第23話 《黄昏の喰霊鬼(ソウルイーター)》
アリスは眼前に広がる光景に、思わず目を奪われてしまった。
部屋の中にいくつも浮かぶ、脆くも美しい白光。何故か、切なく愛おしくなってくる。だが、心温まるようなその光景も、僅かひと時の出来事だった。儚げな白い魂たちは無情にも、みなクロードへと吸い込まれ、『喰われて』いってしまう。
アリスは息を呑んでそれを見つめた。アリスは死霊魔術師であるが、死霊魔術が行使されるのをこの目で見たのは初めてだ。死霊魔術は今でも禁忌とされているし、それを支配することができるだけの魔術師は、滅多に存在しない。
だが、眼前で繰り広げられる光景を目にしていると、死霊魔術が禁忌とされている理由が分かる気がする。人の魂は美しい。あまりにも美しく儚いため、触れてはならないもののように思えてくるのだ。
やがて、不意に何者かの呻き声のようなものが聞こえてくる。
――――ウ……ア、アア……アアアア………
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
悲鳴とも怒声ともつかぬ、怖ろしい叫び声が部屋中に満ちた。
――魂だ。アリスは気づくと同時に、全身から冷たい汗が噴き出るのを感じた。
クロードに喰われている魂たちが、彼のはらわたの中で悲鳴を上げているのだ。
苦痛の喘ぎ、憎悪、怨嗟。怨霊たちの嘆き――それはもはや、呪詛に近かった。
触れるもの全て、冥府へと引き摺り込んでやろうと、絶叫をあげている。
ぞっと、全身に鳥肌の立つような声。聞いていると、気が狂いそうになる。
「耳が、痛い……クロくん……!」
アリスは耳を押さえ、涙交じりに吐き出した。《ギルガメシュ=システム》が何なのか。今さらながらに思い知らされるようだった。――そして、クロードがあれほど起動させたがらなかった理由も。
それはあまりにも恐ろしい光景だった。アリスは本能的に目にした光景を拒絶していた。そうしないと、何かが壊れてしまいそうだったからだ。だが、魂たちの放つ怨嗟や憎しみが、そのまま物理的な苦痛となって容赦なくアリスを苛む。アリスはただ、耳を抑え、蹲るしかない。
いや、目の前で繰り広げられる光景を、現実として受け入れろと言う方が、むしろ困難なのではないか。そもそも、魂を喰うなどという行為が許されるのか。ギルガメシュという存在そのものが許されるのか。魔術のために人の魂を消費していいのか。そんなことが、そんなことが本当に許されるのか。
「何だか、怖い……!」
死霊魔術師とは何なのか、そして、屍兵とは一体どういう存在なのか。アリスの根底から何かが崩れてしまいそうだった。
確かに、屍兵は破壊をもたらすだけの存在ではない。だが、だからと言って、純粋に正義の味方というわけでもないのだ。正義と断ずるには、その力はあまりにも強大過ぎる。
では、死霊魔術師とは――屍兵とは、何なのだろう。死霊魔術師になる事は、果たして『正しい』ことなのだろうか。アリスはずっと、死霊魔術師になる事を望んできた。しかし今、その決意が、音を立てて壊れようとしている。
しかし、崩れ落ちそうになるその肩を、力強く握り締める手があった。アリスはゆるりと首を向ける。そこには、毅然とした表情のレギウスがいた。彼女はクロードから片時も目を離さず、アリスに言った。
「目を逸らせてはダメよ。あなたは彼の、死霊魔術師なのでしょう?」
その言葉の中には、厳しさと共にどこか優しさも感じられた。そう――まるで妹の成長を見守る姉のような。先程、クロードが《ギルガメシュ=システム》を起動させた時に見せた狂気は、影も形も無い。アリスは余計に混乱してしまう。
目の前の力強く優しい彼女と、先ほどの歪んだ狂喜を孕んだ彼女。
一体どれがレギウスの本当の姿なのだろう。
魂たちの、苦しみにのた打ち回る声が聞こえてくる。
助けてくれ、喰わないでくれ。この世から消滅させないでくれ――……
