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第8話 思わぬ邂逅

 クロードとアリスはムシュフシュ遺跡の入り口の前に立った。遺跡の入り口は、幅一.五メートル、高さ四メートルほどのアーチ状の門になっている。美しい門の曲線を彩るのは、幾何学模様の装飾だ。それにどういった意味があるのか、クロードには分からない。ただ、材質は遺跡の壁面と同じ、黒い鉱石のようなものでできているようだ。


 その門には扉が無い。しかし、さりとて遺跡の内部を覗くこともできなかった。真っ黒な膜のようなものが、門をぴっちりと塞いでいるからだ。その膜が何でできているのか、一見しただけでは分からない。


 クロードはわずかに躊躇した後、アーチ状の空間を覆う黒い膜に手を触れてみることにした。黒い膜に、ゆっくりと右手を近づける。しかし、物理的な触感は無い。魔術的な効果も殆ど感じられず、単に内部の視覚情報を遮断しているだけのようだった。


 つまり、何の問題もなく中に入れるという事だ。クロードは隣に立つアリスに声をかける。

「入るぞ」

「う……うん」


 アリスの声は緊張していた。外からでは内部の様子が分からないから、余計に不安になるのだろう。アリスを安心させるために、まずクロードが率先して膜を潜り抜けた。それを見たアリスも、えいっと掛け声をかけ、後に続く。


「ぷはあっ!」


 膜を潜り抜け、遺跡の中に足を踏み入れた途端に、アリスは思いっきり息を吸い込んだ。まるで、水の中に潜った時のようだ。クロードはその様子を眠たげな目で見下ろす。


「息、止めなくてもいいだろ」

「えへへ、つい……」


 まあ、気持ちは分かるけどな、とクロードは思った。全く向こうが見通せないのだ。まさに、真っ暗な水の中に飛び込むようなものだった。


 とにかく、バルトロメオたちの後を追わなければ。クロードは周囲をぐるりと見渡した。遺跡の内部に入ってすぐ、左右に回廊が伸びている。回廊は緩くカーブしており、どうやら円形のムシュフシュ遺跡の外側をぐるりと覆っているらしい。幅三メートル、高さ五メートルほどの細長い回廊が、延々と続いている。天井部分はアーチ状になっており、歩くとコツコツと足音を反響した。


 クロードとアリスは遺跡に入って数歩で、どちらともなく立ち止まる。


 回廊は一見すると、外壁と同じ材質で構成されているように見える。内壁や床は黒い光沢を帯びた正体不明の鉱石でできており、例の白い柱がそれを支えている。真っ白な骨組みがびっしりと黒い壁面や天井を覆う様は壮観で、クロードは何となく生物の標本骨格を思い出した。ここはまるで、そう――蛇の骨格の内部みたいだ。


 クロードは静かに、壁面に触れてみた。どういう構造で作られているのか分からないが、やはり石と石の継ぎ目が無い。まるで小さな石を組み上げて建てられたというより、一つの巨石を掘り出して作られたかのようだった。しかしその際、一体どれほどの大きさの石が必要になるのか。想像もできない。


 回廊は完全な密閉空間で、外部からは内部の構造が全く分からないのと同じように、内部からは外の様子が分からないようになっている。しかし、照明の類は必要なかった。歩くには困らない程度に明るかったのだ。回廊の内部は青白い光で満たされている。しかし、照明は見当たらない。どうやら内壁そのものがぼんやりと発光しているようだった。


 気配を探ってみると、微弱な魔術の存在が感じ取れる。聖霊技術を用いて、内壁が発光する仕様になっているのだろう。聖霊が豊富な地帯ならではだ。しかし、中心となる動力機関は《レヴィアタン》によって無力化されている。という事は、何か独立した機能が働いているのだろう。


 それがどのような技術によるものなのか、クロードには見当もつかなかった。アリスも同様のようで、しきりに「すごいねぇ……!」と目を瞬かせている。


(まあ、こいつはあんま役に立たねーからなあ……)

 とはいえ、クロードもムシュフシュ遺跡に関して、何か知識を持っているわけではない。


 クロードは屍兵リバーサーであるため、聖霊魔術の扱いには長けている。しかし、こういった遺跡に用いられる聖霊技術に関しては、完全にズブの素人だ。遺跡の聖霊技術を理解するには、聖霊魔術だけでなく考古学や魔術学などいくつもの学問に精通していなければならないからである。


 ただ、聖霊技術には疎いクロードの目から見ても、この遺跡に用いられている技術はかなり高度なものではないかという事は窺えた。様々な技術が飛び交っていた大戦中ですら、この様なものは見たことはない。


