第17話 レギウス=マギナ②
クロードは僅かに目を伏せ、ぽつりと言った。
「アーロンに会った」
「……。ええ、見ていたわ。あなた達の話も、全部聞いてた」
「アーロンと一緒なのか」
レギウスはアーロンとグルなのか。クロードは暗にそう尋ねた。
レギウスは死霊魔術師だ。どれだけ屍兵の研究はやめたと言っても、その事実は変わらない。アーロンを裏で操っているのは、レギウスなのか。クロードはそう問うた。
するとレギウスは一瞬、大きく目を瞬き、次に例のいたずらっぽい瞳に戻ってこちらを覗き込んでくる。
「……私を疑っているの? それとも……妬いてる?」
「あのな……」
「違うわ」
はっきりとした否定だった。
――茶化すんじゃねーよ、と続けようとしたクロードは、思わず言葉を呑み込む。
レギウスは笑みをひっこめ、真剣な眼差しで言った。
「たまたまよ。たまたま調査に訪れた遺跡に、たまたまアーロンがいて、おまけにあなたまで現れたという訳」
「……随分、偶然尽くしなんだな。ドえらい確率じゃねーか」
「そうね。でも、それが現実に起こったのよ。大体、私がもしアーロンと組んでいるなら……こうやってあなたと会話したり、治療したりしないわ。……そうでしょう?」
確かにそれは一理ある、とクロードは思った。
クロードが属している《レヴィアタン》は戦後復興と平和維持及び聖霊技術の管理を目的として結成された国際組織だ。アーロンの目的や主張など言語道断だし、クロードもそういう組織に属している以上、その意思に沿って動く。アーロンにとってクロードは邪魔である筈だし、レギウスの目的がアーロンと同じ遺跡の復活であるなら、自ら障害物を増やすような真似はすまい。
レギウスに対する疑念が全て晴れたわけではなかったが、クロードはそれをひとまず置いておくことにした。疑い出したらキリがないし、今はアーロンの件の方が深刻だ。
それに、私情もあった。どこかで彼女の事を疑いたくない、信じたいと思う自分がいる。
「……アーロンを追うの?」
クロードの考えを察したのだろう、レギウスがそう問いかけて来た。
クロードは僅かな逡巡の後、淡々とした声音で答える。
「あいつは……アーロンは俺自身だ」
「クロード……?」
「俺達は……確かに見た目は変わらない。でも、昔とは確かに違う」
「違わないわ」
「違う。もう、二十年前には戻れない」
レギウスは怒ったように、こちらを睨む。
「どうして……そんな事を言うの」
「……アーロンと久しぶりに再会した時、正直ぎょっとした。あいつは以前と全く変わってしまってる。雰囲気だけじゃない。考え方も……。この二十年――何かがあいつを狂わせてしまったんだ。でも……あいつと俺と一体、何が違う?」
レギウスは何も答えない。クロードは、ゆっくりと首を振る。
「何も違わない。俺だってアーロンと同じだ。変化の無い日々に倦んで、未だに自分を見失ったままでいる」
レギウスは無表情だった。まるですっぽりと抜け落ちたように、表情が無くなっている。
クロードもそれに気づいていたが、何も言わなかった。もしかしたら、彼女の仮面みたいな顔を直視するのが怖かったのかもしれない。
レギウスはやがて、小さな声で呟いた。
「後悔……しているの?」
「………。分からない。でも……もし過去に戻ることが出来たとしても、俺は何度だって同じ道を選ぶだろう」
答えるクロードを、レギウスはじっと凝視する。その瞳の奥に浮かんでいるのが怒りなのか、それとも深い悲しみなのか。クロードには判別がつかなかった。
「………」
静寂が、仄暗い部屋を覆っていく。互いに、一言も発さなかった。
今、自分はさぞや辛気臭い顔をしているだろう。クロードにその自覚はあったが、無理に取り繕う気にはなれなかった。今更そんなことをしたって、過去は変えられない。それに、変えるつもりもなかった。
