第24話 絶体絶命
凶悪な影が躍動する。
喰らい、貪り尽そうと猛り狂う。
戦闘はなおも続いていた。といっても、展開はかなり一方的なものだったが。
クロードは絶え間なく魔術を実行し、《レヴナント》達に命令を下す。《レヴナント》達は一糸乱れず、クロードの手足として空間を疾走し続けた。
アーロンはある地点から攻撃をやめ、ひたすら防御に徹するようになっていた。相変らず光球は放つものの、多くても三個ほどで、《レヴナント》達の攻撃を牽制するのに使用しているのみだ。先程までの激しい攻撃は、すっかり鳴りを潜めていた。もはや、クロードに魔術で対抗するのは、無意味だと悟っているのかもしれない。もっとも、それで調子に乗るほど、クロードは能天気にはなれなかった。
(……妙だな)
優勢であるにも関わらず、クロードはそう訝しんだ。
こちらが圧倒しているので、アーロンの対応は当然と言えば当然なのかもしれない。
だが、クロードにはそれが、妙に粘っているように感じられるのだ。アーロンにはすでに余裕はない筈なのに、形振りを構わず反撃を繰り出す様子はない。それどころか、こちらの様子を窺っている雰囲気が感じられる。地上にある遺跡の大広間で戦った時と同じように。
それは、まるで何かのタイミングを計っているようでもあった。まるで、まだ何か秘策があるのだとでもいわんばかりだ。
一つの可能性として、補給油を節約していると考えられなくもない。屍兵にとって、補給油は正に生命線であり、それが尽きることは死を意味するからだ。だがよく考えてみれば、アーロンは今まで補給油の使用に対しては徹底して無頓着だった。今も補給は万全である筈だし、急に省エネに目覚めたとも考えにくい。
(この期に及んで、何を企んでやがる……?)
考えすぎかもしれないが、ことアーロンに限っては、どれだけ慎重に対応しても、慎重になりすぎるということは無い、とも思う。クロードが《ギルガメシュ=システム》を起動させることは、アーロンも当然想定していただろう。事前に何か対策を施していてもおかしくはないし、警戒するに越したことはない。
《ギルガメシュ=システム》も永遠に駆動し続けられるわけではない。余力があるうちに片を付けるのが最善だと、クロードは判断した。やるなら、今だ。
――ところが。
瞳に光を宿らせ、魔術を実行に移した途端。
《レヴナント》達が突然、その姿を掻き消した。
中腰になった黒い巨体が、アーロンに襲い掛かる正にその寸前で動きを止めたかと思うと、硬直した。そしてそのまま細かな粒子状になり、霧散したのだ。
クロードは一瞬、何が起きたのか分からず混乱する。
何故だ……? 魔術の効果じゃない。
事実、アーロンは《エンリル・コード》を発動させていない。それなのに、何故。
それから程なくして《ギルガメシュ=システム》が止まった。そこに至って、ようやくクロードも理解した。何ということは無い、エネルギー不足に陥って力が尽きたのだ。しかし、すぐに別の疑問が頭を掠める。
「何故だ……!? まだ、余力はあったはず……‼」
動揺を隠しきれず、思わず叫んでいた。
部屋の隅に、無造作に置いてある遺体はざっと数えただけでも五十人。それだけの魂の数があれば、まだまだ十分戦える筈だ。クロードは大戦中、数えきれないほど《ギルガメシュ=システム》を起動させてきた。その扱いは熟知しているし、二十年経って多少の勘は鈍ったのだとしても、計算し間違える量ではない。
すると部屋の反対側で、《レヴナント》に弾き飛ばされ、地に伏せていたアーロンが、ゆっくりと身を起こす。全身クロードによる攻撃と壊死(ネクロ―シス)の作用でボロボロだったが、瞳には妙な落ち着きがあった。
アーロンは立ち上がり、そして静かな声で言った。
「……言い忘れていたが、この部屋にある遺体のうち、半分は屍兵だ」
「なっ……⁉」
