第30話 黒幕の正体
クロードは夢の中で、薄暗い建物の中を歩いていた。
目的地はあるはずなのに思い出せない。自分はどこに向かっていたのか。そもそもここはどこなのか。ムシュフシュ遺跡の中か。いや、違う。ムシュフシュの内壁は黒と白だったが、ここの壁は白い石組みのみでできている。そして、その光景には見覚えがあった。
硬質な床を踏みしめる靴音。殺伐とした、硝煙と血の混じりあった、ひどく乾いた空気。すぐに、ああ、ここはグアンデラ要塞の内部だと思い出す。
そうだ、思い出した。
自分はレギウスに呼び出されたのだ。
三日前、ラジオで終戦宣言が流れた。もうすぐこの要塞に、新しい国際組織――魔術師連合・国際平和維持機構、通称の魔術師たちがやってくる。その事について、レギウスと話し合う予定だった。今、向かっているのは、彼女の研究室だ。
クロードは歩を進めながら、レギウスの姿を思い浮かべる。
そして自分もまた、それとは別に、ちょうど彼女に用があるのだった。
そう、これから。
これから、俺は彼女を――――――――
「………いってええぇぇ‼」
クロードは目を覚ますと共に、その場に跳ね起きた。
すぐに痛覚が戻ってきて、側頭部がズキズキと痛みだす。触れると、いつの間にか瘤ができていた。一体、何が起ったのか。ムシュフシュ遺跡を破壊する途中で強い睡魔に襲われたところまでは覚えている。それが、目覚めてみたら、何で頭に瘤ができているのか。
あまりの痛さに思わず瘤を抑えて呻くと、アリスがしゃがみ込み、こちらの顔を覗き込んできた。
「クロくん、よかったぁ! 生きてたんだね⁉」
心から安心した、といった表情だった。目にはうっすらと涙が溜まっている。周囲には、アリスの他に誰もいなかった。遺跡の大広間は天井が開いたままになっていて、床には黒焔による大穴が穿たれている。クロードが突然、気を失ってから、何も変わっていない。
再度、アリスに視線を戻すと、彼女の手の中には、いつものゴツい聖霊杖。何故かそれが妙に目につく。もしやと思い、クロードはアリスを問い詰めた。
「お前……一体、俺に何した⁉」
「あうっ……ごめん! クロくん急に倒れるから、その……びっくりして杖で殴っちゃった」
あまりにも常識を欠いたその答えに、クロードは硬直した。
「殴っ――て、ちょっ、おまっ……はあ⁉ ぶっ倒れた人間を、殴るかフツー⁉」
「だ……だって、呼んでも揺すっても、全然目を覚まさないし……死んじゃったかと思ったんだもん! びっくりしたんだもん‼ ほら、ショック療法ってあるし、息はしているようだったから、とにかく起こさなきゃと思って……。でも、ほ……本当に、ごめんね……!」
アリスは安堵も相まってか、グズグズとべそをかいた。
クロードはそれを眺めつつ、胸中でぼやく。
そうか、俺は彼女と組んでいる限り、悠長に気絶する事すら許されないのか。
考えると鬱になりそうだったので、クロードは意識を部屋へと向けた。
クロード達がいるのは、大広間の端っこだ。部屋の真ん中には、自分が魔術で穿った巨大な穴が開いている。最後の大爆発から少し経ったようで、穴からは、焦げた臭いのする水蒸気がうっすらとその身を燻らせている。それを除けば、遺跡の中は嘘のように静かだった。爆発音も無ければ、重低音の振動もすっかり消えている。
念のため、アリスに尋ねた。
「……遺跡はどうなった?」
「止まったよ。外の廊下も、全然動いてない。でも……」
「どうした?」
「レギウスさんの姿が見えないの。もしかして、爆発に巻き込まれちゃったんじゃ……」
確かに破壊され尽くされた遺跡内部の、どこにもレギウスの姿が見えない。だが、クロードはそれを驚かなかった。ある程度予想していた事だったからだ。
「……大丈夫だ。あいつはちゃんと生きていて、まだこの遺跡の中にいる」
妙に確信に満ちたその言葉に、アリスは「そう、なの……?」と小首をかしげた。
クロードは「ああ」と短く答え、立ち上がろうとし、大きくふらつく。どうやら、強制睡眠の魔術効果はまだ抜けきっていないらしい。
「アリス、手を貸してくれ」
そう頼むと、アリスが近寄ってきて脇腹に手を回し、立ち上がるクロードを支えてくれた。