 ムシュフシュ遺跡を残したとされるティアマトの子孫――《ティアマトの剣》は高度な文明を持つとされている。その真偽は定かではないが、この遺跡の内部を見ていると、その伝説も妙に真実味を帯びてくる。


「何だか不思議なところだね」

アリスもクロードの側に立ち、神妙な声で呟いた。「こんな建物、見たことない」


「……行くぞ」

クロードはそう声をかけると、歩き始める。アリスもすぐに後を付いて来た。


 回廊は右を見ても左を見ても全く同じ光景が続いているため、どちらを進むべきか迷ったが、結局クロードたちは反時計回りに回っていくことにした。理由はない。ただの勘だ。


 しかし、やはりと言うべきか、どれだけ歩いても延々と同じ光景が続いている。念のために魔術で探ってみたが、回廊内の空気は至って清浄で、ウイルスや毒物、汚染物質の類は全く検出されなかった。


「領主様たち、いないね」


 アリスの言う通り、バルトロメオの姿は見えなかった。引き連れていた部下たちの姿も、あの黒いローブの魔術師らしき女の姿も見えない。


――黒いローブの、女の魔術師。クロードはその存在を思い出し、つと目を細めた。


(あの女……妙に気になるな)


 あのローブの女が死霊魔術師ネクロマンサーである可能性があるから、という理由だけではない。何か嫌な予感がする。しかしそれが何かというはっきりとした確証は無く、今は勘のようなもの、と表現するしかない。


(どこかで、会ったことがある……?)


 そう首を傾げた途端、不意にクロードの脳裏に、一人の女の姿が甦った。


 二十年前、常にクロードと共にいた死霊魔術師ネクロマンサー。輝く夕日のような紅い髪は、彼女が《暁月の魔女》という異名で呼ばれる原因にもなった。この大陸で最高の美貌と頭脳を誇る、至高の女魔術師。あのローブの死霊魔術師ネクロマンサーの背格好は、ちょうど彼女と同じだし、纏っている雰囲気も、どことなく似ているような気がする。


 しかし、まさか――とクロードは即座に胸中で己の考えを否定した。バルトロメオは彼女をベアトリスと呼んでいた筈だ。あの死霊魔術師ネクロマンサーは彼女ではない。それに。


(そんな筈は無い。だって、あいつは)

 あいつは――――――――


 その時、アリスが突然、クロードの黒い軍服の袖を引っ張った。


「クロくん、部屋があるよ」


 どうやら、随分と物思いに沈んでいたらしい。クロードは意識を現実に引き戻す。アリスの指差す方に視線を送ると、確かに回廊の左手に別室への入り口が見えた。カーブした回廊の内側――内部の部屋へと通じる入り口だ。


 別部屋へと至る入り口の形状は、外にあった(ゲート)とほぼ同じだった。四メートル程の高さのアーチ状で、やはりクロードたちが入ってきた門と同じように、黒い膜が扉のようになって入り口をぴったりと覆っている。その為、回廊側からでは部屋の内部は全く見えない。


 因みに、回廊は部屋の入り口の更に奥にも続いている。おそらくこの回廊は、当初の予想通り、ぐるりと遺跡の周囲を覆っているのだろう。このまま部屋を無視して歩き続けたら、外へと通じる入り口に戻ってしまう筈だ。しかしそれでは、あまり意味がない。


「この部屋に入ってみるか」

クロードの言葉に、アリスも頷いた。


「この先に領主様がいるといいね」

「いるんじゃねえか? 他に道も部屋も無かったからな」


 バルトロメオは慎重というよりは、野心家で豪胆な性格のように見えた。部屋があるのを見れば、真っ先に飛び込んだことだろう。それを考えても、この先にいる可能性が高いのではないか。


「せ~のっ……」


 アリスはそう言うと、大きく息を吸い込んで、頬をぷうっと膨らませる。――だから、いちいち息を止めなくてもいいってのに。


「先に行くぞ」


 最初にクロードが膜を潜った。やはり何の抵抗も無く、あっさりと通り抜ける事ができる。


 部屋の中は思ったよりもかなり広い空間だった。ナベルの森にあった廃村がまるまる一つ入りそうなほどの広さがある。天井は、回廊の高さよりもさらに高い。天井はドーム型になっていて、真ん中が一番高くなっているようだ。だが、あまりにも高い為に、地上からではよく分からない。壁面の材質は回廊のものと同じだ。黒い光沢を帯びた鉱石の外壁に、骨格を思わす真っ白な無数の柱。その数は凄まじく、もはや骨組みというより、複雑な蜘蛛の巣を思い起こさせた。


