第32話 敵の正体
「レギウス、そんな愚かな事はやめるんだ! 新たな屍兵を開発し、ガレリアの大陸侵攻に加担するなんて、そんなことが許されると思っているのか⁉」
クロードは我知らず、身を乗り出して叫んでいた。こんな事で、レギウスが意志を曲げるとも思えない。だが、どうしても声を上げずにはいられなかった。
すると案の定というべきか、レギウスは優美に微笑み、挑発的な口調で答える。
「……許し? おかしなこと言わないで。どうしてそんなものが必要なの? ガレリアには、私の生み出した技術を求めている人たちがいる。イディアなどとは違ってね。私はただ、その要請に応えているだけよ」
「そうだとしても、俺は許さない。堂々と危険な事に手を染めようとしているあんたを、見逃すわけにはいかない!」
「だったらどうするの? 私の事を殺す? ……あの時みたいに」
そして、獲物を狙う獣のように瞳を煌めかせ、まるで禁忌を口にするかのように重々しく囁いた。
「もう一度――私を殺すの、クロード?」
崩壊しかけた地下室の空気が、レギウスの放った言葉によって、一瞬にして凍りつく。
緊張が極限にまで達し、鋭利な刃となって皮膚に突き刺さるようだった。
「殺―――えっ……⁉」
アリスはそのまま絶句し、レギウスとクロードを交互に見つめた。クロードはただ無表情にレギウスを見つめ返す。
やはり、と思った。彼女は忘れてなどいない。そして、クロード自身もまた、一度として忘れたことなど無かった。二十年前の、あの決別を。
《暁月の魔女》は二十年前の終戦直後、突如として行方不明となった。巷ではその原因と彼女の行方を巡って様々な噂が飛び交ったが、結局、真実は闇の中だった。だが世界でただ一人、クロードだけはその真実を知っていた。――なぜ、レギウスは行方不明となったのか。
殺害されたからだ。
彼女の使役していた屍兵――クロード=ヴァイスの手によって。
クロードはやがて、ぽつりと呟く。
「恨んでいるのか、俺を。これは復讐だったのか」
すると、レギウスは興醒めしたかのように目を細めた。
「そういう言い方、しないで。卑怯だわ。あなたが何を選ぼうと自由よ。ただ、それなら私の選択だって自由であるべきだわ。そうでしょう?」
「正気か……? 本気で言ってんのか!」
「ええ、もちろんよ。そもそも、私はあなたを恨んだりなど、していないわ。ただ《ギルガメシュ=システム》が必要だっただけで、あなたを殺したかったわけでもない。だって……こんなに楽しいんですもの」
クロードは一瞬、耳を疑った。
――今、何て。
レギウスはまるで謳うような、甘美な声で続けた。
「奪う事は簡単よ。でも、それだとつまらないじゃない。こんなに私を楽しませてくれるのは、世界中であなただけなんだもの。私を理解しているのはあなただけ。私が愛しているのもあなただけよ、クロード……!」
レギウスは声を立てて笑った。まるで、アーロンが死んだことも、これから自分が引き起こそうとしている深刻な事態も、全て心から楽しんでいるかのようだった。アリスは顔を引き攣らせて恐怖を浮かべ、まるで異様なものでも見るかのような目でそれを見つめている。
クロードは両手を拳にし、それを握りしめた。そうだ、これがレギウスなのだ。彼女は自分の想定になかったこの展開を、楽しんでいる。楽しくて楽しくて、たまらないのだ。
レギウスの性格をよく知っているだけに、それが手に取るように分かる。追い詰めているのはクロードの方だったが、苦虫を噛み潰すような表情をしているのも、またクロードの方なのだった。
彼女には伝わらない。自分のしていることに対して、罪の意識が無いからだ。二十年前もそうだった。そしてレギウスは、全く変わっていない。戦争が終わり、クロードももはや彼女の屍兵ではないというのに、悲しいまでにレギウスは変わっていないのだ。
冷たい絶望感が、クロードの胸の内を浸していく。このままどんなに言葉を重ねても、レギウスがクロードの言う事に理解を示すことはない。彼女は違う。何かが、人とは決定的に違う。そして、それはおそらく容易には超えられない。
やがて、レギウスは空中に《エンリル=コード》を浮かべた。イヤリング型の《マルドゥ―ク=システム》に光が瞬くと同時に、膨大な数のエンリルが、彼女の全身を覆い始める。レギウスは今までの事がまるで嘘のように、ふわりと澄んだ笑顔を見せて言った。
「ごめんなさいね、クロード。私、もう行かなきゃ」
そのエンリルが、何なのか。《エンリル=コード》を扱えないクロードには分からない。ただ、レギウスの言葉から、それが移動の類の魔術だという事は分かった。レギウスは、この場から立ち去ろうとしているのだ。
