第28話 疑念
特殊扉を移動すると、アリスとレギウスがクロードを待ち受けていた。
「クロくん、無事だったんだね?」
アリスがクロードの姿を認め、真っ先に駆け寄ってきた。トレードマークの聖霊杖を抱え、今にも泣き出しそうな顔をしている。
だが、クロードはそれに対して、「……ああ」と短く答えただけだった。アーロンのあのような最期を見てしまった後では、どれだけ歓迎されたとしても、純粋に帰還を喜ぶ気にもなれない。アリスはクロードの表情を認め、すぐにそれを察したようだった。
「あの……アーロンっていう屍兵の人……どうなったの?」
おずおずと尋ねる。すると、それに答える前にレギウスがこちらへと歩み寄って来るのが見えた。
クロードはレギウスに向かい、言った。
「アーロンは死んだ」
レギウスの表情は動かない。いつもの美しさのまま、歪むこともなければ涙を流すこともない。クロードが戻って来た時点で、ある程度、想像がついていたのだろう。
「そう」
と、小さく答えたきりだった。
それだけか。他に言うことはないのか。
あまりにも簡素で淡泊なその反応に、クロードは感情を爆発させた。
レギウスは常に冷静だ。過去においても、彼女が激しい動揺を見せたのはほんの数えるほどしかなかった。だから、彼女にとってこれは、ごく普通の反応なのかもしれない。だが、真実を知った今となっては、とても彼女の態度を受け入れる余裕などなかった。
謝って欲しいわけではない。言い訳が聞きたいわけでもない。ただ、許せなかった。道具のように操り、利用し、切り捨てた。レギウスはアーロンの想いを踏みにじったと同時に、クロードの想いも裏切ったのだ。
クロードは乱暴にレギウスの手首を掴み、持ち上げた。
「く、クロくん⁉」
アリスが狼狽したような声を出す。だが、クロードは止まらなかった。
「それだけか⁉ あいつは死んだんだぞ! あんたのせいで死んだんだ‼ ……あんたがこの計画の首謀者なんだろう⁉」
クロードの両目は、燃え上がっていた。どうしても怒りを抑える事ができなかった。
クロードに激しい怒りをぶつけられ、レギウスは始めてその美しい双眸に感情を宿す。それは、戸惑いだった。クロードの言っていることが、理解できない。彼女の表情はそう言っていた。
「何の事なの、クロード……? よく分からないわ。アーロンに何か言われたの?」
「何だと……?」
「一体何を言われたか知らないけれど……アーロンの話には証拠があるの?」
証拠など、ない。だが、その必要もない。アーロンが目の前で死んだことこそが、何よりの証左だ。そうでなければ、あのような酷い死に方はおかしい。
それに、クロードには彼女ならやりかねないという確信もある。彼女なら、己の望みを実現させるためにどんなことでもする。冷徹に計画を立て、慎重に事を運び、どんな困難でさえ実現してしまうだろう。昔から、そうだった。
そう――ムシュフシュ遺跡を稼働させ、再び戦争を起こす。それをアーロンが口にした時は、一瞬、彼の正気を疑った。しかしそれをレギウスが口にしたなら――彼女が計画し、実行したのなら、何も違和感はない。何せ、戦争が楽しい、などと平気で言ってのける女だ。それが、レギウスなのだ。
「誤解よ、クロード。私は、たまたまこの遺跡に来て、あなた達に再会した。アーロンの話を聞いた時には確かにびっくりしたけれど、でもそれだけよ。あなたが酷い怪我をして、倒れていて……だから助けた。私が遺跡の復活計画の首謀者なら、妨げとなるあなたをわざわざ助けたりしないわ。それに、そもそも研究だってしていないのよ。私にとって、世界情勢なんて今やどうでもいいことだわ」
「屍兵の研究をしていない? それは嘘だ! アーロンは言っていたぞ。あんたの研究のために、兵士でもない何の罪もない一般人を殺していたとな‼」
「そんなわけないでしょう、クロード。いくら私だって、自分の創った屍兵にそんなことをさせたりしないわよ。それにくどいようだけど、私もアーロンとはこの遺跡で久しぶりに再会したの。いろいろあったけど……あなたたちの事は、今でも大切に想っているつもりよ。あなた達が困っていれば、手を差し伸べるくらいには……ね。アーロンの事は……本当に残念だったわ」
「……!」
