エピローグ
ムシュフシュ遺跡の外に出ると、周辺の景色は一変していた。
遺跡の周囲にあった鬱蒼とした森は、動いたムシュフシュによって木々の多くが薙ぎ倒され、茶色い地表が顔を覗かせていた。地は割け、ある部分は山のように隆起し、またある部分は土砂崩れを起こしていた。まるで天変地異が起きたかのような惨状だ。
きれいに円を描いていたムシュフシュ遺跡も、すっかりバラバラに解け、そのまま静止していた。無造作に放置された作業用ロープのように、無秩序に絡み合った状態だ。以前の遺跡の状態を知る者なら、とても同じ建築物だと判断することはできないだろう。それほど、遺跡は様変わりしていた。
クロードは静止した遺跡が間近で眺める事の出来る場所にいた。倒木に身を預け、座り込み、ただぼんやりとムシュフシュを見つめていた。
アリスの姿は、そばには無かった。彼女は魔術師連合の本部へと、連絡を取るのだと言って、姿を消していた。
遠隔地にいる者同士の意思疎通を可能する魔術は、いくつかある。だがいずれもアリスは爆発させてしまう為、人のいないところで魔術の行使をするのだと言っていた。できることならクロードが変わってやりたいが、魔術師連合への定期連絡をするのは死霊魔術師と決まっている。クロードも通信魔術を使う事ができるため、代わってやると言ったのだが、アリスは自分の仕事だと言ってきかなかった。
「大丈夫だよ、クロくん。三十回に一回くらいは成功するから!」
何が大丈夫なのかさっぱり分からないコメントを残し、アリスは遺跡の裏側へと回り込んでいった。先程から何度も爆発の音が聞こえてくる。おそらく、せっせと魔術を爆発させ続けているのだろう。
二十回ほどまではクロードも数えていたが、それ以降は意識的に数えないようにした。このまま、本部に戻れないのではないか――そんな不安に襲われたからだ。
日は既に傾き始めているが、いざとなったら魔術を使って、ミューラーの街まで高速移動することもできる。焦る事もないだろうと、気長に構える事にした。
ナベルの森に巣食う野良の屍兵は、遺跡の変化や火柱を警戒したのか、姿を隠してしまっている。連中が戻って来るまでに、ここを立ち去る事ができたら良いのだが。
遺跡を見つめていると、考えたくなくとも彼女の事を思い出してしまう。暁の髪をした《魔女》
――レギウス=マギナの事を。
二十年前、グアンデラ要塞の研究室で、クロードは確かにレギウスを手にかけた。だが、それは恨みや憎しみなどといった安直な理由からではない。ましてや、イディア軍の上層部から命令を受けたからでもなかった。彼女が昔から、死者蘇生の研究に並々ならぬ執着を抱いているのは知っていた。それがおそらく、クロードたち屍兵の為であるという事も。
クロードは何故、それほどレギウスが死者蘇生にこだわるのかを知らない。何度か尋ねたが、いつも笑ってはぐらかされた。ただ、彼女の研究がクロードの為だというのなら、それを止めるのはきっとクロードにしかできない。そう思ったのだ。
レギウスは恐ろしいほどの強固な意志の持ち主だ。言った事は必ず実行してきたし、幸か不幸かそれを可能する魔術も、明晰な頭脳も持ち合わせてしまっている。彼女なら、世界だって本気で滅ぼしてしまうだろう。だから、誰かがそれを止めねばならない。それは、ずっと傍にいた自分の役目だとクロードは思っていた。そして、その思いは今も変わっていない。
レギウスがあの日、最後に口にした言葉を、クロードは今でも覚えている。
彼女は「愛してる」と言った。クロードを愛している、と。
それに対して、クロードは「……俺もだ」と答えた。
俺も、愛している――そう答えた。
レギウスには聞こえていなかったかもしれないが。
あれからすぐに研究室が大爆発を起こした。クロードは反射的にレギウスを庇い、爆発の直撃を受け、すぐに意識を失った。次に目覚めた時には、魔術師連合の施設の内部へと搬入されていた。レギウスの姿は既に無く、彼女を目にした者もまた皆無だった。
