第14話 回想~軍事演習①~
クロードは、闇の中で息を詰めた。
イディア軍の戦闘服は完全に闇に沈み込んでいる。ヘッドマスクで頭部の大半を覆っているので、露出しているのは目の辺りだけだ。その為、暗闇に紛れると殆ど存在の判別がつかない。木の陰に身を潜ませると、敵に気づかれることはまずなかった。
密集した木々のすぐ向こうに、鉄条網交じりのフェンスがある。フェンスはぐるりと眼前に横たわる基地を覆っていた。更にその向こうにはレンガや鉄鋼材の、武骨な建物が並んでいる。車両庫や弾薬庫などの各種倉庫に、通信施設や医療施設といった施設群、そして兵舎や司令本部庁舎などだ。
そこは森に囲まれた施設だった。フィッツリン――イディアとの国境地帯にある、ガレリア軍陸軍の駐屯地だ。正面には堅牢な門があるはずだが、森の中からでは見えない。クロードがいるのは基地の裏側だからだ。
クロードの背後には、やはり同じ格好をした屍兵が二名。
イグナートにジークリンデだ。
イグナートはオレンジ色の頭髪をした青年であり、ジークリンデは黒髪の少女の姿をしている。やはりヘッドマスクで頭部を覆い、露出しているのは目の部分だけだった。同じように木の陰に身を隠し、基地内を窺う。
ガレリア軍の軍事基地に潜入し、捕虜となったイディアの要人を救出する。それがクロードたちに与えられた任務だった。いわゆる、特殊作戦だ。
とは言え、装備はいつも通り、簡素だった。いつもと違うところといえば、緊急事態に備えてハンドガンとナイフを所持していることくらいか。屍兵の場合、その他装備は魔術で十分賄える。見たところ、大気に含まれる聖霊の量も申し分ない。
基地の裏側という事もあり、周辺は閑散としているが、表の方には時おり哨戒兵が見受けられる。また、サーチライトの光が定期的に施設とその周囲を照らし、油断はできない。
クロードたちは木陰で息をひそめ、じっと時を待つ。
すると程なくして、背後から影が一つ、音も無く三人に近づいてきた。やはりヘッドマスクで頭部を覆った屍兵――アーロンだった。偵察から戻ってきたのだ。
アーロンは無言で手早く右手を動かした。
最初に中指と薬指、小指を立てる。
次に、手首を真横に向け、親指と小指を立てた。
そして最後に人差し指を立て、その先端を眉間の間に持って行った。
ハンドサインだ。
それを見たクロードとイグナート、ジークリンでの三人は小さく頷く。
続けて、クロードも『任務開始』のハンドサインを出す。残りの三人はそれを目にするや否や、三方向に分かれ、あっという間に散っていった。
クロードの瞳に光が瞬く。そして同時に、両足に魔術効果を付加した。消音効果の魔術だ。更に魔術を使う。今度は身体能力強化の魔術だった。そして、高さ五メートルほどもあるフェンスと鉄条網を軽々と飛び越えた。
クロードはすぐに基地の内部へと潜入を始める。
時おり、サーチライトの煌々とした光が、滑るように動いて空間を切り取っていく。それらや、見回り中の哨戒兵を避け、弾薬庫の裏を抜けた。
クロードたちは基地の北東から侵入をしていた。目的地である本部は、基地の中央付近・東側に位置する。正面ゲートから見ると、やや右寄りの場所にある施設内部だ。そこにイディア軍の要人が監禁されている筈だった。
兵士の捕虜は大抵、捕虜収容所に収監される。それが軍事拠点のしかも本部にわざわざ『ご招待』されているのは、それなりの地位にある人物だからだ。そして、それはイディア側にしてみても、決して他国に奪われてはならない貴重な人材だった。
飾り気のない、無機質なレンガの壁を伝い、暗闇の中を移動する。いくつも積み上げられた木製の輸送用コンテナの影に身を滑り込ませると、クロードは周囲の様子を窺った。
すると、数メートル離れた資材倉庫の裏で自分と同じ黒い影がちらちらと動いているのに気づく。身のこなしから、すぐにイグナートだと分かった。
(あいつ……何でこんなところに……?)