その手の平の中には、アーロンの《マルドゥ―ク=システム》と擬似魂がある。彼女はそれをガレリアに持ち帰るのだろう。そして、新たな屍兵を開発する。それがどのようなものになるか分からない。だが、少なくとも彼女は技術を更に発展させるつもりでいる。クロードたち00部隊とは、比べようもないほどの性能を誇る屍兵が誕生するのだろう。そしてその最強の歩兵たちが、近い将来、大陸中を蹂躙していくのだ。
止めなければならない。クロードはそう思った。
彼女を決して、このまま行かせてはならない。
アーロンの《マルドゥ―ク=システム》と擬似魂を奪われてはならないのだ。
失われてはならない多くの命を守るため、そして何より、クロード自身の信念のために。
ふいにアーロンの言葉が耳の中で甦る。
『彼女を、殺すんだ。――迷うな。全てが、手遅れになる前に……!!』
長話をしていたおかげか、レギウスにかけられた強制睡眠の魔術の効果も、すっかり消えて無くなっている。今なら、何の問題も無く動ける。
そして、クロードは一切躊躇することなく、それを実行した。
アリスから身を離して地を蹴ると、一気にレギウスへと近づいていく。レギウスはちょうど《エンリル=コード》を展開中で、他の魔術の行使ができない。そして、魔術が使えねば、いかに《暁月の魔女》と言えど、ただの人と変わらない。彼女は、ほぼ無防備の状態だった。
クロードは迷わなかった。
「クロくん、待って!」
止めに入ったのは、アリスだった。屍兵は使役する死霊魔術師の許可が無ければ、人間と交戦することはできない――アリスにそう教えたのは、他ならぬクロード自身だ。だが、クロードは足を止める事はなかった。わずか数秒で、ぐんと、レギウスとの距離を詰める。
レギウスは透明な瞳でクロードを見つめていた。クロードが今から何をしようとしているのか。彼女なら分かっている筈だが、特に抵抗する素振りも見せ無い。
クロードは遠慮なく魔術を行使し、黒焔を呼び出した。そしてそれを己の拳ごと、レギウスの心臓目がけて叩き込んだ。その衝撃に反応したかのように、彼女が展開させていた《エンリル=コード》が、一瞬のうちに全て崩壊し、消えていく。
「ああっ………!!」
背後でアリスの短い悲鳴が上がる。だが、心臓を貫かれた当のレギウスは悲鳴をあげなかった。ただ、されるがままにクロードを受け入れ、大きく、くの字に体を折った。そして、その手に持っていたアーロンの《マルドゥ―ク=システム》を落とす。
ガラス玉のように光を反射する黒い球体は、ゴトリと音を立て、床に転がった。
クロードもまた、無言だった。自分でも感情が抜け落ちてしまったのかと疑うくらい、何も感じない。
不気味なほど静かだった。ムシュフシュの地下も、クロードの胸中も。
やがてレギウスの体から完全に力が抜けきり、クロードの腕へと倒れこんできた。クロードは思わずレギウスの体を受け止めていた。それを払い除けるほど情を失くした訳ではないし、彼女の事を憎悪しているわけでも、蔑んでいるわけでもない。
これだけの事があっても、何故かレギウスを心から憎む気にはなれなかった。冷酷になりきれない自分は甘いのだろうか。そうかもしれない、と思う。だから二十年前も、レギウスの命を完全に奪うことが出来なかった。だが、それももう終わりだ。
レギウスの体を受け止めると、彼女の体は弾みでがくんと仰向けになった。そして、クロードによって貫かれた心臓部が露わになる。それにふと目をやったクロードは、あるものに気づいてぎょっとし、身を強張らせた。
「ど……どうしたの、クロくん………?」
顔色の急変したクロードに気づき、アリスが恐るおそる近寄ってきた。その手の中には、アーロンの《マルドゥ―ク=システム》がある。どうやらレギウスの手から落ちたそれを回収していたらしい。
アリスは恐々とクロードの視線の先にあるものを覗き込む。そしてまた、彼女も驚いた様に激しく瞬きをした。
レギウスの焼け爛れた胸の中に、光を美しく反射する球体が埋もれていた。ガラス玉のような真っ黒い球体は、クロードやアーロンの心臓部に内蔵されているものと、全く同じもの――そう、《マルドゥ―ク=システム》だ。
「レギウスさん……屍兵だったの……?」
アリスは、激しく戸惑っている様子だった。
クロードもまた、混乱していた。二十年前、レギウスは確かに生者だった筈だ。彼女はいつの間に、自分の体を屍兵に改造したのだろうか。クロードは、俄かには自分の目にしたものが信じられなかったが、一つだけ得心したことがあった。