それからは、ただ暇を持て余すようにして生きてきた。レギウスのいない世界などに興味はなく、ただ命じられたことをこなすだけの日々。それが、これからも永久に続くのだと思っていた。自らレギウスを殺し、その世界を選んだとはいえ、心のどこかで、うんざりしていた。
だが、彼女は生きていた。二十年前となんら変わらぬ姿で、クロードの前に現れた。どれほど嬉しかったか分からない。かつて、もっとも愛した相手が姿を現したのだ。再び生きる理由が、存在する目的ができたのだ。
アーロンは言った。俺は結局、俺でしか生きられない、と。
レギウスは言った。研究は続ける――これが私だから、と。
誰もがみな、自分を生きるしかない。どんなに努力したところで、他の者にはなれないからだ。だから、自分自身を生きるしかない。
クロードは静かな決意を固めていた。
―――俺は、レギウスを殺す。それが俺の信念……《愛のかたち》だからだ。
やがて、三十分ほど経った頃だろうか。遠巻きに聞こえて来ていた爆発音が唐突に止んだ。それに気づき、顔をあげると、ちょうど遺跡の向こうからアリスが息を弾ませ、こちらに走り寄って来るのが見えた。
「クロくん、やった! やったよー‼」
おお、そうか! よくやった――そう言いそうになって、思わず言葉を呑み込んだ。
通信の魔術は初歩中の初歩だ。死霊魔術師なら行使できて当然であって、成功を喜ぶレベルの魔術ではない。それでもまあ、アリスにしては頑張ったのだろう。途中までしか数えていなかったが、爆発は優に五十回は起きていた筈だ。
「あのね、本部のギムリさんがね、ムシュフシュ遺跡に他の職員を派遣するから、とりあえずわたし達は引き上げていいって」
「そっか。……まあ、何だ。お疲れ」
クロードが労をねぎらうと、アリスは「へへ」と嬉しそうに笑った。まあ、これくらいは良しとしてやるか。そして次にアリスは、様変わりしたムシュフシュ遺跡を見上げて呟いた。
「レギウスさん、きれいな人だったね」
「………」
「でも、何だかとても怖い人だった」
アリスはレギウスの事を思い出しているのだろう。どこか遠い場所を見つめるような目だった。アリスは任務の当初、《暁月の魔女》に大きな憧れを抱いていた筈だ。それがどうなったのか、クロードには分からない。だが、純真無垢な憧れでなくなってしまったのは確かだろう。
それを思うと、クロードは少しアリスに対して申し訳ない気持ちになった。別にそういうつもりは無かったが、無関係のアリスを巻き込んでしまったのは確かだ。そのせいで、彼女の憧れを打ち砕いてしまった。まあ、死霊魔術師としてはその方が良かったのかもしれないが。
アリスは肩を落とし、小さな声で言った
「わたし、レギウスさんみたいな、実力のある魔術師になれるかなあ……自信ないよ」
「別に、あいつを目指さなくてもいいだろ」
クロードはそう答えた。アリスは、はっとして顔を上げ、クロードを見つめ返す。
「お前はお前の思う死霊魔術師になればいい」
アリスは決してレギウスにはなれない。また、なる必要もないのだ。クロードがクロードとしてしか生きられないように、アリスもきっと、アリスの人生しか生きられない。
でも、それはきっと悪いことではないのだ。アリスはアリスにしかなれない、アリスなりの死霊魔術師になればいいのだから。
アリスは嬉しそうな、どこかほっとした表情をし、「うん、分かった」と頷いて微笑んだ。
彼女の長所をもう一つ見つけた。おバカなりに素直なところだ。ギムリの言った通り、基本は『いい子』なのだろう。経験を積み、良い屍兵と組むことができれば、それなりに伸びるはずだ。願わくば、それまで組むのは御免こうむりたいが。
ともかく、野良の屍兵たちが戻って来る前に、ここを立ち去らねばならない。
クロードは立ち上がり、服についた木っ端や泥を払った。
「……さて。それじゃまあ、お言葉に甘えて引き揚げるとするか」
すると、アリスが困った顔でアーロンの《マルドゥ―ク=システム》を取り出した。
「これ……どうしよう?」
「お前、持ってろ」
クロードがそう返すと、アリスは瞬きする。
「でも……クロくんのお友達のものだったんでしょ?」
