第11話 交戦(ファインティング)
バアン、と 肉体と肉体のぶつかり合う激しい音が響き渡る。
その衝撃音がクロードを現実へと引き戻した。
(こんな時に昔の事を思い出すなんて、俺もヤキが回ったな)
だがさすがに、それ以上の暇と余裕が与えられる事はなかった。
次に放たれたアーロンの蹴りをクロードは紙一重でかわし、ほぼ同時に右ストレートを放つ。だがその一手はアーロンによって完全に読まれていた。アーロンはクロードの腕を取り、逆に身体を掴むと、そのまま力技でねじ伏せようとする。
そもそもの体格はクロードよりアーロンの方がやや大きい。力技はクロードにとって不利だ。クロードはすぐさま足技をかけ、体勢を崩したアーロンを投げ飛ばした。
――その間、僅か三秒。
アーロンは着地すると共に、瞳孔に光を二度ほど瞬かせる。魔術を使ったのだ。そして、ほぼそれと同時に右手の形状が変化する。白い鮮烈な光を放つと、肘から手の先にかけて、長大なファイティングナイフが出現した。腕に合わせて僅かに湾曲しており、ナイフの背がそのまま腕に固定されている。
それは 屍兵に幾つかある装備品の一つで、ごく標準的なものだった。普段は腕の中に収納されているが、魔術で装着が可能なのだ。もちろんクロードにも同じものが装備されている。アーロンと同様に聖霊魔術を使い、すぐさま全く同じファイティングナイフを腕に出現させた。
「……懐かしいな。むかし、散々やらされた模擬戦を思い出すぜ」
クロードはニヤリと笑う。だが、アーロンは無反応だった。ただ、瞳を僅かにすっと細める。
(来る……!)
クロードも即座に構えを取った。その刹那、アーロンがぐん、とこちらへ間合いを詰める。そして、同時にその右手に装着された白刃がパッと閃いた。クロードもまた、己の刃でそれを受け流す。
鋭利な刀身が二つ、互いにぶつかり合い、滑って火花を散らした。二人は暫し、交叉したナイフ越しに睨み合う。しかしすぐに、アーロンが死角から空いた左手で拳を突き上げて来た。クロードはナイフの反発力を利用して後退し、紙一重でそれを避ける。
一度は距離を取るが、次の瞬間、二人はほぼ同時に踏み込んでいた。二つの刃が踊り、激しく交叉する。互いに手の内は分かりきっているからか。なかなか勝負かつかない。互いに紙一重でかわし、或いは互角にぶつかり合う。それが延々と続く。
離れたところから二人の戦いを見つめていたアリスは、その息の合った動きに完全に目を奪われていた。
「すごい……!」
そんな事を言っている場合ではないと分かってはいたが、思わずそう呟かずにはいられなかった。実戦が初めてのアリスは、屍兵が本気で戦うのをその目で見るのも初めてだ。クロードとアーロンの動きを目で追うのがやっとで、それ故に、何だか二人が神業じみた芸をあらかじめ仕込んでいたのではないかと、勘繰ってしまうほどだった。
ガキン、とひと際硬質な音が響き渡り、アリスははっと目を瞠る。
クロードとアーロンは再び正面からナイフを挟んで組み合っていた。そのまま、互いに睨み合い、まるで一つの彫像になってしまったかのように、微塵も動かない。ただ、ファイティングナイフがギチギチとひしめく不快な音だけが部屋の中に響く。
ナイフ越しにアーロンと対峙するクロードは、苛立ちを覚え、小さく舌打ちをした。
(くそ……埒が明かねえ!)
