プロローグ① イディア陸軍00部隊
こんにちわ、天野地人です。以前、投稿していた『屍たちは黄昏に嗤う』の改稿バージョンです。
プロローグから第4話までは前回と同じですが、第5話以降は展開が変わって来るので、楽しんでいただけたら幸いです。
ファルス山脈は、イディアとガレリアの国境間に広がる、急峻な山間地帯である。
天地を分け隔てる断崖絶壁の如く切り立ち、連なる山々の頭頂部は年中白く、一度としてそれが溶けるのを見た事がある者はいない。その深い山と山の間にできた谷――そこを丁度ぴったりと塞ぐように、石造りの巨大な要塞が築かれていた。
グアンデラ要塞。
この堅牢な要塞によって、小国イディアは大帝国ガレリアの侵攻を幾度となく阻んできた。しかし、それももはや限界を超えようとしている。グアンデラ要塞の周囲を、獅子の頭をモチーフとした真紅のドラゴンの旗――ガレリアの軍旗がぐるりと取り囲んでいたからだ。
ガレリア側の軍勢は二十万、それに対してイディアの軍勢は僅か五万。グアンデラ要塞の陥落はいよいよ目前に迫っていた。
そのグアンデラ要塞の中央にある司令部の屋上から、ガレリア軍旗を見つめる十の影があった。年頃はみな、二十前後の若者ばかりだ。みな同じイディアの戦闘服を身に着けているが、性別は男女それぞれで半々ほどである。
イディア軍陸軍 特殊死霊魔術機甲科 第一00部隊――通称、00(ゼロゼロ)部隊。
この僅か十人の、屍兵と呼ばれる歩兵で構成された特殊部隊で、ガレリアの二十万の軍勢を退ける。軍事作戦など立案したこともない一般人ですらも、思わず正気を疑わずにはいられない、そのあまりにも馬鹿げた作戦が、イディア側の打ち出した唯一の戦略だった。
何故、そんな無謀な作戦が実行に移されたのか。それはひとえに、屍兵がただの歩兵ではないことに起因している。屍兵は死霊魔術によって生み出された、特殊兵士だ。死者の身体に擬似魂を埋め込み、兵器として再利用する。そうして生まれた屍兵は、通常の歩兵の数百倍の戦力を誇ると言われている。
そのガレリアの大軍を見下ろす00部隊の中の一人に、真っ白な頭髪を持つ兵士がいた。緊張感に欠けると評されることの多い、どこか眠たげな目。早朝の新雪のように混じりけのない白髪は、実年齢より老けて見られることが多いので、自分ではあまり気に入っていない。
00部隊の隊長、それがクロード=ヴァイスだ。
クロードは無表情に、グアンデラ要塞の前に陣を広げるガレリア軍を見下ろしていた。これから戦う敵軍を前にすれば、当然緊張もするし、高揚もある。だが一方で、自分の中のどこかが真冬の氷のように凍りついているのをクロードは感じていた。それが理性による精神の鎮静作用なのか、それとも長年戦い続けていることに対する虚無感なのか。クロードには分からない。もっとも、どちらであっても大した問題ではなかった。屍兵であるクロードに許されているのは、敵を殲滅させることだけなのだから。
クロードを初めとした00部隊の眼前には、白衣を羽織ったレギウス=マギナの姿もあった。彼女もまたイディア軍の軍人であったが、雰囲気はどちらかというと学者に似ていた。
まず目を惹くのは、その紅い髪だ。ファルス山脈を染め上げる残照よりもなお鮮烈で、まるで燃え上がる様な紅。それがこの世を絶するほどの美貌と相まって、一目しただけで脳裏にその姿が焼き付くほどの、凄まじい存在感を放っている。
「また、ずいぶん気合いを入れたものね、ガレリアも。全く、ご苦労なこと」
レギウスはグアンデラ要塞のすぐそばまで迫るガレリアの大軍を見つめ、呆れ返ったような口調でそう言った。しかしその言葉の中には、同時に愉悦の響きがある。まるで、今まさにこの時を待ち詫びていたのだとでもいうかのように。
「どうする、少佐殿?」
クロードはそう口を開いた。ところが、レギウスはそれが気に入らなかったのか、クロードの方を振り返リ、ちらりと睨む。
「そんな呼び方、やめて。階級なんて形だけよ……分かっているでしょう? いつも通り、レギウスでいいわ」
そして彼女はすぐに思い出したように、いたずらっぽく微笑んだ。
「それに……あなたこそ中尉に昇進したそうじゃないの、クロード」
「それこそ、飾りみてえなもんだろ」
クロードは思いきり顔をしかめて答える。謙遜ではなく、事実そうだ。イディアは、ガレリアとの長きにわたる戦争ですっかり疲弊しきっている。そのため物資や資源、何より人材が深刻な枯渇状態にあり、軍部においてすらも慢性的な人手不足に見舞われているのだ。他に昇進する者がいなかった。クロードが中尉になったのは、本当にただ、それだけの事に過ぎない。
その事実が嫌でも思い出され、この上もなくうんざりしていると、レギウスは何故だか楽しそうに笑った。子どものような屈託のない笑顔だった。クロードは、ますます不機嫌になる。
「そんなに笑う事、ねえだろーが」