クロードはそれでも《ギルガメシュ=システム》を駆動し続けた。体内に、死者の魂魄が満ちていく。《ギルガメシュ=システム》がそれらの魂を貪欲に咀嚼し、吸収していく。
自分が残虐非道な事をしているという自覚はある。己に対する嫌悪感が、全く無いわけではない。それどころか、無辜の魂たちに対する罪悪感で押し潰されそうにすらなる。今まで幾度となく《ギルガメシュ=システム》を起動させてきたが、どんなに経っても、この後ろ暗いざらりとした感情に慣れることは無い。
だがこうなることは、《ギルガメシュ=システム》を起動させた時に、覚悟していた。今はどれだけ犠牲を払っても、成し遂げなければならないことがある。どれほど自分が罪深いことをしているか分かっていても、今はもう、後には退けないのだ。
一方のアーロンは、警戒した表情でクロードを見つめていた。今まで何をするにも空虚だった瞳に、始めて強い緊張感が浮かんでいる。クロードはどこかそれを皮肉な思いで眺めていた。結局、自分たち屍兵は、力によってしか分かり合えないのか、と。
つと、アーロンは無言で片手をあげた。すると、先ほど生み出した光球たちが、アーロンの周囲に戻っていく。アーロンは更に《エンリル=コード》を実行に移した。複製といって、魔術の効果を複製する術だ。間髪置かずして、十二個の光球が一気に二十四個へと倍加する。
「……行け!」
アーロンは短く叫んだ。今まではあまり積極的には仕掛けて来なかったし、どことなくクロードの様子を窺っているようでもあったが、事ここに至って、今回ばかりはそうはいかないと腹を括ったのだろう。
光球が一斉に光の帯を放つ。空間が白一色に染まった。密閉された地下空間内の、もはやどこにも、逃げる隙など無い。
クロードもまた微動だにせず、魔術を実行した。瞳に光が迸り、同時に、床に一本の黒い線が浮かぶ。それはぐるりとクロードの周囲を一周すると、円を形作った。
その円に沿って、ぶわりと闇が立ち昇った。
黒焔とも違う、漆黒の、禍々しい何か。クロードの足元から立ち上った影は、いくつかに分裂すると激しく身を捩らせ、少しずつ生物にも似た形を取り始める。
最初は地を這う爬虫類のように、それが徐々に進化して大きくなり、四つ這いの獣のようになっていく。アリスはそれを目にし、生きた影だと思った。時折、生物にはあるまじき奇妙な動きを交えながら、それでもどことなく意志のようなものを感じさせるのだ。その奇妙な影たちが、身をくねらせ蠢くと、すっぽりとクロードの周囲を覆った。
だが、アーロンの放った閃光は圧倒的だった。不思議な影もろとも、クロードを薙ぎ払おうと襲い掛かる。そして、両者は真正面から激突した。
その瞬間、だった。アーロンの光束が不意に掻き消える。まるで刃物に切り取られたように、途中からすっぱりと光の帯が断ち切られ、その先が消滅していた。
いや、違う。クロードを覆う闇に――蠢く何者かに呑まれたのだ。
やがて、クロードの生み出した複数の影たちは、揺らめきながらぼんやりと人の形を成していった。そして徐々に、四人の人影へと姿を変える。どれも、クロードより一回りも大きい。その上、僅かに中腰で、人と獣の中間のような体勢だ。
頭の上から足のつま先まで真っ黒で、全く光を反射せず、不気味なほど立体感が無い。まるで、実体を失い地面に残された影だけが、ひとりでに動いているかのようだった。
「何、あれ……?」
アリスは震える声で呟いた。彼らがこの世にあるまじきものたちであるという事を、直感で悟っていた。ぱっと脳裏に浮かんだのは『幽霊』と言う単語だ。だが、それとも何か様子が違う。もっと生々しく、獰猛な気配を感じる。
彼等の名は、《レヴナント》。――冥界より甦った、半実体の死者たちだ。
《ギルガメシュ=システム》はあの世から死者の魂を呼び出し、傀儡として使役する。実体を持たぬ魂魄を物理法則に落し込み(インストール)し、動作可能にしてしまうのだ。