クロードは呆気にとられた。それが本当なら、予想より随分早く力が尽きたことの説明もつく。彼らが屍兵だという事は。クロードの《ギルガメシュ=システム》が喰っていたのは、人の魂ではなく、擬似魂だったという事だ。しかし、咄嗟には言葉も出なかった。アーロンの口にした事は、全くの想定外だったからだ。
アーロンはそれに構った様子もなく、淡々とした口調で続けた。
「そう……お前が喰った魂の、半分は擬似魂だったという事だ。擬似魂は人工の、いわば紛い物の魂だ。人間の魂を喰った時ほどの出力の維持は保てない。《ギルガメシュ=システム》はすぐにエネルギー切れを起こすだろう。そして、それは現実となった。そうとも知らずに……。――お前は飛ばし過ぎたんだ、クロード」
クロードは慌てて部屋の後ろを振り返る。
入り口近くに折り重なり、倒れている人々。その半分は屍兵だったというのか。しかし、こうして見ただけではそれが分からない。クロードやアーロンもそうであるように、屍兵は、外見上は普通の人間と大差ないからだ。だから、わざわざ村人や死霊魔術師の格好に着替えさせられてしまったら、それが屍兵であるなどとは分かるはずがない。
ただ、一つはっきりしている事がある。それは、自分は罠に嵌ったのだ、と言う事だ。
全ては仕組まれていたのだ。アーロンは己の目的のためにわざとクロードに《ギルガメシュ=システム》を使うよう仕向けた。時に言葉で、時に態度で。それに気づかなかったわけではなかったが、結果としてクロードはまんまとその目論見に引っ掛かり、《ギルガメシュ=システム》を起動させてしまった。
アーロンの目的がどこに有るのか、それは未だ分からない。だが、クロードを――或いはクロードの内蔵している《ギルガメシュ=システム》を利用し、何かをしようとしているのは確かだ。
嫌な汗が、頬を伝った。静寂に包まれた地下室の足元から、気味の悪い重低音が連続して聞こえてくる。遺跡の奥底に眠る生物兵器の生成工場兼、散布基地が動く音だ。それが、今のクロードにはまるで破滅へのカウントダウンのように聞こえるのだった。
ふと、数刻前のアーロンの言葉が鮮明に甦る。クロードの詰問に対し、アーロンはこう答えた筈だ。
――魂の数は揃った。だが、それだけじゃまだ完全じゃない。 クロード……お前の協力がいる、と。
協力とは、一体何なのか。アーロンは何をするつもりなのか。クロードに、何をさせようというのだろう。
すると突然、アーロンは無言で《エンリル=コード》を放った。クロードは慌てて身構えるが、それは攻撃魔術ではなかった。
アーロンが《エンリル=コード》を発動させた一瞬の後、クロードとアーロン――二人のちょうど真ん中に、透明な壁ができていた。魔術障壁に似ているが、それとは少し違う。何故なら、はっきりと光を反射していたからだ。どちらかというと、質感はガラスや透明アクリルに近い。だが、アーロンはこんなものを作り出して、何をしようというのだろうか。
その魔術によって生み出された壁は、床から壁、天井に至るまでみっちりと隙間なく空間を塞ぎ、地下空間全体をも真っ二つに分断していた。クロードは警戒を崩さず、周囲の様子を窺う。
「……おい、何だこれは⁉」
「この壁は気体以外、通さない。エンリルでしか召喚できない、特殊な壁だ」
「一体、何が狙いだ……? こんな壁をこしらえて、何をするつもりなんだ!」
「俺の狙いは、お前の《ギルガメシュ=システム》だ、クロード」
「………‼」
クロードは反射的に、自身の心臓部へと手を当てた。アーロンもまた、透明な壁の向こうで無感動にそれを見つめながら続けた。
「確かにムシュフシュは稼働体制に入っている。だが、万全の体制というわけじゃない。……古い遺跡だ。動力の制御システムに若干の損傷が見られる。つまり、代替となるシステムが必要なんだ。だから――お前を破壊してその中から《ギルガメシュ=システム》を取り出し、遺跡の動力制御システムに補充する」
