第33話 すべてが終わり、始まった日
――二十年前、グアンデラ要塞。
レギウス=マギナは待っていた。
グアンデラ要塞の一角にあてられたその部屋は、屍兵を開発し、或いは調整するための研究室だった。本来の広さはそれなりにあるはずだが、聖霊技術を用いた大小様々の機器がすし詰め状態で犇めき合っているため、何だかとても手狭に感じられる。
それらの機器の中で、最も目をひくのは巨大な筒状の水槽だろう。全部で十三基が、横一列になり、ずらりと並んでいる。そのうち、ちょうど真ん中にある三基が稼働中だった。水槽を満たすピンク色の蘇生液には三人の若い男女が、目を閉じた状態で沈められている。
今、レギウスは十体の屍兵を使役している。いわゆる00部隊と呼ばれている屍兵たちだ。そしてこれから、新たに三人の屍兵がその部隊に加わる予定だった。
とは言え、研究室の内部は薄暗い。戦争による物資不足で油の無駄遣いが全くできないのだ。だがそれも、もうすぐ解決するだろう。何故なら、三日前に大戦は終わったからだ。
だが、今度は物資不足とは別の深刻な問題が発生していた。彼は、その事に関して話し合いたい事があると言っていた。
レギウスは待っていた。《黄昏の喰霊鬼》と呼ばれた屍兵――クロード=ヴァイスがこの研究室へとやって来るのを。
やがて、待ち人は現れた。いつもの、イディア軍の黒い戦闘服を着用して。
特徴的な白髪は、元は違う色であったことをレギウスはよく知っている。だが、クロード自身はその事実を知らない。殆どの屍兵には、アンデッドとして甦る前の記憶が残っていないからだ。別に、故意に記憶を奪っているわけではない。単に技術的な問題でそうならざるを得ないのだ。
いつも眠そうで、緊張感の欠いたクロードの瞳は、今日はやけに不機嫌そうだった。理由は大方想像がつく。だが、レギウスは敢えてそれには触れなかった。
「……遅かったわね」
書類を挟んだ手元のバインダーに目を通しながら、クロードの方を見ずにそう声をかけた。
「作戦司令部に呼ばれたのでしょう? 何の話をしていたの? あの古狸たちも、ずいぶん往生際の悪いこと」
「また、新しい屍兵を創るのか」
クロードは稼働中の水槽に気づいたらしい。憂いを帯びた声でそう言った。
レギウスはやはり書類に目を通しながら、無機質な声で答えた。
「――ええ、そうよ」
「戦争は終わったんだぞ」
「分かっているわ」
「……要塞の周辺で、整備不良の屍兵が大量出没しているのを知っているか?」
やはりその話か。レギウスはそう思ったが、表情には出さなかった。
「聞いたわ。知識も碌にない三流の死霊魔術師が、完成度の低い擬似魂を精製してしまったのね」
戦争後期に入ると、国が荒れ、経済が滞り、それに比例して失業率も跳ね上がった。それは死霊魔術師も例外ではなく、仕事を失い、暇を持て余した魔術師の多くは、屍兵の開発に乗り出すようになっていた。至る所で人が死に、埋葬が間に合わず放置されている。屍兵の『素材』には事欠かないのだ。
しかし、ここのところ、彼らの製造する質の悪い屍兵が急増するようになった。今や野良の屍兵による被害は、戦争でのそれより深刻になりつつある。何故、この時期になって。クロードはそう訝しんだのだろう。
「連中に技術を流したのはあんただろう」
レギウスは答えなかった。代わりに、表情の無い目を書類から上げ、クロードへと向ける。
クロードは険しい顔をしていた。そして、こちらを責めるような口調で続けた。
「――要塞の近くでうろついている不審者を捕まえたら、そいつは不良品の屍兵を大量に創ってる、三流の死霊魔術師だった。問い詰めたら、簡単に吐いたぞ。紅い髪の女に擬似魂の製造方法を教えてもらったと……!」
「……」
「そいつはこうも言っていたぞ。自分はただ、教えられた通りのものを、忠実に再現しているだけだとな‼ まさか……最初から間違った精製方法を流したんじゃないよな⁉ 人を無造作に襲う、危険な代物を、敢えて……!」
「だったら、どうだと言うの?」
