第19話 ハンドサインの意味
「……お前にはお前の想いがあるんだろ。ただ、俺にも俺の譲れないものがある」
アリスにはアリスの過去があり、それに基づいて現在、行動しているのと同じ様に、クロードがアーロンを追うのは必然の事だった。少なくとも、クロードにとってはそうだ。
もう、クロードはイディア軍所属の屍兵ではないし、00部隊の隊長でもない。
それでも、クロードはアーロンを追うつもりでいた。
アーロンを止めてやれるのは、自分しかいない。
そうしなければならないのだという強い使命感が、クロードを突き動かしていた。
アリスの曇りの無い真っ直ぐな瞳がクロードを見つめる。クロードもまた灰青の瞳を見つめ返す。
やがて、アリスは何かを決心したかのように口を開いた。
「………分かった。でも! ――わたしも一緒に行くからね」
「安全は保障できねえぞ」
低い声でそう突きつけると、アリスは真剣な顔をし、「分かってる」と頷く。
「でも……わたしはクロくんの相棒だから……!!」
そして、ようやくクロードに補給油を補給してくれる決心をしたのか、水筒に手をやる。
アリスが一緒について来る事にはあまり賛成ではなかったが、その判断は素直にありがたかった。補給油が空である今の状態では、アーロンの元へ至ることすらできない。ところが、アリスは水筒に手を添えたまま、ふとその動きを止めた。
「一つ聞かせて。……生きて帰る、ためなんだよね? 死にに行くんじゃないよね?」
言葉こそ疑問形だったが、その目には迷いはなく、強い意志が感じられた。アリスはクロードを信頼しようとしている。クロードはふっと頬を緩めて笑うと、片手でアリスが被っているフードの縁を摘まみ、それをぐいっと下に引っ張った。
「バーカ、当たり前だろ」
確かに、先ほどアーロンにしてやられたのは事実だ。だが、クロードはまだ絶望していない。拳を交えるからには、勝つ。そして、生きて戻るのだ。クロードとて、こんな辺境にある不気味な遺跡の中で、稼働を停止したくはない。
アリスはクロードの下げたフードに、突然、視界を塞がれ、「わわっ」と驚いた。そして、慌ててずらされたフードを整える。それから、こちらを見上げると、にこっと笑った。
クロードはアリスに背を向け、膝を折る。そして、軍服の襟を無元まで開いた。すると、戦闘服が緩み、首元が外気に晒される。その首元の後ろ側に、給油口があるのだ。
補給油が入った水筒からは、細い半透明の管が伸びている。管は普段は一まとめになり、水筒の蓋のところで金具に留められている。
アリスは、その管を金具から外して取り出すと、その先端をクロードの首の真後ろに持っていった。管の先端には、別の針のような金具が取り付けられており、アリスはそれをクロードの首の付け根に刺す。すると、水筒から赤みを帯びた液体が出てきて、半透明の管の中を通り、クロードの首へと吸い込まれるように入っていった。
その血液にも似た真紅の液体こそが、補給油だ。補給油はクロードの体に注がれると、心臓部にある《マルドゥーク=システム》を通り、四肢へと運ばれていく。忽ち力が漲っていくのが、自分でも分かった。新たな『血』を得、体中の組織、体中の細胞が活性化されていくようだ。
補給は僅か五分ほどで終了した。
補給油を補給し終わったクロードは、再び軍服の襟ボタンを留めると、立ち上がった。両手を開閉し、どこにも異常が無い事を確かめる。それから、これからの予定に話題は移った。レギウスによれば、この遺跡には地下があるのだという。
「地下へと通じる扉は、《エンリル=コード》でなければ作動しないのよ。普通の聖霊魔術では反応すらしないわ。《レヴィアタン》は見逃したんじゃないかしら」
「特殊魔術――《エンリル=コード》、か」
クロードは呟いた。《エンリル=コード》は聖霊魔術の中でも上位魔術に相当する。《エンリル=コード》自体は決して派手ではないが、強制力が強く、他のどの聖霊魔術よりも優先されるため、並みの聖霊魔術ではとても太刀打ちができない。アーロンがその気になれば、クロードの使う聖霊魔術はほとんど無効にされてしまうだろう。
つまり、先程と同じことをしたのでは、絶対にアーロンに勝てないという事だ。
《エンリル=コード》に勝る可能性があるとしたら――それは、死霊魔術を使う事だけだ。だが、それを考えると沈鬱な気分になる。
――やるしか、無いのだろうか。
あれを使うしか、ないのか。
俺は再び、《黄昏の喰霊鬼》となるしかないのだろうか。
考えれば考えるほど、胃のあたりにずしりとしたものを感じ、沈鬱な気分になってくる。おそらく、自分の中には二つの心が常にせめぎ合っているのだろうと、クロードは思う。それはすなわち、屍兵である自分を肯定したいという欲望と、屍兵であることを否定する感情だ。
どちらか片方だけしか存在しないなら、葛藤は起こらなかっただろう。だが実際には、クロードは屍兵であることに誇りを持ち、同時にひどく嫌悪している。自分でも、矛盾の塊だと呆れるほどに。
(ひょっとしたら、それが全ての元凶なのかもしれねえな……。俺は、本当はただ、人間に戻りたいだけなのかもしれない……)