クロードは険しい瞳で部屋の中央に穿たれた穴を見つめ、呟いた。
「……さあ、レギウスを迎えに行こう」
ムシュフシュ遺跡の地下室――アーロンとクロードが戦った地下の部屋は、大広間以上に破壊し尽くされていた。
部屋は煙と、鼻をつく異臭が充満している。壁一面を覆っていた機器類は、全て焼け焦げ、原型が分からなくなっていた。おまけにところどころ、火花を散らしている。クロードとアーロンが戦っても持ち堪えた床は、今やすっかり凸凹になり、一部に至っては溶けかかっていた。
アーロンの持ち込んだバルトロメオらの遺体も、またアーロン自身の体も。既に何も残っていなかった。全てが真っ黒になり、焼失している。
レギウスはその中をゆっくり歩いていた。その燃えるように紅い髪は、薄暗い地下室の中でも輝き、浮かび上がるかのようだ。その猫のような瞳は何かを探し、ずっと地に注がれている。アーロンに投与した生物兵器の反応は無い。どうやら、先ほどの火焔魔術ですっかり焼却されてしまったようだ。探索の魔術を行使しても、何の反応も無い。
やがて、レギウスは部屋の中央まで歩を進めた。そこには、アーロンの出現させたエンリルの壁が未だ解除されずに残っていた。クロードの火焔魔術にも耐えたものらしい。
「………。こんなことまでして……」
レギウスは半ば呆れ口調で呟いた。そして、《エンリル=コード》を浮かべる。すると、アーロンの作ったエンリルの壁は、そのままガラスが割れるような音を立てて砕け散り、消えていった。レギウスは目を細めてその様を見つめていたが、ふと足元に転がっているものに気づく。
それは、ちょうど手の平に乗る大きさの球体だった。紫、或いは赤の混じった鈍い黒色をしている。その表面は宝石のように磨かれ、鋭く光を反射していた。全てが煤けた空間の中で、それだけが異様な輝きを放っている。
その美しい球体こそが《マルドゥ―ク=システム》の正体だった。
ここにあるのは、アーロンの《マルドゥ―ク=システム》だ。アーロンの肉体は生物兵器によって朽ち果て、骨も残らないほど焼き尽くされていたが、内蔵する機関は数千度の熱にも耐え、残ったのだ。球体は時おり、じわりと光を滲ませる。中でまだ擬似魂が生きていることの証だった。
「見つけた……!」
レギウスは両手で丁寧にそれを拾い上げる。手に持つと、ずしりとした重みと共に、ほのかな温もりが伝わってきた。レギウスは宝物のようにそれを見つめ、華奢な指で表面をゆっくりと撫でた。まるで、大切な探し物が見つかったのだとでもいうように。
「やはり、それが狙いだったのか」
唐突に発せられた言葉に目を見開き、レギウスは弾かれたようにして背後を振り返る。
特殊扉のそばに、クロードとそれを支えるアリスが立っていた。扉を使って地上からここまで転移してきたのか。
「クロード……」
まさか、どうして。
彼がここにいるはず、無いのに。
「クロード……!」
レギウスは目を見開き驚いていた。彼女が動揺を表に出すことは、殆ど無い。余程、クロードがこの地下に足を運んだことが、驚きだったのだろう。それを目にし、クロードは確信する。
「やはり……あんたが俺を魔術で眠らせたのか」
アリスがぎょっとしてこちらを見上げた。強制睡眠の魔術をかけられたのはアーロンと最初に戦い、負けて気を失っていた間か。ともかく、クロードがレギウスによって眠らされたのは間違いない。眠っていると思っていた相手が目の前に現れたので、彼女はこんなにも驚いたのだ。
レギウスは返事をしなかった。猫のような目をじっとクロードに注いでいる。やがて、小さな声で尋ねた。
「どうして……あなたが、ここにいるの?」
「それはこっちの台詞だ。ここで一体、何してる?」
レギウスはまたも返事をしなかった。じっとこちらを凝視したままだ。クロードはその目をよく知っている。彼女が、何か賢しく計算をしている時の目だ。クロードの問いにどう答えるべきか。どう欺くべきか、考えているのだろう。
「アーロンがあんたの事、裏切り者だと言っていたんだ。――殺せ、とまでな。……ずっと、あんたの事を怪しいと思っていた」
クロードが静かに切り出すと、レギウスの瞳はこちらを咎める色を見せた。