クロードの両目が僅かに発光し、瞬く。だが、それと同時にアーロンの両眼も光を放った。
(やれやれ……互いに、何から何までお見通し、か)
内心で苦笑する。こうまでタイミングが同じだと、もう笑うしかない。
そして、クロードとアーロン、両者の魔術がほぼ同時に発動する。大きな爆炎が二・三、立て続けに上がり、中でもクロードの召喚した、真っ黒い焔が殊更、巨大に燃え上がる。アーロンの放った魔術と連鎖反応を起こし、数倍に膨れ上がっているのだ。
クロードの操る黒焔は、火炎魔術の中でも上位魔術に当たり、より精密な情報処理が必要となるので、《マルドゥ―ク=システム》を内蔵する屍兵にしか作り出すことのできない炎だった。
炎は色によって燃焼温度が変わるが、黒焔は自然界に存在するどの炎よりも温度が高い。鉄ですら、一瞬で溶かし燃やし尽すこともできる。敵陣の堡塁やトーチカを破壊する時は言うまでもなく、機関砲や迫撃砲、戦車といった兵器に対してもすこぶる有効だ。利便性が良く、クロードは好んで使っていた。
地を揺るがすような轟音と共に、衝撃波が発生し、放射状に広がって部屋を呑み込んでいく。
「く……クロくん!」
地が抉られるような硬質の音がし、粉塵が舞い上がった。アリスは爆風に煽られ、己の黒いローブのフードを掴みながら叫んだ。
やがてすぐに視界が晴れ、二人の屍兵の姿が露わになる。
クロードとアーロンはすでに互いに距離を取り、睨み合っていた。一見したところ、両者とも未だ致命傷は負っていない。
クロードが床に目を落とすと、先ほど火焔魔術を放った場所が、丁度丸く抉られていた。ムシュフシュ遺跡の内部は外壁と材質の見た目は同じだが、どうやら外壁ほどの強度は無いらしい。それでも普通の建築物よりは随分頑丈だった。そうでなければ、今ごろ遺跡の内部は黒焔で崩れ果てていただろう。
意識をアーロンへと戻すと、やはり表情を微塵も崩さず、じっとこちらを見つめていた。
「……お前は相変わらずだな、アーロン」
クロードはそう声をかける。
「いちいち、こっちの動きに合わせてきやがって……そういう、妙に陰湿なとこが微塵も変わってねえ」
しかし、アーロンは特に感情を込める事もなく、静かに答えた。
「お前はだいぶ鈍ったな、クロード。……今まで、一体何をしていた?」
「この二十年、一度もまともな『仕事』が無かったんでね。お前こそ、妙にこなれてるじゃねーか。どこで準備運動してきたんだ?」
「………。クロード、俺達は人間じゃない」
やはり、無味乾燥な声色だった。
「戦わない屍兵など、ゴミと同じだ」
アーロンは、はっきりとそう言い切る。
クロードは一瞬、何と答えて良いのか分からずに、無言でアーロンを見つめた。
束の間、無音が部屋を支配する。誰も動かず、喋らない。
――確かに、とクロードも思う。アーロンの言っている事は一理ある。それは屍兵であるクロードも、よく理解している。だが。
「俺達が戦い続けている限り……何ひとつ、終わらねえだろ……!」
クロードは鋭く囁いた。屍兵は兵器だ。兵器は使われないことに意味がある。あくまで抑止力であり続ける事に、最大の意味があるのだ。
すると、それまで無表情だったアーロンの顔が、ふと揺らいだ。そして、自嘲気味に笑う。
「……そうだな。本当は、もっと早く終わらせるべきだったんだ」
先程見せた、疲れ果てたような笑いだった。クロードは思わず眉をひそめる。
アーロンが何を考えているのか分からない。何故、ここにいるのか。どうして領主をわざわざ、こんな辺鄙な場所にある遺跡までおびき出し、その上で殺したのか。アーロンは無意味なことはしない。彼には何らかの目的がある筈なのだ。ところが当の本人は、それらを説明する気が全くないらしい。そのせいか、クロードの背中には気味の悪い焦燥感が、べったりと張り付いて離れなかった。
ただでさえ、戦況は芳しくない。屍兵の能力の差とは、即ち《マルドゥ―ク=システム》の性能の差、どれだけ早く魔術を発動させることが出来るかの差だ。つまるところ、先手を取ったものが勝つ。そしてそれは魔術戦に於いて最も顕著に表れる。このまま魔術戦に突入すれば勝ち目は無い。――しかも。
(アーロンの奴……何か企んでやがる?)
