第20話 真偽のありか
ムシュフシュ遺跡の外側をぐるりと囲む廊下を進んでいくと、レギウスの言った通り、扉らしきものが見えてきた。
大広間と同じで、遺跡の内側に相当する壁に設置されている扉だ。今まで見てきた入り口や大広間の入り口と、デザインは全く同じだが、この扉は他の扉と違い、ぴたりと戸が閉じられている。例の黒い膜ではない。壁と同じ、材質不明の黒い鉱物らしき物質でできた扉だ。表面には白い骨組が装飾模様のように刻まれている。
「……ここよ」
レギウスはその扉の前で止まる。
アリスは眉毛をハの字にし、困り果てた顔になった。
「閉じちゃってますね……」
「……どうするんだ?」
クロードも眉根を寄せる。遺跡の設備を動かす方法など、クロードは知らないし、最悪の場合、《エンリル=コード》が必要となる。 こういった、魔術技術を用いた巨大施設は、往々にして《エンリル=コード》でしか動かせない仕様に設計されているものなのだ。
すると、レギウスは扉に片手をかざした。
「見ていて」
そして、小さく呪文を詠唱した。
レギウスの耳についていたイヤリングが光を放つ。それが彼女の、超小型の聖霊杖――《マルドゥ―ク=システム》だった。アクセサリーだと常に身に着けていられるし、持ち歩く手間が省ける。だからそういう形に改良したのだろう。実にレギウスらしい判断だ。
そして次の瞬間、レギウスの周囲にごく二、三の短い古代文字――エンリルが浮かぶ。すると、ぴったりと閉じた扉が重低音と共に開き始めた。
「《エンリル=コード》……!」
クロードは驚いて思わず呟いた。
確かにレギウスは二十年前も、度々、《エンリル=コード》を使っていたが、その時はイディア軍の研究所で開発した高性能の聖霊杖が、常に身近にあった。だが、今はその聖霊杖はレギウスの手元にない。小さなイヤリング状の聖霊杖で、《エンリル=コード》まで扱えるものなのだろうか。
レギウスはこちらを振り返って微かに笑う。
「これくらいの単純な《エンリル=コード》であれば、私の聖霊杖でも何とか扱えるの。本当はもっと複雑な《エンリル=コード》でロックがかけられていた筈だけど……そちらの方はきっと、アーロンが解除させたのね」
そういうものなのだろうか。どことなく腑に落ちなかったが、《エンリル=コード》の扱えないクロードは、レギウスの説明で納得する他なかった。
ともかく扉は開けることが出来た。開いた特殊扉の向こうには、人が辛うじて三人ほど入れるような小さな部屋があった。狭いが、高さは人の身長の二倍はある、細長い空間だ。壁全体が青白く発光し、神秘的な雰囲気を醸し出していた。床には奇妙な模様が刻まれている。よく見ると、どうやらエンリルで構成された魔術の陣であるらしい。
「先に行くわね」
レギウスは先陣を切って、部屋に足を踏み入れた。レギウスが部屋の中央へと移動すると、その途端、床の陣が発動し、一瞬のうちにレギウスの姿が掻き消えた。
「レギウスさん! どうしよう……クロくん、レギウスさん消えちゃった!」
彼女の姿は最早どこにも見えない。アリスはオロオロと狼狽え、こちらを見上げる。
「転移だろ」
クロードは答えた。似たような設備を、イディア軍時代にレギウスが使用していた。何度か目にした事があるので、間違いない。
「てん、い……?」
「どっか別の部屋に移動したんだ」
首をかしげるアリスに説明してやる。別の部屋――おそらく、アーロンの言っていた地下だ。レギウスはその地下に、魔術の力を借り、一瞬で移動したのだろう。
「次は俺が行くぞ」
そして、クロードが部屋に入ろうとすると、アリスが慌ててぐいと腕を引っ張ってきた。
「待って、わたし、先に行く!」
何でまた。どっちが先でも後でも、行先は同じなのだから変わらねえじゃねえか。
クロードがそう訝しむと、アリスは付け加えた。
「だって……こんな暗いとこに一人ぼっちで残されたくないよ。一人は怖いし、嫌だもん!」
クロードはますます訝しむ。怖いというなら、この先の方がよっぽど危険じゃあるまいか。冷静にそう指摘すると、アリスは唇を尖らせた。
「うう……そうだけど、そうじゃないよ。いいから、行くね!」
そして、こちらの制止も聞かず、エンリルの刻まれた部屋へと飛び込んでしまった。すると、レギウスの時と同じようにすぐにその姿が掻き消え、見えなくなる。
