第12話 追撃(チェイス)
その頃、クロードとアーロンは互いに魔術の応酬を繰り広げながら、広い空間の中を次々と移動していた。
黒の炎塊と白い光球が凄まじい勢いで飛び交った。しかし、どれも狙った屍兵の体に命中することは無い。互いにぶつかり合って相殺し、或いは的を失って鈍く黒光りする六角柱へと当たると派手に爆発する。
その威力は徐々に増していき、まるで魔術砲撃を打ちあっているかのような規模にまで発展していた。
衝撃が幾度も遺跡内部を揺るがし、鼓膜を突き破るかのような轟音で大気を振動させた。火焔の火花と光球による放電が一体化し、巨大な爆炎となって視界を遮る。
クロードは跳躍を繰り返し、その中を駆け抜けた。しかし、どれだけ逃げようとも、次々と新たな雷撃が襲い掛かってくる。きりが無い。
それに足場はあるものの、その数は上空へ行くほど限られてくる。そのため、踏みしめる足場の半分以上は魔術で形成したものが占め、ほぼ空中戦と化していた。
(このままじゃ、マズい……!)
クロードは内心で焦っていた。
クロードとアーロンは僅か数秒の間に、いくつもの魔術を発動させていた。展開直後に封じたり、相殺した魔術も含めると、その数は数十に及ぶ。ただその分、ただの接近戦と比べると、エネルギー……つまり補給油の消費量も半端ではない。
おまけに攻守だけではなく、移動にも魔術が必要となる。クロードは今さらながらに、アーロンが地形を変化させた目的を悟った。こちらに出来るだけ魔術を使わせ、消耗させることが狙いなのだ。
背後を振り向くと、想像通りというべきか、一定の距離を保ってぴたりとアーロンが追尾していた。アーロンは躊躇なく、魔術を展開させている。その表情は蛇のように冷徹だった。焦る事も無ければ、高揚する事も危険を冒すこともない。確実にこちらが弱体化するのを待っている。
クロードは、まるでじわじわと追い詰められているような感覚に陥った。
(長期戦になればなるほど、勝機は無い……とっとと片をつけねえと……!)
クロードは瞳に光を明滅させた。それと同時に、周囲にひときわ巨大な炎塊が浮かび上がる。大きな炎球の中で漆黒の炎が渦を巻き、熱を受けた六角形の黒い柱から、白い煙が幾筋も立ち上り始める。
クロードが行使したのは、今までのものと比べると、かなり大型の魔術だった。黒焔の巨大さが、その証だ。魔術で引き起こすエネルギー現象が大きければ大きいほど、消費する補給油の量も増す。つまり、当たればでかいが、外れれば大きな損失となる。クロードは一種の賭けに出たのだ。
それに対し、アーロンもまた表情をピクリとも変えず、魔術を発動させた。しかしそれは、先ほどのような攻撃魔術ではなかった。ムシュフシュ遺跡を動かす時に使った、古代種族の文字――エンリル。それが一瞬にしてアーロンの周囲に浮かび、消えていく。
その刹那。パキンと硬質な音がした。
アーロンに向かって飛翔していくはずだったクロードの黒焔魔術が光の粒になり、弾けて砕けるとそのまま消滅していったのだ。
(強制介入呪文……!)
