第15話 回想~軍事演習②~
しばらくして、今度はクロードとイグナートの隣にあるベッドの蓋が開いた。
中から現れたのは、黒い髪の華奢な少女、ジークリンデだ。実際、彼女は00部隊の中でも最も背が低い。そのジークリンデはゴーグルやヘルメット、パッド類を手荒くもぎ取ると、イグナートをキッと睨んだ。凛とした大きな瞳は、今は憤怒に染まっている。
「………。ほうら見ろ。ご立腹だぞ」
クロードは、ジト目でイグナートに呟くと、その背中をはたいた。
ところが反省皆無のイグナートは、ジークリンデに向かって変わらぬ調子で話しかける。
「やあ、ジークリンデ。ごめん、ごめん……」
ジークリンデは何も答えずベッドから飛び降りると、こちらに向かってつかつかと歩いて来る。そして、何の前触れも無くイグナートに向かって手刀を繰り出した。ヒュッと鋭く空を切り裂く音が聞こえる。
しかしイグナートはそれを寸暇の差で器用に避けたのだった。イグナートの橙色の髪が数本、手刀の空圧を受け、はらりと落ちる。
「もー、やだなあ。危ないじゃん」
イグナートは笑顔だった。言葉とは裏腹に、その表情には微塵も危機感を感じられない。
ジークリンデは怒りを湛えた表情で怒鳴った。
「うるさいわね、危なくしているのよ! ショック療法って知ってる? あなたのそのふざけた性格を矯正する、唯一の方法よ‼」
言いながら、次々と攻撃を仕掛ける。しかしイグナートは相変わらず真面目さを徹底的に欠いた態度だった。
「わあ、怖~い」
などと言いながら、にこにこ笑っている。ジークリンデは攻撃を仕掛けながら言った。
「いい加減にして! 何度、あなたの茶番に付き合わされれば済むの⁉ 反省していないなら、軽々しく謝ったりしないで!」
ジークリンデの怒りも尤もだった。イグナートが一人で『ゲーム』に興じるのは勝手だが、割を食うのはクロードたち他の屍兵なのだ。どう考えても、イグナートが悪い。
だが、自覚のないイグナートはひらひらと片手を振って笑う。
「もー、ジー子ちゃんは頭固すぎなんだよ。もっと人生楽しく行こうよ」
「うっさい、このオレンジ頭! ……っていうか、何なの、その『ジー子ちゃん』って⁉」
「え? ジークリンデだから、略して『ジー子ちゃん』。可愛いでしょー」
「嫌よ、変なあだ名つけないで! ……このっ、このっ! 何で避けるのよ!? そのヘラヘラ顔、ムカつく‼」
よほど腹に据えかねたのだろうか。ジークリンデは肉体強化の魔術まで行使し、あり得ないほどの速さで攻撃を仕掛けた。ところが、対するイグナートもまたあり得ない速さでそれを避ける。クロードは敢えて二人を止めることなく、ぼんやりとやり取りを眺めていた。
「……いいのか? あの二人を放っておいて」
いつの間にかベッドから出て来ていたらしい。最後の屍兵――アーロンが背後に立っていた。
「こうなったら、放置しとくのが一番だろ」
クロードはイグナートとジークリンデのやり取りを眺めたまま、肩を竦めそう答える。
「確かに……気の済むまでそっとしておくしかないかもな」
アーロンの返答に、クロードは「正確にはジークリンデが諦めるまで、だな」と付け加えた。
アーロンはそれを聞くと、小さく笑う。そして、不意に真顔になった。
「ハンドサイン……難しかったか?」
クロードはアーロンの方を振り返った。仮想空間上のフィッツリンでクロードたちが用いた一連のジェスチャーはハンドサイン――いわゆる戦略的サインだ。
全部合わせると数は数十種類に及ぶ。そして、それらの内容はアーロンが考案したものだった。
本来なら上官であるレギウスや 隊長であるクロードの管轄だが、レギウスは典型的な研究オタクで、軍事上の戦術や戦略にはあまり興味を示さなかったし、クロードは面倒臭がりで、そういう細々としたことをするのには向いていなかった。その結果、戦術・戦略に関する知識があり、かつそういった細々とした面倒事を得意とするアーロンにお鉢が回ったのだった。
00部隊の屍兵は元もと上下関係も希薄で、階級意識も低い。その一方で、適材適所の精神が息づき、柔軟に物事を処す事もできるという利点もあった。
アーロンは先ほどの潜入任務で、イグナートがハンドサインを理解していない可能性を考えたのだろう。読み間違い、単独行動に走ったのだと。
「……そうじゃねーよ。イグナートは、ただやる気がないだけだ。内容はしっかり理解してる。お前は気にすんな」
クロードはアーロンの肩を軽く叩いた。アーロンはクロードを見つめていたが「そうか」と短く答える。
あまり感情を外に出すこともなく、起伏の乏しいアーロンだが、見かけによらず周囲の事をよく気に掛ける。実際、00部隊内をよく観察しているし、細かいところもよく気が付く。誰かがミスをすれば、フォローに入るのは大抵アーロンだ。
だが、その外見とキャラゆえか、周囲にそうだと気づかれない事も多く、冷血漢、などと評されることもしばしばだった。傍から見ても、少々不憫な奴だ。クロードは思う。
(イグナートの性格とアーロンの性格を足して二で割りゃ、丁度いいんだがな)
ジークリンデがぜえはあと肩を上下させ始めた頃(一方のイグナートはけろりとした顔だ)、地下室の扉が開いて、レギウスが入ってきた。
いつもの、簡素な白衣を身に纏っており、カツカツと靴のヒールを軽快に鳴らして、こちらに歩み寄って来る。
