第22話 冥府の王
(何だ……?)
突然、地下を襲った奇妙な揺れには、クロードもすぐに気づいた。空間全体が、小刻みに振動し、腹の底に響くような鳴動が足元だけでなく、天井からも微かに聞こえてくる。おそらく、この地下の部屋だけでなく、遺跡全体に異変が起きているのだ。
(何が起こってやがる?)
しかし、クロードが周囲の様子を探ろうとしたその時、一瞬足元に気を取られ、頬をアーロンの雷撃が掠めていく。慌てて身を翻し宙で組んだ足場に避難すると、寸暇の後、足元に電流の海が広がった。まったく、油断も隙もあったものでは無い。
だが、アーロンも地下室を襲う奇妙な揺れに気づいたらしく、それ以上、クロードに攻撃を加えることは無かった。構えを解き、クロードと同じように、静かに床を見つめている。そして、ぽつりと小声で言った。
「ようやく、動き出したか」
「まさか……⁉」
クロードはそれを聞き、目を見開いた。動いている――そう、確かに遺跡が動き始めているのだ。間に合わなかったのか。最悪の状況がクロードの脳裏に浮かび上がった。アーロンはまるで死亡宣告でも告げるかのように頷き、それを肯定する。
「残念だったな、クロード。ムシュフシュは、すでに稼働体制に入っている」
「何だと……⁉ それじゃ――今までのは時間稼ぎだったというわけか!」
しかし、アーロンはそれには答えない。相変わらず思考の読めない、空虚な視線をこちらに投げると、こう言った。
「どうする? もう時間が無いぞ」
まるで他人事であるかのような、乾いた声。この世が滅びようと、どれだけ人が死のうと、自分には何の関係ないし、責任も無いと言わんばかりの口調だった。
この期に及んで――クロードは激しく苛立った。この期に及んで何なんだ、その態度は。自分がこの深刻な事態を引き起こしたくせに、何故、そこまで無関心を装えるのか。腹が立つあまり、無性にアーロンをぶん殴りたい衝動にさえ駆られた。己に力さえあれば、間違いなくそうしていただろう。
だが、とにかく今は、遺跡の稼働だけでも何とかして止めなければならない。クロードはアーロンを睨みつけ、問い詰めた。
「遺跡は……ムシュフシュは、どうしたら止められるんだ!」
「さあな」
「こんな事をして……お前は本当に、何も感じないのか、アーロン! ムシュフシュ遺跡が稼働してしまったら、国境に生きる人々が大勢、犠牲になる! 本当に戦争状態に戻ってしまうんだぞ! お前はそれでいいのか⁉ ……お前の本心はどこにある‼」
激高すれば、相手の思うつぼだ。しかし、怒りを爆発させずにはいられなかった。
アーロンはこのまま遺跡を稼働させてもいいと、本気で思っているのか。再び戦争を起こすという彼の望みを果たせたとして、それからどうするつもりなのか。結果の深刻さを考えると、たとえいかなる事情があろうとも許されるものではない。ガレリアの大陸侵攻が終結してから二十年しかたっていないというのに、またもこの大陸を悪辣なる戦火で包もうというのか。
すると、それまで仮面のように表情を変えなかったアーロンの顔が、不意に動いた。唇の端をゆっくりと吊り上げ、笑みを形作る。クロードは、我が目を疑った。
それは嘲笑だった。その程度の事で何故、感情を昂ぶらせるのかと、クロードを嘲笑っている。
クロードは絶句した。アーロンはあまり感情を面に出さない。それでも、正義感は強い方だと思っていた。何事も楽しければいいというイグナートなどとは違い、無益な殺生を嫌っていたし、誠実で責任感も強かったはずだ。――それなのに。
本当に目の前の男は二十年前の見知った仲間なのか。確かに時は人を変える。だが、こんなにも変わる事があるのだろうか。こんな――まるで外道のごとく、嗤うようになるものなのだろうか。
アーロンを信じたい。だが、もはや何を信じたらいいのか分からない。
一方のアーロンは真顔に戻ると、低い声で言った。
「俺の本心など、聞いてどうする?」
「……何⁉」
「たとえ遺跡を止める方法を知ったとしても、俺がここに存在している限り、お前はムシュフシュの稼働を停止させることはできない。ムシュフシュを止めたければ、どのみち俺を倒すしかないんだ。……これはお前の問題だ、クロード。お前には今や、《ギルガメシュ=システム》を起動させて俺を倒す事しか、選択肢は残されていない。後は、実際にそれを選ぶかどうか、だ。何も選ばず、傍観を決め込むというなら――俺がお前を殺す。それだけだ」
クロードは絶句を通り越し、眩暈すら覚えた。
アーロンはさも理路整然と持論を展開するが、それはクロードの考えとは永久的に相容れないものだ。そもそも理解することが出来ないし、妥協点すらない。
クロードは、はっきりと悟った。説得は、おそらく通用しない。いや、アーロンは最初から話し合いに応じるつもりなどないのだ。このまま会話を続けていても、無駄に時が過ぎ去り、ムシュフシュが稼働を始めてしまうだけだ。
(何なんだ……どいつもこいつも、好き勝手言いやがって……!)