アーロンは始終こちらの様子を見、反応を窺いながら戦闘を仕掛けてきている。慎重なアーロンの性格を考えれば、不自然とまでは言い切れないが、まるで何かを探っているようでもある。
クロードが内心でそう訝っていると、アーロンの表情がすっと元の無表情に戻った。
「クロード、お前はこの遺跡が何なのか、知っているか」
「何……って――? そりゃあ……」
しかし、クロードの言葉を待たずにアーロンは魔術を発動させる。クロードはぎょっとして身構えるが、予想に反してアーロンが展開させたのは攻撃魔術ではなかった。
浮かび上がる無数の文字群。それはエンリルと呼ばれる魔術文字だった。
エンリルとは、その昔に存在した高度な文明を持った種族――《ティアマトの剣》が用いていたとされる言語の事だ。その構造は複雑で、現在の考古学においても謎が多いとされている。単語や文法、全てがクロードたちの使う現代語とかけ離れているため難解で、操るのはもちろん、解読するのさえ難しいのだ。
しかしアーロンはそれを苦も無く駆使しているどころか、それを膨大な量で空中に刻んでいく。彼の内蔵している《マルドゥ―ク=システム》の高速演算が、それを可能にしているのだ。そして、空中に浮かび上がったエンリルは、瞬く間にアーロンの体を覆うまでに膨れ上がった。
文字の内容は分からなかったが、その光景には見覚えがあった。クロードも大戦中に何度か目にした事がある。《暁月の魔女》・レギウスが、大型の魔術技術を操る際に、よくそれを使っていた。
(まさか……あれは、起動呪文か……!?)
クロードは確信を深める。アーロンが行使しているのは、おそらくこの遺跡を起動させるための魔術なのだ。
クロードはそう気づいた次の瞬間、叫んでいた。
「馬鹿な……この遺跡は、無力化されている筈だ!」
しかしアーロンは、その言葉を一蹴する。
「お前達――《レヴィアタン》は、何も理解していない。ムシュフシュが何なのか、何のために存在しているのか。それを知っているのは……この世で《ティアマトの剣》だけだからだ」
そして、アーロンの周囲に浮かび上がった魔術文字――エンリルが一際強い光を放ち、ヴン、と人工的な音を立てると、一斉に消滅した。
気味の悪い静寂が束の間、広間を支配する。
「……何をした?」
クロードは腰を落とし、十分に警戒しながら、アーロンを睨む。
「今に分かる」
アーロンは静かに答えるのみだった。
クロードは息を詰めて、周囲の様子を探る。異変はまだない。だが、アーロンは間違いなく何かをした筈なのだ。体温を失った、不快な汗が頬を伝っていく。そして、変化はすぐに訪れた。
ゴ、と微かに地響きがしたかと思うと、部屋全体が大きく振動し始めたのだ。
「あ……あわわわ………!」
離れたところに避難していたアリスが、ぺしゃっと床に転げるのが視界の端に映った。クロードはかろうじて揺れに耐え、体勢を維持していたが、すぐにある事に気付き、はっと視線を床に向ける。
「……! 下か‼」
クロードが叫んだのと、反射的に跳躍したのが、ほぼ同時だった。
いつの間にか、ムシュフシュ遺跡の床に、光の裂け目が入っていた。それも、一か所ではない。裂け目は幾筋にも断裂していく。形はどれも、等しく六角形だ。そして、その六角形の裂け目に合わせ、床が凄まじい勢いで隆起を始める。息をつく暇もなく、いくつもの六角柱が、轟音を立てて上昇していく。
「きゃああああああああ‼」
アリスの悲鳴が上がった。床に転がったアリスは、隆起する床に為す術がないのだろう。
「アリス!」
声を上げるが、クロードにもまた余裕はなかった。ステップを踏むようにして床を飛び退き、隆起する六角柱を避けるものの、床は次々と動いていく。
「アーロン、何を考えてやがる!」
クロードは怒声を上げながら、アーロンの姿を探した。
アーロンは先ほどと全く変わらない場所に、全く変わらない体勢で立っていた。足元にはやはり六角形の裂け目があるが、どうやらあの床は動かない仕様らしい。
やがてしばらくすると、床の変動がぴたりと収まる。その頃には、遺跡内部の景観は様変わりしていた。
六角形ごとに高低差のある柱は、低いものは三十センチほどの高さしかないが、高いものは数メートルあり、どこまで上昇したのか地上からは見通せないものもある。並びはどれもランダムで、少しずつ高くなっている部分もあれば、急激な高低差がついている箇所もあった。足場はお世辞にも良いとは言えない。
(面倒な事、しやがって……!)