そんなことを考えていると、不意にレギウスが声を掛けてきた。
「……私もあなた達と一緒に行ってもいい?」
クロードとアリスは同時にレギウスを見る。すると、レギウスは僅かに視線を俯け、小さく付け加えた。
「クロードの言う通り……私も……無関係ではないから」
その表情は何も感じさせない。やはり、無表情だった。
レギウスがアーロンに対してどういう思いを抱いているのか。クロードには、分からない。ただ、彼女は関心の無い事にはとことん関わらない性格だ。だからアーロンのことも、少しは気にかけているのだろう。そう考え、クロードは少しだけ胸を撫で下ろしたのだった。
レギウスは且つて、クロードの死霊魔術師であると同時に、アーロンの死霊魔術師でもあった。今は関係が無かったとしても、大事にしていた屍兵を冷淡に切り捨てて欲しくはない。
「分かりました。一緒に行きましょう、レギウスさん!」
アリスも特に異論はないらしく、むしろ嬉しそうに、そう頷いた。
レギウスに先導され、広間を出てムシュフシュ遺跡の外回廊に戻る。クロードたちは知らなかったが、大広間へと入る入口を更に奥に行ったところに、地下へと降りる例の特殊な扉があるらしい。三人で、まずはその扉を目指すことになった。
アリスやレギウスと共に移動しながら、クロードは一人、考える。
アーロンの本当の目的は何なのだろうか。
勿論、このムシュフシュを復活させ、生物兵器の生成工場兼、散布基地として稼働させる事だというのは知っている。だが、果たして本当にそれがアーロンの本当の狙いなのだろうか。
大広間で拳を交え、ぶつかってみたところ、アーロンの行動におかしな所は無かった。アーロンはどこも狂っていないし、思考や動きにも特に異常は見当たらなかった。ところが、その目的だけが何故か異様なのだ。だがその目的は、本当にアーロンの考えたことなのだろうか?
そもそも、アーロンの行動にはいくつか不自然な点ある。
一つは、アーロンはクロードに止めを差さなかったし、結果としてアリスにも全く危害を加えなかったという事だ。クロードとアリスが、アーロンとは真逆の思想を持った組織の人間であることを考えると、余計に解せない。
本当にアーロンが遺跡を動かすつもりなら、クロードとアリスは邪魔である筈だし、放置しているのは不自然だった。むしろ真っ先に行動不能にして、障害となる可能性を排除すべきだったろう。そしてアーロンなら、確実にそうするはずなのだ。
現に、クロードたちはこうやってアーロンを止める為に後を追っている。普通なら、それを事前に阻止しようとするだろう。アーロンには、そのチャンスが幾度となくあったのだから。それなのに、アーロンは何故、すべきことをしなかったのだろうか。
そして、もう一つの疑問はクロードとの会話の中にある。
最初、アーロンは『四だ』と言った。――四つだけ、クロードの質問に答える、と。
だが実際には、遥かに多くの質問に答えている。そして、唐突に『ゼロだ』と言って会話を打ち切った。アーロンの生真面目な性格を考えると、適当や気まぐれでそう言ったのだとは考えにくい。そこには何か意味が潜んでいるのではないか。
もしかすると、会話の内容よりも、『四』や『ゼロ』の方に意味があるのではないか。
彼は、何か隠れた意図をクロードに伝えようとしていたのではないか。
クロードは先程、意識を失っていた時に見た、二十年前の夢を思い出す。アーロンは細かな戦術を練るのに長けていた。ハンドサインもその一つだ。数十にも及ぶサインを自在に使いこなし、ジェスチャーだけで会話が成立するほどだった。それらはアーロンが発案したもので、勿論クロードもその意味を全て覚えている。
大広間で、アーロンが見せたジェスチャーは全部で三つ。
一つは親指以外の指を立てる『四』のサインだ。
「四つだけ、質問に答える」と言った時に、そのジェスチャーを使った。
二つ目は、人差し指を下方向に向けるサインだ。
これは、「遺跡の真の動力はここにある」と言った時に、指し示した。
そして、三つ目は『ゼロ』。
一つひとつは確かにバラバラなのだが、それにアーロンの考案したハンドサインの意味を落とし込み、一つに繋げると、意味のある文章になる。
アーロンが示したハンドサイン、その意味は。
『四』は《非常事態発生につき》。
『下』は《即刻、退却せよ》。
『ゼロ』は親指とその他の指を輪っか状にするサインの名称だ。
現役時代は、一度も使用することが無かった。意味は―――――《身内に裏切り者がいる》。
《非常事態につき、即刻退却せよ。身内に裏切り者がいる》
非常事態が何なのか、裏切り者というのが誰の事を指すのか。それはまだ分からない。
ただ、クロードが一つ確信している事がある。それは、アーロンはおそらく地下でクロードを待っている、という事だ。クロードが後を追う事をアーロンは予期し、そして望んでいる。だからこそ、このようなサインを使って、事前にメッセージを伝えて来たのだ。
「……アーロン、早まらなければいいけれど」
前を歩くレギウスが、不意にそう言った。
彼女の揺れる真紅の髪を見つめ、クロードは「……そうだな」と短く答えた。