「何だと………?」
クロードは唖然とする。そんな事はさすがに、予想だにしていなかった。まさか、クロードの《ギルガメシュ=システム》そのものを取り出すことが狙いだったとは。
だが、それと同時に、強い疑問が沸き上がった。ムシュフシュ遺跡の動力制御がどのような構造になっているかは知らないが、クロードから《ギルガメシュ=システム》を取り出したとして、その補助としての役割を本当に果たすのだろうか。アーロンの事だから、成功の目算も無しにそんなことをするとは思えない。だが、それならアーロンはどこでその知識を得たのだろう。ティアマトの遺産は、謎が多い。一介の屍兵などに、扱える代物ではないはずなのに。
何かが、おかしい。そうは思ったが、クロードはそれを口に出すことはしなかった。アーロンがどこで遺産の知識を得たかは、この際どうでもいい。今はまず、この状況を打破するのが先決だ。
一方、計画が見事に成功したアーロンだが、勝利の余韻に浸る様子は全く見られない。最初に出会った時の無表情に戻り、事務的な口調で説明するのみだった。
「お前にわざわざ《ギルガメシュ=システム》を起動させたのは、実際に動くかどうか、この目で確かめる必要があったからだ。何せこの二十年、全く動かしていないだろう? せっかく取り出してもそれが破損していたなら、意味はないからな」
そういう事か――クロードは瞬時に合点がいった。思えば、アーロンは常にクロードの様子を探っていた。積極的に仕掛けることはなかったし、止めを差すこともなかった。それどころかクロードを幾度となく挑発し、《ギルガメシュ=システム》を起動させようとすらしていた。
「つまり全てにおいて、俺に《ギルガメシュ=システム》を使わせることが、お前にとって最優先だったというわけか」
クロードが呻くようにして尋ねると、アーロンは「そうだ」と頷いた。
「もちろん、お前に《ギルガメシュ=システム》を起動させることはそれなりにリスクもあった。
だが……《ギルガメシュ=システム》と謂えども、起動時間に限りはある。こちらとしては、それを持ちこたえさえすれば良かった。俺はお前の攻撃パターンを熟知している。勝つことは難しくとも、時間を稼ぐことはできる。……結果は、すこぶる良好だ。お前の《ギルガメシュ=システム》はどこも損傷などしていない。おまけに今は、魂をたらふく喰った最良の状態だ」
つまり――自分はアーロンの《ギルガメシュ=システム》起動実験にまんまとつき合わされたという事か。腹立たしいが、どうやらそれが現実だ。
クロードはアーロンを睨んで、反論した。
「上手くいくと思っているのか……? 例え《ギルガメシュ=システム》が停止しても俺の中には《マルドゥ―ク=システム》が残っているんだぞ。空気中の聖霊と補給油がある限り、《マルドゥ―ク=システム》は動き続ける……俺も、簡単に屈する気はない。血みどろの戦いになる。……互いに、決して無傷ではいられないぞ!」
「分かっている。だからこその、この壁だ」
アーロンは壁へとゆっくり歩み寄ると、手の甲でノックするように壁を叩いた。コンコン、と硬質な音がする。そうすると、ますますガラスに似ているように感じられてくる。
「お前をわざわざこの部屋へと誘い込んだ理由がこれだ。上の部屋は少々広すぎたんでな。――どうしても、密閉空間が必要だった」
「………。どういう事だ……?」
しかし、今度はすぐには答えない。どうかしたのか。クロードが訝しんだその時、アーロンの表情が動いた。眉根を寄せ、難しい問題に取り組んでいるかのような表情。アーロンが何かを憐れむ時にそういう顔をするという事を、クロードは知っていた。
そう、まるでガス室に送られ殺処分される犬を、憐れんで見送る時のような。
