第2話 死霊魔術師《ネクロマンサー》と屍兵《リバーサー》
その時。二人の後方でひそひそと女性たちが囁き躱す声が聞こえて来た。服装から察するに、このミューラーに住む住人だろう。
「ほら、あれが……」
「しっ! 目を合わせちゃ駄目!」
彼女たちだけではない。通りすがりの街人たちは、クロードとアリスの姿を認める度に顔をしかめ、小声で話しながら通り過ぎていく。クロードたちがそちらに気づいて視線を向けると、見てはならないものを見てしまったかのように、わざとらしく顔を背けていく。
「さすが田舎街。情報が早えな」
クロードが屍兵であり、アリスがそれを管理する死霊魔術師である事は、街中に瞬く間に広まってしまっているようだった。
クロードは呆れてそれを見ていたが、アリスはそうは受け取らなかったようだった。
「わたしたち……ここでもやっぱり嫌われてるんだね」
ぽつりと、どこか力なく呟くアリスに、クロードは素っ気なく肩を竦める。
「別に珍しい事でもねえだろ。ってか、あいつらが忌み嫌ってんのは、正確には俺の方だ。お前は特段気にすることも無い。」
「でも……クロくんは何も悪くないよ」
アリスは哀しそうな顔を曇らせると、何か言いたげな様子で街人の背中を見つめた。
「………」
クロードは、小さく溜め息をつく。
死霊魔術師と彼らが操る屍兵は、確かにアルルカンド大陸の人々から忌み嫌われている。しかし、それは故あっての事だ。それは死霊魔術が先の大戦で果たした役割と大きく関係がある。
そもそも、この世には二種類の魔術がある。
聖霊魔術と死霊魔術だ。
どちらも基本原理は同じ魔術であるが、聖霊魔術が肯定的に捉えられているのに対し、死霊魔術への評価は否定的であり、忌避すらされている。それは両者の性質上の違いに起因していた。
聖霊魔術は大気中に漂う霊的微生物――俗にいう、聖霊――を消費して奇跡を起こす、魔術的なエネルギー活動である。難易度の高い魔術や高エネルギーを必要とする魔術ほどより多くの聖霊が必要となる。
しかし、魔術の消費するのは聖霊だけではない。より高度な魔術となると、時に人の霊魂を必要とする事がある。それこそが、死霊魔術である。
死霊魔術は聖霊魔術の中でも特に人の霊魂を消費して行使する上位魔術を指す。
しかし、死霊魔術はその特異性から、禁忌とされることも多い。アルルカンド大陸には伝統的に、人間の魂は輪廻するという考え方があるからだ。死霊魔術によって人の魂を消費すると、その輪廻から外れ、魂は消滅すると考えられている。そのため、死霊魔術は特に宗教団体や伝統的価値を重んじる人々から敵視されている。
死霊魔術が忌避されているのはそれだけが原因ではない。
死霊魔術には様々な秘術が存在するが、その究極奥義は死者の復活――反魂法である。しかし、未だそれを実現できたものは無い。また、数々の歴史書や魔術書の中にも反魂法に成功したという記述は皆無である。何故なら、どれだけ精巧な反魂法を行っても、大抵は死者の身体に擬似魂の埋め込まれた『生き返り損ない』――アンデッドとなるからだ。
どれだけ死霊魔術が発達しても、決して死んだ人を生き返らせることなどできない。反魂法を用いても、生まれるのはアンデッドのみであって、生前の姿は絶対に取り戻すことなどできない。それが長い間、死霊魔術の限界だとされてきた。
おまけにアンデッドの製造にすらも、本来は高度な魔術が必要であり、もしよしんばアンデッドを生み出すことができたとしても、それを操れる者はごく少数であった。アンデッドの製造に必要な擬似魂を精製するのが困難だったのである。そのため、死霊魔術は継承可能な担い手も極端に少なく、一時は忘れ去られた魔術として、衰退しきったかに思われた。
しかしその死霊魔術が、脚光を浴びる時代がやってくる。
そのきっかけとなったのは、《ネルガル》と呼ばれる新しい擬似魂が発明されたことだ。《ネルガル》は実力や経験の不十分な魔術師にも扱いやすく、量産も可能だった。そのため、《ネルガル》が発明されてからというもの、アンデッドの安定的な大量生産が可能となり、その製造数も飛躍的に増加していった。
そうやって作られたアンデッドの使用目的は、殆どが軍事利用であった。
特に《マルドゥ―ク=システム》と呼ばれる高速度・聖霊魔術演算機関を搭載したアンデッドは、屍兵と呼ばれた。戦闘能力に特化した彼らは先の大戦――ガレリア侵攻に於いて大量に投入され、大きな戦果を挙げた。