クロードは思わず顔をしかめる。すぐに、アーロンが自分の魔術に侵入し、発動させようとしていた魔術を強制的にキャンセルしたのだと気づいた。
「随分、手の込んだことしやがって」
エンリルを用いた魔術――《エンリル=コード》は、聖霊魔術や死霊魔術とは一線を画し、特殊魔術と呼ばれている。聖霊魔術や死霊魔術をひっくるめた全ての魔術の中でも、最上位魔術に当たる、非常に珍しい特殊な魔術の総称だ。エンリル自体が難解であるため、必然的に《エンリル=コード》も謎が多く、非常に難解なプログラムで構成されており、人が扱うのは難しい魔術だ。《レヴィアタン》でも、神秘の魔術と捉えられていて、操ることのできる者は非常に限られている。
性能の良い《マルドゥーク=システム》にしか高速処理ができず、クロードは好んで使うことは無かった。使えなくもないのだが、クロードの《マルドゥ―ク=システム》だと発動までに時間がかかるからだ。その差はわずか一秒未満に過ぎないが、屍兵同士の魔術戦は先手を取ったものが勝つ。その一秒に満たない差が、大きな命取りになるのだ。
一方、アーロンの《マルドゥーク=システム》は、《エンリル=コード》に適していると言えた。特に魔術の高速演算機能に優れており、他の聖霊魔術と同じスピードで発動させることが出来るからだ。
(見せつけんじゃねーよ!)
クロードは苛立った。
性能の差を四の五の言っても仕様がないが、補給油を消費させる足場を作った事といい、《エンリル=コード》を難なく使ってのける事といい、こちらの弱点を突くかのようなアーロンの戦法は腹立たしいことこの上ない。おまけにアーロンは、こちらの癖や弱点を熟知しているのだ。
(くそっ……条件はこっちも同じだ!)
クロードはすぐに気持ちを切り替え、瞳孔に光を明滅させた。しかしアーロンは一瞬の隙を突き、飛び込んでくる。よく見ると、体が僅かに発光していた。身体強化――速度上昇の魔術だ。
(いつの間に――……!)
《マルドゥーク=システム》の演算能力の差が現れるのは、何も《エンリル=コード》だけではない。普通の聖霊魔術であっても、一度に扱える情報量に差が生まれる。それは一つ一つの魔術では取るに足らない僅かな差かもしれない。だが、積み上がれば確かな壁となって、目の前に立ちはだかるのだ。
クロードもまた腕のファイティングナイフでアーロンに対抗するが、六角柱の上は狭く、空中に弾き飛ばされてしまう。
「野郎……!」
毒づきながら、クロードは落下しざまに黒焔――火焔魔術を放つ。
しかし、アーロンは魔術障壁によって難なくそれを防御すると、乾いた声で呟いた。
「その程度か、クロード。……その程度なのか」
何だと――クロードは思わず、眉間にしわを寄せた。だが、すぐにその言葉を飲み込んでしまう。こちらを見つめるアーロンと、視線がかち合ったからだ。アーロンは、じっとクロードを見つめていた。だが、その表情には勝利の喜びは無かった。いや、嘲りでも、落胆でもない。
アーロンの瞳の中にあるのは悲愁だった。まるでこの世の全てに絶望したかのような――そんな、途轍もなく深い悲しみ。
「………?」
クロードの中の違和感が膨らみ、はっきりとした疑念となる。
やはり、何かがおかしい。アーロンは何をそんなに悲しんでいるのだろうか。クロードを追い詰め、領主を殺し、彼の企ては、ほぼ全て達成されようとしているではないか。それなのに――何がアーロンをそれほど絶望させているのだろう。
しかし、アーロンの見せた感情の揺らぎは、ほんの一瞬の事だった。その黒い双眸に浮かんだ悲しみは消え去り、すぐに元の冷徹な表情に戻ってしまう。
「……まだだ。まだ、これで終わりじゃない」
そして、そう呟くと、アーロンは再び拳大の小さな光球を宙に浮かべた。そしてその光球は、パアンと破裂音を立てると、豪速でこちらに飛んでくる。どうやら今度はホーミング性のようで、クロードの動きに合わせて大きく弧を描いた。次から次へと、避けてもしつこく追尾してくる。
「くそ……やってられるか!」
クロードは乱暴に吐き捨てると、六角柱のてっぺんから今度は地上に向かって降下し始めた。もはや、他に逃げ場が無かったからだ。
遺跡内部の真ん中の辺りまで降下すると、いい塩梅に、魔術によってへし折られた柱が横たわっていた。かなりの長さがあり、斜面の角度も緩やかだ。足場にはもってこいだった。クロードがその側面に着地すると同時に、上空からアーロンが降ってきた。
アーロンもまた、横たわったその柱を足場に選んだようだった。クロードの目の前に、ストッと音も無く着地するや否や、こちらに勢いよく踏み込んでくる。そして、ファイティングナイフを振り下ろした。
クロードもまた、ナイフを躍らせる。数度にわたり、鋭い剣戟の音が響き渡った。二つの白刃が閃き、絶妙に組み合わさる様は、まるで蝶の羽のようだ。とはいえ、実際の戦闘はそんな優雅さとはかけ離れていたが。
クロードはじわじわとアーロンに押されていた。意識はしていなくとも、エネルギー(ダムキナ)消費量の違いは確実に現れる。
(それにしても……こいつ、一体どんだけ補給油を積んでんだ……⁉)
クロードはナイフを振るいつつ、訝しんだ。
行動量や魔術の発動量は、双方ともほぼ変わらない筈だ。だが、アーロンにはまだ余力があるように見受けられた。それは何故か。考えられる可能性はいくつかあるが。
(考えたくもねえな……くそっ!)