それが本心なのか演出なのかは分からない。だが、効果はてき面だった。クロードには心臓は無い。だがもしあったなら、確実に早鐘を打っていただろう。
寸暇の後、アーロンは話し始めた。
「自分の使う『道具』がいかなるものか……前もって知っておくのは重要な事だろう?」
「道具……?」
「ああ、そうだ。いくら再び戦争を起こすことが目的とは言え、効果の分からないものを散布するのは、危険すぎるからな」
「まさか………!」
クロードは顔から血の気が引いた。ガス室を思わせる、この密閉空間。――まさか。すると、その通りだ、とアーロンは頷く。
「ムシュフシュで生成した生物兵器がいかなるものか、どれほどの効果があるのか。これからお前に投与して調べる」
――つまり、アーロンがこれから行おうとしているのは、人体実験だ。アーロンはクロードから《ギルガメシュ=システム》を取り出すついでに、生物兵器の実験もやってしまおうと考えついたのだ。目の前の透明な壁は、気体しか通さない。細菌はどれだけ極小であったとしても、透過させない。
「人間と屍兵の体細胞や組織の構成はほぼ同じだ。もちろん違う点もあるが、ムシュフシュの生物兵器が屍兵に及ぼす作用を知る事ができれば、人におけるそれも自ずと推測することができる。……俺もお前から、力尽くで《ギルガメシュ=システム》を奪えるなどとは思っていない。だがこの方法なら、労せずして目的を果たせる。一石二鳥だ。……これで、土壇場で逃げられることもないし、な」
「だから……だから、地上でやりあった時に、俺にとどめを刺さなかったのか。この状況を作り出すために、わざわざ俺たちを誘き出したのか!」
「ああ、そうだ。……言っただろう。俺の目的は、お前に勝つことじゃない。《ギルガメシュ=システム》を手に入れる事だ」
だが、クロードはそれを最後まで聞かず、身を翻し走り出していた。この地下に閉じ込められてしまったのは事実だが、一つだけ脱出口がある。そう、この部屋に入ってくるときに使った、魔術陣の施してある特殊扉だ。先ほどアリスとレギウスが利用したその扉は、未だ開いたままになっている。今なら、まだ間に合う。
(くそったれ、間に合え……‼)
ところが、アーロンは無情にも《エンリル=コード》を発動させ、クロードの目指す特殊扉を閉めてしまった。クロードは手を伸ばすが、僅かに及ばない。遺跡と同じ黒い材質で構成された扉は、ぴたりと閉じてしまい、どれだけ叩いても反応を返さなかった。クロードは《マルドゥ―ク=システム》を起動させ、聖霊魔術を発動させるが、特殊扉は周囲の壁より更に壇上に作られているらしく、傷一つ付けることが出来なかった。
唯一、地上へと繋がっている遺跡の扉だったのに。しまった――そう思ったが、手遅れだった。全てが用意周到で、対応する余裕すら無かった。
「くっ……‼」
「その扉はエンリルでしか開閉できない。そして、お前は《エンリル=コード》にはアクセスできない」
アーロンはすっと眼を細めた。
「終わったな、クロード。……これで正真正銘、お終いだ」
――静寂だけが残った。
足元から地鳴りのような、遺跡の振動だけが伝わってくる。
クロードは項垂れたまま、口を開かなかった。アーロンもまた、それ以上何も言わなかった。もはや、抗う気も湧かなかった。完敗だ。してやられた。
形勢を逆転したと思っていた。《ギルガメシュ=システム》さえ起動させれば、勝てるのだと。
だが、それは大きな間違いだった。それどころか、クロードのその思考自体がアーロンに読まれ、つけ込まれる原因となってしまった。そして、自ら率先し、相手の目的の達成に対して加担さえしてしまった。
クロードは一度として優位に立ったことはなかったのだ。
ただ、アーロンの手の平の上で、くるくると踊らされていただけで。
これで終わりか。クロードは思った。