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第1話 クロードとアリス

 秋の乾いた風が、田舎の長閑な街並みの間を吹き抜けていく。


 街の名はミューラー。


 赤いレンガ造りの伝統的な家々が並ぶ様は、イディア南西部のごく伝統的な田舎の光景だと言えた。街の中央を走る街道沿いに、一際賑わっている箇所がある。飲食店や商店が立ち並び、沢山の品物を売り買いする人々で溢れている。そこはミューラー唯一の市場通りだった。


 その市場の中央に円形の広場があり、噴水台が設置してある。その脇で、ホットドッグの屋台が営業していた。ひげを蓄え、腹の出た中年の男が炭火でソーセージを焼いている。丁度昼時の客が途切れ、店主が一息ついていた頃、一人の若者が店に近づいてきた。銅のコインを一枚、親指で弾いてこちらに寄越す。


「ホットドッグ、一つ」

「はいよ」


 店主はコインを器用に空中でキャッチすると、パンにソーセージを挟み始めた。


 若者は軍人だった。黒い戦闘服を着ていたから、そうだと分かる。しかし、店主は顔にこそ出さなかったが、その男の氏素性を訝しんだ。その軍服が、イディアの正規軍の軍服ではなかったからだ。


 それに、どこか眠そうな橙色の双眸は、軍人にしてはしまりに欠ける。抜けるような白髪と相まって、一瞬自分と同い年くらいかと思ったが、よく見ると顔立ちは若い。さすがに二十歳は越えているだろうが、二十五歳は超えていないかもしれない。

 体型はイディア男子の標準的体格だ。背は高くもなく、低くもない。


「賑わってるね」


 白髪の頭に軍服の若者がそう話しかけて来たので、店主は「まあ、今はね」と答えた。


「大戦直後は最盛期の三分の一まで人口が激減したよ。でもまあ、あれから二十年だからね」


 ただ、人口は多少増えても、それで何もかもが元通りという訳にはいかない。大戦以降、アルルカンド大陸の文明レベルは三百年分ほども後退したと言われている。


「……ミューラーの民家も生活のほとんどを木炭や薪で賄っているよ。若い世代はかつて街に電気が通っていた事すら知らない者も多い。聖霊技術なんて見たこともないだろうさ。まあ……大陸中の街がみな、似たり寄ったりの状態だろうがね」


店主はそう言うと、皮肉そうに頬を歪めた。


「まったく……破滅という名の平穏を得た世界――とはよく言ったもんだよ」


 それはガレリアのとある社会学者の言である。今やそれほどまでに、このアルルカンド大陸は疲弊していた。


 ガレリアが侵攻を停止したのも、全く同じ理由からだ。確かに皇帝崩御も原因の一つだが、かの巨大帝国にすら、戦争を続ける体力が無くなっていた。飢えと貧困が蔓延し、兵士は戦うどころか食うのも困る状況だった。しかも、二十年経っても状況は大して変化を見せていない。ようやくマシ、といえるレベルまで戻ってきたというだけだ。


 衰退が戦争を終わらせ、束の間の平和をもたらした。世の中とは、まったく皮肉なことだ。


 軍服を纏った白髪の若者は、相変わらず眠たげな目を市場の喧騒に向けていた。こちらの話を聞いているのかいないのかも分からない。店主は、まあ理解できないのも無理はない、と肩を竦めた。大戦は二十年前に終わった。おそらくこの若者は、戦争を知らない。世界が変わり果ててしまったとしても、若者たちにとってはそれが日常なのだ。 


「ところで……」


 その若者が口を開きかけた時。市場の向こうから小走りに駆けてくる小さな人影が見えた。見ると、影の主は十代前半の女の子だ。黒い雨合羽のようなコートを羽織り、腰には小さな水筒らしきものを提げている。


 灰色がかった青い大きな瞳が印象的な少女だった。フードの合間から、キャラメルのような明るい栗色の髪が零れ落ちるのも見える。小柄な少女は慌てた様子で人ごみを抜けると、こちらに目をとめ、慌ただしく走り寄ってきた。


「いたいた! も~、クロくんってば探したよ~~‼」


「お前が勝手にちょろちょろしてんだろ」


 白髪の若者が投げやりに気味に答える。どうやらこの小さな少女は、彼の連れらしい。それにしてもずいぶん年齢差があるように見受けられる。一体どういう関係なのだろう、と店主は首を傾げた。まるでぱっと見たところは歳の離れた兄妹のようだ。だが、顔は寸分も似ていない。


 ともかく、店主ができ上がったホットドッグを「はいよ」と言って男に手渡そうとした時だった。黒いフードを被った少女がずべしゃっと顔面から地面に、派手に滑り込む。


「むぎゃっ!」


 尻尾を踏まれた子犬の悲鳴のような声。しかし、白髪の男は駆け寄る事も、助け起こす事すらもせず、溜め息をついただけだった。


「何してんだよ、ったく……」


 その薄情ともいえる、あまりにも淡白な態度に、店主は思わず眉をひそめる。 


「あんた、小さい女の子にそりゃないだろ。大丈夫かい、お嬢ちゃん?」


 少女は「大丈夫です、てへへ……」と照れ笑いを浮かべながら立ち上がる。その時だった。その胸元に、雨合羽のようなコートの中から銀の紋章が滑り落ちた。翼のある厳めしい龍が仰け反り、くるりと輪を作っている紋章。それを目にした途端、店主の顔が大きく引き攣った。