胸中で吐き捨てる。嫌な予感が、影法師のように背後をついて来る。
アーロンのナイフを交わしながら後退しつつ、クロードは魔術を放つタイミングを探った。だが、アーロンの方が一瞬早かった。クロードのナイフを絡め取るようにしてから弾くと、瞳に光を明滅させる。次の瞬間、アーロンの空いた左の拳に電撃が走ったのが見えた。打撃魔術だ。アーロンはそれを躊躇なくクロードに向かってぶち込んでくる。
最初の二発は障壁で防げたが、三発目にして破られてしまった。四発目が直撃する前に、何とか一瞬の判断で胴体に身体強化の魔術を施す。しかし、それもさして効果は無かった。
電流が奔流となって走り、次の瞬間、破裂した。クロードの脇腹に、ズン、と鈍い衝撃が走る。そのまま吹き飛ばされ、気づいた時には床から屹立した柱の一つに、したたかに背中を打ちつけていた。
「いってぇ……!」
クロードは思わず呻く。
一方、アーロンは続けざまに魔術を放った。その上空に巨大な光球が出現する。帯電する光の球は見る間に体積を増やすと、一抱えほども肥大化する。そして殊更激しく電撃を放つと、その中から尾を帯びた白光の光線が、幾筋も飛び出してきた。放たれた光芒は弧を描きながら、まっすぐにクロードに襲い掛かる。
「おいおい……!」
慌てて両腕を体の前で交差させ、魔術障壁を展開する。
直後、その丁度中心を射抜く様に、光芒の束が激突した。そして、容赦なくクロードを六角柱ごと打ち砕く。
「があっ!」
クロードは粉砕された柱の瓦礫と共に、大きく吹っ飛んだ。何とか空中で姿勢を制御すると、魔術で足場を作って跳躍する。すると案の定というべきか、新たな光線が放たれ、すぐそばの空間を獰猛に抉り取っていく。
「アーロン、てめえ‼」
思わず罵るが、アーロンは追撃の手を緩めることなく、次々と光芒を放つ。クロードはそれを避けるので手一杯だった。先程の光球とは、破壊力が段違いであり、攻撃数も多い。直撃したなら、ダメージは計り知れない。
「どうした? それで終わりか」
アーロンは淡々とした調子で言った。その間も、全く攻撃の手を緩める気配はない。
「うっせえ! てめえ、エゲツねえことしてんじゃねーよ!!」
遺跡の内部に無数の光線が飛び交う。もはや避ける事すら叶わず、クロードは渋々障壁を展開させた。
魔防に特化した障壁で、通常のものより余計に燃料を食う。そろそろ補給油もつきかける頃合いだった。無駄な消費は避けたかったが、仕方ない。
ギイン、と鋭い音を立て、光線が障壁に当たる。障壁は魔術による光線を、そのまま弾く。すると、光線の起動が逸れ、そのまま下方の六角柱を爆砕した。ガアンと、派手な音がして柱の一部が崩れ落ちていく。クロードはそれを視界の端で確認しつつ、アーロンを睨む。
――その時だった。
「ぱぎゃっ!?」
小動物が潰れたような、奇妙な声を耳にした気がした。
「あ、あわわわわわ……! お……落ちちゃうよぉ!」
いや、聞き間違いではない。アリスの声だ。
下方――先程、クロードが魔術障壁で弾いた光線が、六角柱にぶち当たって爆発した辺りからだった。
「は……?」