確か、イグナートは後方で退路を確保する筈ではなかったか。それなのに、本部――中央に向かっている。全く方向が逆だ。事前の打ち合わせと違う。このままでは任務に狂いが出る。
(何やってんだ、バカ)
イグナートもすぐにこちらに気づいた。
クロードは手早くハンドサインを送った。
最初にひとさし指と親指を立てる。 次に親指を心臓の上に突き立てるジェスチャーをし、最後に基地の外に向かってゴーサインを出した。「任務に戻れ、殺すぞ」と言ったのだ。
すると、イグナートの目がすっと細められた。不敵にも笑ったのだ。顔の下は見えなくとも、長い付き合いなので分かる。そして、するりと闇の中に身を滑らせると、そのまま溶けるようにして消えていった。どこに行ったのか、クロードが身を潜めている場所からでは分からない。
(あいつ……!)
クロードは思わず舌打ちをした。ただでさえ潜入任務は危険性が高いのだ。連携が取れなければ、任務の遂行自体が危なくなるだけでなく、潜入したクロードたちも窮地に陥る。捕虜の命も危険に晒されかねない。
だが、すぐにクロードの危惧した通りの事が起きてしまった。突如、耳をつんざくような機械音が鳴り響く。サイレンだ。それがけたたましく静寂を切り裂くと、同時に「侵入者だ!」と叫ぶガレリア軍兵士の声が聞こえてきた。
(アホ! そら見ろ、見つかったじゃねーか!)
原因はおそらくイグナートだ。アーロンは慎重だし、ジークリンデは生真面目な性格だから、こんな潜入任務でつまらないミスなどしない。原因はどう考えても、イグナート以外にあり得ないのだ。緊張感のない目元を思い出し、胸中で思い切り罵った。
だが、どの道、いつまでもこの状態で愚図愚図しているわけにはいかない。このままガレリア兵に基地の守りを固められれば、脱出する事すら叶わなくなる。クロードは身を屈め、警戒しながら次に取るべき行動を脳内で組み立てる。
しかし、それを妨げるかのように、周囲に行動中止を求める真っ赤な文字がいくつも浮かび上がった。エンリルで構成してあるため、読むことはできないが、意味は分かる。
――どうやら任務失敗は確定のようだ。
クロードは溜め息を一つつくと、警戒を解いて両手を上げ、降参のポーズを作った。その途端、暗かった視界が暗転し、何も見えなくなった。
フィッツリン――ガレリア軍の軍事基地も哨戒兵も、全てが一瞬にして姿を消し、クロードは真っ暗な闇の中へと放り出された。
次に気づいた時、クロードは密閉型のベッドの中に横になっていた。
その寝台は蓋つきで、内部はまるで棺桶の中のようだ。やがてすぐに自動でその棺桶の蓋が開き始めた。それが完全に開くと、クロードは頭部を覆っていたヘルメットやゴーグル、続いて手足に巻き付いている布製のパッドのようなものを自ら剥ぎ取る。そして自由になると、ゆっくりと起き上がった。格好はいつもの、イディア軍支給の戦闘服だ。
ここはイディア軍の室内訓練場だった。グアンデラ要塞の地下にある施設だ。
地下にしては広大な空間の中央に、奇妙な形状をした巨大な装置が居座っていた。大きなリングが組み合わさり、柱になって床から天井まで繋がっている装置。リングには大小があり、全体としてニンニクのようなフォルムになっている。
その装置の周囲にクロードが入っていた蓋つきのベッドが五つ、巨大装置を囲むように放射状に設置されていた。真っ黒な外観は、まさに棺桶だ。巨大装置からは様々のパイプやらコードやらが棺桶に向かって伸びており、棺桶の本体からも沢山のコードがゴーグルやヘルメット、手足を追うパッドなどに繋がっている。それ以外にも部屋には大小の機器やパイプ、コード等がひしめき合い、広い割には雑然としていた。