クロードは思わず胸中で毒づいた。遺跡内部の様相が激変したことは、確かにクロードにとって厄介な事態だった。だが条件は、アーロンにとっても同じだ。足場の高低差は、アーロンにとっても命取りになる可能性がある。それでもアーロンが起動呪文を使ったのは、この高低差があっても尚、クロードに勝てると踏んだからだろう。
「……行くぞ」
アーロンは静かにそう宣告すると、その双眸に光を瞬かせる。
その直後、帯電した白い光球が三つ、背後に浮かんだ。バスケットボールほどの大きさのそれは、パアンと空気の破裂したような甲高い音を立てると、弾丸のような速さでクロードに向かって空を奔った。
「……‼」
クロードは跳躍し、次々と襲い来る光球をかわしていった。光球はクロードを掠め、六角柱にぶち当たると、その黒い壁を巻き起こんで爆発し、広範囲に放電して消滅していく。クロードはそれを認め、小さく舌打ちをした。
(アーロンとの魔術戦は不利だってのに……!)
しかし、愚痴を吐いている暇などなかった。着地したタイミングを見計らい、アーロンがこちらへ突っ込んで来たのだ。アーロンは勢いに任せ、クロードに向かって腕のファイティングナイフを振り下ろす。
「くっ……!」
クロードは自身のナイフでそれを受け止めた。衝撃が重みとなって腕へと伝わる。何とかそれを受け流すと、アーロンの腹に、踏み抜く様にして蹴りを放った。
アーロンが後退すると同時に、クロードは手近にあった六角柱へと飛び乗る。そのまま階段を上る様にして次々別の六角柱へと跳躍し、移動していく。
補給油が限られている以上、真っ向勝負は避けたい。
一方、アーロンも態勢を整えると、すぐさまクロードの追撃に入った。跳躍し、次々と柱の上を移動しながら魔術を放つ。先程の光球がいくつも浮かび上がり、クロードに向かって放たれた。
クロードもまた移動してそれを避けながら、瞳孔の光を瞬かせる。瞬時に、周囲に黒焔の塊がいくつも浮かんだ。その黒焔が弧を描き、アーロンに向かって飛翔していく。
アーロンもまたそれを避け、或いは魔術で障壁を展開することで、徹底的に防御する。
クロードもまさか、黒焔が命中するなどとは露ほども思っていない。あくまで、ただの牽制だ。クロードが攻撃を仕掛けている間は、アーロンはその対処に追われる。その間、僅かな余裕が生まれる。結果、クロードには選択肢が増えるという事だ。
その時、アーロンのいる後方へ気を取られていたクロードは、ふと前を向き、舌打ちをした。足場がぱったりと途切れている。上へと移動するたびに、徐々に六角形の足場は減っていく――そういう地形なのだ。
「ち……!」
クロードは、すかさず魔術を発動させた。すると、直径一メートルほどの、円状の光の膜が出現する。遠目で見ると、まるで空中に突然、円形の形をしたガラスの足場が出現したかのようだ。クロードはそれを魔術で次々に形成し、跳び乗って手近の六角柱へと移動する。光の膜は数秒ほどすると、自動消滅していった。
見ると、アーロンも魔術を使い、同じ足場を形成している。
六角柱の上を移動し、その足場が途切れると魔術で新たな足場を形成しながら、クロードとアーロンは空間を縦横に移動していく。二人の姿はあっという間に六角柱群の向こうに消えていった。
地上でそれを見守っていたアリスは、焦って声を上げた。
「ま……待って、クロくん!」
叫ぶが、もはやクロードには届かない。
アリスは覚束ない足取りで二人を追いかけ、六角柱のてっぺんを次々と飛び移った。しかしすぐに足を引っ掛け、ずべしゃ、と派手にこける。
「こ……これを登るの……?」
アリスは己の前途に不安を感じ、思わず泣き言を洩らした。死霊魔術師であるアリスは、クロードたちのように、魔術を幾重にも重ねがけするなどという芸当はできない。しかも、もし魔術が仕えたとしても、アリスはみな悉く爆発させてしまう。そんなアリスに、この六角柱をよじ登ることが、果たしてできるのだろうか。
一瞬、呆然として上空を見上げるアリス。しかし、すぐさま表情を引き締めると、両手でぺちぺちと自らの頬を叩く。
「こんなとこで弱音吐いてる場合じゃない……! わたしはクロくんの死霊魔術師……相棒なんだもん……!!」
そして、気合を入れて聖霊杖を握りしめると、六角柱を登り始めたのだった。