アリスの突飛な行動にクロードは呆れるが、回廊を見回して納得した。確かに回廊内は薄暗い。その上、壁がぼんやりと発光しているので、不気味な雰囲気を帯びている。アリスはこの雰囲気が嫌なのだろう。
「真夜中の便所が怖いお子様か、あいつは……?」
先ほど大広間でぶちかました、大演説は何だったのか。気が抜けるが、まあ、その方がアリスらしいか、とも思う。先にはレギウスもいてクロードたちを待っているはずだし、一人で行かせるより危険は少ないだろう。
アリスとレギウス――同じ死霊魔術師である筈なのに、二人は全くと言っていいほど違う。単純に実力だけで比べたら、レギウスの方が優秀な死霊魔術師であることは間違いないだろう。何せ彼女は、屍兵を開発した世紀の天才なのだから。
対してアリスは、実力だけなら並み以下の、ポンコツ爆撃機だ。だが、不思議と彼女の存在は、時折ひどく眩しく見える。そして、妙にクロードを惹きつけるのだ。だから、どちらがいいとは単純に言えない。クロードは奇妙な感覚とともにそれを受け止めていた。
二十年前は、自分の死霊魔術師はレギウスだけだった。レギウスこそが、絶対正義である筈だった。それ以外の死霊魔術師など、全く考えられなかったのに。
ともかく、今は地下へ向かわなければ。クロードもアリスを追って魔術陣の張られた部屋へと足を踏み入れた。奇妙な浮遊感に襲われ、視界が急転する。
そして、目の前に空間が広がった。しかし、すぐにクロードは先にアリスを行かせたことを後悔することとなった。移動した先で待っていたのは、想像以上に凄惨な光景だった。
横たわる、無数の人々。ざっと数えたところ、五十人はいるだろうか。みな、ピクリとも動かない。すでに、事切れている。遺体の年齢、性別は様々だったが、老若男女――兵士や村人、盗賊のような恰好をした者までさまざまだった。中には《レヴィアタン》の死霊魔術師らしき者達までいる。
床の上には、補給油の入っていた水筒が、空の状態で転がっているのも見えた。どうやら、《レヴィアタン》の死霊魔術師を殺して補給をしたというのは事実のようだ。みな、入り口の近くに、折り重なるようにして倒れていた。
中には、見覚えのある緑の甲冑――バルトロメオ一行らの遺体も見受けられた。おそらく、アーロンがここまで運んできたのだろう。レギウスは厳しい表情でそれを見つめ、アリスに至っては「ひいいっ……!」と悲鳴を上げつつ腰を抜かしている。
その部屋は、大広間よりは幾分か狭い部屋だった。しかし、それでも広い。高さもかなりある。床の形状は細長い楕円形をしており、クロードたちが入ってきたのはその端だった。壁や床の材質は、大広間と全く同じだ。黒い硬質な壁に、骨のような白いフレーム。そして、やはり広間と同じではっきりとした光源が無く、壁がわずかに発光しているのみなので、とても暗い。
しかし、一つだけ違う点があった。それは部屋の反対側、クロードたちが入って来た入り口の逆端だ。
そこには、巨大な機械群が設置されているのが見えた。床から壁、天井まで覆われた大規模なもので、ごつごつとした機器類が、埋め込まれるようにしてひしめき、並んでいる。まるで、古代の神殿を装飾する巨大レリーフのようだ。
その巨大機器類の前に、アーロンが立っていた。こちらに背を向け、何か一心に作業をしている。どうやら、危機に取り付けられた発光画面を操作しているらしい。画面が煌々と光りを放ち、それが暗闇の中、アーロンの輪郭を浮かび上がらせていた。
やがて、アーロンはゆっくりとこちらを振り返った。
「……来たか」
あらゆる表情の消失した空虚な瞳。画面の光が差し込むと、妙な凄味を感じる。
「お前が……お前が、これをやったのか!?」
クロードは吠えた。もう戦争は終わったのだ。人が死ぬ必要は、もうない筈だ。それなのに、何故、これだけの人を――そう思うと、許せなかった。何より、納得できなかった。アーロンは確かに優秀な兵士だったが、無益な殺生をする性格ではなかったのに。
しかし、アーロンはゆっくりと首を振る。
「全部、俺が殺したわけじゃない。遺跡の周囲は危険だ。常に死者が出る。だが……半分くらいは、俺だ」
クロードとアーロンは部屋の端と端に立ち、互いに睨み合う。研ぎ澄まされた殺気がぶつかり、部屋の空気を震わせる。
「バルトロメオの遺体をここまで運んだのも……遺跡を動かすためか⁉」