クロードはだんだん、本格的にむかっ腹が立ってきた。レギウスといいアーロンといい、何故、こうまで振り回されなければならないのか。各々が好き勝手な事を主張した挙句、肝心な事はろくに説明もしない。人を何だと思っているのか。
(くそ……アーロンの奴は俺がどう説得しようとも、このムシュフシュ遺跡を稼働させるつもりなんだ。それを止めたければ、《ギルガメシュ=システム》を起動させ、アーロンを力づくで止めるしかない)
確かに、クロードには有効な手段が多く残されているわけではない。だが、アーロンに言われなくとも、最初から傍観を決め込むつもりも無かった。
ムシュフシュ遺跡を稼働させるわけにはいかない。生物兵器の生成工場兼、散布基地の犠牲者など出すわけにはいかないし、あの地獄のような戦火の炎を、復活させるわけにもいかない。誰に命令されたわけでもないが、クロードの信念とプライドがそれを許さないのだ。
だとすれば、残された選択肢はただ一つだった。
(やってやる……‼)
クロードは今まで一度たりとも、自ら好んで《ギルガメシュ=システム》を起動させてきたことは無かった。実際、平和を得てからのこの二十年、《ギルガメシュ=システム》を起動し死霊魔術を使ったことは無い。だが、それを使わなければならない状況に陥った際に、「嫌だから使わない」と駄々をこねるほど、幼稚でも無かった。
(アーロンの手の内は、完全に分かっているわけじゃない。あの余裕ぶりから考えると、《ギルガメシュ=システム》に対する切り札を何か隠し持っている可能性もあるが……とにかく、今は時間が無い。やるしかない……‼)
クロードは閉じた瞳をゆっくりと開いた。そこにはもう、迷いはない。
「いいだろう……」
こちらの雰囲気が変わったのを敏感に察したのか、アーロンの眉が跳ね上がる。クロードは構わず、叫んだ。
「そんなにご所望なら、使ってやる!」
カッと見開いた瞳孔に、光が瞬き始めた。それも一度や二度ではない。数刻の間に凄まじい勢いで明滅を繰り返す。《マルドゥ―ク=システム》が高速で演算を開始したのだ。そして、同時にちょうど心臓部――その奥底で、眠っていた機関が熱を帯び始める。
イイ……イイイ………イイイイイ………――――――………ン………
耳鳴りのような高周波帯の駆動音が、その場にいた全員の鼓膜を震わせた。一瞬、大気が膨張して弾けると、今度は逆にクロードに向かって収縮を始める。気密性の高い部屋の中に突如として気流が発生し、大きく渦を描き始める。
その内部機関は、鼓動にも似た振動を始めると、補給油を大量に取り込んだ。そして、莫大な熱量へと変換し、クロードの血液の中へ含ませると、機関外へと排出する。それが血管を通し、全身を駆け巡ると、隅々の細胞に浸透していく。
急激な血流の変化に、クロードは思わずくの字に上半身を折る。だが、それも一瞬だった。《マルドゥ―ク=システム》の補助演算によって、体が急速に《ギルガメシュ=システム》の引き起こした変化に対応していく。
やがて変化に慣れると、懐かしい感覚が蘇って来た。どこかで焦がれていた、圧倒的な昂揚感。そして、全てを超越したかのような支配感。湧き上がる興奮を抑えきれず、思わずク、と笑みが漏れる。
まるでコインの裏表がひっくり返ったかのように、一気に場の空気が変質していく。
足元から白濁した蒸気が立ち昇ってゆらめき、この世とは思えないほどの超然とした光景を作り出していた。クロードは悠然とその中心に立つ。まるで、冥府を統べる王のように。
その異変は、アリスとレギウスの立っているところからも見えた。アリスは様子を一変させたクロードに、不安を隠し切れない。
「クロくん……どうしたんだろう?」
「《ギルガメシュ=システム》を起動させたのよ」
アリスは、はっとしてレギウスを見上げる。
あんなに《ギルガメシュ=システム》を起動させることを嫌がっていたのに、ついに動かす事にしたのか。クロードが可哀想だ――それが初めにアリスの抱いた感情だった。レギウスもそう思っているだろうとばかり思っていたのだ。ところが。
アリスは、そこにあるものを目にして、ぎょっとした。レギウスの表情は、まるで純粋無垢な子供のように嬉々としていたのだ。クロードが《ギルガメシュ=システム》を起動させたことが――自らギルガメシュとなる事を選択したことが、嬉しくてたまらないといった様子で、心からその決断を称賛している。
アリスは信じられなかった。どうして。どうしてクロードは自ら苦しい道を選んだのに、それを喜んだりすることができるのか。しかも、レギウスのそれはただの喜悦ではない。
「そう……あなたはそれでいいのよ、クロード……‼」
それは狂気に近かった。