レギウスは屍兵だった。だからこそ、《エンリル=コード》もあれほど自在に行使することができたのだ。彼女の耳には今もイヤリング型の聖霊杖が煌めき光を放っているが、いくら何でもこんな小さな《マルドゥ―ク=システム》で、エンリルを操れるわけがない。エンリルを操ろうと思ったら、屍兵が内蔵しているような高性能の《マルドゥ―ク=システム》が必要だ。だがわざわざエンリルのために、そこまでするものなのだろうか。
すると、突然レギウスの体がピクリと動いた。そして、ゆらりと起き上がる。
まさか、これだけの傷を負ってまだ動くとは思わなかった。クロードとアリスはただ驚き、それを見つめていた。
レギウスは何事も無いかのように立ち上がり、顔を上げる。そこには、淡い微笑があった。まるで、胸の傷など無いかのように、笑っている。
地上の日が差し込まない、地下の薄闇に浮かび上がるその姿は、妙に美しかった。
「……この身体はね、クローン技術を使っているの。私とは細胞レベルで同じだけど、私自身ではない。それを屍兵に改造したのよ」
クローン技術。概念だけは知っているが、まさか実現していたなんて。クロードは言葉も出なかった。愕然とし、ただ本物と寸分も違わない、目の前に立つレギウスの、紅の髪を見つめていた。
彼女は偽物だったのだ。存在自体が、『嘘』だったのだ。
屍兵のレギウスは、本人となんら変わらない魅力的な笑顔で言った。
「私ね、あなたに殺されかけて、一つ学習したの。あなたは私を必ず殺す。それがあなたなんだって。だから、事前にこうして用意していたの。こうすれば、アーロンとの契約も続行したままだし、本体との意思の齟齬も無いもの。……ね? いい手だと思わない、クロード?」
クロードは何も答えなかった。答えられるはずがない。
アリスもまた、目を見開き、怯え、硬直したまま一言も発しなかった。その瞳には、もはやレギウスに対する憧れは無い。ただこの世ならざる存在に恐怖し、震え慄いていた。
レギウスはそんな二人を見つめ、にっこりと笑う。
「……アリスちゃんは本当にいい子ね。彼女になら、あなたの事を任せられる。――でも、それはあくまで、ほんの少しの間だけの話よ。あなた達の関係は、あくまで私の研究が完成するまでの、仮契約に過ぎないの」
すると突然、レギウスの手の甲の皮膚が青紫に変色し始めた。変色は凄まじい速さでレギウスの肌を覆っていく。クロードはその光景に見覚えがあった。アーロンに投与された、生物兵器だ。
「レギウス、それは……!」
「そう。アーロンに使用したものと同じ生物兵器よ。大丈夫、怖がらないで。屍兵にしか作用しないし、空気感染や接触感染も無い。そもそも、他の個体へは感染しないようにできているから」
レギウスはそう言うと、クロードに近づき、顔を寄せた。
「本当の私は、ガレリアであなたを待っているわ。……いい? あなたは私を追うの」
レギウスの体は八割がた汚染が進んでいた。しかし彼女の髪だけは、最後まで紅く、息を飲むほど美しい。
レギウスの瞳はただ一人、クロードのみに注がれている。他には何も見ていない。アリスも遺跡も、世界のありとあらゆる事象を排除し、クロード一人を見つめ、囁いた。
「……他の死霊魔術師のものになるなんて、許さない。私の事を忘れるのは、もっと赦さない。待っているわ、クロード。ずっと……あなたを、待っているから」
そして、崩壊が始まった。瑞々しい皮膚も、燃える様な美しい髪も、あっという間に崩れ落ちていく。
アリスはそのあまりにも凄絶な光景をとても直視できなかったのだろう、途中でギュッと目を瞑り、顔を背けた。だが、クロードはじっと微動だにせず、その一部始終を見つめる。
最後には、レギウスの胸に埋もれていた《マルドゥ―ク=システム》だけが残り、重々しい音を立てて地に落ちた。そして、ビシッとひびが入ると、真っ二つに割れ、その場に転がる。
後にはただ、静寂だけが気怠げに身を横たえていた。
遺跡は止まり、レギウスの偽物は去り、アリスの手の内にあるアーロンの《マルドゥ―ク=システム》だけが残った。しかし、レギウスは死んでいない。彼女は生きていて、おそらくどこかで今も、クロードたちを見つめている。
地に転がる偽レギウスの《マルドゥ―ク=システム》は、真っ二つに割れても尚、黒曜石のような妖しい光を放ち続けていた。
それを見つめながら、クロードは二十年前の事を思い出していた。
彼女と過ごした、最後の時間。
全てが終わり、そして始まりでもあったあの日の事を。




