第10話 回想①
あれは二十年以上前、クロードがまだイディア軍の屍兵であり、グアンデラ要塞に配属されていた時の事だ。
クロードが《暁月の魔女》に呼び出されたのは、夜もだいぶ更けてからの事だった。
グアンデラ要塞内部にある研究室に、彼女はいた。要塞内部とあって、壁は重厚な石造りだ。ところ狭しと部屋を占拠しているスチール製の棚には、これまた薬品の瓶や大小様々のサイズのビーカー、クロードには何に使うのか皆目見当もつかない奇妙な形状の器具類などがひしめくように並べられていた。その為か、つんと鼻を刺すような刺激臭が僅かに漂ってくる。
この部屋は、いつもこうだ。たまには片付けろと言っているのだが。
部屋の中央にはランプが一つ置いてあった。照明はそれきりだ。そのせいか、部屋は濃い闇に包まれていた。ランプは魔法技術を用いた高度なもので、彼女のお手製だ。油は随分前に使わなくなった。物資不足は深刻になるばかりだった。
「呼んだか、レギウス」
クロードは窓際に佇む《暁月の魔女》にそう話しかけた。美しい赤毛が揺れ、《暁月の魔女》――レギウス=マギナが、窓から視線を外しこちらを振り返る。
まるで、一枚の絵のようだ。クロードはレギウスの姿を目にし、そう思わずにはいられなかった。イディア軍から支給された、簡素な白衣を身に纏っているだけだったが、彼女は確かに美しかった。血統書付の猫のような、蠱惑的で完璧な曲線を描くその瞳に見つめられれば、男女問わず誰でも心を弾ませずにはいられないだろう。
その中でも最も目を惹くのは、レギウスのトレードマークとも言うべき燃え上がるような紅い髪だ。しかし、彼女自身はどうもそれを大切にしているようには見受けられない。現に今も、無造作に束ねているだけだ。
「クロード、見て」
レギウスがそう言ったので、クロードも窓へと近づき、その外に目をやった。グアンデラ要塞の城壁の向こうに真っ黒な森林が横たわっており、その一角には無数の炎が密集していた。ガレリア軍の築いた拠点だ。随分、炎の数が多く、動きもせわしない。
「最後の悪あがきね」
レギウスは肩をすくめる。
ここ、グアンデラ要塞では、一か月前に自軍のイディア軍とガレリア軍との衝突が起きたが、それ以降は何事もなく、静かだった。それが、突然の敵軍の動きである。
この頃はガレリア軍の戦意も落ちていると見え、一度交戦があるとその後は最低でも三か月は音沙汰なし、という状況が続いていた。そういった『空白期間』は、戦争が始まった頃と比べると格段に伸びている。
しかし、今回はどういうわけか、僅か一か月後のこの動きである。それ以前に比べると、随分急な話だった。
「本当に仕掛けて来ると思うか」
クロードがそう尋ねると、レギウスは口元に妖艶な笑みを浮かべた。
「密偵によると、ガレリアの現皇帝・イクシニウス四世が危篤状態だというのは確かな情報だそうよ。もう、あまり時間は残されていない。何とかして成果が欲しいのよ」
「こんな戦争、早く終わればいい」
思わずそう呟いていた。ガレリアでなくとも、誰もがうんざりしている。しかし、レギウスは首を横に振った。
「そう簡単にはいかないわよ」
そして、持っていたシャンパンのグラスを口に運びながら続ける。
「戦争というのも、一種の経済活動なの。巨万の富が動き続ける限り、人は血を流し続ける」
「くだらねえ」
クロードはそう吐き捨てた。誰も望んでいないのに、なぜ一部の政治家や武器商人たちのためにこんな事を続けるのか。理解に苦しむ。そんなクロードの横顏を見つめ、レギウスは面白そうにほほ笑んだ。
「……何が可笑しい?」
クロードは怪訝な顔をしてみせる。するとレギウスは、今度ははっきりくすくすと笑い出した。