「そう……信じているのね、アーロンを。私でなく、彼を信じるのね」
「信じて欲しければ、それらしい事を少しはしてみたらどうなんだ!」
クロードは苛立ち、声を荒げた。
隣にいるアリスは、びくりと肩を震わせ、不安そうにこちらを見上げた。
しかし、やはりレギウスの反応はない。相変らず、探る様な目でこちらを見つめている。
クロードは僅かに声を低くし、捲し立てた。
「……最初は確かにあんたが黒幕だと思った。遺跡を復活させ、戦争を起こすくらい、あんたならやりかねないってな。でも、それだと矛盾がある。黒幕なら、わざわざ動かしたものを壊して止める必要がない。俺に治療を施したのも、確かに妙だ」
「だから、言ってるでしょう。私は首謀者じゃないって」
「いや、違う。黒幕はあんただ。でも、あんたはムシュフシュを簡単に切り捨てた。それはつまり、ムシュフシュが真の目的じゃなかったって事だ。あんたの目的は最初から、手の中のそれ――アーロンの《マルドゥ―ク=システム》と擬似魂を回収する事だったんだ」
レギウスは肩を竦め、クスリと笑う。
「そんな……目的だなんて。言ったでしょう、私、今は研究をしていないのよ。資金も設備も無いし……したくても、できないもの。たまたまよ。アーロンが死んでしまったから……だから仕方なく、《マルドゥ―ク=システム》と擬似魂を回収しているだけ」
「たまたま……? 俺はあんたが、そんな行き当たりばったりな事をするとは思えない」
クロードは辛辣な口調で言葉を返した。そして、レギウスの答えを待たず、畳み掛ける。
「生物兵器なんて、嘘なんだろう?」
アリスが「え……ええっ!?」と目を瞠る。
レギウスはぴくりと僅かに眉が跳ねさせたが、やはり無言だった。
クロードは構わず続ける。
「この遺跡にはそんなもの、最初から無いんだろう」
「………」
「アーロンは極力、周囲に被害が及ばないようにして死んでいった。それなのに、最も危険な遺跡の生物兵器だけを残して死んだのは、どう考えても不自然だ。この遺跡が何なのかは知らないが、少なくともそんな危険な代物じゃないんだろう。あんたの目的は、遺跡の復活そのものではなく、ここに俺とアーロンをおびき出すことだったんだ」
アーロンに投与されていた生物兵器は、間違いなく本物だった。だが、それはムシュフシュ遺跡とは何の関係もない、『別口』なのではないか。
「あんたはアーロンの死霊魔術師だ。それなのにたまたま居合わせただけと嘘をつき、遺跡復活の首謀者であることをひた隠しにした。何故、そんな偽りを口にしたのか。そこにはちゃんと意味があるはずなんだ」
「そう? 深い意味なんて無いわ。考えすぎよ、クロード。だって私、本当に――」
「いや、意味はある。俺はアーロンの言う『裏切り』ってのが、何なのかを考えた。アーロンにとっての裏切りが何であるのかを、な。ずっと、気になっていたんだ。……アーロンが何故、戦争が終結した今になっても、未だイディア軍の戦闘服を身に纏っていたか」
一般的に軍服も含め、制服は所属する組織に合わせるものだ。事実、クロードも今は《レヴィアタン》から支給された軍服を着ている。
話によると、アーロンは軍を離れ、世界中を放浪していたという。名実ともに、もう、イディア軍の軍人ではなかった筈だ。それなのに、何故わざわざあのような格好をしてクロードの前に現れたのか。
「アーロンは今でもイディアの人間だという事だ。少なくとも、奴自身は自分の事をそう捉えていた。イディアに忠誠を誓う者にとっての、裏切り――もしそれが、敵に寝返る事を意味していたとしたら……。イディアにとっての敵はどこだ? 長い事イディアと戦争を続けていた国は」
レギウスはすっと、両目を細めた。
アリスが弾かれたようにクロードを見上げ、叫んだ。
「ひょっとして……ガレリア⁉」
「そうだ、ガレリアだ。レギウス、あんたは研究をやめてなどいない。新しいスポンサーがついたからだ。それが、ガレリアだ。……違うか?」
返事は、またも無かった。ただ、レギウスの態度には今まで常に余裕のようなものがあったが、今はすっかりそれが消え失せ、何か警戒するような色が浮かんでいる。おそらく、クロードの推測がある程度、的を射ているからだろう。