「その紋章……お嬢ちゃん、まさか《レヴィアタン》か⁉」


 魔術師連合・国際平和維持機構――通称、《レヴィアタン》。ガレリアの大陸侵攻によって生じた大戦の、戦後処理と秩序統制を司る国際機関だ。その権力は国境を優に越えるとも言われており、どの国も《レヴィアタン》の決定には逆らうことができない。ガレリアの支配が弱まったこのアルルカンド大陸に於いて、間違いなく最大の力を持った組織だ。  


 しかしまさか、こんな小さな子供が。店主は驚きのあまり、もう少しで手の中にあるホットドッグを落としそうになった。しかし、彼女の胸元で光る紋章は本物だ。おまけによく見ると、手には杖らしきものも持っている。間違いない、魔術師の持つという聖霊杖だ。そして、更にあることを思いついてしまい、店主は、はっとして傍らにいる白髪の男に目をやる。


「それじゃひょっとして、あんたは屍兵リバーサー……!」


 店主の眼には、今までになかった恐怖と嫌悪が、くっきりと刻まれていた。白髪の若者は、「やべェ……!」と血相を変える。


「いや……これにはいろいろあって、その……」


 しかし、もはや店主は聞く耳を一切持たなかった。まさか、あの忌々しい連中を相手にしていたなど、考えただけでも反吐が出る。考えれば考えるほど腹が立ってきて、店主は顔を真っ赤にすると、手元のホットドッグ――できたてアツアツ、マスタードとケチャップをたっぷり――を男に目がけて思い切り投げつけた。


「ぐえっ⁉」


 そしてそれをまともに顔面で受けた白髪の男に、これでもかと憎しみを込めた罵声の追い打ちをかけたのだった。


「……とっとと行っちまえ、この死に損ないのゾンビ野郎‼」





「クロくん、ごめんね……」


 アリス=ココットは小さい体をさらに縮めて項垂れた。ただでさえ童顔の少女は、そうして項垂れていると、まるで捨てられた子犬の様だ。


 二人は、人の少ない街はずれの、空き家の前に来ていた。白髪の男――クロード=ヴァイスは放置されている水瓶の水で顔をばしゃばしゃと洗いながら、気怠そうな声で答える。


「うんまあ……別にいいけどよ。何で何も無い処で、ああも豪快にコケられるんだ、お前は?」


 二人が《レヴィアタン》に所属する身だと知られたら、こうなるであろうことは分かりきっていた。転ぶだけならまだいい。何故よりにもよって、あの龍の紋章を衆目に晒したのか。


 しかし、呻くクロードに何故だかアリスは自信満々の笑みを返してきた。


「あ、それはね……足元を全然見てなかったからだよ、きっと! この街、石畳でできてるもんね。全然見てなかったら、そりゃ転ぶよね!」


「全然……?」


「うん、全っっっ然!」


 アリスは何が嬉しいのか、にこにことしている。そのリアクションに、クロードはいつものことながら眩暈を覚えた。


 天然ボケ、と言うのだろうか。反省はしているようだし、悪気はないのだろうが、アリスのリアクションは時々ズレている。はっきり言って、軽く殺意を覚えるレベルだった。


 さすがのクロードも、思わず引き攣った笑顔が漏れる。

「そうか、そうか。見てなかったのか。そんじゃお前の両目、要らねえな」


 すると、その殺気を感じ取ったのか、アリスは二、三歩後ずさりしつつ悲鳴を上げた。


「はうっ⁉ まさか、要らないからその両目、潰そうとか言うんじゃ……!」

「んな事しねーよ……」


 クロードがこめかみに盛大なヒビを入れさせながら答えると、アリスは何を勘違いしたのか、びくりと肩を震わせ、青ざめて小さく戦慄き始めた。


「じゃあ、潰す代わりに眼球を抉り取って首飾りに……⁉ 怖いよ、クロくん! あまりにも怖すぎるよ‼」

「あのな……どこの人でなしだよ、俺は!」 


 洗っていた顔を上げ、思わず突っ込むと、間髪置かず、アリスがおずおずとハンカチを差し出してきた。


「……はい、これ。ホントにごめんね。」 


 クロードは溜め息を一つつくと、それを受け取って顔をふく。そして拭いてしまってから気が付いた。

 そういや、こういうのって洗って返さきゃいけないんだっけ。――メンド臭え。


「おかげでメシ、食い損ねたじゃねーか」


 ハンカチを軍服のポケットに仕舞いながらそうぼやくと、アリスは再び涙目になった。


「あうう、だからごめんってば……。って言うか、クロくんお腹減ってたの?」


「別にそういう訳じゃねえが……」


 パンに肉の腸詰を挟んだシンプルな料理は、イディアの南西部では広く親しまれている軽食だ。久しぶりに故郷に戻ってきて匂いをかぎ、無性に懐かしくなった。勿論、ホットドッグを購入しようとしたのは、ただそれだけが理由ではない。ミューラー周辺の情報を店主の男から聞き出すことも目的の一環だったが、そちらの方は壊滅的なまでに失敗に終わってしまった。


「まあ、いいや。お前がドジなのもチビなのも、ワケわかんねえ所でいきなりコケるのも今に始まった事じゃねーしな」


 投げやりに言うと、アリスはぷりぷりと怒り出した。


「ひどいよ、クロくん! チビなのは、わたしのせいじゃないもん! 遺伝子のせいだもん!」


 アリスの身長は、クロードの胸のあたりまでしかない。十歳前半で身長が止まってしまっているのだ。童顔も相まって、初対面の人間には大抵、子供だと思われる。しかし、実際には彼女の年齢は今年で十六になるのだった。本人曰く、一族郎党みな等しくこのサイズであるらしい。尤も、そんな事はクロードの知った事ではなかったが。

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