アリスはぞくりと背中を震わせる。この人はただの天才ではない。もしかしたら、とてつもなく危険な人なのではないか。自分の欲望や願望を叶えるためなら、平気で他人を犠牲にしてしまえる。そういう類の、ひどく利己的で恐ろしい人間なのではないか。アリスはレギウスに対し、初めてそう思い至った。
――この人は、『普通』、じゃ、ない。
レギウスは美しい。同性のアリスの目にも、それは歴然とした事実として映る。だが、息を呑むような美しいその皮の下に、一体何が巣食っているのだろう。
一方のクロードは、ゆっくりと自らの手の平を開閉させていた。補給油の燃焼もうまくいっているし、循環にも問題はない。二十年ぶりに起動し、どうなる事かと思ったが、どうやら異常はないようだ。《ギルガメシュ=システム》は正常に駆動している。
クロードはアーロンに視線をやり、その目をすっと細めた。
「……待たせたな。やろうぜ、アーロン!」
アーロンは無言で構えた。心なしか、その姿は先ほどより幾分か緊張しているように見える。
黒いその瞳に、チカと複数回、光が明滅した。ヴン、と羽虫の唸るような音がし、周囲に十二個の光球が浮かび上がる。今まで発動させた光球の数の中では、最大個数だ。どうやら自動追尾機能も健在で、獲物を求めるかの如くうろうろと宙を彷徨い、やがてクロードの存在に気付いたかのように軌道を変えると、こちらへ一直線に飛んでくる。
クロードの瞳もまた、光を放った。
――筋力強化、速度強化、動体視力強化、打撃魔法強化、魔術防御力強化。
一瞬にして、五つの強化系魔術を実行する。光の膜が全身を覆った。
そしてクロードは、アーロンに向かって大きく踏み込む。直後、光球が一斉に火を噴いた。空間を埋め尽くすような、真っ白な光の奔流。何本もの光の矢が、クロードを狙う。まったく躊躇を感じさせない、圧倒的な攻撃だった。
しかし、それらがクロードと激突することはなかった。アーロンへと踏み込んだその瞬間、クロードの姿が掻き消えていたのだ。光球の吐き出した幾筋もの光線は、クロードのいないただの虚空を、ただむなしく抉り取る。
その、刹那。
ゴッ、と硬質な音と共に アーロンが後方へと吹っ飛んでいた。
「へっ……?」
何もかもが、一瞬だった。部屋の反対側で二人を見ていたアリスは、状況が分からず、目を瞬かせるばかりだった。
クロードがアーロンへと突っ込み、勢いに任せて拳で突き上げたのだ。しばらくして、ようやく状況が呑み込めたが、その時にはクロードもアーロンも、次の行動に移っていた。
「………ッ!」
アーロンはしかし、着地するや否や体制を整えた。更に魔術実行させ、打撃防御強化を自らの体に施す。一瞬の後に、クロードのかかと落しが決まった。
アーロンはそれを頭上で両腕をクロスさせ、何とか凌いだものの、衝撃で床が丸く抉れ、衝撃派となって放射状に広がった。アーロンは打撃防御強化を施しているから、無傷で済んでいるが、それもいつまでもつか分からない。
クロードはさらに仕掛けた。アーロンの刃とクロードの拳が縦横無尽に舞う。しかし、クロードの方が威力・スピード双方において勝るため、アーロンは防戦一方になった。
時が止まったかのような感覚。一瞬、一瞬が妙に長い――いや違う、クロードが速いのだ。
一方のアーロンは追い詰められたのか、《エンリル=コード》を発動させた。一瞬の後、クロードを覆っていた光の膜が、端から崩れ、剥がれていく。まるで、パズルのピースがバラバラになるかのように。強制介入呪文による、強化系魔術の実行中止だ。
その隙にアーロンは電撃を放つと、クロードと距離を取った。一度、後退して、体勢を整えるつもりなのだろう。だが、クロードも攻撃に手心を加えるつもりは全く無い。早くムシュフシュ遺跡を停止させなければ、全てが手遅れになってしまうからだ。
イイイ……イイイイイ………イイイ―――――――
耳鳴りのような駆動音が一際強まった。《ギルガメシュ=システム》が腹を空かせている。
――魂を喰いたがっている。
その音に誘われたのだろうか。すでに動かなくなったバルトロメオの体から、ふわりと白い球体が浮かび上がった。どこか儚く、不思議な光を帯びた半透明の球体――バルトロメオの魂だ。
そして、空中に浮かび上がったバルトロメオの魂は、吸い込まれる様にクロードに向かって飛んでいく。クロードはそれを掴むと、躊躇なく、貪るようにして咀嚼した。
イイイイイイ………イイイイイ………イイイイイイイイイイイ―――――――
《ギルガメシュ=システム》は、更にうなりを上げる。すると、横たわる人々の体から、バルトロメオの時と同じように、次々と魂が浮かび上がる。薄っすらと発光した、白い光がポツリ、ポツリと浮かび上がる様はどこか神々しく幻想的でもあった。
殺伐としたやり取りが繰り返されていた、うす暗い部屋の中に。
まるで残酷なおとぎ話を思わせる、温かくもどこか恐ろしい光景が生まれていた。




