「……とにかくお前、『地獄の業火』ってのだけは何とかしろ。お前が口にすると、不吉な予感しかしねえぞ」
「ええ~、そうかなあ? 格好いいと思ったんだけどな……」
「どこがだ。恐怖しかねえっつーの」
クロードが呆れて指摘すると、アリスは困ったような顔をした。怒ったり泣いたり、本当にくるくるとよく表情が変わる。
「も~、クロくんってば、大袈裟なんだから。でも、それで登録しちゃってるし……《レヴィアタン》に戻るまでは変更できないと思うよ」
「冗談だろ。俺は後、何回地獄送りにされなきゃならねえんだ……?」
「大丈夫、最初の一発は成功したでしょ? 大体、十回に一回くらいは成功するから!」
アリスは励ますように、クロードの腕をポンと叩いた。
それの一体どこを大丈夫だと喜べばいいんだ――そう答えかけた時、クロードはふと周囲の濃い気配に気づく。
クロードたちの背後、アリスの魔術に焼かれることなく残ったナベルの森の木々の向こうに、蠢く影がいくつか見える。それも一体や二体ではない。ざっと数えたところ、十体はいるだろうか。腰を屈め、どれも戦闘態勢を取ったまま、じりじりとこちらに接近している。
いつの間にか、野良の屍兵に、完全に囲まれていた。
クロードが背後を振り返ったので、アリスもその存在に気づいたらしい。顔が半笑いのまま、硬直している。
「クロくん……何だか囲まれてるね」
「……見晴らしがよくなったんで、目立ってたんだろうな。俺たち」
「近くに住んでる村の人達が、様子を見に来たんじゃないかなあ? うん、きっとそうだよ!」
「お前、何となくポジティブなこと言って誤魔化そうとしてんだろ」
「えっ、そ……そんな事無いよ!」
ぎくりとアリスの笑顔が強張った。
「言っとくが、それ、今のこの状況だと、ただの現実逃避だからな」
クロードはそうアリスに突き付ける。ただ単に目を覚ませと言いたかっただけなのだが、どうやらそれが完全に逆効果に働いてしまったようだった。
アリスは明らかにパニック状態に陥り、ぐるぐると目を回し、畑でも耕すつもりなのか聖霊杖を上下に激しく振り始めた。
「ど、どどっ……ど……どうしよう、クロくん‼ 戦う? 戦うの⁉」
「バカ言えって……!」
それこそ一人だったら何とかなったかもしれないが、最新鋭の魔弾砲並みの威力を兼ね備えたポンコツ爆撃機を抱えて、安全に戦い抜ける自信は、さすがのクロードにも無い。
つまり、この状況で最善の判断は。
「……逃げるぞ!」
クロードはアリスの被っている黒い雨合羽のようなローブをひっ掴むと、瞬時に身体強化の魔法を自らの全身にかける。そして、アンデッドたちが蠢くナベルの森とは、真逆の方向――アリスが魔術で穿った直径五百メートル、深さ五メートルのクレーターの中に飛び込んだ。
「うきゃあああああああああああああああーーーーーーっ‼」
急激に重力の影響を受け、アリスは絶叫を上げる。
クロードはそれを完全に無視し、クレーターの中に着地すると、全身全速で駆けだしたのだった。