確かに、レギウスがクロードを助けたことは、どうにも腑に落ちない。彼女なら《ギルガメシュ=システム》を直接調整し、起動可能かどうかを調べる事ができるからだ。わざわざクロードをアーロンと戦わせたりせずとも、その場で取り出すことさえ可能だったろう。そしてレギウスは、意味のない無駄なことは絶対にしない性格だ。
だが一方で、アーロンの説明が嘘だとは、どうしても思えなかった。アーロンは誰かの――おそらく死霊魔術師の命令を受けていた。それはレギウス以外に考えられない。
「本当のことを言ってくれ、レギウス!」
クロードはレギウスの腕を掴む手に力を込め、引っ張った。
「もう……嘘は沢山だ‼」
クロードとレギウスは、睨むようにして見つめ合った。
そばでアリスがオロオロと二人の様子を窺っている。誰も、一言も発しなかった。
遺跡の稼働音だけが、いやに大きく響き渡る。
レギウスの目は、やはり静かだった。こちらを観察しているような、どこか冷たい目。だが、やがて根負けしたかのように、溜め息を一つ吐きだした。
「……分かったわ。何だか誤解があるようね。きちんと話し合いましょう」
誤解。誤解って何だ。アーロンがあんな死に方をしたのに、誤解だと? クロードは完全に頭に血が登っていた。
何か言い返そうと口を開いた、その時だった。ズン、と下から突き上げるような、ひときわ激しい衝撃が三人を襲う。クロードとレギウスは、たまらず大きくよろめいた。その弾みで、クロードはレギウスを掴んでいた手を離す。
「な……何だ⁉」
なおも揺れは続いている。クロードは周囲を見回した。いったい何が起きているのか――しかし、それはすぐに判明する事となった。ゆっくりとだが、足元の床が傾き始めたのだ。水平だった床に高低差が生まれ、坂となりつつあった。その傾斜は、どんどんきつくなっていく。
「きゃああっ!」
アリスは悲鳴を上げる。振動に足を取られてひっくり返りそうだったので、クロードは彼女が羽織っている雨合羽のようなローブごと引っ掴んで、立たせてやった。
「遺跡が……動き出した……‼」
クロードは呟いた。いよいよ本格的に、ムシュフシュが稼働し始めたのだ。アーロンは言っていた。遺跡の状態は万全ではなく、制御システムに欠陥があると。だからこそ、クロードの《ギルガメシュ=システム》で補填する必要があると。だが、その計画は失敗した。つまり、この遺跡のシステムは制御不良のままだ。それなのに、このまま動き続けたらどうなるのか。
制御不良の機関の行く末はただ一つ。――暴走だ。
「くっ……!」
気づいた時には、クロードは走り出していた。ともかく、一度外に出て、この遺跡に何が起きているのか確認しなければならない。入り口の方向が登りになっているため、走りにくいことこの上なかったが、文句を言ってもいられない。身体強化の魔術を発動させると、一気に駆け上った。
「く、クロくん、待って!」
後ろからアリスとレギウスがついて来るのが気配で分かる。彼女たちの身体もうっすらと魔術で発光しているから、クロードと同じ魔術をおそらくレギウスが発動させたのだろう。
やがて、すぐに外へ通じる入り口が見えてきた。入った時と同じ、入り口は黒い膜が覆っている。それを通り抜けようとすると、後ろからレギウスが鋭い声で呼びとめた。
「待って、駄目よ! クロード!」
レギウスはクロードに追いつき、入り口まで来ると、《エンリル=コード》を浮かべた。すると、黒い膜が一瞬にして透明になる。クロードは突然現れた外の光景に、目を瞬かせた。
最初に目に入って来たのは、澄み渡った青空だった。馬鹿な。ムシュフシュは密集した森林地帯に囲まれていた筈だ。こんなふうに、青空など見渡せる環境ではなかったのに。
すると、ちょうどタイミングよく、アリスが二人に追いついて来た。透明になった入口の向こうに、唖然とする。
「クロくん、地面が無くなっちゃってる!」
クロードも一瞬、そう思った。だがよく見ると、森は眼下にちゃんと広がっている。どうやら、遺跡の一部が地上から離れ、上昇しているらしい。
下を見ると、動き出した遺跡によって木々が薙ぎ倒され、周囲の地表が露わになっている。地は割れ、中から砂塵が噴きあがっているのも見えた。