「それでいいんだよ。お前は俺の死霊魔術師なんだろ」
するとアリスを大きく目を見開き、次いで感極まったのか、その瞳をうるうるさせ始めた。
「クロくん……今の! 今の、もっかい言って‼」
「あ、ケツに(仮)をつけんの、忘れてた」
「(仮)でもいいよ、(仮)でも!」
「いいのかよ」
そう言って笑うと、アリスはクロードをじっと見上げた。
「……何だよ?」
尋ねると、アリスは真剣な顔をして切り出した。
「クロくん! やっぱりわたし達、一緒に組もうよ!」
「はあ?」
「だって私の事、死霊魔術師だって認めてくれたの、クロくんだけだよ!」
「いや、ちょっと待て。別に認めてねーぞ、俺は」
「でもクロくん、一度でも役に立ったら、考えてやるって言ったでしょ? わたし、遺跡を止めたよ! ……それじゃ駄目かな?」
アリスは引き下がらなかった。相も変わらずの、鋼鉄の自信だ。
クロードは呆れて答えた。
「……そうだな。俺を何度も火あぶりにしかけ、聖霊杖で頭部を殴打したっけな。よく生き残れたもんだ、我ながら感心するぜ。お前、俺にぜってー恨みか殺意があるだろ。さもなきゃ、実はどこぞの組織に雇われた殺し屋とかだろ、そうだろ」
「あう……それは反省してるってば~。ゴメンね、クロくん。でも、わたしが殺し屋なら、もっと確実なとこを狙ってるよ。……頸椎とか」
「……おい」
リアルで物騒な事を口にするアリスに、クロードは半眼で突っこむ。
それでも、アリスはめげなかった。
「でも、(仮)はいつか取ってみせるから! だから一緒に組もうよ、クロくん‼」
クロードは溜め息をついた。うっかり口を滑らせたばっかりに、面倒な事になってしまった。しかしまあ、確かに新人育成も大事か。ただでさえ《レヴィアタン》は人員不足なのだ。アリスに目標ができる事自体は、いいことだろう。――実際に組むかどうかは別として。
クロードはアリスのフードをくしゃっと撫でると、言った。
「……俺と組みたきゃ、最低でも回復の魔術は完璧に使いこなせるようになれ」
するとアリスはぱっと笑顔になった。
「……本当? 本当にそれで組んでくれるの⁉」
「あと、防御系の魔術は必須な。それから通信の魔術も、完璧にマスターしろ。一々爆発起こしてたんじゃ、やってらんねえだろーが。ああ、後それからもう一つ」
「まだあるの⁉」
泣き出しそうなアリスをその場に残し、クロードは歩き始めた。
「……とにもかくにも、『地獄の業火』ってのだけは何とかしてくれ」
「ええ~、必殺技っぽくて、カッコいいのに」
「お前のは、カッコいいを通り越して、不穏なんだよ」
「そうかなあ~?」
アリスはしきりに首を捻りながら、小走りでクロードを追いかけてくる。クロードはそれを敢えて振り返らずに、歩き続けた。
アリスの新人っぷりには、呆れさせられることも多いが、眩しいと思う事もある。きっと、こういう、未完成のパワーが本当はこれからの世界に必要なのだろう、と。クロードや、レギウスの様な過去の亡霊ではなく、彼女の様な生者の力が――きっと。
実のところ、口で言うほど彼女と組むのが嫌というわけではない。ただ、進歩はしてもらわないと困る。いちいち何かあるたびに、炭にされかけたのではたまらない。いくら屍兵とはいえ、こちらの身が確実にもたない。
その時、ふと気づいた。この二十年間ずっと抱き続けてきた、手足にまとわりつく様な気怠さが、いつの間にか消えて無くなっていることに。
何度も投げ出してやろうと思った。ミューラーの街で感じたような、あの沸々と煮立ったような怒りや苛ただしさが、すっかり消えて無くなっている。
レギウスに再会したからか、それとも隣にアリスがいるからか。
おそらく両方だろうと、クロードはそんな事を考えていた。
以上で完結となります。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
また、機会があれば続編を書いていきたいなと思っています。
『東亰PRISON』のほうも7月末にはアップしたいと思うので、もう少々お待ちください。