レギウスはねじ込むように言葉を挟んだ。それ以上聞きたくなかった。たとえ、クロードの口にしたことが真実だったとしても。
「レギウス……!」
クロードは語気を強めた。それが、余計にレギウスを苛立たせた。
「戦争なんて、知らないわ。世界がどうだろうと私の知った事ではないもの。ただ、私はこの研究を完成させなければならないの」
「………。完全な屍兵を創るためか」
「ええ、そうよ! 屍兵の中にあるのは擬似魂よ。人の、本物の魂とはどうしたって違う。それでは完全な蘇生とは言えないわ。私が創りたいのはそんなものじゃない。完全なアンデッド――即ち、完全なる死者の蘇生。それが私の目指すものよ‼」
レギウスにとって、屍兵の研究は目的を達成するための手段でしかない。最終目標は、死者の完全蘇生だ。レギウスには、どうしても生き返らせたい人物がいる。どんな犠牲を払っても、生き返らせたい人が。
だが、当の本人はそれを聞いても、忌々しげに顔をしかめただけだった。
「死者の蘇生……? そんなもの、実現してどうするんだ」
「あなたは生き返りたくないの、クロード⁉ そんな擬似魂なんて紛い物の心臓じゃなく、ちゃんとした体が欲しくないの?」
レギウスは今や、はっきりと苛立ちを声に出していた。
屍兵は発展途上の技術だった。不完全であるという事は、不測の事態にも陥りやすいと言う事だ。現に、細かい調整が無ければ、いつ擬似魂が止まってしまうとも限らない。不安要素は少しでも排除したかった。その為には、技術を発展させること以外に方法は無いのだ。少なくとも、レギウスはそう考えていた。
「この技術は他に実現した人がいないの……私がやるしかないのよ‼」
ところが、クロードはそれを一蹴したのだった。
「くだらない」
「何ですって……!?」
「俺は既に死んだ身だ。他人の命を犠牲にしてまで生き返りたいとは思ない。他の00部隊の奴らだって、きっと同じように考えてる。だから……こんな事はもうやめるんだ、レギウス‼」
まるで懇願するような口調だった。
レギウスは唇を噛む。どうして。どうして、理解してくれないのか。この素晴らしい研究を、何故。
「私はやめないわよ。早くしなければ、あなた達を取り戻せなくなる。魔術師連合だか《レヴィアタン》だか知らないけれど、私から全てを奪い去ろうだなんて、絶対に許さない……! 戦争が終わるなら、長引かせればいいのよ! 方法はいくらでもある――屍兵だって、いくらでも創れるのだから‼」
「レギウス‼」
クロードは声を荒げた。まるで、悲鳴のような声だった。
しかし、レギウスは無情にそれを切り捨てる。
「それだけ? なら、この話は終いよ」
「―――……。どうしても、考えを変えてはくれないのか」
クロードは押し殺すような低い声で言った。まるで、地獄の業火に焼かれ苦しむ、亡者のような声だった。
レギウスは「ええ、もちろん」と頷く。
「ごめんなさい。でも……これが私だから」
そして、書類に再び目を落とした。クロードがレギウスの研究を良く思っていない事はずっと前から知っていた。そして、それが彼の優しさから来るのだという事も。
レギウスとしては、クロードの意志は最大限、尊重したいと思っていた。しかし、研究に関しては譲れない。それは、レギウスの信念に関わる事だからだ。
ただでさえ、時間が無い。明日には魔術師連合・国際平和維持機構、《レヴィアタン》がこの要塞へと乗り込んでくる。それを受け入れる態勢を整える為、レギウスは使役する全屍兵との契約を全て強制的に解除させられていた。レギウスは抵抗したのだが、イディア軍の作戦司令部に強制されたのだ。
レギウスは今、厳密にいえば、クロードたちの死霊魔術師ではない。レギウスがどんな命令を下したとしても、クロードたち00部隊を従わせることはできないのだ。それくらいならまだいいが、このままではみな連れ去られ、手の届かないところへ行ってしまう。死者蘇生の研究は大きく後退するだろう。それだけは何としても避けたかった。