「だって、屍兵であるあなたがそんな事を言うだなんて。何だか変な冗談でも聞いてる気分だわ。だってそうでしょう? 戦争が終わってしまったら、私達も廃業なのよ」
そして、また楽しそうに笑う。
「あんたは何も感じないのか」
レギウスを批判する気はなかった。そんな事をしても、この戦乱が終わるわけではい。ただ、聞かずにはいられなかったのだ。すると、レギウスはふと真顔になる。
「私はね、クロード。楽しむことにしているの。悲しんだり怒ったりしてみたところで、この状況は変わらない。だったら、私は自分の研究を完成させるだけ」
「身勝手だな」
クロードが呟くと、レギウスは頷いた。
「ええ、そうよ。私にとって大切なのは自分の研究を続けることと、その成果である屍兵のあなたたち。……それだけで、いいの。それ以上は何も望まない。だから……あなたも楽しみなさい、クロード」
「………」
クロードは何も答えなかった。レギウスとクロードはしばらくの間、見つめ合う。
やがて、先に視線を外したのはレギウスの方だった。
「先手を打つわ。明け方に襲撃をかける。みなを集めて」
「……了解」
クロードは短く答えると、部屋を退出しようとする。すると、レギウスが最後にクロードに向かって、優しくほほ笑んだ。
「大好きよ、クロード」
「何だと?」
酒にでも酔ったのか。クロードは思わず眉間にしわを寄せたが、レギウスはお構いなしに囁く。
「……愛してる」
「何だ、それ」
ぎょっとし、思わず不機嫌な声で答えると、レギウスの声は最初の楽しげな調子に戻った。
「照れ屋なんだから」
クロードは益々不機嫌になる。どうせいつもの気まぐれだ。こちらの反応を探って楽しんでいる。だが、クロードは何故だか彼女にそうされる事が不愉快ではなかった。
楽しげに笑うレギウスを残し、クロードは研究室を後にした。
レギウスの研究室を出てから、仲間の屍兵に招集をかける為、クロードはグアンデラ要塞の中の薄暗い廊下を歩いていく。
時おり、人間の兵士とすれ違うが、どの者もクロードを遠ざけるようにし、近づいて来るものは一人もいない。イディア軍の中でさえ、屍兵は疎まれ、恐れられている。だが、クロードは構わず歩き続けた。
だからって自分たちにどうしろと言うのだ。
あくまで死霊魔術師の傀儡に過ぎない自分たちに、一体どうしろと?
やがて、屍兵用に設えられた娯楽室が見えてきた。一般兵士のそれとは隔離され、要塞の更に辺鄙な場所にある、屍兵しかいない部屋。僅かに開かれた戸の隙間から、光が漏れているのが見えた。続いて、いつもの呑気な話し声。
(いるな)
クロードはそちらに足を向けた。
娯楽室といっても、置いてあるのはビリヤードだけだ。物資不足でありとあらゆるものが徴収されていく中、唯一残った遊技台だ。おかげで、というべきか、グアンデラ要塞の屍兵はどいつもこいつもビリヤードの腕前だけはプロ級だった。
また飽きずに玉突きか――クロードはそう軽口を叩いてやろうと思ったが、中に入ってみるといつもはビリヤードに興じている筈の屍兵たちが、今日はひとところに固まっていた。どうやら、何か話し込んでいるらしい。数はちょうど十人。みな、同じイディア軍の黒い軍服を纏っている。
「あれ、リーダーじゃん。どったの、急に」
やや赤みを帯びた金髪の若者――イグナートがクロードに気づいて声をかけてくる。それで、残りの者もこちらに気づいた。
「お前らこそ、何やってんだ」
クロードは尋ねる。すると、今度は黒髪の屍兵が口を開いた。ジークリンデだ。理知的で気の強そうな目元が印象的な少女だった。
「みんなで話していたの。ガレリアの侵攻が終わったら、私達どうなるのかしらって」
「向こうのおエラいさん、相当ヤバいって言うじゃん。もう、長くないんじゃないの?」