クロードは慌ててそちらの方に視線を移す。すると、六角柱の一つからぶら下がるアリスの姿が見えた。かなり高さのある柱で、そのてっぺんから地上との距離は、少なくとも五メートル以上ある。アリスはどうやら、そこまで徒歩で登って来たものらしい。
先程の爆発による振動と瓦礫の散乱により足を滑らせたのだろう。辛うじて指先だけで、柱の縁にしがみ付いているといった状況だったが、それも長くは持ちそうになかった。すぐに握力が限界を迎え、落下を始める。あの高さを落下したら、普通の人間は無事では済まないだろう。
「きゃああああああっ!!」
アリスは悲鳴を上げる。
(あいつ、何でこんなところに……!)
クロードは目を瞠るが、その時にはすでに体が動いていた。
手近な六角柱の側面を蹴って加速し、アリスの元へと向かうと、クロードはその小柄な体を引っ掴む。そして共に落下しながら、空中でくるりと回転すると、仰向けになった。アリスが上に、クロードがその下でクッションになるようにだ。
「く……クロくん⁉」
ちょうど上空では柱の上に佇み、アーロンがこちらを見下ろしているのが分かった。落下するクロードに向かって先ほどの巨大な光球から更に光芒を放つ。その刹那、幾筋もの熱線が放射され、クロードやアリスの四肢や脇腹を掠めていく。鋭い痛みが走った。
「くっ……!!」
「ひええええええええっ‼」
アリスはクロードの服にしがみ付き、情けない声を上げる。
黒いフードに覆われたその小さな頭を両腕で庇いつつ、クロードもまた魔術を発動させた。反撃しなければ、一方的にやられるばかりだし、何より癪だ。瞳孔に光を明滅させると、黒焔を召喚し、上空にいるアーロンに向かってそれらを放った。
「……無駄だ」
アーロンはそう低く呟くと、《エンリル=コード》を浮かべる。すると、その周囲に光の球体が形成された。ちょうどアーロンがウォーターボールの中に入っているような格好だ。
クロードの放った黒焔がアーロンを包む球体に触れる。すると、ぴたりと火焔の動きが止まった。球体の光がそれらの焔を包む。
次の瞬間。
黒焔がくるりと向きを変え、クロードに向かって飛翔した。
「侵入・書き換え(ハック&リライト)……‼」
クロードは息を呑んだ。侵入・書き換え(ハック&リライト)は、《エンリル=コード》の中でも難易度の高いものの筈だ。おまけにその後ろには、光球から発せられた例の熱光線の白い軌跡も見える。クロードは自らの放った黒焔と、アーロンの光線に、同時に対処しなければならなくなった。
「クロくん、お……落ちちゃう‼」
クロードと正反対の方向――真下に目をやりアリスが悲痛な声で叫んだ。このままでは、落下の衝撃からアリスを守ることが出来たとしても、黒焔と光線に巻き込まれて灰と化してしまうだろう。クロードは咄嗟の判断で、アリスを頭上に放り投げる。
「ふげっ⁉」
アリスはそのままきれいな放物線を描き、遠くへ飛んでいく。
まさに寸暇の差だった。
黒焔と光芒――その両方が束になって一点に集中し、クロードを貫く。そしてそのまま、床に激突した。
落下の衝撃も相まって、肉体に大きな負荷がかかる。
ドオン、と地が割れんばかりの轟音が響き渡り、空間を揺るがした。