これを拵えたのはレギウスだ。仮想現実というものを利用した訓練装置で、どうやら魔術技術を用いた、高度なものであるらしい。どういう仕組みになっているのかよくは知らないが、先程のフィッツリンの光景は、この機械が作り上げたニセモノを脳内に送り込んだ、幻のようなものなのだそうだ。
勿論、クロードたちの行っている訓練は、いつもこれを使用しているわけではない。仮想世界における分身の経験値が、現実の肉体に全て還元されるというわけではないからだ。ただ仮想現実の中では、現実の訓練と違い、聖霊の量を気にせず魔術が使えるし、特殊な状況を想定した訓練の融通も利く。そのため、一部の特殊作戦の訓練などに用いる事があった。
クロードが蓋付きベッドから出てしばらくして、隣のベッドの蓋が開いた。やはり自動だ。中から出て来たのは、若干、赤みを帯びたオレンジ色の髪の若者――イグナートだった。身に着けているのはクロードと同じ、イディア軍の戦闘服だ。
イグナートは棺桶から出てくると、盛大に伸びをした。
「や~。失敗、失敗」
そして、呑気な声を上げる。クロードは腰に手を当てると、さっそく説教体勢に入った。
「……やっぱりお前じゃねーか。『失敗、失敗』じゃねーよ。指示、出しただろ。何で無視した?」
イグナートは全く悪びれる様子も無く、ひらひらと片手を振って笑う。
「だって、つまんないじゃん。潜入だけなんて。せっかく魔術使えんだし、もっと楽しまなきゃ」
全く反省の色を見せないイグナートを、クロードを睨みつける。
「あのな……遊びじゃねーんだぞ」
「まあまあ、そう怒んないでよ。実際こんなの、ゲームみたいなもんっしょ」
「バーカ、お前にはただのゲームでも、俺にとっちゃ責任問題だっての」
「分かってるって。『本番』ではしくじったりしないよーん」
やはり、全く反省の色なし、だ。クロードは激しい徒労感を覚えた。
イグナートが訓練をまじめにしないのはいつもの事だった。大抵、サボるか、手を抜くか、今回のようにふざけるかのどれかだ。 それでも確かに本人の言う通り、『本番』は一度もしくじったことが無いのだった。
(だから、余計に性質が悪いんだよな……)
クロードは溜め息をつく。
屍兵は基本的に単独行動が多い。人間と違って、強力な魔術を行使できるからだ。屍兵の扱う魔術は特に自由度が高い上、威力も強く、他の兵器に比べて機動力がある。そのため、人間の兵士のように隊列を組んだり、連携を取って一斉に攻撃をする必要が無いのだった。
おまけに戦場で魔術を行使する事の出来る存在は、他にはない。仮に統率を欠いたとしても、必ずしもそれが死に直結するわけではなかった。
例えば、軍の武器や兵器、装備品類――銃弾や砲弾などに魔術的な効果を付加することはあるが、その武器や兵器が直接、魔術を発動させるわけではない。また、魔術師の戦闘員も一部には存在するが、元もとの数が少ない上、屍兵と違って扱える魔術の種類も規模もごく限られている。そもそも、魔術自体が『時代遅れ』と見做されてきたのだ。高速魔術演算装置――《マルドゥ―ク=システム》が出現するまでは。
結果として、屍兵は独断に陥りやすいという欠点があった。人間で構成された軍隊のように細かく組織だって動くことも、隊列を組む必要すらないのだ。そのせいか、ただでさえ、連携というものが疎かになりがちだった。
とはいえ、中には連携を求められる任務もある。例えば、先ほどの潜入任務などがまさにそれだ。だから、イグナートの言う『ゲーム』にも、それなりに意味はあるのだが。
「リーダー、顔、疲れてるよ。だいじょーぶ?」
「お前のせいだろ、お・前・の!」
事の重要性を微塵も理解していない様子のイグナートに、クロードは頭を抱えた。
どうしたら、このあんぽんたんに、訓練の重要性を理解させられるのだろう。