 ただ、回廊と同じで、やはり壁面自体が青白く発光している。他に照明は無くとも内部の様子は、はっきりと見渡すことができた。


 その時、不意に異様な匂いが鼻を掠め、クロードは顔をしかめた。


 この臭いには覚えがある。今まで、戦場で幾度となく嗅いできた、鉄錆を煮詰めたような臭い。そして反射的に、見上げていた視線を地上へと降ろす。そして、はっと息をのんだ。丁度同じタイミングで、アリスが部屋の中へと飛び込んで来る。


「クロくん、どう? 領主様、いた?」

「来るな!」


 クロードはアリスを制したが、既に時遅しだった。アリスもクロードの視線の先にあるものを認め、「ヒッ」と短い悲鳴を上げる。


 そこには想像を絶するような、凄惨な光景が広がっていた。


 だだっ広い部屋のちょうど中央に、大勢の人間が倒れていたのだ。よく見ると、どの人物もモスグリーンの鎧を身に纏っている。バルトロメオの部下だ。一際豪華な身なりをした壮年の男――バルトロメオ本人の姿もある。しかし、みなピクリとも動かない。黒い鉱石でできた光沢のある床には、どす黒い血だまりがいくつもできていた。遠目にも、既に彼らが事切れているのが分かる。


 そして、その真ん中で黒いローブの女がただ一人、こちらに背を向けて立っていた。バルトロメオがベアトリスと呼んだ、死霊魔術師ネクロマンサーらしき女だ。


 顔を俯け、両手をだらりと下ろしている。夥しい遺体が横たわる中でただ一人佇むその姿は、クロードの目を通しても不気味であり、言い表しようのない得体の知れなさを漂わせていた。


「ひどい怪我……助けなきゃ……!」


 アリスはひどく青ざめ、茫然とした表情のまま、それでもバルトロメオ達に駆け寄ろうとする。手当をすればまだ助かるのではないか――そんな一縷の望みに縋っているのだろう。


 しかしクロードは、「よせ!」と、アリスの腕を掴んでそれを押し止めた。

「もう、手遅れだ」


 アリスはゆらゆらと頼りなげに首を揺らし、クロードを振り返った。何を言っているのか、理解できない――そんな表情だ。そういえばこいつ、実戦は始めてなんだっけな、とクロードは思い出す。こういった光景を目にするのは始めてなのだろう。


 その地獄のような光景の中で、ローブの女はやはりただ一人、立ち尽くしている。こちらに背を向け、身動ぎ一つしない。クロードは息を詰めてその女を凝視した。


「……お前がやったのか」


 鋭く問いかけると、初めて女は動きを見せた。俯いたままゆっくりとこちらを振り返る。その赤く妖艶な口元は微かに笑っていた。


「久しぶりだな、クロード」


 クロードは眉をひそめた。聞き覚えのない声だ。いや、しかし、どうしてこいつは俺の名を知っている? この女とは、完全に初対面の筈だ。


 ――一体、どういうことなのか。クロードは軽く混乱した。しかし、次の瞬間。


「俺の事を忘れたか」

 女の声は、低い男の声に変貌していた。


(男……⁉)


 それと同時に、女の周囲に魔法陣が浮かんだ。彼女が聖霊魔術を発動させたのだ。やはりこいつは死霊魔術師ネクロマンサーだったのか――クロードは反射的に警戒態勢を取る。しかし、すぐに何かがおかしい、と気づいた。


(何故、呪文を詠唱しない? 聖霊杖はどこだ……⁉)


 女は呪文を全く詠唱しなかった。そもそも、死霊魔術師ネクロマンサーであれば誰もが持っている筈の聖霊杖も身に着けていない。ローブのどこかに隠し持っているのかと思っていたが、だらりと降ろした両の手は、何も握っていなかった。


 それなのに、何故、聖霊魔術を行使することができるのか。そんな事ができるのは、体内に《マルドゥ―ク=システム》を搭載している屍兵リバーサーだけではないか。


 しかし、思考はそこで断ち切られた。女の聖霊魔術が発動し、漆黒のローブを纏ったその姿が白光に包まれたからだ。クロードは僅かに目を細めるが、その光の先を睨み続ける。


 この死霊魔術師ネクロマンサーは何かがおかしい。いや、そもそも彼女は本当に死霊魔術師ネクロマンサーなのか。もっと違う、別の厄介な何かではないのか。


 そして、クロードの嫌な予感は的中した。


 白光がすっかり消え去った次の瞬間、黒いローブをまとった女の華奢な体が、長身のがっしりとした男の体になっていたのだ。


 その身にまとっている軍服を目にし、クロードはその眠たげな目を最大限に見開く。かつて自分も身に着けていたイディア軍の軍服。更にその顔を認め、思わず驚きの声を上げた。


「お前……アーロンか!」

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