「レギウス」
クロードが名を呼ぶと、ジークリンデやイグナート、アーロンと全員の目が彼女に集まる。
レギウスは彼女のトレードマークである赤い髪を揺らし、穏やかな表情で部屋に入って来ると、開口一番にこう言った。
「特に難易度の高い訓練ではなかったと思うけれど……難しかったかしら?」
全員の視線が、レギウスからイグナートへと移動する。さすがのイグナートもバツが悪そうな表情になった。レギウスもまた、イグナートへと視線を向ける。
「見てたわよ、イグナート」
レギウスはふわりと笑った。イグナートは相変わらず笑顔だったが、先ほどの能天気な笑いではなく、思いっきり恐怖で引き攣っていた。
そして次の瞬間、がばっと胸元で両手を合わせる。
「ごめん、姐さん! 次は絶対、ちゃんとするから!!」
お気楽キャラのイグナートも、どうやらレギウスには頭が上がらないらしい。それはそうだろう。屍兵は死霊魔術師に逆らえない。そのようにできているのだ。
しかし、レギウスは怒る事もなく、あくまで優しい声音で答えた。
「いいのよ、あなたはそれで。個性があるのはいい事だわ」
ほっと胸を撫で下ろすイグナート。クロードは顔をしかめる。
「おい、甘やかすなよ。いざという時、何かあったらどうするんだ?」
「あら、大丈夫よ。その為にクロードがいるんだもの。……そうでしょう?」
そして、レギウスはクロードに向かってウインクをした。
クロードは思わず半眼になる。――そういう言い方をされたら、何も反論できないではないか、と。
一方のレギウスはクロードの心中を見透かしたかのように、くすくすと笑っている。それが余計に面白くない。
レギウスは一通り笑い終えると、再び口を開いた。
「……みんな、訓練の内容、覚えてる?」
「敵基地への潜入及び、敵の捕虜となったイディアの要人の救出、です」
ジークリンデが即答する。レギウスは頷いた。
「そう。『要人』の中にはもちろん非戦闘員も含まれるわ。政治家や研究者などがそうね。つまり、私が捕虜になる可能性もある訳。……みんな、頑張って助けに来てね」
速攻で立ち直ったイグナートは、おどけて口を挟んだ。
「姐さんが捕まるとこなんて、世界滅亡より想像できないけどね~」
「あら、そう? それは褒めてもらっているのかしら?」
イグナートの言葉を聞いたレギウスは、にっこりと笑う。だが、その表情の意味を額面通り受け取った者など、皆無だっただろう。イグナートは再び顔をひきつらせ、隣でそれを見ていたジークリンデが小さく「バカ」と止めを刺したのだった。
レギウスは微笑を顔に浮かべたまま、更にこう言った。
「……失敗するのは構わないわ。だってこれは訓練なんだから。何度だってやり直せばいいんだもの。そう……何度でも、ね。他に取りたいデータもあるし、丁度いいわ」
全員の顔が、固まった。
「げっ……」
イグナートの表情も、更に引き攣っている。レギウスは一同の表情に構う事なく、続けた。
「もう一度、仮想空間に潜行するわよ。位置について」
レギウスの号令で、面々はそれぞれ、自分の棺桶へと向かう事となった。ジークリンデが恨みがましくイグナートを睨む。だが、今度はさすがのイグナートもしょんぼりしていた。
と、その時だった。
部屋を出ようと踵を返したレギウスは、床を這うコードに足を取られ、姿勢を崩す。
それにいち早く気付いたアーロンが、素早く動いてレギウスを抱きとめた。
レギウスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに頬を緩める。
「……ありがとう、アーロン」
「いや……」
アーロンは僅かに視線を彷徨わせ、レギウスの言葉に小さく答える。
レギウスはそんなアーロンを見つめ、優美にほほ笑んだ。
「あなたは、本当にいい子ね」
アーロンはどう答えていいのか分からず、困った顔になった。それはそうだろう。『かわいい』と同じで『いい子』などという言葉はそもそも大の男に向かって言う褒め言葉ではない。レギウスもそれを承知で、敢えて使ったのだ。
(からかってんじゃねーよ、ったく………)
やり取りを離れたところで見ていたクロードは呆れる。
すると、やはり二人の様子を離れて見ていたイグナートが、クロードにツツ、と近寄ってきた。そして、嬉しそうに囁く。
「アーロンってさあ……絶対ムッツリだよね」
クロードは呆れ顔で、イグナートの額をペシッと叩いた。
「……いいから、お前は反省しろ」
「うぇーい」
いまいち気合いの欠けた返事を残し、イグナートは自分の棺桶へと向かった。
クロードも一旦外したパッド類を手早く身に着け、黒いベッドに横たわる。やがて蓋が自動で閉まり、周囲は再びまっさらの闇へと包まれた。
屍兵にとって、レギウスはある意味、創造主だ。クロードにとってレギウスが特別な存在であったように、他の屍兵にとっても、彼女は特別だった。それは、それぞれの関係性を見ていれば分かる。
ただ、その感情は様々であるように思われた。レギウスに対し恐怖や反発を抱く者もいたし、単純に信頼している者もいた。そして、恋慕に似た感情を持つ者も。
アーロンはどうだろう。アーロンにとって、レギウスとは何だったのだろうか。
そして、自分は。
一体彼女の事を、どう思っていたのだろう。