小国イディアが独立を保つことができたのはひとえに彼らの功績である。
クロードもちょうどその頃製造された屍兵だ。《マルドゥ―ク=システム》を搭載し、擬似魂によってこの世に甦ったアンデッドなのだ。と言っても、生前の記憶が全く無いので、甦ったのだという実感は全くと言っていいほどなかったが。
ともかくクロードは、イディアの為に戦って、戦って戦って、戦い倒した。イディアに対し、特別に強い忠誠心や愛国心を抱いていたわけではない。ただ戦う事だけが、自分が屍兵として存在する唯一の理由だったからだ。それはおそらく他の屍兵たちも、似たようなものだっただろう。
しかし、屍兵のもたらした影響は、良いものばかりではなかった。
大戦も後期になると屍兵が粗製濫造されるようになり、イディアとガレリアの国境地帯はアンデッドで溢れた。大戦が終結し、ガレリア軍が撤退すると、彼らは攻撃対象を失い、イディア民を襲うようになった。それら屍兵は凶悪で攻撃的である一方、安全装置や制御機構を搭載していないものも数多くあり、死霊魔術師ですら手を焼く状態だった。
そして制御不能の屍兵は獲物を求め、イディアのみならず大陸全土に広がっていったのである。
人々は戦争から解放された代わりに、屍兵に怯えて生きる事となった。撤退していったガレリア軍の代わりに、屍兵とその元凶を生み出した死霊魔術師を憎むようになっていった。多くの人々が、親や子、兄弟姉妹、或いは隣人といった身近で大切な人々を、制御不能の屍兵に殺されたのだから、憎悪を募らせるのも当然の話だ。
やがて大陸全土の魔術師によって魔術師連合が設立され、放置された屍兵の駆除に乗り出したが、事態は一向に改善されていないのが実情だ。特にミューラーのようなイディアとガレリアの国境地帯では、徘徊する製造不良の屍兵の数も多く、それに比例して人々の彼らに対する嫌悪も並々ならぬものになっていた。
クロードとアリスが《レヴィアタン》から派遣されたのも、一つは徘徊する屍兵を駆除するのが目的である。
「――でも、屍兵はそういうのばかりじゃないよ。クロくん達のように、一生懸命頑張っている人たちもいるのに……」
アリスは悔しそうに、聖霊杖を握りしめる。現存する屍兵の全てが、制御不能の不良品であるわけではないし、人を襲うものばかりでもない。中にはクロードのように、きちんと規格を満たし、死霊魔術師と共に社会に貢献している個体もいる。だが一般人には、正常な屍兵とそうでないものの見分けなど、つく筈もなかった。
街の人々も《レヴィアタン》の役割はよく理解している。《レヴィアタン》に属する死霊魔術師はしばしば屍兵を連れており、それらは人を襲うことがないのだということも。しかし、頭では理解していても感情はすぐには追いつかない。アルルカンド大陸では放置された屍兵のせいで、今も年間かなりの数の人間が、犠牲になっているのだから。
クロードはアリスの頭をくしゃっと撫でると、歩き始めた。
「……とっとと、仕事を片づけちまおう」
少し遅れて、アリスが小走りでついて来るのが気配で分かった。
アリスは半年前に死霊魔術師になったばかりの新米だ。こういう事態にはまだ慣れていないのだろう。どんな魔術師も、死霊魔術師や屍兵が人々の憎悪の対象であると知識で知ってはいても、いざ自分がその対象となると動揺するものだ。だが、クロードにとってはこの手のイザコザは日常茶飯事で、いちいち反応するのも疲れるだけだった。
街の外に向かって歩いているうちに、クロードは不意に何もかも投げ出したい衝動に駆られた。
ただの虚無感や徒労感ではない。それは怒りに近かった。
だって、あまりにも馬鹿馬鹿しいではないか。
あの大戦もいい加減でたらめなものだったが、かつての同胞を始末して回る今の仕事は、あまりにも不毛な行為のようにしか思えない。
何もかも放り出して、やめてやろうか。
しかし、クロードにはそれを思いついても実行するのは不可能なのであった。クロードのような大戦初期に造られた正規の屍兵には、街の外をうろついているポンコツとは違って『安全装置』がついている。そして、決して主人である死霊魔術師の意向に抗う事は許されない。
そういう風に、作られているのだ。
(ポンコツどもの方が自由に動ける分、俺たちより幸せなのかもな……)
クロードはふとそう思いつき、余計に沈鬱な気分になったのだった。