アーロンは大広間で言った。このムシュフシュ遺跡を動かすため、その動力源として死者の魂が必要なのだと。だから、これほどの数の遺体が必要だったのか。魂の数合わせに必要だったから、わざわざバルトロメオたちを殺したのか。
詰問すると、アーロンは頷いて答えた。
「そうだ。魂の数は揃った。だが、それだけじゃまだ完全じゃない。クロード……お前の協力がいる」
「何だと……?」
それは一体、どういう意味なのか。クロードは訝しんだが、アーロンの返答はなかった。代わりにアーロンは無言で魔術を発動させる。そして、先程の長大なファイティングナイフを自らの腕に出現させると、すっと腰を落とし、問答無用とばかりに身構えた。
(やるしかない)
クロードもまた、魔術で同じ装備品を出現させる。
アーロンが実のところ、何を考えているのかは分からない。地上の大広間で見せた一連のハンドサインにメッセージが込められていると信じたいが、本当のところはどうなのか。アーロンの様子だとそれを確認することすらできそうにない。だが、アーロンの真意がどこにあるにせよ、このムシュフシュ遺跡を動かすつもりでいることは間違いないだろう。
生物兵器の生成工場兼、散布基地。稼働すれば、おそらく莫大な死者が出る。それは、絶対に止めなければならない。クロードは強くそう思った。
義務感や責任感からそう思うのではない。《レヴィアタン》の使命や任務すら、この際どうでも良かった。アーロンはおそらく、クロードが遺跡の稼働を阻止する事を望んでいる。例え表面上はそうでなかったとしても、心のどこかでそう願っているのではないか。
だからこそ、クロードを生かしておいたのではないか。
もし、本当にそうであるなら――クロードはそれに応えるべきなのだ。そうでなくとも、アーロンを止めることができる者が存在するとしたら、クロードの他にはいないのだから。
「く……クロくん……!」
アリスが緊迫した声で呼びかけて来た。戦闘は避けられないと悟り、緊張しているのだろう。
クロードはアーロンを見つめたまま、静かに告げた。
「ここで、アーロンを止める」
アリスは束の間、不安げな表情をするが、やがてこくりと頷く。
「うん……分かったよ」
「レギウス、アリスを頼んだぞ」
クロードが次いでそうレギウスに声を掛けると、美しい赤髪の死霊魔術師は、「ええ,任せて」と短く答えた。
アーロンはやはり、アリスには一切関心を示さなかった。レギウスに対しても、一瞥をくれたのみだ。まるで、クロード以外の全てのものが、目に入っていないかのようだった。
クロードはそれを目にし、眉根を寄せる。
(……アーロンの奴、何故、レギウスを見ても驚かない……?)
レギウスは言った。今の自分は屍兵の開発に関与していないし、アーロンとも何の関係も無い、と。だが、アーロンとレギウスが本当に無関係であるならば、アーロンはレギウスがこの場にいることに、驚愕を示すのではないか。何せレギウスはこの数年、完全に歴史の表舞台から姿を消しており、死亡説まで囁かれていたのだから。
クロードの疑問はすぐに、一つの答えを導き出す。おそらくアーロンはこの遺跡にレギウスがいる事を知っていたのではないか。この落ち着きぶりは、そうだとしか思えない。
だとすると―――クロードはレギウスの方へちらりと視線を送った。クロードの推測が正しいなら、レギウスがこのムシュフシュ遺跡にいることは、ただの偶然などではないという事になる。
アーロンは、素面で噓をつけるほど器用な正確ではない。それならば、嘘をついたのはレギウスの方だという事になるからだ。
真実はどこにあるのだろうか。レギウスは、何をどこまで知っているのだろうか。
――彼女はクロードに嘘をついたのか。「アーロンと一緒なのか」というクロードの問いに対して、レギウスは確かに「違うわ」と答えた。あれは偽りだったのか。
クロードは胸の内がざわめくのを感じた。彼女を疑いたくはない。せっかく再会を果たせたのだ。それを喜びたいし、レギウスの事を信じたい。
だが一方で、アーロンの実直な性格も、クロードは良く知っている。アーロンは嘘をつく性格では無いし、そして、その嘘を貫き通せるほど、演技の上手い性格でもない。
レギウスとアーロン、どちらかが噓を付いているのは間違いないのだが。
――噓を付いているのはレギウスか、それともアーロンか。
それとも、二人はグルで、裏で共謀しクロードを貶めようとしているのか。
真偽は一体、どこにあるのだろう。