そして何より、クロードとも離れなければならなくなる。それだけは耐えられなかった。
そう、今は一刻も早く研究を進めなければならない。無益な言い争いなど、している場合ではないのだ。
ところが、その時だった。
三人の屍兵を沈めた水槽が、ボコッと一瞬泡立った。すると、みる間に蘇生液が青紫に変色していく。分解液だ。水槽の中に、有機物を悉く分解する液体を注入されたのだ――そう気づいた時には全てが手遅れになっていた。三人の屍兵はあっという間に細胞レベルでバラバラとなり、蘇生と分解の混合液に混じって溶けていってしまう。
「え……?」
あまりの出来事に、レギウスはすっかり呆けてしまった。一体何が起ったのか。
しかし、隣に立つクロードは顔色を全く変えず、こちらをじっと見つめている。その瞳にはすでに怒りも憤りも消え、ただ静けさだけが横たわっていた。それを目にしたレギウスは確信する。
「あなたなの、クロード……? 一体、何をしたの‼」
「もう終わったんだ、レギウス。戦争は終わったんだ」
クロードのやけに落ち着いた目が、機器の発する光を不気味に反射する。それは、何か覚悟を決めた人間の瞳だった。普段のレギウスであれば、クロードの見せた異変にすぐさま気づいただろう。しかし、この時は突然の事にすっかり気が動転していた。
「どうして……どうしてこんな事を‼」
レギウスは書類を挟んだバインダーをその場で取り落すと、それに構わずクロードに駆け寄った。そしてクロードより一回りも小さい掌を拳にし、クロードに叩きつけようとした。
しかし、その両手がクロードに触れることはなかった。
不意に、クロードの影の様な黒いその姿が動いたかと思うと、次の瞬間、レギウスの胸に大きなミリタリーナイフが突き刺さっていたのだ。
「クロード……?」
最初は何が起ったのか、分からなかった。暫くしてようやく、自分が死に直面しているのだという事を理解した。それも、よりにもよって、クロードの手によって。
今現在において、レギウスはクロードの死霊魔術師ではなく、クロードもまたレギウスの屍兵ではない。屍兵は使役者である死霊魔術師に危害を加えられないという駆動制限が、この瞬間には適応されなかったのだ。
おまけに、研究室そのものに何か仕込んだのだろう、高価な機器や水槽が、爆発を起こし始めていた。
屍兵研究の要となる機材が、次々と火を噴き、呆気なく破壊されていく。
――ああ、なんてこと。
目の前が暗くなり、口からは血痰が出た。足から力が抜け、立っていられなくなり、レギウスはクロードに向かって倒れ込む。クロードは無言でそれを抱きとめた。
「いや……いやよ……!」
レギウスはクロードの腕に縋りついた。
「このまま、死ねない……。研究を残したまま、死ぬわけにはいかない……!」
しかし、体は悲しいほど言う事を聞かなかった。血が流れると共に全身からも力が抜けていき、ついにはクロードの腕の中で、仰向けに倒れ込んだ。大きく見開いた眼球に、クロードの静かな顔が映り込む。
「……大丈夫だ。一人にはしない」
そしてクロードはレギウスの細い手を掴むと、それを自らの心臓部――《マルドゥ―ク=システム》の上に押し当てた。
「あんたの手で、終わらせてくれ」
レギウスは目を見開いた。クロードが何を言わんとしているかを、瞬時に理解したからだ。
確かに今のクロードには、駆動制限が作用しない。クロードは実質的には、レギウスの屍兵ではないからだ。
だが、屍兵は強力な兵器であるが故に、施された安全装置は他にも存在する。屍兵の起動を一瞬のうちに全て停止させる魔術呪文が存在するのだ。《マルドゥ―ク=システム》の開発者である、レギウスだけがそれを知っている。クロードは、それを使えと言っているのだ。その魔術呪文を使用するという事は即ち、屍兵にとっての死を意味するというのに。
レギウスは悟った。クロードは、最初からそのつもりだったのだ、と。
最初から、自らも死ぬ覚悟で。
「どうして。何故、そんな事を……?」