《レヴナント》はクロードのガーディアンにして、絶対的に忠誠を使う下僕でもある。這いずる黒い幽鬼を使役するクロードの姿は、まさしく、ギルガメシュ――冥府の王の名に相応しい。
「今度はこちらから行くぞ」
クロードは魔術を実行し、《レヴナント》たちを率いて、ゆっくりと歩き出す。
そして、本格的な逆襲が始まった。
《レヴナント》達は空を滑るようにし、音もなく動き出した。
それらの動いた跡が床に漆黒の尾を引く。見ようによっては、まるで、黒い巨体がゴムのように伸びたかのようにも見える。だが、《レヴナント》たちはその尾によって、動きを制限されている様子も無い。それどころか、瞬く間にアーロンとの距離を詰めると、ぶわりと風呂敷のように両手を広げ、呑み込もうと襲い掛かった。
アーロンは後方に跳躍した。しかし、《レヴナント》の追撃は止まらない。ある者は飛び掛かり、ある者は鋭い爪を持った両腕を振りかざして薙ぎ払い、ある者はくるりと丸まって背中からハリネズミのように毛を逆立てた。無数の針の先が、アーロンの頬を掠める。
すると、その直後だった。
擦過傷の他に、チリ、と火傷のような鋭い痛みを覚え、アーロンは思わず手の甲で傷を拭った。思ったよりも傷が深い。確かにかわしたはずなのに――アーロンは眉をひそめる。しかし、次に《レヴナント》の鋭い爪による突きを脇腹に喰らい、その理由がはっきりする。
腐食だ。腿や、腕、脇腹――《レヴナント》の攻撃を受けた個所だけがボロボロになっている。さほど深刻なダメージではないが、イディア軍の戦闘服の、黒地の生地や金具が、見る間に腐敗し、朽ちていく。その下にある皮膚や肉も、言わずもがなだ。
《レヴナント》は死霊だ。生気を吸い取り、触れるもの全てに死をもたらす。それは、じわじわと毒を喰らい続けているのと同じだ。致命傷はなくとも、確実に体力は削がれる。もし直撃したなら、ダメージは計り知れない。
アーロンもまた、魔術を発動させた。《レヴナント》に触れただけで、この有様だ。これ以上ダメージを防ぐためには、《レヴナント》を撃破する他ない。光球の放つ灼熱の光線が《レヴナント》を薙いだ。
しかし、変幻自在の彼らは、器用に姿を変え、それらを避けていく。そして、変形しながらもアーロンを追尾する。
アーロンは舌打ちをし、光球を操って《レヴナント》の一掃を図った。しかし、どれだけ攻撃しても光線が当たらない。
彼らは、攻撃時は獣のように猛悪であるのに、逃げる時は信じられないほど俊敏で身軽だった。文字通り、影のように掴みどころがないのだ。しかも一体一体に、それぞれ独立した知能でも備わっているかのような、複雑な動きをしてくる。
魔術による攻撃が、当たらない。《レヴナント》には、肉体を触れさせる事すらできない。アーロンは事実上、防戦一方となる。後退し続け、逃げ場がなくなると魔術で足場を形成し、宙へと躍り出た。――しかし。
いつの間にか、クロードの姿がそこにあった。
――何故、そこに。
さすがのアーロンも、驚愕の表情を浮かべざるを得なかった。《レヴナント》に気を取られ、クロードの姿を完全に失していたのだ。すぐに己の失態に気付いたが、その時には既に手遅れだった。
対するクロードは筋力強化、速度強化――その他、三種の強化魔術を再実行していた。そして、その拳がアーロンの鳩尾を捕えた。
かろうじて体を捻り、左の掌でそれを受けたが、勢いを殺しきれなかった。アーロンは錐もみ状態で吹き飛ばされ、遺跡の壁に激突する。だが当然、それで終わりではなく、《レヴナント》達が猟犬のようにそれを追尾して来た。
アーロンは即座に態勢を整える。だが、すぐに戦闘服の左袖の先が崩れ落ち、無くなっている事に気づいた。先程、クロードの拳を左の手の平で受けた。まさか。