イグナートがそう後を続ける。
ガレリアの皇帝、イクシニウス四世の体調が悪化しているという噂は、イディアの中でも信憑性を伴った話として受け止められつつあった。現にガレリア軍の士気は、見るからに下がり続けている。グアンデラ要塞で始終ガレリアと睨み合っていると、肌でそれを感じる。
他の者も一斉に口を開いた。
「戦争が終わったら、どうなるんだ? 俺たち」
「そりゃあ……無職になるんじゃねーの?」
「でもォ、あたし達、屍兵だよ? 普通の兵士じゃないんだよ~?」
「そうよね。お役御免で自由になるわけじゃないだろうし……。そもそも戦争が終わっちゃったら、何のために戦えばいいワケ?」
仲間の会話を聞きながら、クロードは皮肉だな、とふと思った。
今まで、この手の話題が屍兵の間に上る事は無かった。この戦争が終わるなど、全く考えられない状況だったからだ。しかし、今は違う。みな、近いうちに到来するであろう『終わり』を確信している。
それにも関わらず、どの顏にも明るさは無かった。あるのは戸惑いと不安だけだ。それが、屍兵がどういう存在であるかをはっきりと象徴していた。
「……私達の死霊魔術師はレギウスよ。全ては彼女の決める事だわ」
ジークリンデがぽつりとそういった。
「レギウス……ね。姐さんが一番何を考えてるか分かんないって思うの、俺だけ?」
イグナートが首を竦めると、何人かが「確かに」と頷く。
「変わらないさ」
それまで黙っていたアーロンが、不意に口を開いた。アーロンは皆と少し離れた場所で椅子に座り、愛用のナイフを研いでいた。
全員の視線が、アーロンに集まる。それを知ってか知らずか、アーロンは淡々と話し続ける。
「戦争があろうとなかろうと、俺達が屍兵であるという事実は変わらない。だったら、何も変わることはないさ。これまで通りだ」
アーロンの表情もまた、彼の言葉通りにいつもと同じだった。焦りも、不安もない。
こいつらしい。クロードはそう思った。おそらくアーロンなら、本当に何があっても変わることはないだろう。隕石が降ってこようと火山が噴火しようと、寸分も動揺することなく、自分らしく冷静に対処するに違いない。仲間の中にはアーロンのそういった性格を苦手とする者もいるようだが、クロードは純粋にそれを長所として評価していた。
――ただ、その冷静すぎる性格が本人にとって幸せな事かどうかは分からなかったが。
だが、とりあえず今はアーロンのおかげで、娯楽室の空気も幾分か緩和されたようだった。
「言われてみれば……そうだよね~」
「所詮、屍兵に選択権なんて無いわけだし」
「たまにはいい事言うじゃねーか」
「アーロン、かっくいー!」
口々にそう軽口をたたき始める。
ようやく本題に入れそうだ――クロードは溜め息をつき、口を開いた。
「まあ……来るかどうかも分からない未来の話を今したって、しょうがねえってのは確かだな。それより、超・現実的な話をしてやろーか。……出撃命令でてんぞ、お前ら。完徹決定だ」
すると、口々に悲鳴が上がった。
「マジかよ~!」
「や~ん、夜襲って苦手なのにぃ~!」
「レギウスの奴、ゾンビ使い荒くね⁉」
「鬼ー!」
クロードは、仲間の愚痴を聞き流しながら、先ほどのレギウスの言葉を思い出していた。
世界など、どうなっても構わない。大切なのは自分の研究だけ――臆面もなくそう言ってのけるレギウス。しかし、不思議と彼女に対して怒りや軽蔑といった感情は湧かなかった。彼女がそういう人間だという事は出会った時からよく知っているからだ。
ただ、最近時々思う事がある。自分はいつまで彼女を信じていられるだろうか。
いつまで、彼女のそばにいるだろうか。
最後の時が来た時。仲間たちは――
そして彼女と自分は、どうなっているだろう。