レギウスは悲しくて仕方なかった。自分の研究は全て、クロードの為のものなのに。クロードを生き返らせるためのものなのに。
レギウスは、口からゴボリと血を溢れさせながら必死で言葉を紡いだ。
「あなたは……は知らないのよ……! あなたのその白髪が、元はどんな色をしていたかを……! それが、どんなに美しい色をしていたかを……!」
生きている頃、クロードの髪が、どれほど鮮やかな紅だったか。
その色がどれほどレギウスと似ていたか。
そう、クロードの髪はもともとレギウスと全く同じ、美しい暁色だったのだ。
レギウスとクロードは、たった二人残った、《ティアマトの剣》の末裔だ。現在、大陸で繁栄を謳歌している人族とは違う、古代種族――燃えるような真紅の髪が、その証だった。他には決してない色。世界でたった二人だけの色だ。
だが、クロードにはその記憶が無い。屍兵として甦る過程で、生前の記憶が失われてしまったからだ。その燃える様な緋の髪も、色が抜けて白色化してしまった。だが、レギウスはそれでも構わないと思っている。どんなになろうとも、クロードはクロードだからだ。
クロードを愛している。
クロードを生き返らせる為なら、何だってする。
彼に自由をあげたい。レギウスはずっとそう願ってきた。屍兵である今の状態は、とても生きているとは言えないし、死んですらいない。レギウスにとって一番大事なのは自由である事だ。だから、自分にとって最も大事なものを、クロードにもあげたいと考えたのだ。
完全な肉体を彼にあげたい。例え、クロードがそれを望んでいなかったとしても。
それがレギウスにとっての、信念。
そして、愛のかたちだった。
「愛してるわ、クロード……!」
レギウスは最後まで魔術呪文を口にしなかった。
代わりに、クロードの手を握り返した。
――あなたを愛している。あなたの為なら、何だってする。世界だって滅ぼしてみせる。
クロードが何か、レギウスに向かって囁いた。だが、もはやそれもレギウスの耳には届かない。最後に聞こえたのは、一際大きな爆発音だ。
そして、レギウスの意識は、ゆっくりと闇の底へと沈んでいった。
薄暗い闇がどこまでも広がっていた。
それがどこなのか、どれくらいの広さの空間なのかも分からない。
ただ、青白い光球が一つ、浮かんでいた。ちょうど、一抱えほどある大きさだ。
その光球の中に、ぼんやりと映像が浮かび上がっていた。それは、ムシュフシュ遺跡の映像だった。次に映像に映し出されたのは、白髪の屍兵の姿だ。真っ黒いローブを着た女――レギウスはそれを見上げ、目を細める。
「さすがね、クロード」
ここは、ガレリア軍によって与えられた研究施設の一角だった。ムシュフシュ遺跡での出来事は、全てこの光球を介して確認していた。クロードはレギウスの予想通りに判断し、概ねその通りに動いた。
唯一、アーロンの《マルドゥ―ク=システム》が手に入らなかった事だけが誤算だったが、レギウスにとってはたいした問題ではなかった。
彼女の背後には、グアンデラ要塞にあったのとそっくり同じ、筒状の巨大な水槽がいくつも横列している。そして、その全てに裸体の男女――新たな屍兵が目を閉じた状態で沈められていた。
「待っているわ、クロード。研究を完成させて、あなたを待っているから……!」
二十年前のあの日、クロードは最後に、レギウスに向かって何かを囁いた。それが何なのか、レギウスには未だに分からない。だが、大方の予想はつく。クロードはレギウスを憎んでいるのだろう。レギウスのやろうとしている事は、クロードの信念に反しているからだ。
だが、理解を得られなくとも良かった。
憎まれても、嫌われても構わない。
忘れ去られるより、ずっといい。
クロードは今回の事で、レギウスが生きている事、そして研究を続けている事を知った。やがて、いつかここへ乗り込んで来るだろう。研究を止める為に――そして、レギウスを殺すために。
そう、それでいいのだ。
レギウスは自らの抱いた確信に満足し、唇にゆっくりと微笑を浮かべた。