遺跡は絶え間なく揺れ続け、天変地異でも起きたかのような轟音が響き渡っている。おまけに現在進行形で傾き続けているため、クロードたちのいる外回廊の勾配はどんどんきつくなっていった。入口にしがみついていないと、坂に沿ってころころと転げ落ちてしまいそうだ。
「何が起っているんだ……⁉」
クロードは茫然と呟く。すると、隣で同じように外を見つめていたレギウスが口を開いた。
「ムシュフシュというのは、もともと龍の姿をしているの。その形状は、蛇によく似ているわ。それがちょうど円を描く様に、丸まって眠っていたのよ」
レギウスによると、どうやらきれいな円を描いていた遺跡は、今やほどけた縄のようにぐねぐねと波打っているらしい。その姿は、まさに蛇が激しく身じろぎをし、とぐろを巻くさまに似ていた。スケールは、蛇とは比べ物にならないほど大きかったが。
「どうしたら、この遺跡を止められるんだ! あんた、考古学者なんだろ?」
クロードはレギウスに詰め寄った。レギウスに対する疑いが晴れたわけではなかったが、今はとにかくこの遺跡を止めねばならない。そして、その為には、考古学の知識――つまりティアマトの遺産に関しての情報を持つ、彼女の協力を得るほかなかった。
レギウスはクロードを見つめ、説明を始める。
「地下に行った時、アーロンが何か機械のようなものを操作していたのを覚えてる?」
「ああ……」
そう言えば、地下に入った時、アーロンは発行画面のようなものを操作していた。そこには、地下の部屋の片面を覆うほどの大規模な機器類がひしめいていたはずだ。
「まさか、あれが……」
すると、レギウスは「そうよ」と言って続けた。
「あれがこの遺跡の心臓部。ちょうど、輪になった遺跡の、中心部にあるの。そこを叩けば、遺跡は止まるわ」
「……あの部屋に戻れと言うのか」
しかし、とクロードは躊躇った。部屋の半分――ちょうど機械類の設置されている側は、《エンリル=コード》による壁で区切られてしまっている筈だ。クロードに《エンリル=コード》の解除はできない。
レギウスなら、簡素な《エンリル=コード》であれば扱える。解除が可能かもしれないが、その先は生物兵器で汚染された区域でもあるのだ。とてもではないが足を踏み入れさせるわけにはいかない。それに何より、アーロンの努力を無にしてしまいたくなかった。
すると、レギウスもクロードの考えに同調したかのように頷く。
「特殊扉まで戻っている時間はないかもしれないわね……。 ――最初にあなた達がいた広い部屋があったでしょう? あなたと私が再会した大広間。あの部屋はちょうど地下の真上にあるの。特殊扉からの入り口が駄目なら……或いは、真上からなら接触できるかもしれない。ただ、急がなければ……遺跡が動き、その位置がずれてしまう」
バルトロメオを追って入った、大広間か。確かに、特殊扉よりはずっとここから近い。
だが、問題もある。大広間から地下まで、どれほどの深さがあるのかも分からない。それに上手く機械類を止める事ができればいいが、下手をするとアーロンを喰い尽くした生物兵器が地表に噴出してしまう可能性もある。そもそも、レギウスの情報が本当だという確証もない。
(どうする……?)
一体、どうするのが最善の方法なのか。分からない。この様な事態には、陥ったことが無かった。敵の軍隊を蹴散らしたり、敵基地に潜り込むのとはわけが違うのだ。
自分達だけで判断を下すのは危険かもしれない。そう思った。経験の無い事に、安易に判断を下すべきではない。
だが、一方でアーロンの最期が頭にちらついて離れなかった。アーロンは自らの命を犠牲にしてまで、クロードに後を託した。その努力を、想いを無駄にしたくない。だが、遺跡が攻撃態勢に入ってしまったら終わりだ。そして、それはおそらく、さほど先の話ではない。
援軍に連絡を取る余裕も、それを悠長に待っている時間も無いだろう。
そして、早急に判断せねば、遺跡が動き続け、レギウスの言う通り大広間の真下にあるはずの地下室――その位置がずれてしまうかもしれない。そうなったら、外部からの接触の可能性が絶たれてしまう。
全ての選択にリスクがつきまとう。どんなに努力してもリスクを避けることができないなら、選ぶしかない。少しでもリスクが少ない選択肢を、選ぶしかないのだ。