左の掌を開くと案の定、手の平が変色し、爛れていた。《レヴナント》達の攻撃を受けた時と同じ、壊死(ネクロ―シス)の効果によって腐食したのだ。拳を受けただけで、これか。アーロンは眉間にしわを入れた。だが、衝撃を受けている余裕は無い。
《レヴナント》達が音もなく這いより、容赦なく襲いかかる。アーロンは即座に魔術で白い雷球を出現させ、その雷球が電撃を撒き散らし、《レヴナント》たちを追い散らした。だが、安堵したのも束の間、次の瞬間にクロードの横蹴りがアーロンを薙ぐ。
上体を捻ってそれを避け、更に続いたクロードの突きを肘で払ったものの、最後の腕刀を避けきれない。即座に衝撃吸収の魔術を実行したものの、許容量以上のダメージを受けてしまった。そのため、アーロンは再び、吹き飛ばされる事となった。
今や形勢は完全に逆転していた。
四体の《レヴナント》とクロード――全部で五人を、アーロンは同時に相手どらなければならない。しかもそのうち四体は変幻自在の死霊で、残る一人も《ギルガメシュ=システム》を駆動させている屍兵だ。おまけに、《マルドゥ―ク=システム》も補助機関として同時に起動させている。まさに化け物集団だと言ってよかった。
クロードは二十年前、特にガレリア兵の間で《黄昏の喰霊鬼》と呼ばれ恐れられていたが、それをこのような形で体感することになろうとは。何という皮肉だろうか。
ともかく、アーロンは確実に追い詰められつつあった。今となっては、攻撃魔術を組み立てる余裕すら無い。ただ場当たり的に、攻撃を防ぐための攻撃を仕掛けるより他、なかった。
死を匂わせる闇が部屋を支配し、覆い尽くした。
何度目かの《レヴナント》の追撃をかわし、魔術で組んだ足場で避難経路を作る。その時、アーロンは自分が激しく息を切らせている事に気づいた。
今までこんなことはかった。――これは。
壊死(ネクロ―シス)の効果もあるが、それだけではない。《ギルガメシュ=システム》は魂を喰らう。そして、それは屍兵が《マルドゥ―ク=システム》の中に内蔵している擬似魂も例外ではなかった。
アーロンがこの地下へと運んできた死者たちの魂のように、根こそぎ奪われることはなくとも、生気が徐々に――だが確実に喰われていたのだ。
アリスもまた、胸を押さえて体を屈めていた。
「う……気分、悪い………!」
その顔色はアーロンよりもなお悪い。手足も凍えるように冷え切り、歯の根がカチカチと寒々しい音を立てている。決して寒気を感じているわけではないのに、何故――
「《ギルガメシュ=システム》のせいよ」
隣に立っていたレギウスも不調を感じるのか、厳しい表情で言った。
「……《ギルガメシュ=システム》は魂を消費する。それは、生きている人間の魂にも影響を与えるの」
ただでさえ、死霊魔術師は聖霊や魂といった、霊的なものの存在に敏感だ。それらの及ぼす現象に、良くも悪くも強い影響を受けてしまう。《ギルガメシュ=システム》による影響も例外ではない。
レギウスはアリスの手を引いて言った。
「私達はここを出ましょう。このままでは危険だわ」
「でも……!」
アリスはクロードへと視線を向ける。アリスはクロードの死霊魔術師なのに。このままでは、まるで自分だけ逃げるみたいで、心苦しい。しかし、そんなアリスにレギウスは優しく微笑む。
「クロードならきっと大丈夫。……さあ、行きましょう」
アリスはなおも迷った。すると、クロードが二人の様子に気付き、怒鳴った。
「……行け!」
確かにアリスが無理をしてここに留まっても、クロードの足手まといにしかならない。悔しくても、心苦しくても、それは事実だった。
アリスはクロードに向かって小さく頷くと、レギウスと共に踵を返す。そしてふらつく足で何とか扉まで戻った。エンリルによる魔術陣の施された、縦に細長い移動扉の元へと。
アリスとレギウス、二人の姿はすぐに魔術陣で転送され、掻き消えて見えなくなる。
クロードはそれを見届けると、すぐさま視線をアーロンへと戻した。