――レギウスの想いが、どのようなものだったとしても。
暫くして、クロードは再び言葉を紡いだ。
「アーロンは放っておけない。あいつが昔の仲間だからでも、俺が《レヴィアタン》だからでもない。俺もあいつも、同じ屍兵だ。あいつを止められるのは多分、俺しかいない。だから――――――」
その時だった。
はっとクロードは目を見開いた。
唇に何かが触れた。そう思ったら、次の瞬間、レギウスの顔が視界に飛び込んで来ていた。
何が起ったのか咄嗟には分からず混乱するが、一泊遅れで、レギウスが自分に唇を重ねたのだと分かった。時間にすれば、ほんの数秒の出来事だ。しかし、思考をリセットするには十分だった。
「れ……レギ、ウス……?」
自分でも自分を間抜けだと思うほど、声に動揺が現れていた。
レギウスは床に手を突き、こちらに身を乗り出している。クロードとレギウスはごく至近距離で見つめ合う格好となった。彼女が何を考えているのか。何のつもりでこんな事をするのか。クロードは困惑しきりだった。
ただ一つだけ分かるのは、レギウスは好意を抱いていない相手に唇を重ねるような事は、絶対にしないという事だけだ。真正面に迫ったレギウスの瞳を、クロードは見つめ返す。そこには、まるで包み込むような温かさがあった。
「あなたは何も変わらないわ、クロード。いつも眠そうで、面倒くさがりのくせに、何故かいざという時は面倒見がいいの。現に今だってそうでしょう? 他の屍兵もあなたの事を慕っていた。……私の大好きなクロードのまま」
「何だか……進歩がねえな」
「それでいいのよ。だから……暗い顔、しないで? あなたがそんな顔だと、私も悲しいわ」
そして、レギウスはようやくにっこりと笑う。
「……私達は変わらないわ。変わったのは世界の方。でも……それもきっと自然の摂理なのよ。なるべくしてそうなったの。……仕方のない、事なのよ」
そう口にするレギウスは、どこか淋しげだった。
ああ、そうか――クロードは思った。もしかしたら、逆なのかもしれない。つい先ほどまで、自分は二十年前と変わってしまったと思っていた。しかし本当は、自分で思うほど変わっているわけではないのかもしれない。だからこそ、事態はより深刻なのだ。
屍兵はアンデッドだ。死者は変化などしない。外見などで、多少は変わる事があっても、根本は変わらないのだ。そう――生者と違って。
これから時が経てば経つほど、人も世界も変わっていく。だが、屍兵だけは二十年前のまま、何も変わらず存在し続けるのだ。ひょっとすると、それが何より問題なのかもしれなかった。
戦争が終結して二十年。長いというほどではないが、あっという間でもない。レギウスにはレギウスの思うところがあるのだろう。彼女はこれまで、どこで何を見て来たのだろうか。平和を得たこの世界を見て、どう思ったのだろう。
「うう~ん……」
馬鹿馬鹿しいほど能天気な声が、それまでの重々しい空気を打ち破った。
すぐそばで発せられた声にクロードはぎょっとし、咄嗟にレギウスから身を離す。
声の主を視線で辿ると、アリスが目を覚ましていた。だが、まだ完全に覚醒したわけではないらしく、むにゃむにゃとおかしなことを口走る。
「クロくん………わたしはどっちかっていうと、お肉はローストチキンより、ローストビーフの方が好き……」
「何の話だ」
クロードは思わず半眼で突っこんだ。
一方のアリスは、のそのそと起き上がると、半開きの瞼をもたもた擦る。そして、ようやく見慣れぬ人物――レギウスがいる事に気が付いた。
「あ、れ………? クロくん、その女の人、だれ……?」
すると、クロードが口を開く前にレギウスが微笑んで自己紹介した。