「だって……あんまり嫌そうだから。まあ、確かにどう見ても、中尉って感じじゃないわね」
「どーいう意味だ」
抗議の意味を込めてレギウスにそう答える。しかし、彼女は笑い転げるばかりだった。
そこまで爆笑されると、いくら彼女の言葉が事実でも、さすがに面白くない。むっとしていると、00部隊の仲間――アーロン=ナイトレイがクロードの肩をポンと叩いた。イディア人にしては珍しい、混じりけのない漆黒の髪色を持つ青年で、常に沈着冷静な態度を崩さない、優秀な兵士だ。しかし、今はその冷静な瞳には、クロードに対する妙な憐憫が籠っている。
「案ずるな。俺達は別に、お前が中尉になったからといって、笑ったりはしない」
見るとアーロンの後ろで残る仲間たちも、うんうん、と同情交じりの表情で頷いている。
「絶望的なまでに似合わないよねー、クロードが中尉だなんて」
「ホント、ホント。場違い感が半端ないよね。何だか可哀想~」
「こういうの、何ていうんだっけ。猫に小判……それとも、豚に真珠?」
「馬子にも衣装だろ」
「……ちょっと待て。何で曲がりなりにも昇進したってのに、カワイソーな扱いになってるんだ、俺は」
思わずぼやくと、「だってクロードだし」「ねー?」などと、これまたよく分からない返事が返ってくる。
殴ってやろーか、こいつら――半ば本気でそう思ったが、クロードはすぐにその企みを放棄した。不意に面倒臭くなったのだ。人間の部隊じゃあるまいし、こいつらに真っ当な忠誠を求めても無駄だという事はよく分かっている。
すると、レギウスはふと真顔になり、眼下に広がるガレリア軍へと視線を戻して言った。
「そう……階級なんて、どうでもいいの。ちゃちな勲章なんて、何の意味も無い。でも、あなた達がこの大陸で最強だという事を知らしめる必要はあるわ。敵にも……味方にも、ね」
そして、次に演説する声をやや低める。
「……忘れないで。屍兵であるあなた達の存在が、死霊魔術に更なる発展をもたらすという事を」
クロードは、それを黙って聞いていた。屍兵。その言葉を彼女の口から聞いた瞬間だけ、僅かに眉間にしわが寄った。レギウスがその事に気づいたどうかは、分からない。
やがてレギウスはその口元に優美な笑みを浮かべた。魂を奪われるほどに魅力的な笑顔だったが、クロードはそれを目にした途端、恐怖でぞくりと総毛だっていた。彼女の微笑みの中には悪魔のような酷薄さが棲みついていたからだ。それは決して、クロードの気のせいなどではない。それが証拠に、他の屍兵たちも皆一様に、俄かに緊張した面持ちを見せる。
レギウスはそれを知ってか知らずか、ゆっくりと目を細めた。
「さあ……みんな、私を楽しませてくれるわね?」
「……イエス、マム!」
彼女の部下――00部隊の面々は声を揃え、そう答える。
レギウスは満足そうに頷いた。その時、硝煙交じりの風が吹き抜け、彼女の紅く美しい髪を激しく揺らす。それは日の光を浴び、眩いばかりの光を放った。
――まるで、血の色だな。クロードは彼女の風に翻る赤髪を目にし、そう思った。戦場を幾度となく濡らしてきた、夥しい血。彼女の纏う色は、まさにそれだ。ファルス山脈を背に悠然と佇むレギウスの姿は、妙に圧倒的で禍々しく、これから起きる惨劇を暗示しているかのようだった。
そんな不吉な連想をしてしまったせいだろうか。戦意を高揚させる仲間を尻目に、クロードは一人、薄暗い予感に捕われていた。
敵味方、共に大勢の血が流れるだろう。
敗北は許されない。
だが、勝利を得たとしてその先に何があるのか。
空虚な、冷たい氷が全身を覆っていく。この戦いは、今や十年に及んでいた。さすがに少々、うんざりし始めているのかもしれない。屍兵はその字の如く、死んで尚も戦い続ける兵器だ。生きていた時の記憶、感情、何一つ残ってはいない。それでも、心まで失ってしまったわけではないのだ。
しかし、クロードは次の瞬間にはそのくだらない感傷を頭から締め出していた。
これから、どうするか。そしてどうなっていくのか。どんな未来が待ち受けているのか。それらは全て、自分たちの死霊魔術師である、レギウスの決める事だ。屍兵であり、駒であるクロードは、彼女の描いた地図に沿って進むだけだ。
それは確かに、ある意味では思考の放棄かもしれない。だが、クロードはそれを信頼だと捉えていた。人は自分の命運を自分で決めたがるものだ。それは屍兵であっても変わらない。その欲や執着を全て投げ捨ててまで、クロードがレギウスの判断に従う理由は、死霊魔術師だとか屍兵だとかいう立場を超えたところにある。
彼女だから――レギウスだから、全てを委ねられる。
イディアの未来を、自分の命運を。
彼女だからこそ、その全てを預けられるのだ。
クロードは心の底からそれを信じ、疑いもしなかった。
――この時は、まだ。
クロードは、仲間の00部隊と共に、司令部の屋上から一気に飛び降りる。
そして、戦いの火蓋は切って落とされた。