「初めまして。私はレギウス=マギナよ。よろしく、新米の死霊魔術師さん」
アリスは呆気にとられ、何度もぱちぱちと瞬きする。
「あ……れ……? レギウス=マギナって、確か……《暁月の魔女》の名前じゃ……?」
「ええ、そうね。確かに《暁月の魔女》って呼ばれていたわ。良く知っているわね」
すると、アリスはただでさえ大きな目をいっぱいに見開き、がくがくと小刻みに震えはじめた。
「お……おい、大丈夫か?」
とうとう故障したか――あまりにも異様な様子に、クロードは思わず声をかけるが、どうやらアリスは純粋に感激したらしい。
ビョンと跳ね起きると、頬を紅潮させてレギウスの両手を掴み、ぶんぶんと振りながら叫んだ。
「あ、ああっ……あの! わたし、アリス=ココットっていいます! ファンでした! サイン、ください‼」
「あら……本当にいい子じゃない、クロード」
好意を寄せられ、まんざらでもないらしく、レギウスは上機嫌になって言った。
「あなた達、きっといいペアになるわよ」
「ほ……ホントですか⁉」
アリスは更に頬を上気させる。もはや真っ赤に熟れた、トマトのようだ。
クロードはますますジト目になる。
「テキトーなこと言ってんじゃねーよ、レギウス。俺は御免だぞ、こんなポンコツ」
すると、レギウスはこちらを非難するような目になった。
「ひどいわ、ポンコツだなんて。誰だって最初は失敗するものよ。新人育成だって重要な仕事よ?」
「で・す・よ・ねー? 何事も諦めが肝心だよ、クロくん!」
レギウスとアリスはにこにこと顔を見合わせ、「ねー」と頷き合っている。
クロードは、胸の中でボソッと呟いた。――何で女って、こういう時に決まって結託するんだ。メンドくせえ。
「それに……私も彼女になら、あなたの事任せてもいい気がするし」
レギウスは若干寂しさを湛えた目元でクロードを見つめる。
どう答えていいのか分からずにいると、隣でアリスがきょとんと眼を瞬かせた。
「レギウスさんって、ひょっとして……クロくんの元カノ?」
「……ちげーよ!」
半眼で即答すると、レギウスがわざとらしくクロードの腕に、自らの腕を絡ませてきた。
「そんなに否定しなくてもいいのに、クロードってば。あんなにいろいろあったじゃない。私の研究の実験台になってくれたりとか……実験台とか、実験台とか実験台とか」
「俺の価値は実験台しかねーのかよ⁉」
そんなクロードとレギウスを、アリスは意味ありげな目で見比べる。
「ふーん、そうなんだ……。レギウスさんがクロくんの好みなんだ……」
そして、自身の体を見下ろし、絶望的な表情で呟いた。
「わたし、いろいろ負けてる……!」
「何がだ」
思わずクロードは突っこんだ。まあ、いろいろ負けているのは確かだろうが、そもそも勝負して欲しいのはそこじゃない。
一方、レギウスはパンと両手を合わせる。
「――と、言うのはともかく。……実は私、クロードの死霊魔術師だったの」
すると、アリスは更に目を丸くし、再び驚いた声を上げる。
「えっ……ええーーっっ⁉ 何それ、知らなかった! どうして教えてくれなかったの、クロくん⁉」
「いや……別にわざわざ吹聴するような事でもねーし」
「わたし、完全に負けてる‼」
どうやら本格的にショックだったらしく、アリスは蒼白になって頭を抱えた。
「まあ、そーだな」
否定する要素は一つもなかったので、クロードも頷く。外見上の優劣など主観によって人それぞれだが、死霊魔術師としては、アリスがレギウスに勝っている点は一つもない。それは客観的な事実だ。擁護する余地もない。
すると、アリスはとうとう、ワッと泣きだし、クロードはしかめっ面のレギウスに脇腹を小突かれたのだった。
――そうは言われても、本当の事なのだから仕方ない。




